湖面が午後の陽射しを受けて淡い金色に輝いている。朝は深く澄んだ青色をたたえていたが、だんだん明るく淡い色になり、今はまぶしいほどだ。あちこちに花が咲き乱れ、鳥や虫が飛び交うこんな風景の中にいると、この惑星がもう少しで崩壊するなんて冗談のようだ。そして大昔にも、星がひとつ壊されたーーーーーその星から、この俺の隣りで寝っ転がってる小生意気なボウズやその姉さん、あの少女が命からがら逃げて来た……という話も全然切迫感を帯びて聞こえない。
「じゃあ、お前はあの女のコのことは全然覚えていなかったわけだな?」とキジローが聞いた。
「そう。正確には星にいた時のスオミだけど……リッカは俺の父親の妹だった。それで俺が赤ん坊の時ーーー彼女は10かそこらだったのかな?時々、子守りしてくれてたらしい。ところがその後、寺に召し上げられて2度と俺とも、家族とも会えなかった。なぜなら、避難船に乗った星読みの司の世話係りにされたからだ。その司がケレス……サーリャの姉だ。サーリャってのが、つまりサクヤの前生というわけ」
キジローはすでに混乱気味だったが、話がサクヤに結びついたので一気に集中力がよみがえった。
「俺とサクヤは、ムーアのメッセージを聞いてこの星に来た。そしてスオミに会うまで、サーリャの姉さんもリッカも無事に星に降りたと知らなかった。避難民は全滅だと思い込んでいたんだ」
「なぜ」
「サーリャの母さんがそう信じ込んでいたから」
「それもあれか……予知夢ってやつか」
「予知夢というより……ヴィジョンだな、リアル・タイムの。星を目前にして、船が爆発したんだ。燃えた人たちの断末魔の叫びを聞いたらしい。俺が後から聞いた話だけど」
「誰から?」
「ミギワといって……その時の王様の次男坊だった。サーリャの姉のケレスと恋仲になって、バカ正直にも王様に彼女と結婚すると宣言した。大反対されて、結局ケレスは命の保障のない船旅に送り出されるハメになった」
「バカな男だ」キジローが感想を言った。
「お坊ちゃんで、ムダに正義感が強かったからなあ。しょうがない」
キジローは目を細めて探るように言った。
「でもサーリャは、そのミギワになついていたんだろう?」
「どうしてわかる?」
「お前が焼きもちを妬いてるからだ」
「ちぇっ。あっちは黒髪のハンサムな王子様。こっちは貧しい羊飼い。勝負になるわけないだろう」
エクルーはごろんと身体の向きを変えて、草地に腹ばいに寝転んだ。
「とにかく、俺が最初に見たのは塔の地下室で眠っているサーリャだった。培養液なのかな……薄い緑色の液体の中で、母親に抱きかかえられるように漂っていた。母親とつながってた……へその緒と夢で。崩壊した星のかけらの夢だ。生命のない世界。ギラギラした太陽光線に曝されているくせに、影はしびれるほど冷たい。だが凍る水分もない。ヴェールで守ってくれる大気もない。清潔で不毛な夢」
「何だって母親が娘にそんな夢を見せるんだ」
「絶望した母親ほど怖ろしいものはない。彼女はお産の瞬間に、ケレスの船が爆発するヴィジョンを見たんだ。そして、サーリャを産むことを拒否した。2人して現実から逃げることを選んだ」
「ひでえ母親だな」
「そうとばかりも言えないよ。自分の星が崩壊することは、誰よりもクリアに知ってたんだ。唯一の頼みの綱だった避難船も爆破した。そんな世界に娘を放り出したくなかったのかもしれない」
「でも生きてりゃ、何かチャンスがある」
エクルーはまじまじとキジローの顔を見つめた。
「何だよ」キジローは居心地悪そうに目をそらした。
エクルーはにこっと笑った。男でも、思わず見とれそうになるきれいな笑顔だ。
「あんたを仲間に入れて正解だったよ。まさにその言葉だ。俺たちが必要としてたのは」
「俺たち?」
「俺とサクヤ。サクヤは特に、すぐ怖いお袋さんと似たパターンの考え方に落ち込むんだ。ろくに寝ないのは予知夢に翻弄されるせいで仕方ないにしても、ろくに喰いもしない。何と言うか、いつもゆるやかに自殺してる感じだ。もうない星から逃げて生き残ったことに罪悪感を感じている。幸せになったらいけないと思ってる」
「そんなバカな話あるもんか」
エクルーがにやりとした。「意見が一致してうれしいよ。とっととこんな胸糞わるい企てをぶっつぶして、サクヤを幸せにしてやろうぜ」
キジローの顔が赤くなった。
「ちょっと待て。何の話をしているんだ」
「うろたえるなよ。別にあんたにサクヤにプロポーズしろとは言ってないぜ、まだ」
「おい、俺は……」キジローはさらに赤くなって、汗をかき始めた。
「だからあわてるな。まだ、先は長い。今の件が片付いても、いろいろゴタゴタが続くだろうし、第一サクヤを口説くのは一仕事だからな」
エクルーはにっと笑った。
「というわけで、俺は毎日その地下室に通ってサーリャを口説いた。”生まれてくればチャンスがある。”そうくり返した。別に具体的な策があったわけでもないけど、生まれる前からあきらめるなんて悔しいじゃないか。怖かったなあ。お袋さんに睨まれてさ。目は閉じてても、怖ろしいイメージを送ってきて、ますますサーリャを脅しつけて囲い込もうとする。俺は必死で明るいイメージを吹き込んだ。でないと、俺までその悪夢に取り込まれそうだった。そんなことを7年くり返して、やっとお袋さんの手からサーリャを奪い取った」
「7年? 7年眠ったままだったのか?お前も7年通い続けたのか。その時、お前はいくつだったんだ?」
「地球の暦でいうと16かそこらかな。最初にサーリャを見たのは9つだ。それ以来、毎日家の仕事の合間に抜けてきては、サーリャに会った。日に日に育って、きれいになってゆくのを見てた。サーリャを怖い夢から救い出したかったというより、ただ、ガラス越しに見つめるだけじゃなくて、抱きしめて温めてやりたかった。そのためにお袋さんとケンカするのも厭わない、と思ってた。でも死ねばいい、と思っていたわけじゃない」
「……死んだのか」
「サーリャが目を開いた瞬間にね。それでもうひとつ、十字架を背負うことになったわけだ」
「バカな。生まれてくるのは、赤ん坊の当然の権利だ」キジローがきっぱり言った。
「うん。そう言ってやってよ、サクヤに」
「しかし、あれだな。その時は別の人種で血縁もなかったのに、今は姉と弟か。よっぽど縁が深かったんだな」
エクルーはにっと笑った。「まあね」
「それで、サーリャは生まれると同時に母親を失ったわけだな。父親は?」
「星読みの司に夫も父親もいちゃいけないんだよ。神様に仕える乙女なんだから。でも血筋は絶えちゃいけない。で、どうすると思う?」
キジローがのどをゴクリと鳴らした。「どうするんだ?」
「時々、寺に男が連れてこられる。目隠しされて、地下に引き出される。司も目隠しされて、口にサルぐつわかまされて、両手両脚を寝台に縛られている。その状態で、名前も顔も知らない男と一晩、一緒にさせられるんだ。受胎してないことがわかったら、また別の男が連れてこられる」
キジローの顔は蒼白になって、肩がぶるぶる震えていた。
「そんな星、壊れて当たり前だ。ムリヤリ怖ろしい夢を見させて、散々利用した挙句、ウシやウマみたいに……」
「落ち着けよ、キジロー。サクヤがそんな目にあったわけじゃない」
「当たり前だ!!」
怒りがなかなか退かなかった。
「ミギワはケレスをそんな目に遭わせたくなかった。それで、バカ正直にも父親に相談したわけだ。息子の愛した少女を救ってくれると信じて。でも、ケレスは跡継ぎでもない次男坊にやるには優秀すぎた。長男坊にはもう3人妃がいた。それに、王様は次男坊にはもっと政略上有利な結婚をさせたかった。というわけで、ケレスは島流しになった」
キジローはまたひとしきり毒を吐いた。
「その王様の悪口はまだとっといた方がいいよ、キジロー。2000年以上も前から予言されてた惑星崩壊を実現させたのは、結局その王様が開発させた兵器だったんだから」
「わかってて、使ったのか? バカじゃないのか?」
「まあ、どこの政府も似たようなことしてるじゃんか」
キジローは肩を落として、ため息をついた。
「そういや、そうだな。でも、そんな王様の星なんかのために、サクヤがいつまでも苦しむことない。そんな価値なんかない」
「王様にはね。でも星には王様以外にたくさん人や生き物がいて、サーリャはそれを愛していた。それにミギワのことも。いよいよ星が崩壊する時、ミギワは俺とサーリャを転送装置に押し込んで地球に送ってくれた。他にも次々と子供が送られてきた。サーリャは最後にミギワも来ると信じて待ってた。ずっと待ってたけど……」
「来なかったのか?」
エクルーは答えずに肩をすくめた。
「あれから3万年くらい経ったのに、サクヤはまだおとむらいをしているんだよ」
「気に喰わん」キジローがぼそっと言った。
「そうそう、その意気。がんばってくれ」
「やけに俺をあおるじゃないか。何を企んでる?」キジローが聞いた。
「人聞きの悪い……企んでなんかないよ。ただ、キジローと俺は利害が一致してるから、協力体制を作っておきたいだけだ。それに、そもそもあんたが言い出したんだぜ、星の話を聞きたいって」
「そうだったな。で、どうして船は爆発したのに、サクヤの姉さんやおまえの叔母さんは助かったんだ?」
「女、子供からポッドやボートで星に下りたんだよ。避難民の2/3は無事だった。その中に、リッカとケレスとケレスの赤ん坊がいた」
「ケレスの赤ん坊だと?」
「ミギワとの間の子だ。ミギワは知らなかったけど。船の中で生まれて、星に下りた時はこっちの暦でいうと3つになってたかな? ちゃんと育って、風読みの女の子と結婚して、何と7人も子供を作った。これは快挙だぜ。俺たちは下層民扱いだったから、星読みと結ばれるなんて故郷じゃありえなかった。スオミからその甥っ子の話を聞いた時、サクヤは喜んでぼろぼろ泣いた」
キジローはほっとしてため息をついた。
「だからチャンスだぜ。サクヤはお袋さんの呪いから解放されて、ちょっと前向きな気持ちになってる。今ならうまく口説けば、自分も子供を産みたい、くらいに考えるかもしれない」
キジローはぎろっとにらんだ。
「お前、俺にサクヤを口説かせたいのか?」
エクルーは明後日の方を向いて肩をすくめた。
「悪いが、俺もおとむらい中だ。キリコを取り戻すまで、女のことは考えたくない。でもお前のことは気に入ってるし、利害が一致してるから一緒に行動する。それでいいな?」
「いいよ? 別に」
エクルーはまた肩をすくめた。立ち上がってのびをすると、身体についた草を払い落とした。
「星の話はそれで大体納得した? 何か質問は?」
「今のところいい」キジローはむっつり答えた。
「じゃ、俺はサクヤたちのサンプリングを手伝ってくる。キジローも来る?」
「いや、ここにいる」
「そ。じゃね」
「おい待て、ひとつ質問だ」
「何?」
「お前いくつだ?」
「サクヤの6つ下」
「それじゃ、サクヤはいくつなんだ?」
「女性の年齢聞いちゃ、失礼だろう」
キジローはあきらめた。「わかった。行って来い」
「じゃね」
エクルーは身軽に足場の悪い湿地を走って行った。
湖畔に残されたキジローは、ごろりと草の上に身体を伸ばして、目の上に腕を組んで陽射しをよけた。
7人のミヅチ、キリコの運命、スオミ、もうない星、おとむらいしているサクヤ……1日に処理できる情報量を超えていた。
もう泣かない、もう笑わないキリコ。
ミナトはまだ元に戻せると言った。生きていれば、まだチャンスがある。生きていれば……。
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