「107全部閉じてたと思ったら、今度は一斉に全部開くなんて。この3年、こんなこと初めてだよ」
エクルーが言った。
「俺だって、17年生きてて初めてだ」
グレンは大きな息を吐いた。
ゲートが開いているかどうかは、一目瞭然だった。昨夜と泉の明るさが全然違うのだ。祠の上の縦穴から青く輝く光が漏れている。脊梁山地沿いに、少なくとも5つ向こうの泉の光まで見えていた。
「他の苗床の定点カメラ、ご覧になりますか?」
セバスチャンがモニターを立ち上げた。
「苗床?」
キジローが聞き返した。
「ペトリの植物の苗や種を保管している小型ドームだ。イドラ全体に108散らばっている。このドームも東側半分は苗床だ」
「108ってーと泉の数だ」
「そうそう。水源の近くじゃないと、育成に水を使えないからね」エクルーが説明した。
「わあ、すげえ。」グレンが感嘆の声をあげた。
「バルーンにカメラをつけて揚げてみました」とセバスチャン。
星全体に南北に走る9本の山脈。その山脈に12ずつ泉がある。9本の青いネックレスだ。
ひとつだけ、光っていない泉があった。ムーアが石を持ち出した泉だ。しゃれこうべの眼窩のように、そこだけ黒く沈んでいる。
石を持ち出すのに、どれほどの危険を冒したことだろう。エクルーのようにたくさんのガイドがいたわけでもなく、たった一人で石の声に打ち勝って水面まで上がってきた。そして、その後はずっと罪悪感に苛まされて、家族に会うこともできなかった。
「イドリアンはたいてい子だくさんなんだけど、ばーちゃんの子供は俺の父さん一人なんだ。父さんが5歳の時、高熱を出して生死の境をさまよった。奇跡的に回復した時、じーちゃんが消えた。村のみんなは高価な薬の代価を稼ぐために、よその星に行ったんだろうと話してた」
グレンはモニターの中で輝く泉をじっと見つめなていた。
「でも、俺はじーちゃんはここにいるんじゃないかと思ってた」
ホタル達が、一斉に騒ぎ始めた。
「イリス、本当にこいつら連れて行くのか?」
ジンに聞かれてイリスが主張した。
「連れて来い、と言ってる」
「誰が?」
「スセリとククリ」
「誰だ、それ」
「今から会える」
「そろそろだな。行こうか」
エクルーが一同に声をかけた。
「こんな夜中に行って、大丈夫か? 灯りが要るんじゃ……?」
ジンはいささか腰が引けているようだ。
「大丈夫。向こうの昼の側に出るから。これ、あっちの空の色が見えているんだよ」
泉の光を差して、エクルーが説明する。
「ゲートと言っても、トビラも何もない。この泉の水面が、あっちの湖の水面とつながってるだけだ。ただし、上下逆だけど」
「上下、逆?」
「そう。この間、俺がやったみたいに頭から飛び込めば、足を下にして出られる。でもまあ、別に水面でくるっと回ればいいんじゃない?」
「ぬれないか?」
エクルーはあくまであっさり言う。
「ぬれない」
「じゃ、俺、一番」エクルーがためらいもなく、泉に足を運んだ。2、3歩、まるで水面を歩いているように見えた。青い光に包まれて、ちょっと屈んだと思ったら消えた。
「次、イリス行って。ホタル達を先に行かせて、ついて行けばいいわ。向こうでククリが待ってるから」サクヤが指示した。
「わかった」
イリスもするりと水をくぐった。
「ジン、次行って」
「お、おう」
ジンは水面を指でつついたり、手を差し入れたり、試すがめつしていたが、覚悟を決めて足を踏み入れた。
「次、グレン」
「うん」
祠にキジローとサクヤが残った。
「キジローさん、先にどうぞ」
キジローが何か言いかけたが、めずらしくサクヤがさえぎった。
「こんな時まで、レディ・ファーストでなくてけっこうよ。私とエクルーは何度も行き来して慣れてるの」
キジローは、面食らった顔で手を振った。
「いや、そうじゃない。俺、泳げないから一緒に行ってもらえないか」
一瞬、サクヤは口をぽかんと開けていたが、ぷっと笑った。
「ごめんなさい。他の人を連れて行くのは初めてだから、少し緊張して気が立っていたの」
サクヤが左手を差し出して微笑んだ。
「さ、行きましょう」
水面の青い光の中で、キジローはサクヤの目をのぞき込んだ。
「やっぱり緑にならないんだな」
「え?」
くるりと回って、手をつないだまま明るい湖面に出た。青く広がる湖面は、深い森に囲まれている。水際には、水没して枯れた木々が化石のように突っ立っていた。
「キジローさん、後ろ」
サクヤに言われて振り返ったキジローは、口をあんぐり開けた。岩山から流れ落ちる滝を背に、7匹のブロントザウルスのように首の長い白い恐竜が、じっと2人を見下ろしていた。
「彼らが、例の”7人”よ」
キジローは見上げて圧倒されながら、「や、やあ、どうも」とあいさつした。
「やあ、どうも。とりあえず地面に上がったらどうだね。ゲートはもうしばらく安定しているが」
「あ、ああ」岸に向かいながら、目は恐竜から離れない。
「キジローさん」サクヤが言った。「手を返してもらっていいかしら」
「あ、ああ。すまん」キジローは慌てて手を放した。
「今、話したのがミナト。最長老よ。彼がヤト。こっちがククリにスセリ。ヤマワロ。ノヅチ。こちらが、カリコボ」サクヤが紹介した。
「区別つくか?」ジンがひそひそ訊いた。
「うん、しばらく話してればすぐわかる。声と性格が全然ちがう」エクルーがにやっとした。
「イリス、御礼を言います。この子達は、ずいぶんいろんなことをあなたから教わっているわ」
ククリの顔の周りには、連れて帰って来た30匹のホタルがまとわりついて甘えていた。
「私も、友達できた。ホタルがつないで、みんなと話せた。ありがとう」イリスも笑った。
「グレン、俺たちを拝んだり、怖れたりする必要はない」
カリコボが言った。「君らは、俺たちを祀ってくれているが、俺たちは別に神じゃない。君たちと同じ、モノを食べれば寿命もある生き物に過ぎん。できることもできないこともある」
「でも、ずっと俺たちを助けてくれてた。水や食べ物を運んでくれたり、ここに避難させてくれたり」とグレンが言った。
「そう。そうして助けられることを、少し誇りに思っていたよ。すべて石の力だ。我々がこうして話せるのも、イドラの様子を知ることができるのも、ゲートを通して人やモノを運べるのも」
「そう、本当にちょっと神になったような気持で、いい気になっていたのよ。まさか、石がこんな事態を招くなんて思ってもいなかった」とスセリが表情を曇らせた。
7人はキジローの方を向いて頭を下げた。
「本当にすまない。我々が石をイドラに置いたりしなければ、娘さんが巻き込まれることはなかった」とノヅチが言った。
「あんた達のせいじゃない。俺のじーちゃんが……!」とグレンが叫んだ。
「石をペトリの外に出すべきじゃなかった」
「謝って欲しいわけじゃない。キリコのことで何か知っていたら教えて欲しい。どうやったら取り戻せる?」
7人はお互いに顔を見合わせて、しばらく黙っていた。
「キリコは船にいる。用心深く移動を続けていて、なかなか場所がつかめない。アカデミーの本体が船隊なのだ。ステーションとシャトルが2台。ステーションはシャトルに係留して移動できる」
「キリコは無事なのか? もう実験に使われちまったのか?」
「石を埋め込まれた子供は、精神的に私達とコネクションができる。あまり長時間コンタクトすると、アカデミーにここを知られる怖れがあるが……どの子のことも把握している」
「……キリコは?」
「キリコは……もう石の子供になった。脳に手術も受けていて、もう笑わない。泣かない。石と相性がいいのか、すごい力を発揮している。遠からず、実戦に出されるだろう。本当に残念だ」
キジローの身体がぐらり、と傾いた。へたり込むように地面に座った。黙って隣りにひざまづいたサクヤにも気づいていないようだった。
「石の子供たちをここに連れて来られれば、埋め込んだ石や前頭葉リミッターをはずしても精神を損なわずに戻せるかもしれない」
ミナトが言った。
「7人がかりでやればね」スセリがつけ加えた。
「しかし、アルは……」キジローが言いかけた。
「アルの場合は、彼が元に戻りたいという意思がなかった。自分で自分を罰するように、怒りを自分の精神にぶつけて焼き切ったのだ。他の子供も同じになるとは限らない」ヤトが言った。
「とにかく、船を十分この星に近づけてくれれば、子供たちは自分でここに飛んでこれるし、私達が運ぶこともできる。問題は、アカデミーに知られずに、どう子供たちとコンタクトを取るかよ」スセリが言った。
「チャンスはある。あせらず、慎重に待てばきっとチャンスが来る」
ジンが右手を挙げた。
「ちょっと訊いていいか。このペトリが崩壊すると聞いたが、原因は何なんだ?」
「俺たちが壊すからだ」とヤトがあっさり言った。
「壊す? 星を1コ丸々? どうしてまた……?」
「蛍石を全て無力化させるためだ」
「石を無力化?」
「蛍石は紫外線や宇宙線に弱い。水から引き上げるだけでも次第に消耗するが、時間がかかりすぎる。大気圏外に放り出せば、一気に力を失う」
「じゃあ、石を1コずつ放り出せばいい。何も星ごと……」
「蛍石の地層は地下深く埋っている。すべて掘り出せば、いずれにしろ星はボロボロだ」
「そんな深いとこの石は放っとけばいい……」
「もう、こんな事を繰り返したくないんだ!!」ヤトが遮った。
「石を埋め込まれた子供の思考が、日夜届く。声に出さない悲鳴が聞こえる。表情に表れない涙が見える。こんな石、存在してはいけないんだ!」
キジローは聞こえているのかいないのか、真っ白な顔で肩を震わせている。
「だからって……」ジンが言い募った。
「もう、この星は生きる意志を無くしてしまった」ヤマワロが言った。
「星の意思……?」ジンは当惑した。
「我々は石を通じて、星の声を聞いている。子供たちの悲鳴を聞いて、この星はすっかり絶望してしまった。我々が何もしなくても、早晩自壊するだろう」
「その前に、石の子供たちは助けたい。それから、イドラの被害をできるだけ防ぎたい。そしてあの子を連れて行って欲しい。それが、君らを呼んだ理由だ」とミナトが言った。
ミナトの視線を追うと、肩から布袋をかけた少女が歩いて来る。腰までの銀髪が、日を受けて輝いている。サクヤが手を上げると、微笑んで手を振り返した。
「あの子がここに辿り着いた時、まだ5歳だった。我々もできるだけ世話を焼いたが……ムーアがいなければ、あんなに元気に育ったかわからない」
「ムーア? 俺のじーちゃんのこと?」グレンが聞いた。
「そうだ。ムーアはずっとこの星にいたんだ」
「いた……今は?」
「亡くなった。3年前」
スオミは袋一杯に、様々なベリーやライケンを採って来ていた。スオミはきれいなイドリアンをしゃべったが、連邦標準語はカタコトだった。
「かなり教えたつもりなんだけど」とスセリが言った。「テレパシーで言葉を教えても、なかなか身につかないみたい」
スオミは木の実の粉にベリーやライケンを入れて、手際よくビスケットを焼き始めた。
「これはイドリアンの炉だ。それに、あのコが着てるのは、俺たちと同じ服だよ」とグレンが言った。
「メドゥーラが季節ごとに送ってくれたの。ゲートが開いた時に。服や食べ物や、色んなものを」スオミが説明した。
「バアちゃんが?」
「ええ。私のことを”月に住んでるもうひとりの孫娘”と呼んで下さって」
「じゃあバアちゃんは、ジイちゃんがここに住んでることを知ってたのか?」
「ええ。私を通じて。つまり、私がメドゥーラと泉で話していることは、ムーアには内緒だったの。もちろん、知ってたと思う。穀物やイドラにしかない野菜をもらってたから。でも、絶対に直接話そうとしなかった。一度、聞いてみたの。そしたら、”私にはその資格がない”って……」キツネ色に焼けたビスケットを上手にひっくり返しながら、スオミは話し続けた。
「でも、私、メドゥーラに聞いた家族のこと、できるだけ伝えるようにしていたの。ムーアはいつも、聞いてないフリをしてた。でもね、あなたが秋祭りの野駆け競争で一位になった話をした時ね、初めてこっちを見て、”そうか……”ってひとこと。すごく幸せそうだった」
グレンはどう反応していいかわからなかった。自分の子供ひとりを救うために、多くの子供を受難に追いやり、とうとう星ひとつを崩壊する事態を招いた男。その男が、自分を誇りに思っていた……? 自分を罰するために、家族から離れてここに隠遁していた?
グレンはスオミの横にひざをついて、お茶の用意を手伝いながら聞いた。
「スオミ、君は知ってたの? 俺のジイさんが石を持ち出したって」
「ええ。話してくれたもの」
「それで許せたの? 君のお父さんが亡くなったのも、君がここでひとりでここに住んでるのも、元はといえば、うちのジイちゃんが……」
「でも、私、ずっと幸せだったもの」スオミが微笑んだ。
「父のことは悲しいわ。今、ここにいてくれたら、と思う。このきれいな星を見せてあげたい。それに父がいれば、他の子供たちを助けるのに、きっと力を貸してくれたと思う。でも私はここの星に来て、寂しいと思ったことがないの。ムーアはめったに笑わない人だけど、いつも見守ってくれてやさしかった。ククリは心配性で、スセリはいつも私で着せ替え遊びをしてくれて……。私は父を失ったけど、8人の養い親にもみくちゃに愛されて育ったの。メドゥーラもいたし、ここ数年はエクルーやサクヤも来てくれた。今日はまた、こんなにたくさん仲間が来た。私の人生は、もらったものの方が多い」
グレンは胸がつまってしまった。
「ごめん。俺、じーちゃんのことも、君のことも、何も知らずに今まで生きてきた。」
「でも、これからは泉で話せるでしょう? 私はメドゥーラの月の孫なんだから、あなたとはいとこ同士よね」
「まだ修行を始めたばかりだから、あんまりうまく見えないんだけど」
「今日ここに来たから、格段に上達するはずよ」
「そうなの?」
「石の量がちがうもの」
ビスケットとお茶で簡単な朝ご飯を摂った。コケモモのピューレをつけた、まだ熱々のさっくりしたビスケットはかなり美味だった。
「ばあちゃんの味と同じだ」
「直伝ですもの」スオミが笑った。
エクルーが言った。
「俺だって、17年生きてて初めてだ」
グレンは大きな息を吐いた。
ゲートが開いているかどうかは、一目瞭然だった。昨夜と泉の明るさが全然違うのだ。祠の上の縦穴から青く輝く光が漏れている。脊梁山地沿いに、少なくとも5つ向こうの泉の光まで見えていた。
「他の苗床の定点カメラ、ご覧になりますか?」
セバスチャンがモニターを立ち上げた。
「苗床?」
キジローが聞き返した。
「ペトリの植物の苗や種を保管している小型ドームだ。イドラ全体に108散らばっている。このドームも東側半分は苗床だ」
「108ってーと泉の数だ」
「そうそう。水源の近くじゃないと、育成に水を使えないからね」エクルーが説明した。
「わあ、すげえ。」グレンが感嘆の声をあげた。
「バルーンにカメラをつけて揚げてみました」とセバスチャン。
星全体に南北に走る9本の山脈。その山脈に12ずつ泉がある。9本の青いネックレスだ。
ひとつだけ、光っていない泉があった。ムーアが石を持ち出した泉だ。しゃれこうべの眼窩のように、そこだけ黒く沈んでいる。
石を持ち出すのに、どれほどの危険を冒したことだろう。エクルーのようにたくさんのガイドがいたわけでもなく、たった一人で石の声に打ち勝って水面まで上がってきた。そして、その後はずっと罪悪感に苛まされて、家族に会うこともできなかった。
「イドリアンはたいてい子だくさんなんだけど、ばーちゃんの子供は俺の父さん一人なんだ。父さんが5歳の時、高熱を出して生死の境をさまよった。奇跡的に回復した時、じーちゃんが消えた。村のみんなは高価な薬の代価を稼ぐために、よその星に行ったんだろうと話してた」
グレンはモニターの中で輝く泉をじっと見つめなていた。
「でも、俺はじーちゃんはここにいるんじゃないかと思ってた」
ホタル達が、一斉に騒ぎ始めた。
「イリス、本当にこいつら連れて行くのか?」
ジンに聞かれてイリスが主張した。
「連れて来い、と言ってる」
「誰が?」
「スセリとククリ」
「誰だ、それ」
「今から会える」
「そろそろだな。行こうか」
エクルーが一同に声をかけた。
「こんな夜中に行って、大丈夫か? 灯りが要るんじゃ……?」
ジンはいささか腰が引けているようだ。
「大丈夫。向こうの昼の側に出るから。これ、あっちの空の色が見えているんだよ」
泉の光を差して、エクルーが説明する。
「ゲートと言っても、トビラも何もない。この泉の水面が、あっちの湖の水面とつながってるだけだ。ただし、上下逆だけど」
「上下、逆?」
「そう。この間、俺がやったみたいに頭から飛び込めば、足を下にして出られる。でもまあ、別に水面でくるっと回ればいいんじゃない?」
「ぬれないか?」
エクルーはあくまであっさり言う。
「ぬれない」
「じゃ、俺、一番」エクルーがためらいもなく、泉に足を運んだ。2、3歩、まるで水面を歩いているように見えた。青い光に包まれて、ちょっと屈んだと思ったら消えた。
「次、イリス行って。ホタル達を先に行かせて、ついて行けばいいわ。向こうでククリが待ってるから」サクヤが指示した。
「わかった」
イリスもするりと水をくぐった。
「ジン、次行って」
「お、おう」
ジンは水面を指でつついたり、手を差し入れたり、試すがめつしていたが、覚悟を決めて足を踏み入れた。
「次、グレン」
「うん」
祠にキジローとサクヤが残った。
「キジローさん、先にどうぞ」
キジローが何か言いかけたが、めずらしくサクヤがさえぎった。
「こんな時まで、レディ・ファーストでなくてけっこうよ。私とエクルーは何度も行き来して慣れてるの」
キジローは、面食らった顔で手を振った。
「いや、そうじゃない。俺、泳げないから一緒に行ってもらえないか」
一瞬、サクヤは口をぽかんと開けていたが、ぷっと笑った。
「ごめんなさい。他の人を連れて行くのは初めてだから、少し緊張して気が立っていたの」
サクヤが左手を差し出して微笑んだ。
「さ、行きましょう」
水面の青い光の中で、キジローはサクヤの目をのぞき込んだ。
「やっぱり緑にならないんだな」
「え?」
くるりと回って、手をつないだまま明るい湖面に出た。青く広がる湖面は、深い森に囲まれている。水際には、水没して枯れた木々が化石のように突っ立っていた。
「キジローさん、後ろ」
サクヤに言われて振り返ったキジローは、口をあんぐり開けた。岩山から流れ落ちる滝を背に、7匹のブロントザウルスのように首の長い白い恐竜が、じっと2人を見下ろしていた。
「彼らが、例の”7人”よ」
キジローは見上げて圧倒されながら、「や、やあ、どうも」とあいさつした。
「やあ、どうも。とりあえず地面に上がったらどうだね。ゲートはもうしばらく安定しているが」
「あ、ああ」岸に向かいながら、目は恐竜から離れない。
「キジローさん」サクヤが言った。「手を返してもらっていいかしら」
「あ、ああ。すまん」キジローは慌てて手を放した。
「今、話したのがミナト。最長老よ。彼がヤト。こっちがククリにスセリ。ヤマワロ。ノヅチ。こちらが、カリコボ」サクヤが紹介した。
「区別つくか?」ジンがひそひそ訊いた。
「うん、しばらく話してればすぐわかる。声と性格が全然ちがう」エクルーがにやっとした。
「イリス、御礼を言います。この子達は、ずいぶんいろんなことをあなたから教わっているわ」
ククリの顔の周りには、連れて帰って来た30匹のホタルがまとわりついて甘えていた。
「私も、友達できた。ホタルがつないで、みんなと話せた。ありがとう」イリスも笑った。
「グレン、俺たちを拝んだり、怖れたりする必要はない」
カリコボが言った。「君らは、俺たちを祀ってくれているが、俺たちは別に神じゃない。君たちと同じ、モノを食べれば寿命もある生き物に過ぎん。できることもできないこともある」
「でも、ずっと俺たちを助けてくれてた。水や食べ物を運んでくれたり、ここに避難させてくれたり」とグレンが言った。
「そう。そうして助けられることを、少し誇りに思っていたよ。すべて石の力だ。我々がこうして話せるのも、イドラの様子を知ることができるのも、ゲートを通して人やモノを運べるのも」
「そう、本当にちょっと神になったような気持で、いい気になっていたのよ。まさか、石がこんな事態を招くなんて思ってもいなかった」とスセリが表情を曇らせた。
7人はキジローの方を向いて頭を下げた。
「本当にすまない。我々が石をイドラに置いたりしなければ、娘さんが巻き込まれることはなかった」とノヅチが言った。
「あんた達のせいじゃない。俺のじーちゃんが……!」とグレンが叫んだ。
「石をペトリの外に出すべきじゃなかった」
「謝って欲しいわけじゃない。キリコのことで何か知っていたら教えて欲しい。どうやったら取り戻せる?」
7人はお互いに顔を見合わせて、しばらく黙っていた。
「キリコは船にいる。用心深く移動を続けていて、なかなか場所がつかめない。アカデミーの本体が船隊なのだ。ステーションとシャトルが2台。ステーションはシャトルに係留して移動できる」
「キリコは無事なのか? もう実験に使われちまったのか?」
「石を埋め込まれた子供は、精神的に私達とコネクションができる。あまり長時間コンタクトすると、アカデミーにここを知られる怖れがあるが……どの子のことも把握している」
「……キリコは?」
「キリコは……もう石の子供になった。脳に手術も受けていて、もう笑わない。泣かない。石と相性がいいのか、すごい力を発揮している。遠からず、実戦に出されるだろう。本当に残念だ」
キジローの身体がぐらり、と傾いた。へたり込むように地面に座った。黙って隣りにひざまづいたサクヤにも気づいていないようだった。
「石の子供たちをここに連れて来られれば、埋め込んだ石や前頭葉リミッターをはずしても精神を損なわずに戻せるかもしれない」
ミナトが言った。
「7人がかりでやればね」スセリがつけ加えた。
「しかし、アルは……」キジローが言いかけた。
「アルの場合は、彼が元に戻りたいという意思がなかった。自分で自分を罰するように、怒りを自分の精神にぶつけて焼き切ったのだ。他の子供も同じになるとは限らない」ヤトが言った。
「とにかく、船を十分この星に近づけてくれれば、子供たちは自分でここに飛んでこれるし、私達が運ぶこともできる。問題は、アカデミーに知られずに、どう子供たちとコンタクトを取るかよ」スセリが言った。
「チャンスはある。あせらず、慎重に待てばきっとチャンスが来る」
ジンが右手を挙げた。
「ちょっと訊いていいか。このペトリが崩壊すると聞いたが、原因は何なんだ?」
「俺たちが壊すからだ」とヤトがあっさり言った。
「壊す? 星を1コ丸々? どうしてまた……?」
「蛍石を全て無力化させるためだ」
「石を無力化?」
「蛍石は紫外線や宇宙線に弱い。水から引き上げるだけでも次第に消耗するが、時間がかかりすぎる。大気圏外に放り出せば、一気に力を失う」
「じゃあ、石を1コずつ放り出せばいい。何も星ごと……」
「蛍石の地層は地下深く埋っている。すべて掘り出せば、いずれにしろ星はボロボロだ」
「そんな深いとこの石は放っとけばいい……」
「もう、こんな事を繰り返したくないんだ!!」ヤトが遮った。
「石を埋め込まれた子供の思考が、日夜届く。声に出さない悲鳴が聞こえる。表情に表れない涙が見える。こんな石、存在してはいけないんだ!」
キジローは聞こえているのかいないのか、真っ白な顔で肩を震わせている。
「だからって……」ジンが言い募った。
「もう、この星は生きる意志を無くしてしまった」ヤマワロが言った。
「星の意思……?」ジンは当惑した。
「我々は石を通じて、星の声を聞いている。子供たちの悲鳴を聞いて、この星はすっかり絶望してしまった。我々が何もしなくても、早晩自壊するだろう」
「その前に、石の子供たちは助けたい。それから、イドラの被害をできるだけ防ぎたい。そしてあの子を連れて行って欲しい。それが、君らを呼んだ理由だ」とミナトが言った。
ミナトの視線を追うと、肩から布袋をかけた少女が歩いて来る。腰までの銀髪が、日を受けて輝いている。サクヤが手を上げると、微笑んで手を振り返した。
「あの子がここに辿り着いた時、まだ5歳だった。我々もできるだけ世話を焼いたが……ムーアがいなければ、あんなに元気に育ったかわからない」
「ムーア? 俺のじーちゃんのこと?」グレンが聞いた。
「そうだ。ムーアはずっとこの星にいたんだ」
「いた……今は?」
「亡くなった。3年前」
スオミは袋一杯に、様々なベリーやライケンを採って来ていた。スオミはきれいなイドリアンをしゃべったが、連邦標準語はカタコトだった。
「かなり教えたつもりなんだけど」とスセリが言った。「テレパシーで言葉を教えても、なかなか身につかないみたい」
スオミは木の実の粉にベリーやライケンを入れて、手際よくビスケットを焼き始めた。
「これはイドリアンの炉だ。それに、あのコが着てるのは、俺たちと同じ服だよ」とグレンが言った。
「メドゥーラが季節ごとに送ってくれたの。ゲートが開いた時に。服や食べ物や、色んなものを」スオミが説明した。
「バアちゃんが?」
「ええ。私のことを”月に住んでるもうひとりの孫娘”と呼んで下さって」
「じゃあバアちゃんは、ジイちゃんがここに住んでることを知ってたのか?」
「ええ。私を通じて。つまり、私がメドゥーラと泉で話していることは、ムーアには内緒だったの。もちろん、知ってたと思う。穀物やイドラにしかない野菜をもらってたから。でも、絶対に直接話そうとしなかった。一度、聞いてみたの。そしたら、”私にはその資格がない”って……」キツネ色に焼けたビスケットを上手にひっくり返しながら、スオミは話し続けた。
「でも、私、メドゥーラに聞いた家族のこと、できるだけ伝えるようにしていたの。ムーアはいつも、聞いてないフリをしてた。でもね、あなたが秋祭りの野駆け競争で一位になった話をした時ね、初めてこっちを見て、”そうか……”ってひとこと。すごく幸せそうだった」
グレンはどう反応していいかわからなかった。自分の子供ひとりを救うために、多くの子供を受難に追いやり、とうとう星ひとつを崩壊する事態を招いた男。その男が、自分を誇りに思っていた……? 自分を罰するために、家族から離れてここに隠遁していた?
グレンはスオミの横にひざをついて、お茶の用意を手伝いながら聞いた。
「スオミ、君は知ってたの? 俺のジイさんが石を持ち出したって」
「ええ。話してくれたもの」
「それで許せたの? 君のお父さんが亡くなったのも、君がここでひとりでここに住んでるのも、元はといえば、うちのジイちゃんが……」
「でも、私、ずっと幸せだったもの」スオミが微笑んだ。
「父のことは悲しいわ。今、ここにいてくれたら、と思う。このきれいな星を見せてあげたい。それに父がいれば、他の子供たちを助けるのに、きっと力を貸してくれたと思う。でも私はここの星に来て、寂しいと思ったことがないの。ムーアはめったに笑わない人だけど、いつも見守ってくれてやさしかった。ククリは心配性で、スセリはいつも私で着せ替え遊びをしてくれて……。私は父を失ったけど、8人の養い親にもみくちゃに愛されて育ったの。メドゥーラもいたし、ここ数年はエクルーやサクヤも来てくれた。今日はまた、こんなにたくさん仲間が来た。私の人生は、もらったものの方が多い」
グレンは胸がつまってしまった。
「ごめん。俺、じーちゃんのことも、君のことも、何も知らずに今まで生きてきた。」
「でも、これからは泉で話せるでしょう? 私はメドゥーラの月の孫なんだから、あなたとはいとこ同士よね」
「まだ修行を始めたばかりだから、あんまりうまく見えないんだけど」
「今日ここに来たから、格段に上達するはずよ」
「そうなの?」
「石の量がちがうもの」
ビスケットとお茶で簡単な朝ご飯を摂った。コケモモのピューレをつけた、まだ熱々のさっくりしたビスケットはかなり美味だった。
「ばあちゃんの味と同じだ」
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