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アルファロメオと小倉唯

攻撃的非暴力のすすめ

ジュディス・バトラー著『非暴力の力』を読みました。

 

哲学の本、しかもポスト構造主義に分類される哲学者が書いた本なので、難解なのは仕方ないです。

 

すごく硬い本を読むときは、傍線を引いたり書き込みをしたり、ページの角を折ったりと本を汚して…

 

それによって、バリバリ噛み砕くようにして読むのが常なのですけれど。こんな感じで。

 

 

それでもこの著者と、私の内にもともと在る思想との相性がすごく良かったのでしょうか。

 

面白くて夢中になってしまい、3日間で読み切りました。

 

この十年ぐらいに読んだ本の中で、一番読みごたえがあって、エキサイティングで、面白かった。

 

ジュディス・バトラーは現在、カリフォルニア大学デービス校で教授をしているのですが…

 

一度でいいからこの人の講義に出席してみたいと思います。

 

息子によると、米国や欧州の大学の高名な教員の授業には、たいていビデオカメラが入っていて…

 

ネットで無料公開されているものも結構あって、息子はときどき視聴しているとのことですが。

 

でも、彼曰く「見てるだけじゃやっぱりだめだ。講師との間の質疑応答に『参加』して…」

 

「講義を『受ける』のではなくて講義の『場に参加』しないとフラストレーション溜まるんだよ」

 

確かに、そうでしょうね。

 

ちょっと前に『マイケルサンデルの白熱教室』という番組が、日本でもテレビ放映されましたけれど…

 

ああいう活発な「議論スタイル」が、海外の授業のスタンダードですから。

 

それにアメリカやヨーロッパの大学なら、60歳代の大学生だって、そんなに珍しくないし。

 

本来日本の大学みたいに「就職予備校」化していて、同じ年代の人しかいない大学なんておかしい。

 

学問は「いい会社」に入るための、道具なんかである「はずがない」のです。

 

人間は何度も「学び直し」をしながらステップアップして行くべきものですから。

 

そもそも日本の大学生、ちゃんと「学問している」人って、文系だと全体の何%ぐらいいるのかな。

 

その大学を出たという証書さえもらえればいい人がほとんどで、社会もそれ以上要求してないのでは?

 

衰退国家になるはずですわ、そりゃあ…。

 

子どものころだけお勉強ができて、大人になると忘れて無知になる、というのではどうしようもない。

 

脱線しましたが、ともあれ、バトラーにちょっと「やられて」しまいました。

 

本当は次に他の本を読むことにしていたのですが、予定を変えて次は、彼女の「主著」とも言われる…

 

『ジェンダー・トラブル』を読んでみようと…いや、もう読み始めています。

 

これも難解ですけれど、今のところめちゃめちゃ面白いです。読了したらブログに書きます。

 

 

 

というわけで、前置きばかり長くなりましたが、本のレビューです。

 

この本は、社会の中でマイノリティとされている、あらゆる人間…

 

女性、有色人種、LGBT等、移民、少数民族などなど、あらゆる「周縁的」人々が…

 

国家権力や「マジョリティ」から受けている暴力…

 

(物理的暴力だけでなく、精神的暴力、政治的、社会的、制度的暴力などを含めてです)

 

それについて、鋭く分析、批判を加えるとともに…

 

どうやってそれに対抗するか、暴力を解体して行くか、ということについて論じたものです。

 

さらには人間だけでなく、他の生物や環境も含めてあらゆるものに加えられている暴力を…

 

批判、解体して行くことを求めています。

 

ここでバトラーが提示してい原則が、タイトルにもある「非暴力」による抵抗の実践なのですが…

 

「非暴力」という言葉から一般の人が連想するような、甘っちょろい、ただの理想主義的な論ではなく…

 

彼女が実践を求めているのは、非常に厳しく、また暴力に暴力をもって対抗するより恐らく勇気の要る…

 

「攻撃的非暴力」あるいは「戦闘的平和主義」ともいうべき内容のものです。

 

ここでいうのは、暴力=個人的なものだけではなく、軍事侵攻などの大規模な暴力も含めて、ですが。

 

 

たとえば、それが「正当化」される場面について、バトラーは問題にしています。

 

あなたは、暴力に賛成ですか?暴力はいいことだと思いますか?

 

多くの人は「原則として暴力はいけないことだ」「暴力に訴えるのは、本来悪だ」と思っているのでは?

 

(もちろんそうでない、根っから暴力主義者な人もいるでしょうが)

 

ただ同時に、多くの人が、暴力禁止には「例外がある」と思っているのではないでしょうか。

 

誰もが考える、例外的に正当化される暴力といえば「自己防衛」のための暴力でしょう。

 

他者から暴力を加えられて、自己の安全が脅かされた場合、緊急避難的にそれを守るための暴力です。

 

では、この場合の守るべき「自己」とは何のことでしょうか。

 

「私」個人だけでしょうか?

 

おそらくそうではないでしょう。

 

私の家族や愛する人、私が所属する地域共同体を守ることも「自己防衛」(自衛)になるはずです。

 

こうして「自己」の範囲は拡大して行き、国家も、防衛すべき、拡大された「自己」になります。

 

ただ、現代の社会関係の中では「自己」の拡大は、国家・国土の中だけに留まりません。

 

政治的・軍事的「同盟国」まで、守るべき「私たち」の中に、今や入れられているのが現実です。

 

さらには同盟国同士の関係性の中で、他国の経済的、政治的利害といったものまでが、いまや…

 

自衛すべきものの中に入れられてしまっています。

 

我々の国においても、いまや「集団的自衛権」なんていうものが認められるに至っています。

 

現に、自衛隊が遠いイラクや西インド洋にまで出向いて行って、活動してきましたよね。

 

「戦闘地域には行かない」という名目でありましたけれど…

 

結果的に、現地で戦闘状態に巻き込まれ、そしてそのことが隠蔽されて…

 

「サマワ日報改ざん事件」などというものにまで発展してしまいました。

 

その状況で、自衛隊にだけ武力行使が許されないのはおかしい、ということにもなりましたよね?

 

遠い遠い中東地域で、現地の「治安維持」のために戦闘すること=暴力を行使することまでが…

 

今日では「自衛行為」と認められるべきだ、ということになって来ています。

 

何百キロ、どうかすると千キロ以上離れた国での「治安維持活動」で、暴力を行使すること…

 

直接には自国民に危害の及ばないことに関して、同盟国側の「正義」のために、暴力を行使するのが…

 

本当に正当化される「自衛行為」の範囲なのでしょうか?

 

そうなると、正当な「自己防衛」の暴力を行使する際の「自己」というのは…

 

どんどん拡大し、この地球上のすべての場所での、あらゆる人々が含まれ得ることになります。

 

しかも、何が正義か分からない中での、政治的な「同盟者の利害」を守ることが「自己防衛」とされる。

 

こうなると「例外」だったはずの暴力が許される範囲は、解釈次第で、際限なく拡がり得るわけで。

 

しかも私たちは、会ったこともない人々、自ら選択したわけではない勢力と知らないうちに結び付けられ…

 

彼らと共同して、これまた自ら選択したわけでもない「何か」を守るために、暴力行使をする…

 

そういう仕組みの中に、否応なく、組み込まれてしまっていることになるのです。

 

何なら、アメリカ人が勝手に決めた「正義」の名のもとに、アメリカ人の「敵」と殺し合う。

 

その「人殺し」が正しいかどうか、考えたり議論する暇などあろうはずもなく、加担する。

 

そういう道に、私たちは入ってしまっているのです。

 

みんな直視したがらないけれど。

 

だから、安倍政権下で強行採決された「集団的自衛権」を認める法案は、絶対通してはいけなかった。

 

さすがにあれだけは駄目だった。

 

私もできる限り阻止するために闘いましたけれど、ほとんどの日本国民は無関心で、冷たかった。

 

自分が人殺しの仲間に入ろうが何だろうが、直接目に見えなければ、自ら手を汚さなければ…

 

ぜんぜん構わない。要するに、そういうことだったんですよ。

 

みんな、無自覚な冷酷さを、平気で受け入れていた。実に恐ろしいことです。

 

無自覚に、無表情どころか毎日ニコニコ笑顔で暮らしながら、そんな冷酷なことを了承していたんです。

 

この時代にあっては「死んだら悲しい、かわいそうな人たち」と…

 

「死んでも全然かまわない、かわいそうでも何でもない人たち」とに、人間が分けられてしまっている。

 

それを、バトラーの場合は「哀悼可能」な人々と「哀悼不可能」な人々、という語句で表現しています。

 

「哀悼可能性」を、この世界に住む人に差別的に分配して…

 

結果暴力に例外規定を設けて「哀悼不可能な人」になら行使して良い、という論理は…

 

絶対に破綻をきたすのです。

 

だから、歯を食いしばって、究極的には死の危険を冒してでも「非暴力」の闘いをするのだと。

 

別に罪を犯したわけではないけれど、この人間は「哀悼不可能」な種類の人間だと…

 

さしたる根拠もなく、勝手に決定する権力システムが存在する。

 

彼らを倒すことを目的に、暴力によらない手段で、頑固に、執拗に抵抗する。

 

(なぜなら暴力の正当化には、先ほども説明したように、際限がなくなるからです)

 

それが、この本の中でバトラーの言う「攻撃的非暴力」というものなのです。

 

別の言葉で「戦闘的平和主義」とも。

 

どうして人間や人間集団を「哀悼可能」と「哀悼不可能」に分けてはいけないのか。

 

なぜなら「私」個人も、「私たち」という集団も…

 

この世界にある限り、決して孤立して存在しているわけではないからです。

 

全ては「相互依存的」な関係性のバランスの中で存在しているのであって…

 

一見「哀悼不可能」な他者、何なら「敵」と見えるような個人や集団も…

 

(敵に見えるのは、政治的に「そう思うよう誘導されているから」です)

 

我々と深く依存し合って存在しているのであって、それを破壊するということは、とりもなおさず…

 

結局、自からをも破壊する、自殺的行為だからです。

 

そうではないと思っている愚か者どもが、その愚かな考えに、多くの人々を扇動して巻き込んでいますが。

 

バトラーの思考の射程は、人間界を超えて、この地球の存在すべてにまで向けられます。

 

ここの文は比較的平易なので、引用することにします。

 

暴力的行動からの防衛においてしばしば用いられる自己保存という政治的概念は、自己の保存が地球の保存を必要としており、私たちは自己維持的存在としての地球の「中」にいるのではなく、地球が存続する限りにおいてしか存続しない、という点を考慮していない。

 

人間にとって当てはまることは、生の持続のために無害な土壌ときれいな水を必要とする全ての生物にとっても当てはまる。

 

もし私たちの誰かが生存し、繁栄し、良い生を送るべきだとすれば、それは他者たちと共に生きられた生であろうし、そうした他者なしではいかなる生も存在しない生であろう。

 

 

 

 

ジュディス・バトラーは、哲学者、思想家としてだけでなく…

 

有名なフェミニズムの運動家としても知られています。

 

ただ、一部のフェミニストが、トランスジェンダー女性排除の論理を過激に主張するのに対して…

 

彼女は強く抗議しています。

 

またLGBTの権利保障についての発言や活動も盛んにしています。そして彼女自身もレズビアンです。

 

この前に読んだ、ルース・ベネディクトもレズビアンでしたけれど…

 

彼女の時代には、おそらくそれが原因で、学問の世界からは受け入れられませんでした。

 

なので、仕方なく国家の情報戦という部門に協力して行った一面があったのです。

 

しかしジュディス・バトラーの場合は堂々と同性愛を公言しながら、UCバークレーという超一流大学で…

 

普通に教鞭をとって、また世界から非常に尊敬を集めている、高名な学者です。

 

時代は進んだということでしょうね。

 

日本は、ジェンダー問題についても、セクシャルマイノリティ問題についても、性暴力問題についても…

 

「西側自由主義諸国」の一員を自称しているのが、もはや許されなくなっているぐらいに遅れています。

 

マスメディアが海外からの、現政権が好まない多くの情報や…

 

日本人が外国からどう「見られているか」を、事実上「遮断している」と言っても過言でないほどに…

 

不可視なものにしている今。

 

それに乗せられて、国民の多くも「外」に関心を持たず「井の中の蛙」を自ら選んでいるかのような今。

 

このままでは、日本がどんどん他国の状況からおいて行かれるばかりでなく…

 

しまいには「野蛮で旧弊な感覚の国民」として、見離されかねないのではないかと危惧します。

 

そんな中、バトラーの言説は、世界から「見捨てられる」ことを避けたい私たちにとって…

 

特に注目に値するのではないでしょうか。

 

また、彼女はユダヤ人ですが、パレスチナ問題に関しては、イスラエルの暴政や暴力に…

 

一貫して反対、抗議し、パレスチナ人と連帯する姿勢を貫いてきました。

 

いずれ、その関係の著書も読んでみようかと思っています。

 

次の読書も楽しみです。


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コメント一覧

angeloprotettoretoru
@チョウザメさま。
私も売り言葉に買い言葉で、乱暴な物言いを返してしまいました。すみませんでした。
私は投げかけられた議論は基本的に全部受ける、逃げることはしたくないと思っています。でも今回のあなたとのやり取りには少なからずフラストレーションを感じました。それはブログというものの性格上、私はハンドルネームを使ってはいますが、自分の内面や日常生活について、今までここでかなりさらけ出しているのに対して、あなたはご自身についてほぼunknownな立場を取り続けていらしたからです。これは掲示板の類や、XなどSNSなら当たり前かもしれませんが、ブログという一定のプライバシーを晒さざるを得ないコンテンツの中でやり取りする場合、あまりにもアンフェアな構図です。
なので以後方針として、完全に「覆面」の方と、ブログのコメント欄でお話するのは遠慮させていただきます。読むことはもちろんフリーにしておきますが、コメントの書き込みはgooブログのアカウントを持った方に限定させていただきます。チョウザメさんにも書き込んでいただいて構いませんが、その場合こちらのブログサイトのアカウントを取り(無料です)ある程度書き込みもして、ご自分が「どんな人間なのか」分かるようにしてください。フェアに行きましょう。それをしたくないということでしたら、読むだけでお願いいたします。あしからず。
チョウザメ
申し訳ございません、
と言っても自分が間違っていると認めたわけでは無く、「言わなくてもいいコト」を最悪のタイミングで言ってしまったこと、そしてかなり失礼な物言いをしたことの謝罪です。
最悪のタイミングでスイッチが入ってしまったのはバトラーがレズビアンだと知って
「女性オンリーの音楽祭を主催したためにトランス活動家に殺害されたレズビアンカップルや「男(トランス女性を含む)とはセックスしません」とデモで主張したためにトランス活動家から「トランス差別者め!」と罵声を浴びせられたレズビアングループもいるのに、そのトランス主義者の理論的支柱であるこいつは高い社会的地位に付いているって世の中不公平に出来てるねえ」
と思ってしまったからです。
ちなみに医学的、客観的に立証可能なトランスセックスと医学的、客観的に立証不可能なトランスジェンダーは別物というツッコミは野暮ですか?
トランスジェンダーの話をしていたはずなのにいつのまにかトランスセックスの人の話になっていたので「私の読解力もかなり落ちたな」と思いました。
もうしっぽを巻いて逃げます。
小倉さん関係の記事だけ読みます。
お騒がせしました。
angeloprotettoretoru
@チョウザメさま。
残念です。私のことを「勘違いするあなた」とか「思い込み」とおっしゃいますけれど、私の立場からすると「大多数の女性の思い込み」と断ずるのも根拠の希薄な思い込みですし「男はフェミニストになれない」というのもあなたの勝手な思い込みですしトランス支持者は「金持ち達」「金の奴隷」と決めつけるのもひどい思い込みですよ。現に私は金持ちなんかじゃないです。儲かる仕事は自分でぶん投げて早々と辞めたし、「内閣官房から金が出る」という美味しい仕事を目の前にぶら下げられても、そういうカネには与りたくないから断りましたし。乗ってる車だってかなり型落ちの中古の軽より実は安いものだし。多分生涯年収は中小企業に勤め切ったサラリーマンより少なかったです。ビンボーですよ。
勘違いもあなたのお答えの中にありますよ。私が2件例示した身近なトランスセックスの人々は「身体の性と精神の性」が異なる(あなたはカウンセリングが必要つまり病気だと主張しますが)ケースではないです。よく読んでください。生まれ持った「性器」と、第二次性徴以後に出来上がった「身体」とが、気の毒なことに真反対になってしまった、フィジカルなトランスセックスの人々です。そういう人もいること、ご存知ないですか?妻の友人の場合はその体つきで女子トイレに入ると、女装したおっさんと思われて怖がられるのでは、と自分から遠慮して、仕方なく男装して男トイレの個室に入っているんです。屈辱だそうですよ。トランスの人はそうやって自から遠慮して、社会に波風立たないようにして生きている人の方が多数派ですよ。だからこれまで、大きな騒動が起きずに来たんじゃないですか。その友達の場合はどこからどう見ても身体がおっさんなのに、パンツ脱ぐと下半身にはヴァギナが付いてるという。こういうトランスセックスの人々は、いったいどうすればいいのですか?世の中にはほんとにいろんなケースがあるんです。男だけど女の子のアイテムやコンテンツが好きとか、よくありすぎる話じゃないです。私だって子どものころ同じ感じでしたよ。いまだにサンリオグッズとか、可愛らしいもの好みだし。そういう趣旨を「勘違い」されたのは私の文章がダメで読み取れなかったからでしょうか…。ご自分の思い込みや勘違いを棚に上げないでいただきたい。
これ以上コメント欄というツールで、長文でやり合うのは異常なことです。他のフォロワーさんはみんなドン引きしてますよ。場所を移しましょう。
ツイッター=Xはやってらっしゃらないとのこと。私のブログへは、どこからいらしたのですか?とにかく、ここへの書き込みはもうやめましょう。他のフォロワーさんが怖がって来てくれなくなったら、私としては迷惑です。それはおわかりになりますよね?議論を続けられたいなら、方法を教えてください。そうでないなら、もういらっしゃらないでください。
チョウザメ
>一部には、女性の人権擁護にはあまり関心がないのにも関わらず「女性の保護」を盾にして、トランス排除にだけ熱心な人々が存在するので。

それってあなたの思い込みですよね。
何しろ「大多数の女性の意見」を「一部のフェミニストの過激な主張」と勘違いするあなたのことですから。
それに私が自分をラディカルフェミニストではないと言うのは「男はフェミニストにはなりえない」という私の信条によるものです。

>しかも生まれ持って来た性器によって区分けすることには、不合理性と少数者への残虐な排除を感じるのです。

事実を事実として告げない方がよほど残虐だと思いますが、。
だいたい精神が女とか精神が男とか何をもってそう言えるのですか?
私は子供の頃から少女マンガが大好きで魔法少女とかセーラームーンとかカードキャプターさくらとかプリキュアとかが大好きですけど好きなものと性別って関係ありますか?
ジエンダー(社会的性役割)は時代と場所によって変わりますがセックス(生物学的性別)は不変です。
それを意図的に混同して混乱させるのがトランス支持者です。
性自認はすでに海外で生物学者や医学者によって否定されていますが、それを金の力で押し通してしまうトランス主義は現代のルイセンコ学説ですよ。
ルイセンコ学説は当時の絶対権力者スターリンに気に入られて御用科学になりましたが、トランス主義も資本主義下の絶対権力者である金持ち達のお気に入りになっています。
反差別と言いながら実は金の奴隷なんですよ。
精神と身体の乖離に悩む人に必要なのは無責任で非科学的でメサイアコンプレックス旺盛なトランス支持者ではなく適切なカウンセリングが出来る医者です。

>誰に「呼ばれている」のか疑問なのですけれど。

トランス支持者から不当にそう呼ばれています。
もし私がツイッターをやってたら「ターフと呼ばれる私達」になっていたと思います。
三年くらい前はトランス主義に批判的なことを言うだけでトランス支持者からのネットリンチを受けて消えてしまう女性達が多くいましたが、「差別主義者と呼ばれるのが怖いから黙っている」時代が終わり「差別主義者と言われても構わないから女性達を守る」に変わっちゃったんですよねえ。
だからターフとか差別主義者とか言われても別にイヤじゃないです。(むしろ反差別と言う名の女性差別者にならなくて良かった)
やっぱり「言わなくてもいいこと」ってありますよね。

しかし「死神らーめん」って前々からあったんですか。
ドヤってすみません。
小倉さんの後輩に当たる伊藤美来さんと豊田萌絵さんのダブルヒロインの「声優ラジオのウラオモテ」というアニメが始まりますが先輩声優役で小倉さんと石原さんが出てくれないかなと思っております。
どうでこっちでは放送されないんでしょうけど。
angeloprotettoretoru
@チョウザメさま。
なので、セクシャルマイノリティの中から、そうした人々をひとしなみに排除することには反対です。もっとデリケートな扱いをして、個別の対応をするべきだと思うのです。
ちなみに話が戻りますが、チョウザメさんはフェミニズムそのものは支持されるのですよね?
一部には、女性の人権擁護にはあまり関心がないのにも関わらず「女性の保護」を盾にして、トランス排除にだけ熱心な人々が存在するので。つまりトランス拒否のフェミニストの言説に「フリーライド」して、ある少数派の人々を排除したいという、意識的もしくは無意識的な差別意識があるのです。そういう人々はTERFなどではなく、明確にTrans ExclusiomalistもしくはTransphobiaというカテゴリーに入れたい、差別主義者だと思っています。
チョウザメさんがそうではないと信じたいです。
なお、これ以上この問題について議論を続けたいとお思いなのでしたら、この場はふさわしくありませんので、私のXアカウントをお教えしますが...。
angeloprotettoretoru
@チョウザメさま。
次にトランス女性の件ですが...
一瞬、チョウザメさんはTERFだったのか、と思って腑に落ちかけたのですが...。TERFの人々にとってバトラーは「敵」であって、しかも敵の「ラスボス」なんて呼ばれていると聞き及ぶので。
ただ「ラディカルフェミニストではない」とお書きになっているので「?」となりました。
チョウザメさんの場合は「ラディカル」ではなくとも、フェミニストのお立場なのでしょうか?これまで「女性の権利」を護るという立場に立って、ご自分なりにフェミニズム的思考や言動を展開してきたのであれば、どこからがラディカルなのかは曖昧なのですから、第2波フェミニズムの分派としてのTERFを堂々と名乗られるのがよろしいかと思います。
それとも、後でお書きになっている「ターフと呼ばれる人々」のお仲間なのですか?この場合、誰に「呼ばれている」のか疑問なのですけれど。
TERFの人々というのは、バトラーら第3波フェミニズムの流れができてから、これと激しく対立してきましたね。
第2波の人々は、人のジェンダーは生まれた瞬間の性器的な問題による「セックス」がどちらかで最終的に決定し、それ以外は認められないという二元論を展開してきました。それに対してバトラーをはじめとする第3波の人々は、人間の性も、性指向も、そしてジェンダーも、二元論には還元できない複雑なもので、また時間の経過とともに変動もすることもある、可変的なものだと主張しています。私個人としては、中学の時、女性的な身体を持った男の子(おそらくは精神的にも女の子だったのでしょう)のクラスメイトがいましたし、妻の友人には私よりも高身長で体つきもたくましく、性器的には女性でありながら、性指向は女性相手であり、性自認も男性という人がいます。どちらのひとも同じように、性器と第二次性徴で出来上がった身体の、また精神との乖離に苦しんでいました。女の子の身体の男の子は、その後大人になって自死したという話でした。
そういう事例を身近に2件も知っているので、性の二元論、しかも生まれ持って来た性器によって区分けすることには、不合理性と少数者への残虐な排除を感じるのです。続けますね。
angeloprotettoretoru
@チョウザメさま。
長々と書いていただいて、なんとも...
とりあえず「死神ラーメン」のPVの件ですが、だいぶ前にアップされた動画のことでしょうか?
確かあのときはアニメ化するのか?という雰囲気もあったのですが、立ち消えになってしまいましたね。
新しくそういう動きが再燃しているのなら、注目に値します。原作の状況を考えると難しい気がするので、それほど期待してはいませんでしたけれど。
チョウザメ
ついでに
ジュディス・バトラーの「ジェンダー・トラブル」は、「ターフと呼ばれる人達」の間では結構有名なんです。
トランス支持者がやたら書名を掲げて押し付けてくるけど、内容に対しては誰も具体的に言及しないので、「トランス支持者のバイブル、だが読んだトランス支持者は一人もいない」と言われています。
「ターフと呼ばれる人達」の中の2人が読んだのですが「意図的に読者を混乱させたいのだと疑うレベルの悪文」だそうです。(ターフの言うことなんて聞かされても困るでしょうけど)
そういえばこの国に住むいわゆるラディカルフェミニストの中には「野良のフェミニスト」を自称する人達がいるのですが、その人達が使う言葉に「ふかソフェミニスト」{ふかソとはふかふかのソファの略語)というのがあって、「象牙の塔の中で市井の女性達の現実から乖離した言論を唱えるフェミニスト学者」という意味なのですが、私は「具体的に一体誰のことなんだ?」と思ってましたが答えが出てしまいました。
そんなことより小倉さんが「死神らーめん」というマンガのPVに出てますよ。
チョウザメ
続き
私が「LGBT運動」に名を借りた「トランス女性(身体男性)運動」を受け入れないのには三つの理由があります。
まず一番目
トランス支持者が女性の受ける性被害に恐ろしいまでに無関心で無責任であること。
れいわ新選組の女性議員が「自分は女と言えば男が女性用トイレに入れるなんて怖い」と心配した女性に対して笑いながら「お前が怖い、気にするな」と言い、その隣でトランス女性代議士がのけぞって手を叩きながら大笑いするという動画を見ました。
女性の心配を笑いものにするような人が支持する運動が全ての人を幸せにするでしょうか?
二番目は
トランス支持者の中には「売春合法化論者」「代理出産推進派」が多いこと。
ラディカルフェミニストによれば売春と代理出産の二つは「女体の資源化」だそうですが、要するに女性の身体を金に換えるということですね。
そういう亡八に支持される運動には賛成出来ません。
三番目は
トランス支持者の女性差別的言動および反対者や批判者への暴力の示唆
トランス主義を支持する反差別界隈のある人物とその取り巻きは「フェミナチ」という造語でフェミニストを攻撃し、風俗通いを自慢し、飲食店の女性店員の胸を無理矢理揉んだことを武勇伝気取りで話す有様。
アメリカだけではなく日本でもトランスパレードやトランスマーチでは「KILL」「Fuck」「Punch」と書かれたプラカードが掲げられる状態。
トランスパレードに寄せられたトランス支持者のツイート「ターフと反性売買フェミを踏みしだき」が彼らの本音を物語っています。
一部のはねっ帰りの暴走ならまだしも主催者が公認しているんです。
こういう言葉を使う人って反社あるいは「自分は無罪の被害者」と思い込んでる人ですよね?
以前「全ての差別に反対、と言ってる人ってだいたい女性差別してるよね」というツイートを見たのですがその通りです。
チョウザメ
昨日のコメント、自分で読んでみて何か腰が引けてるな、と思ったら私にターフ(トランス排除的ラディカルフェミニスト)と呼ばれる覚悟が出来ていないからでした。(男の私がラディカルフェミニストのはずは無いけど)
「LGBT運動」と言いながら実質「トランス女性(身体男性)運動」というのがまず大事です。

>ただ、一部のフェミニストが、トランスジェンダー女性排除の論理を過激に主張するのに対して…

トランスジェンダー女性排除の具体例が書かれていませんが「女性専用スペース(女子トイレ、女風呂等)に入るな!」「女性スポーツに参加するな!」ということでしょうか?
それならば過激(どこがどう過激かは分からないが)に主張するのが一部のフェミニストであっても、わざわざ言わないだけで一般の普通女性もそう思ってると考えるべきでは?
トランスジェンダー女性でも身体は男性である以上平均的な体力や体格は女性より上回っており、そんな力では叶わない相手が女性専用スペースに入ってくることは多大なストレスを女性に与えますし、女性スポーツに入ってくることは女性アスリートの成功体験、キャリア、奨学金を奪うことになります。(実際にそうなっています)
だったら一般の普通女性も拒否しますよね?
もしかしたら一般の普通女性がそういう意味のことを言ったから「一部のフェミニスト」のレッテルを貼られたのではないかと思ってしまいます。
戦争にレイプは付き物と言いますが男性器は生殖器であると同時に(女性に対しての)凶器であり、それを有する人間が女性が無防備になる場所に入ってくることに反対するだけで「一部のフェミニスト」呼ばわりされるなら女性の大部分が「一部のフェミニスト」になってしまいます。
まあ一般の普通女性が「魔女」呼ばわりされて火あぶりにされた時代もありましたが。
「排除」というのもネガティブな印象を与える文字ですが、それ自体がそんなに不当なものでしょうか?
私が近所に小学校に入ったら教員に排除されるでしょうがそれは不当なことではないですよね?
「何もしてないのに排除するのか?」と言われる方もおられますが、生徒が殺されるまで教員は何もせずに待っているわけにはいかないでしょう。
よく言われるのが「黒人差別が盛んな時代に黒人と白人のトイレは分けられていた、だから男女でトイレを分けるのは差別」。
違います、黒人と白人のトイレが一緒になったのは黒人の権利が向上したから、そして昔女性の地位が低い時代には男女のトイレは同じで女性は苦労させられましたが、その後の女性の地位向上で晴れて女性用トイレを勝ち取りました。
同列に並べてはいけません。
angeloprotettoretoru
@チョウザメさま。
コメントありがとうございます。
言わなくていいことなんてありませんよ。思っていることを言わないと、お互いに成長できませんし、議論からしか進歩は導けないのですから。
私としては、ネットでの検索で得られる知見から、あるテーマについての自分の総合的なスタンスを構築するのは極めて危険だと思います。検索エンジンではセンセーショナルな言説ほど上位に表示されますし、それこそ逆に資本をつぎ込んだ言説が目立つことを予期しなければなりません。その人の好みそうなものが、アルゴリズムで出てきますし。またそこにある情報は、校正も、客観的ファクトチェックもされていまさんから。
あるテーマについては、SNSや検索エンジンに頼るのではなくでなく、あくまでも専門の書籍またはその電子版をいくつも読み込んで判断を下し、基本的スタンスを確立するべきだと私は思います。
LGBT、トランス女性について、大資本の関与したキャンペーンが存在するとか、ソロスの出資が...とかいう情報によって、問題全体の印象を左右されるのは、一部の現象を拡大解釈した結果の誤謬ではないでしょうか。多くのセクマイの人々が周縁的な立場に追いやられて苦しんでいたり、自ら命を絶っていたりするのは確かですし、それは改められねばならないことです。そして、それに対して「カネ絡み」でなされている支援やキャンペーンの例など、ほんの一部です。そこからLGBT当事者や連帯者全体を色眼鏡で見るのには、疑問を感じざるを得ないです。
セクマイの人々にも、色々な立場の人がいるのは当然のことですよね。ヘテロセクシャルの人間にも、エリートやそうでない人がいます。当たり前です。知的職業で成功している人間だからどうとか、経済力があるセクマイからどうとかいうことで、発言すること自体に特別な判断を加えることや、その内容について特別な解釈をすることも、問題の本質の取り違えではないかと思いますが、どうでしょう?
そして、米国で起きている事と日本での状況の間には、天と地の差があります。米国での特殊な事情をもとに、日本の非常に遅れた人権状況の中で苦しんでいるセクマイの方たちの、足を引っ張るような考えはもたないで頂ければと存じます。
せっかくこういう機会ですから、セクシャルマイノリティについて述べている、専門書(書店の表の棚に並んでいる売らんかなのクズ本ではなく)を読んでみていただければと思います。
angeloprotettoretoru
@nerotch9055 さま。
コメントありがとうございます😊
本をほとんど破壊しながらでないと読めないというのは、結局読解力の不足のためで、そうしないと頭に入らないからですから、いいことなのかどうか微妙です(汗)。少なくとも、古本屋にはもう買って貰えないですよね(苦笑)。
日本人は80年近く戦争を経験していません。なので戦争で人を亡くすということも実感として理解出来ず、また戦争から生きて帰ったのに精神を病んでしまった人を知らないです。だからリアルでない、感情的で観念的な捉え方でしか、武力紛争を理解できないのです。おかげで、ミサイルへの対処法とか言って頭を押さえてしゃがみ込む滑稽な訓練をやったり、台湾有事は日本有事!とか不用意に発言して外交政策的なヘタを打ったりしてしまうのです。戦争はチンピラ同士の喧嘩や半グレ集団の抗争なんかとはレベルの違うものなのに、そういう感覚の捉え方しかできないし。なんとも気軽に「殺られる前にやる」ような話ができる事こそが「平和ボケ」なのですよ。
チョウザメ
実は私「LGBT」というヤツには懐疑的でして、今「LGBT 企業」で検索するといかに金が絡んでいるかを実感出来ます。
「LGBT運動」と言いながら実質「トランス女性(身体男性)運動」でそれを支持し資金を提供するのが欧米先進国(主にアメリカ)の強者男性(例 ジョージソロス)というのもますます私の疑念を深めます。
性的少数者と社会的弱者は必ずしも一致せず大企業や官庁でカミングアウト後も高給を得続けるトランス女性やゲイがいる一方で低収入で同性パートナーと一緒に暮らす夢が叶わないレズビアンもいるというのが現実です。(超一流大学で働くレズビアンなんて例外的存在)
高収入のゲイカップルに依頼された業者が低収入の女性に子供を産ませて売る「代理出産ビジネス」とかも日本のゲイのトランス運動家が推進していましたし。
やっぱりこの世は金を持ってる方が強いと痛感しました。
言わなくていいことを言ってすみません。
nerotch9055
こんばんは、バロリスタさん!
バロリスタさんが、ここまで推す本なら、相当凄そうです!
私が読んでも、理解できるか・・。
しかし、本の内容をしっかり噛み砕くために、傍線やメモを入れたりと
本と作者ともに、嬉しい読者のお一人ですね!
暴力には、暴力で対抗する!
今の日本は、まさにその状態ですよね。
しかも、下手すれば「相手が先に手を出すかも」という、理由のわからない
恐怖に怯えているように思えます。
それこそ、さらに相手側には脅威ととられ、さらなる軍備増強に繋がる・・。
負の連鎖ですよね。
今回の本は、とても興味を持ちました!
私も、読んでみたいと思います。

※息子さん、リモートではなく講義に実際受講して「議論」をしないと
いけない、というのは流石だなあ、と思いました。
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