「レインツリーの国(有川浩著)」を読んで

2017-04-08 10:22:53 | 日記
メールというコミュニケーション手段というのは、不思議なものだなと思う。アドレスさえ知っていれば、どこにでも、誰にでも送れてしまう。
それだけでは、ある意味、文通と似ているのかもしれないが、そこに時間的な障壁がないというのが、物理的な距離を部分的に縮めているように思う。
その上に、ブログである。個人的には「ちょっとどうか」と思うぐらいに、多くの人が個人的なことをネットに書き連ねている。
そこから始まるメールのやりとりというのは、要は、ある一定の理解(解釈)がメールの送り手側にできている状態ということだ。それはあくまで送る側の解釈であり、ブログの書き手に対する理解を意味しない。
また、書き手は、ほとんどの場合、それをある程度期待しているものである。自分のなりたい自分に、なりたかった自分に成り切ることで、現実との折り合いをつけているという部分もあるのだろう。
お互いにそういったずれを抱えながら登場人物は出会ったわけである。
ずれている部分が最初にあったからこそ、それを埋めることが、二人にとって苦しくもあり、幸せなことでもあったのだろう。
そんな読後感を覚えた。