「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

冷凍ミカンはブレイクするのか について考える

2006年04月23日 15時08分40秒 | 
 冷凍ミカンの歌はオリコンで70位ぐらいだと聞いているが、静岡での9週連続一位の実績を評価されたのか、今日、掛川のユニーで冷凍ミカンが販売されていた。

 4個入り398円だそうでそれほど高いものじゃないから、買う人もいるのだろうけど、こういうのって地道な生産者を混乱させるだけで、リスク性が異様に高い。

 「アド街テック天国」を代表とする、商店街の散策とおいしいもの紹介の番組はいずれもある程度の視聴率を稼げるようで、どのテレビ局も持っている。

 僕の同僚は世田谷の和菓子屋さんの次男で、テレビに実家が紹介された経験を持つ、彼の談によればテレビ放映から2週間の間は注文殺到でものすごくなり対応しきれないんだそうだ。
 で、お断りをしなくちゃいけない状態になって罵声を浴びて、精神的にも随分辛い思いもされるそうだ。
 でも2週間をすぎると人々の記憶から消えてしまうようで、今までの騒ぎって一体何だったの?というくらいの静けさに戻るのだそうだ。

 和菓子の特定の商品でさえこれなのだから、お店そのものであったり、新しい方法であったりすると、どうなんだろう。

 独特の歩き方で、健康を勝ち取ろうとして一世を風靡した長身のおじさんは会員になるのに10年先まで待たなくちゃいけないと言っていてお弟子さんも沢山いるそうだがテレビに登場しなくなった今はどうなっているのだろう。

 テレビは情報を広める役割を持っているが同時に次々と食い潰しながら自らの体重を保っている「貪」という想像上の怪物に似ていると思った。


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2 コメント

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ミカンの缶詰をうまいと思った時代もあった (葵区のあおい君)
2006-04-23 18:31:09
▽歌の方は、ちょっと不知案内です。(ごめんなさい)

本物の冷凍ミカンの方は、昔、よく駅のホームで買った記憶があります。

でも、ミカンが出回らない夏場だけだったような気がします。

暑い夏に解凍しかけたミカンはとてもおいしく感じました。

でも今では豊富な種類の果物が1年中あるので、わざわざ冷凍ものを食べなくてもというのが正直なところです。

そう言えば、幼少のころミカンの缶詰を「世の中にこんなおいしいものがあるのか」と思って食べたのを思い出しました。

今は、本当にぜいたくになったというのが実感です。



▽世の中、グルメブームと言われて久しいのですが、本当に生活に根付いているのかは疑問に思います。

その典型が、あちらこちら、つまみ食いのように食べ歩くことで、彼(彼女)らは、日ごろそれに見合うような、充実した食生活をしているのでしょうか?

存外、朝食を抜いたり、昼はファストフードなんてことはないのでしょうか?

でも、そんなの個人の自由だと言われると、老兵は沈黙するのみですが・・・・



それにしても、注文を断られて罵声を浴びせるなんて、ちょっと悲しくなります。

金さえ払えば何でも買える(どこかで聞いたようなセリフですが)という考え方は、食べるという行為は、命をつなぐ糧を得ることであり、それを与えてくれた自然へ感謝するという心がまったく欠如していると思われます。



世の中、本能のみで生きている人が増殖しているようです。いよいよボクのような老兵は去るのみの時到来かもしれません。
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ノスタルジー (aniki)
2006-04-23 22:31:17
 ノスタルジーに訴えかけて消費意欲を起こさせるっていうのはよくあることなんで仕方がないと思うのですが、冷凍ミカンの場合、あおい君さんが言われるように本来季節を外して売れるべきものなんでしょうね。

 ただ娘に聞くと小学校の給食のメニューに一度ならず登場したようなので、そういった面での郷愁というか、僕らが駄菓子を買う感覚で、味ではなく思い出を反芻するような気分で買うのだと思いますので、一度買えば終わるものだと思います。



 僕らんぼ世代はテレビどっぷりの世代で、情報と一緒に価値観も一緒くたに仕入れてきた世代ですから一面的に始末に負えない世代かもしれません。



 むしろ今の子どもたちの方がテレビ見ないかもしれません。
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