翌朝早く、グレンはルパを連れて集落に帰った。厄災について一族で相談するために。イリスは泣き疲れて、眠ってしまった。嵐が完全にやんだので、ジンはまた家に戻ることにした。イリスはまだ腫れぼったい目で起きてきて、ハンガーまで見送った。
「ギプスが取れるまでに、イリスがうちでも日光浴できるように温室を作っておくから。ここみたいに立派なのはムリだが。実は昨日もその設計図引いてて、来るのが遅れたんだ」
「ウレシイ。アリガト」
「たっぷりお日さん浴びて、早く散歩できるようになっててくれ」
「キヲツケテ。イッテラッシャイ」
背後で見ていたエクルーは、
「まるで妊婦とダンナの会話だね」とコメントした。執事見習いのゲオルグは
「それはイチャイチャということですか?」
「うーん、まだ ”ぞっこん”ってとこかな?」
「難しいものですねえ」
毎日、数時間でも時間を作ってジンはサクヤのドームに来た。イリスに連邦言語を教えて、自分はイリスの言葉を覚えるために。
「長い外出ができるようになったら、グレンのお婆さんに会いに行こう。そのクツと毛皮の御礼、言いたいだろう?」
「うん。グレンの妹も会いたい。私、同じ年だって」
「妹にイドラの言葉を習うといいよ。俺も一緒に覚えよう」
「でも、まず、私の妹に会いたい」
「……そうか、そうだよな。ロンにお墓の場所、聞いておくよ。遠いから、もうちょっと元気になってからな」
数日後、グレンが妹のフェンを連れてやって来た。
「イリスに会いたいって聞かなくてさ」
女の子二人であっという間におしゃべりの嵐になった。その会話をジンは傍らで熱心に聞いていた。
「明らかに別々の言葉を話してるのに、どうして通じてるんだ?」
「さあ? 俺に聞かれても」
「覚えたいんだけど、録音したら怒られるかな?」
「やめたほうがいいと思う。女の会話に男が混じったら、ロクな目に遭わないぞ。なまじ会話がわかっても……ヘコムだけだ」
「とりあえず、イリスは今すぐでもグレンのお婆さんと話せるらしいな」
「オッサン、あんたも話せるぜ」
「そうなのか?」
「婆さんは連邦標準語話せるからな。近いうちに、あんたを連れて来て欲しい、と言われた。星の今後のことを相談したいそうだ」
「俺に?」
「あんたとサクヤとエクルーに、だな」
グレンは、つぶやくように付け加えた。
「大厄災の話をしても、婆さんは驚かなかった。あの二人と前々から相談していたらしい。知らぬは俺ばかりだったわけだ」
ジンはグレンの肩をぽん、と叩いた。
「知ったからには、あんたも一味だぜ。俺は機械には強いが、この星のことは全然知らない。あんたみたいに一人で夜の砂漠なんか渡れない。あてにしてるぜ」
「わかった」グレンは少し笑った。「でも、もう砂漠に埋まらないでくれよ、オッサン」
グレンとフェンが帰った後、エクルーがそっと聞いた。
「ジン、グレンにオッサンと言われるの、堪えてないか」
「うん、実はけっこうキテる」
「おまえ、いくつになるんだっけ」
「今度、36だ」
「そうか。じゃあ、紛れも無いオジさんなんだから、覚悟決めれば?」
「いや、もちろん、自分が中年なのは自覚してるが、グレンに言われると牽制されているようでなあ……」
「牽制? 何に対して?」
いつものエクルーの誘導尋問にひっかかっていた自分に気づいた。
「何でもない。忘れてくれ」
エクルーはにやにやしている。
「まったく、お前とサクヤはズルイよな。いつも、自分達は余裕で見物してて、俺はジタバタするばっかりだ」
「いやあ、俺もけっこうジタバタしてるんだけど、こう見えて」
「そうなのか?」
「その時は慰めてくれ」
「イリス、だいぶ、言葉を覚えたなあ」とエクルーが言うとイリスが得意そうに暗誦を始めた。
「ムカシ、ムカシ、あるトコロに、オジイサンとオヒメサマがいました。オヒメサマが池でマリつきをしているとかわいいカエルがアラワレました。カエルとオヒメサマはオトモダチニなって、みんなコウフクニくらしましたとさ、めでたし、めでたし」
エクルーはジンにひそひそと聞いた。
「あんた、いったい何の話をしたんだ?」
「いろいろ、世界の名作全集を順番に読んだんだが、ごっちゃになったようだな」
「微妙に整合性のある所が面白い」
「オモシロイ?」
「面白い、面白い。ホタルにも聞かせてやれよ。喜ぶぜ」ふたりは拍手した。
やっとサクヤから外出許可が出た。それでもある限りの防寒着でイリスはぐるぐる巻きにされた。メドゥーラのくれたラパンの毛皮の外套と帽子、ルパの毛糸を編んだストールに革のブーツ。
「俺も行っていいかな」グレンが言った。
「本当はフェンも行きたがったんだけど、あいつ織物の仕事が溜まってて、後で俺が連れていくって約束したんだ」
「いいよ。ヨットに全員乗れる」
それは、何の目印もない、木陰もない、ただ石が転がっているだけの荒地だった。墓地のはずれにヨットを置いて、みなで小さな墓碑を探した。
「ロンが白い四角い石を置いた、と言ってた。水汲み場の敷石をくれたらしい」
他の墓碑はゴツゴツした赤い石や紫の石ばかりなので、目立つはずなのになかなか見当たらない。
イリスはしばらくぼうっと立っていたが、やがてまっすぐに墓地の一隅に向かって歩き始めた。そこだけが明るい緑色で苔むしているように見える。側で見てみると、白い敷石が短い草丈の緑の植物に埋まっていた。イリスはひざまずいて、草をなでた。涙がぽろぽろこぼれた。
「シレネー。ゴメンネ。ハヤク、来たかった。オソカッタ。モウ、一緒ジャナイ。ゴメンナサイ」
ジンは隣りに膝をついて聞いた。
「この植物がイリスの妹なのかい?」
「そう。シレネー。死んでスグ、一緒にナレル。お母さん、私のナカにいる。でもシレネー、もうオソイ。もう動けない」
「この草は花は咲かないのか?」
「花。白い花。いいニオイ」
「じゃあ、この草を大事にしよう。この草がずっと育っていけるように、この星を大事にしよう。ここにくれば、イリスはいつでもシレネーに会える」
「ウン。シレネーの声、キコエル。ハナシできる」
サクヤは聞いた。
「シレネーは何て?」
「みんなコウフクにくらしましたとさ。めでたし、めでたし」
墓参りをすませて、ヨットで北の放牧地に向かった。黄色がかった短い草の生える荒野といってもいいような草地に転々とルパとカヤ山羊が草を食んでいた。井戸を囲むように、天幕が7つ張ってある。
「こっち。これが婆ちゃんの天幕だ」グレンが手招きした。
イドリアンはあまり年齢が外見に表れないが、腰まで届く長い銀髪と耳の表面がぽそぽそしている点だけが老齢を示していた。何よりも深く響く声にジンは圧倒された。これまで、サクヤの直感やエクルーのサイキックを間近に見ても、特技のひとつだ、くらいに受け入れていたのだが、何もかも見通されている圧力を感じて言葉を失ってしまった。
メドゥーラは、エクルーにシレネーの写真を見せてもらった。
「うん、この花は大丈夫。繁って、小さな森を作るくらいになるよ。しかもこの墓だけじゃない。あちこちに拡がるだろう。ここの生き物とも仲良くやっていく。それでな、ここが肝心だが、あんたの妹は今は地面に下りたばっかりで驚いてる。でもあと100年ばっかりすれば、また誰かと共生できるようになる。多分……あんたの孫か、その子供くらいかね。だから、あんたの妹はひとりにならない。この星で寂しくないよ」
イリスは何度もうなずきながら、ぽろぽろ涙をこぼした。
「ちょっと、ここに座っておくれ、お嬢さん」メドゥーラはイリスの手を取った。
「あんたはね、空を漂ってたまたまこの星に下りた。でも、それは巡り合わせというものだ。この星で果たすべき役割があるから、ここに来たんだ。役割があるってことはね、あんたを必要としている人間がいるってことだ。あんたを大事だ、と思う人間がいるってことだ。だから、あんたも、あんたの妹も、ここで幸せになれるんだよ」
お婆さんの話を聞きながら、イリスは違う言葉で同じ意味の話を聞いた、と思った。絶望に取り付かれている時、「お前はここで、幸せになれる」と呪文のように繰り返してくれた人がいた。
イリスは、メドゥーラの手を放すとすっと立ち上がって、ジンのところに来た。ジンの手をきゅっとにぎって、メドゥーラを振り返った。
「うん、みんなでコウフクになる。みんなで生き延びようぜ」
天幕を出て、一同は放牧地からさらに西に20キロほど飛んだ岩山に来た。ヨットになぞ乗せて、お婆さんがパニックでも起さないか、とジンは心配でずっと伺い見ていた。メドゥーラはジンを振り返って、ニヤッと笑った。
「ご心配、ありがたいがね、私は船には慣れてるんだ。こう見えて、プロキシマのステーションでしばらく暮らしたこともあるんでね」
「メドゥーラは有能なパイロットだったのよ。まあ、ここ自体が辺境に分類されてるけど、ずっと辺境探査乗組員として働いていたんですもんね」サクヤが口を添えた。
「そういっても、最近の新しい船はちっともわからんよ」
グレンも、これは初耳だったらしく驚いて抗議した。
「俺がパイロットになりたいって言ったら反対したくせに」
「反対してないよ。今は時期じゃないって言っただけだ。まあ、お前もヨットくらい、そこのドクターに習って飛ばせるようになりなさい。私にだって動かせるんだから」
これには、かなりのショックを受けた。しかもオッサンに習うのか?
ヨットを降りて、岩山を見上げたジンは
「へえ、うちの裏の山と似てるなあ」と言った。
「あんたの裏の岩山だよ。北に30キロくらいのところだ。サクヤのとこからだと60キロ」とグレンが言った。
「あんまりGPSだとかにばっかり頼ってないで、地形を覚えろよ。嵐でも山の形は変わらないんだから」
「そうだよなあ。ああいう出っ張りに名前をつけて、覚えればいいよな」挑戦的な態度を取っても、ジンがあくまで素直に感心するので、グレンは拍子抜けしていた。
「名前なら、もう付いてる。覚えるコツがあるんだ。教えてやるから、今度、ヨットの乗り方教えてくれ」
岩肌に亀裂が入って、人が入れるくらいの入り口になっていた。しばらく中に入って、初めて地下に下りる石段に気づく。
「すごいな。まるっきり自然の地形に見える。人が利用しているとは思えんよ」とジンが言った。
「外地の人間に知られたくなかったからね。あんたらは別だよ。こっちから協力を頼んでいるんだ」 手にランタンを下げて、メドゥーラが地下へと手招きする。石段の先に水音が聞こえる。青い光が漏れて見える。
空なのか?
石段の終点は、天井の高い祠になっていた。しかし、天井に空は見えない。青く光っていたのは、祠の中央の泉だった。泉からはかなりの量の水が流れ出て、奔流となって地下を流れていた。
「この水の流れが、私のドームにもあなたの家にもつながっているのよ。脊梁山脈沿いにずっと湧水があって、こういう泉を祀る祠が何箇所かにあるの」
サクヤが説明している間に、エクルーは手早く服を脱いで泉の縁に立った。ムダが無さすぎて肉感のない、まだ少年じみた肢体だった。
「見えるかい?」
「だいたい。でも、はっきり場所がつかめない。眩しすぎる」
「水に入ったら、もっと眩しい。目に頼ったらダメだ。石の声を聴くんだ。石を持つ時間は短いほどいい。掴むまでは、石の声を聴け。掴んだら、声に惑わされたらいかん。石の声に耳をふさいで、まっすぐ上がってくるんだよ。ここで呼ぶから。上下の感覚にこだわるな。私らの声に向かってまっすぐ泳げ」
「うん。……あ、見えた!」
ほとんど飛沫も上げずに、エクルーはつるっと泉に飛び込んだ。
メドゥーラは全員の配置を決めた。
自分の横にイリスとグレンを座らせた。
「イリス、ホタルに歌わせなさい。水中で道に迷ったとき、道しるべになる。グレン、石が見えるかい。場所をイリスに伝えるんだ。そしたら、イリスがエクルーを呼べる。ドクター、あんたはここだ」
「俺は何をしたらいいんだ?」
「すぐわかる」
青い光がだんだん近づいて来て、ホタルたちは狂乱状態になった。イリスとグレンは交互に呼びかけた。
「コッチヨ」「こっちだ」「坊や、石に惑わされるな、こっちが上だぞ」
水面にエクルーの顔が現れた。両手で皮袋を抱えている。袋の口から、まばゆいばかりの青い光が漏れ出ていた。
「これだ。この水盤に入れて」
皮袋の中身を水盤に空けたあと、エクルーは力尽きたようにまた沈み始めた。
「ほれ、ドクター、坊やを上げとくれ」
ジンとグレンの二人がかりで、ぐったりしたエクルーを泉から引きずりだした。身体が冷え切って、くちびるが紫色だった。サクヤが布と毛布でエクルーを包んだ。
「坊やは医者に任せて、あんたらは石をご覧。あの子たちは、もう何度も見てる。あんたらのために、泉から出してもらったんだ」
水盤の水を通しても直視するのがつらいぐらい、石は光輝いていた。水面をかすめるように、ホタルがぐるぐる飛んでは、リリリと高い音で歌っていた。
「お嬢ちゃん、ちょっとホタルどもを静かにさせておくれ、集中できないから」
イリスがひとことしかると、ホタルはちょっと高いところに漂って大人しく石をみつめていた。
メドゥーラは一同を見渡して、「この中で一番……あんただな、ドクター。ちょっと水盤の横に座っておくれ」
自分が一番何だったのだろう、といぶかしみながら、ジンは大人しく座った。
「左手を上に向けて」その手にメドゥーラはコインを1枚置いた。
「いいかい。今から右手を水盤に入れてもらう。決して石に触っちゃだめだよ。石から少し離れた辺りに手をかざすんだ。そして、念じてご覧。コインよ浮かべって」
指先が水に浸かっただけでも、びりびりと石の力を感じた。右手全体を水に漬けると、目の前に色んなビジョンが錯綜して幻惑された。
「惑わされちゃダメだ。目を閉じて。コインのことだけ考えろ。左手のコイン。左手のコイン。さあ、どうだ、目を開いて」
コインが手のひらから3センチほど離れたところに浮かんでいた。その瞬間、コインが祠の天井まで、すっと飛んで、それからカンコンと音を立てて、暴れ始めた。
「十分だ。グレン、ドクターの右手を出して」
手が水から離れた途端、コインが上から落ちてきて石の上でチャリリーンと音を立てた。
ジンはしばらくめまいが止まらなかった。
「今のは何だったんだ?」
「石の力だよ。どうだい。しばらくでも、能力者になった気持は。もし自在に力を操れるとしたら?透視も読心も思いのまま。石が欲しくならないかい?宇宙空間を船から船に飛んだり、他の船を破壊したり。そんな力を生身の人間が持てるとしたら、どうするね?」
「コインを飛ばすだけで、これだけ消耗するんだ。俺は、実用的だと思わない」
「自分で使うんじゃない。自分の軍隊の兵士に使うんだ。どれほど無敵な戦隊を作れると思う?」
「まさか……そんなことが?」
「泉の祠は108ある。石も108あった。でも50年ばかり前にひとつ無くなった。私はずいぶん、探し歩いた」
「婆ちゃん、それで船乗りやったのか。でも何で婆ちゃんが?」
「石を持ち出したのが、私の連れ合いだったからだよ。グレン、あんたの爺さんのムーアだ」
「それで、石は見つかったのか?」
「誰が持っているかはわかった。ムーアは星団の研究室に売ったんだよ。子供の薬代欲しさに。でも、代わりにたくさんの子供が死んだ。石を埋め込まれて、実験に使われたんだ」
イリスが叫び声を上げた。
「ホタル、ホタルが泣いてる。子供のためにナイテル」
イリスのイメージに引き込まれて、グレンにも見えた。薬や手術で意思を奪われた子供。無表情に人の頭を砕く子供。宇宙を飛んで、船にねらいを定めている。やめろ! あの船には人がたくさん……戦艦じゃない、民間船だ!
親子連れや老人や……2000人クラスの大型シャトル。声明の期限が来た。
命令がひとこと。「やれ」
船は熟れた桃をつぶすように、簡単に爆発した。
水盤の石を泉に返して、一団は太陽の元に出てきた。返すときは簡単で、水盤をひっくり返しただけだった。
「こんなんでいいの?」とグレンはいぶかしげだった。
「石は好きなところに下りていくから、いいんだよ」とメドゥーラが言った。
エクルーはまだ、グロッキーだった。石に触ったジンもまだふらふらだった。
「どうやって帰るんだ。まさか、婆ちゃんが操縦するのか?」
「あら、私が運転するわよ」とサクヤが言った。グレンはびっくりした。
「姐さん、だって、あんた医者だろう?」
「ええと、医者だけど、ここに来る前は船にも乗ってたの。メドゥーラと同じよ。辺境探査船」
「ついでにいうと、俺は航海士で、サクヤは船長さんだ」とエクルーが弱々しい声で付け加えた。
サクヤの操るヨットで放牧地に送ってもらいながら、グレンはいらいらしていた。なぜ、自分は何もできないんだ?
「なあ、婆ちゃん。婆ちゃんはどうして、俺が泉守りの修行したいって言ったら、反対したんだ?」
「反対してない。まだ時期じゃないって言っただけだ」
「また、それだ。いつになったら、その時が来るんだよ」グレンは声を荒げた。
「今がその時だ」
グレンは虚をつかれた。
「人間は、必要だと思わないものは、いくら習っても身に付かない。時間のムダだ。今ならあんたは船を自分で操りたい、と思うだろう? その必要性がわかるだろう? 泉守りの方は、あんたが覚醒するのを待っていたんだよ。イリスがいい起爆剤になったようだね」
ハンガーにヨットを入れた後、ジンは肩を貸してエクルーをテトラの寝室に担ぎこんだ。
「本当にカプセルに入らなくて大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっと冷えて、目が回ったぐらい。カプセルに入っちゃったら、サクヤに構ってもらえないじゃないか」
「何なの。その理由は」
サクヤはあきれた。
「ジンは? もう大丈夫? ソーサー乗って帰れる?」
「うん、俺はもう平気だ。今日はイリスを連れて帰るから、あいつをかまってやってくれよ」
「何なの、みんなして。私が日頃、あの子を構ってないみたいじゃない」
「本当に船で寝たいの? 私のベッドを貸してあげるわよ?」
「いいんだ。ここが俺の部屋だから」
「まだ、身体が冷たいわね。シートにヒーター入れてるんだけど。何か温かいもの飲む?」
「いい。まだ気分悪い。サクヤがここにいてくれたらいい」
サクヤはシートの横に座って、エクルーの頬に手を当てた。
「昔から俺、風邪を引くの好きだったんだ」
「なあに、何の話」
「病気になると、サクヤがずっと横にいて、いろいろ聞いてくれるだろ? でも、悲しいかな、頑健な羊飼いはめったに風邪もひかないんだよな」
エクルーは目の上に組んだ両手を乗せて、ぽつっと言った。
「石の夢。すごかった」
「何を見たの?」
「言いたくない。言えない。すごい早回しで、100本の映画をいっぺんに見せられてた感じだった。過去も未来もない。希望も絶望もない。ただ、何重にも時間が、運命が周ってる。ぐるぐると。誰にも変えられない。俺たちには何もできない」
「そんなはずない」
サクヤがエクルーの手を握った。
「私達はチェスのコマに過ぎないかもしれないけど、コマがひとつ動けば、局面が変わるのよ。まだ、何かできるはず。少なくともホタルはそう信じているから、私達をここに呼んだんでしょう? 信じましょうよ。ホタルたちを」
「信じてる?」
「ええ。だって、この星に来た時、私達は2人きりだった。今は、見て、こんなに仲間が集まったじゃない。そして、もうひとり来るんでしょう? 彼、何て名前って言ったっけ」
「キジロー・ナンブ。サクヤ好みの黒髪の渋いヤツ」
「あら、私は銀髪が好みなのよ」
「そういうのって、本気じゃないから言えるんだよなあ」
「注文が多いこと。じゃ、これならどう?」
サクヤはシートにうつぶせに横になって、エクルーの毛布に潜り込んだ。
「眠るまで、お話してあげる。何の話がいい?」
「そりゃあ、もちろん。ムカシ、ムカシ、アルトコロニ……」
「ギプスが取れるまでに、イリスがうちでも日光浴できるように温室を作っておくから。ここみたいに立派なのはムリだが。実は昨日もその設計図引いてて、来るのが遅れたんだ」
「ウレシイ。アリガト」
「たっぷりお日さん浴びて、早く散歩できるようになっててくれ」
「キヲツケテ。イッテラッシャイ」
背後で見ていたエクルーは、
「まるで妊婦とダンナの会話だね」とコメントした。執事見習いのゲオルグは
「それはイチャイチャということですか?」
「うーん、まだ ”ぞっこん”ってとこかな?」
「難しいものですねえ」
毎日、数時間でも時間を作ってジンはサクヤのドームに来た。イリスに連邦言語を教えて、自分はイリスの言葉を覚えるために。
「長い外出ができるようになったら、グレンのお婆さんに会いに行こう。そのクツと毛皮の御礼、言いたいだろう?」
「うん。グレンの妹も会いたい。私、同じ年だって」
「妹にイドラの言葉を習うといいよ。俺も一緒に覚えよう」
「でも、まず、私の妹に会いたい」
「……そうか、そうだよな。ロンにお墓の場所、聞いておくよ。遠いから、もうちょっと元気になってからな」
数日後、グレンが妹のフェンを連れてやって来た。
「イリスに会いたいって聞かなくてさ」
女の子二人であっという間におしゃべりの嵐になった。その会話をジンは傍らで熱心に聞いていた。
「明らかに別々の言葉を話してるのに、どうして通じてるんだ?」
「さあ? 俺に聞かれても」
「覚えたいんだけど、録音したら怒られるかな?」
「やめたほうがいいと思う。女の会話に男が混じったら、ロクな目に遭わないぞ。なまじ会話がわかっても……ヘコムだけだ」
「とりあえず、イリスは今すぐでもグレンのお婆さんと話せるらしいな」
「オッサン、あんたも話せるぜ」
「そうなのか?」
「婆さんは連邦標準語話せるからな。近いうちに、あんたを連れて来て欲しい、と言われた。星の今後のことを相談したいそうだ」
「俺に?」
「あんたとサクヤとエクルーに、だな」
グレンは、つぶやくように付け加えた。
「大厄災の話をしても、婆さんは驚かなかった。あの二人と前々から相談していたらしい。知らぬは俺ばかりだったわけだ」
ジンはグレンの肩をぽん、と叩いた。
「知ったからには、あんたも一味だぜ。俺は機械には強いが、この星のことは全然知らない。あんたみたいに一人で夜の砂漠なんか渡れない。あてにしてるぜ」
「わかった」グレンは少し笑った。「でも、もう砂漠に埋まらないでくれよ、オッサン」
グレンとフェンが帰った後、エクルーがそっと聞いた。
「ジン、グレンにオッサンと言われるの、堪えてないか」
「うん、実はけっこうキテる」
「おまえ、いくつになるんだっけ」
「今度、36だ」
「そうか。じゃあ、紛れも無いオジさんなんだから、覚悟決めれば?」
「いや、もちろん、自分が中年なのは自覚してるが、グレンに言われると牽制されているようでなあ……」
「牽制? 何に対して?」
いつものエクルーの誘導尋問にひっかかっていた自分に気づいた。
「何でもない。忘れてくれ」
エクルーはにやにやしている。
「まったく、お前とサクヤはズルイよな。いつも、自分達は余裕で見物してて、俺はジタバタするばっかりだ」
「いやあ、俺もけっこうジタバタしてるんだけど、こう見えて」
「そうなのか?」
「その時は慰めてくれ」
「イリス、だいぶ、言葉を覚えたなあ」とエクルーが言うとイリスが得意そうに暗誦を始めた。
「ムカシ、ムカシ、あるトコロに、オジイサンとオヒメサマがいました。オヒメサマが池でマリつきをしているとかわいいカエルがアラワレました。カエルとオヒメサマはオトモダチニなって、みんなコウフクニくらしましたとさ、めでたし、めでたし」
エクルーはジンにひそひそと聞いた。
「あんた、いったい何の話をしたんだ?」
「いろいろ、世界の名作全集を順番に読んだんだが、ごっちゃになったようだな」
「微妙に整合性のある所が面白い」
「オモシロイ?」
「面白い、面白い。ホタルにも聞かせてやれよ。喜ぶぜ」ふたりは拍手した。
やっとサクヤから外出許可が出た。それでもある限りの防寒着でイリスはぐるぐる巻きにされた。メドゥーラのくれたラパンの毛皮の外套と帽子、ルパの毛糸を編んだストールに革のブーツ。
「俺も行っていいかな」グレンが言った。
「本当はフェンも行きたがったんだけど、あいつ織物の仕事が溜まってて、後で俺が連れていくって約束したんだ」
「いいよ。ヨットに全員乗れる」
それは、何の目印もない、木陰もない、ただ石が転がっているだけの荒地だった。墓地のはずれにヨットを置いて、みなで小さな墓碑を探した。
「ロンが白い四角い石を置いた、と言ってた。水汲み場の敷石をくれたらしい」
他の墓碑はゴツゴツした赤い石や紫の石ばかりなので、目立つはずなのになかなか見当たらない。
イリスはしばらくぼうっと立っていたが、やがてまっすぐに墓地の一隅に向かって歩き始めた。そこだけが明るい緑色で苔むしているように見える。側で見てみると、白い敷石が短い草丈の緑の植物に埋まっていた。イリスはひざまずいて、草をなでた。涙がぽろぽろこぼれた。
「シレネー。ゴメンネ。ハヤク、来たかった。オソカッタ。モウ、一緒ジャナイ。ゴメンナサイ」
ジンは隣りに膝をついて聞いた。
「この植物がイリスの妹なのかい?」
「そう。シレネー。死んでスグ、一緒にナレル。お母さん、私のナカにいる。でもシレネー、もうオソイ。もう動けない」
「この草は花は咲かないのか?」
「花。白い花。いいニオイ」
「じゃあ、この草を大事にしよう。この草がずっと育っていけるように、この星を大事にしよう。ここにくれば、イリスはいつでもシレネーに会える」
「ウン。シレネーの声、キコエル。ハナシできる」
サクヤは聞いた。
「シレネーは何て?」
「みんなコウフクにくらしましたとさ。めでたし、めでたし」
墓参りをすませて、ヨットで北の放牧地に向かった。黄色がかった短い草の生える荒野といってもいいような草地に転々とルパとカヤ山羊が草を食んでいた。井戸を囲むように、天幕が7つ張ってある。
「こっち。これが婆ちゃんの天幕だ」グレンが手招きした。
イドリアンはあまり年齢が外見に表れないが、腰まで届く長い銀髪と耳の表面がぽそぽそしている点だけが老齢を示していた。何よりも深く響く声にジンは圧倒された。これまで、サクヤの直感やエクルーのサイキックを間近に見ても、特技のひとつだ、くらいに受け入れていたのだが、何もかも見通されている圧力を感じて言葉を失ってしまった。
メドゥーラは、エクルーにシレネーの写真を見せてもらった。
「うん、この花は大丈夫。繁って、小さな森を作るくらいになるよ。しかもこの墓だけじゃない。あちこちに拡がるだろう。ここの生き物とも仲良くやっていく。それでな、ここが肝心だが、あんたの妹は今は地面に下りたばっかりで驚いてる。でもあと100年ばっかりすれば、また誰かと共生できるようになる。多分……あんたの孫か、その子供くらいかね。だから、あんたの妹はひとりにならない。この星で寂しくないよ」
イリスは何度もうなずきながら、ぽろぽろ涙をこぼした。
「ちょっと、ここに座っておくれ、お嬢さん」メドゥーラはイリスの手を取った。
「あんたはね、空を漂ってたまたまこの星に下りた。でも、それは巡り合わせというものだ。この星で果たすべき役割があるから、ここに来たんだ。役割があるってことはね、あんたを必要としている人間がいるってことだ。あんたを大事だ、と思う人間がいるってことだ。だから、あんたも、あんたの妹も、ここで幸せになれるんだよ」
お婆さんの話を聞きながら、イリスは違う言葉で同じ意味の話を聞いた、と思った。絶望に取り付かれている時、「お前はここで、幸せになれる」と呪文のように繰り返してくれた人がいた。
イリスは、メドゥーラの手を放すとすっと立ち上がって、ジンのところに来た。ジンの手をきゅっとにぎって、メドゥーラを振り返った。
「うん、みんなでコウフクになる。みんなで生き延びようぜ」
天幕を出て、一同は放牧地からさらに西に20キロほど飛んだ岩山に来た。ヨットになぞ乗せて、お婆さんがパニックでも起さないか、とジンは心配でずっと伺い見ていた。メドゥーラはジンを振り返って、ニヤッと笑った。
「ご心配、ありがたいがね、私は船には慣れてるんだ。こう見えて、プロキシマのステーションでしばらく暮らしたこともあるんでね」
「メドゥーラは有能なパイロットだったのよ。まあ、ここ自体が辺境に分類されてるけど、ずっと辺境探査乗組員として働いていたんですもんね」サクヤが口を添えた。
「そういっても、最近の新しい船はちっともわからんよ」
グレンも、これは初耳だったらしく驚いて抗議した。
「俺がパイロットになりたいって言ったら反対したくせに」
「反対してないよ。今は時期じゃないって言っただけだ。まあ、お前もヨットくらい、そこのドクターに習って飛ばせるようになりなさい。私にだって動かせるんだから」
これには、かなりのショックを受けた。しかもオッサンに習うのか?
ヨットを降りて、岩山を見上げたジンは
「へえ、うちの裏の山と似てるなあ」と言った。
「あんたの裏の岩山だよ。北に30キロくらいのところだ。サクヤのとこからだと60キロ」とグレンが言った。
「あんまりGPSだとかにばっかり頼ってないで、地形を覚えろよ。嵐でも山の形は変わらないんだから」
「そうだよなあ。ああいう出っ張りに名前をつけて、覚えればいいよな」挑戦的な態度を取っても、ジンがあくまで素直に感心するので、グレンは拍子抜けしていた。
「名前なら、もう付いてる。覚えるコツがあるんだ。教えてやるから、今度、ヨットの乗り方教えてくれ」
岩肌に亀裂が入って、人が入れるくらいの入り口になっていた。しばらく中に入って、初めて地下に下りる石段に気づく。
「すごいな。まるっきり自然の地形に見える。人が利用しているとは思えんよ」とジンが言った。
「外地の人間に知られたくなかったからね。あんたらは別だよ。こっちから協力を頼んでいるんだ」 手にランタンを下げて、メドゥーラが地下へと手招きする。石段の先に水音が聞こえる。青い光が漏れて見える。
空なのか?
石段の終点は、天井の高い祠になっていた。しかし、天井に空は見えない。青く光っていたのは、祠の中央の泉だった。泉からはかなりの量の水が流れ出て、奔流となって地下を流れていた。
「この水の流れが、私のドームにもあなたの家にもつながっているのよ。脊梁山脈沿いにずっと湧水があって、こういう泉を祀る祠が何箇所かにあるの」
サクヤが説明している間に、エクルーは手早く服を脱いで泉の縁に立った。ムダが無さすぎて肉感のない、まだ少年じみた肢体だった。
「見えるかい?」
「だいたい。でも、はっきり場所がつかめない。眩しすぎる」
「水に入ったら、もっと眩しい。目に頼ったらダメだ。石の声を聴くんだ。石を持つ時間は短いほどいい。掴むまでは、石の声を聴け。掴んだら、声に惑わされたらいかん。石の声に耳をふさいで、まっすぐ上がってくるんだよ。ここで呼ぶから。上下の感覚にこだわるな。私らの声に向かってまっすぐ泳げ」
「うん。……あ、見えた!」
ほとんど飛沫も上げずに、エクルーはつるっと泉に飛び込んだ。
メドゥーラは全員の配置を決めた。
自分の横にイリスとグレンを座らせた。
「イリス、ホタルに歌わせなさい。水中で道に迷ったとき、道しるべになる。グレン、石が見えるかい。場所をイリスに伝えるんだ。そしたら、イリスがエクルーを呼べる。ドクター、あんたはここだ」
「俺は何をしたらいいんだ?」
「すぐわかる」
青い光がだんだん近づいて来て、ホタルたちは狂乱状態になった。イリスとグレンは交互に呼びかけた。
「コッチヨ」「こっちだ」「坊や、石に惑わされるな、こっちが上だぞ」
水面にエクルーの顔が現れた。両手で皮袋を抱えている。袋の口から、まばゆいばかりの青い光が漏れ出ていた。
「これだ。この水盤に入れて」
皮袋の中身を水盤に空けたあと、エクルーは力尽きたようにまた沈み始めた。
「ほれ、ドクター、坊やを上げとくれ」
ジンとグレンの二人がかりで、ぐったりしたエクルーを泉から引きずりだした。身体が冷え切って、くちびるが紫色だった。サクヤが布と毛布でエクルーを包んだ。
「坊やは医者に任せて、あんたらは石をご覧。あの子たちは、もう何度も見てる。あんたらのために、泉から出してもらったんだ」
水盤の水を通しても直視するのがつらいぐらい、石は光輝いていた。水面をかすめるように、ホタルがぐるぐる飛んでは、リリリと高い音で歌っていた。
「お嬢ちゃん、ちょっとホタルどもを静かにさせておくれ、集中できないから」
イリスがひとことしかると、ホタルはちょっと高いところに漂って大人しく石をみつめていた。
メドゥーラは一同を見渡して、「この中で一番……あんただな、ドクター。ちょっと水盤の横に座っておくれ」
自分が一番何だったのだろう、といぶかしみながら、ジンは大人しく座った。
「左手を上に向けて」その手にメドゥーラはコインを1枚置いた。
「いいかい。今から右手を水盤に入れてもらう。決して石に触っちゃだめだよ。石から少し離れた辺りに手をかざすんだ。そして、念じてご覧。コインよ浮かべって」
指先が水に浸かっただけでも、びりびりと石の力を感じた。右手全体を水に漬けると、目の前に色んなビジョンが錯綜して幻惑された。
「惑わされちゃダメだ。目を閉じて。コインのことだけ考えろ。左手のコイン。左手のコイン。さあ、どうだ、目を開いて」
コインが手のひらから3センチほど離れたところに浮かんでいた。その瞬間、コインが祠の天井まで、すっと飛んで、それからカンコンと音を立てて、暴れ始めた。
「十分だ。グレン、ドクターの右手を出して」
手が水から離れた途端、コインが上から落ちてきて石の上でチャリリーンと音を立てた。
ジンはしばらくめまいが止まらなかった。
「今のは何だったんだ?」
「石の力だよ。どうだい。しばらくでも、能力者になった気持は。もし自在に力を操れるとしたら?透視も読心も思いのまま。石が欲しくならないかい?宇宙空間を船から船に飛んだり、他の船を破壊したり。そんな力を生身の人間が持てるとしたら、どうするね?」
「コインを飛ばすだけで、これだけ消耗するんだ。俺は、実用的だと思わない」
「自分で使うんじゃない。自分の軍隊の兵士に使うんだ。どれほど無敵な戦隊を作れると思う?」
「まさか……そんなことが?」
「泉の祠は108ある。石も108あった。でも50年ばかり前にひとつ無くなった。私はずいぶん、探し歩いた」
「婆ちゃん、それで船乗りやったのか。でも何で婆ちゃんが?」
「石を持ち出したのが、私の連れ合いだったからだよ。グレン、あんたの爺さんのムーアだ」
「それで、石は見つかったのか?」
「誰が持っているかはわかった。ムーアは星団の研究室に売ったんだよ。子供の薬代欲しさに。でも、代わりにたくさんの子供が死んだ。石を埋め込まれて、実験に使われたんだ」
イリスが叫び声を上げた。
「ホタル、ホタルが泣いてる。子供のためにナイテル」
イリスのイメージに引き込まれて、グレンにも見えた。薬や手術で意思を奪われた子供。無表情に人の頭を砕く子供。宇宙を飛んで、船にねらいを定めている。やめろ! あの船には人がたくさん……戦艦じゃない、民間船だ!
親子連れや老人や……2000人クラスの大型シャトル。声明の期限が来た。
命令がひとこと。「やれ」
船は熟れた桃をつぶすように、簡単に爆発した。
水盤の石を泉に返して、一団は太陽の元に出てきた。返すときは簡単で、水盤をひっくり返しただけだった。
「こんなんでいいの?」とグレンはいぶかしげだった。
「石は好きなところに下りていくから、いいんだよ」とメドゥーラが言った。
エクルーはまだ、グロッキーだった。石に触ったジンもまだふらふらだった。
「どうやって帰るんだ。まさか、婆ちゃんが操縦するのか?」
「あら、私が運転するわよ」とサクヤが言った。グレンはびっくりした。
「姐さん、だって、あんた医者だろう?」
「ええと、医者だけど、ここに来る前は船にも乗ってたの。メドゥーラと同じよ。辺境探査船」
「ついでにいうと、俺は航海士で、サクヤは船長さんだ」とエクルーが弱々しい声で付け加えた。
サクヤの操るヨットで放牧地に送ってもらいながら、グレンはいらいらしていた。なぜ、自分は何もできないんだ?
「なあ、婆ちゃん。婆ちゃんはどうして、俺が泉守りの修行したいって言ったら、反対したんだ?」
「反対してない。まだ時期じゃないって言っただけだ」
「また、それだ。いつになったら、その時が来るんだよ」グレンは声を荒げた。
「今がその時だ」
グレンは虚をつかれた。
「人間は、必要だと思わないものは、いくら習っても身に付かない。時間のムダだ。今ならあんたは船を自分で操りたい、と思うだろう? その必要性がわかるだろう? 泉守りの方は、あんたが覚醒するのを待っていたんだよ。イリスがいい起爆剤になったようだね」
ハンガーにヨットを入れた後、ジンは肩を貸してエクルーをテトラの寝室に担ぎこんだ。
「本当にカプセルに入らなくて大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちょっと冷えて、目が回ったぐらい。カプセルに入っちゃったら、サクヤに構ってもらえないじゃないか」
「何なの。その理由は」
サクヤはあきれた。
「ジンは? もう大丈夫? ソーサー乗って帰れる?」
「うん、俺はもう平気だ。今日はイリスを連れて帰るから、あいつをかまってやってくれよ」
「何なの、みんなして。私が日頃、あの子を構ってないみたいじゃない」
「本当に船で寝たいの? 私のベッドを貸してあげるわよ?」
「いいんだ。ここが俺の部屋だから」
「まだ、身体が冷たいわね。シートにヒーター入れてるんだけど。何か温かいもの飲む?」
「いい。まだ気分悪い。サクヤがここにいてくれたらいい」
サクヤはシートの横に座って、エクルーの頬に手を当てた。
「昔から俺、風邪を引くの好きだったんだ」
「なあに、何の話」
「病気になると、サクヤがずっと横にいて、いろいろ聞いてくれるだろ? でも、悲しいかな、頑健な羊飼いはめったに風邪もひかないんだよな」
エクルーは目の上に組んだ両手を乗せて、ぽつっと言った。
「石の夢。すごかった」
「何を見たの?」
「言いたくない。言えない。すごい早回しで、100本の映画をいっぺんに見せられてた感じだった。過去も未来もない。希望も絶望もない。ただ、何重にも時間が、運命が周ってる。ぐるぐると。誰にも変えられない。俺たちには何もできない」
「そんなはずない」
サクヤがエクルーの手を握った。
「私達はチェスのコマに過ぎないかもしれないけど、コマがひとつ動けば、局面が変わるのよ。まだ、何かできるはず。少なくともホタルはそう信じているから、私達をここに呼んだんでしょう? 信じましょうよ。ホタルたちを」
「信じてる?」
「ええ。だって、この星に来た時、私達は2人きりだった。今は、見て、こんなに仲間が集まったじゃない。そして、もうひとり来るんでしょう? 彼、何て名前って言ったっけ」
「キジロー・ナンブ。サクヤ好みの黒髪の渋いヤツ」
「あら、私は銀髪が好みなのよ」
「そういうのって、本気じゃないから言えるんだよなあ」
「注文が多いこと。じゃ、これならどう?」
サクヤはシートにうつぶせに横になって、エクルーの毛布に潜り込んだ。
「眠るまで、お話してあげる。何の話がいい?」
「そりゃあ、もちろん。ムカシ、ムカシ、アルトコロニ……」
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