「まいごの天使とちょっとドジな魔法使い」★yokoっち★

いつの間にかドジママ日記に?!子育てで疲れた時はここで一休みしてね。まずはカテゴリーの「はじめに」をご覧ください。

節分

2006年01月31日 | Weblog
「おには外、福はうち」もうすぐ節分ですね。
ウチの小僧たち、「鬼なんか出て行け~」という気もちはわかるんだけど、
力余りすぎて住宅の下を通行している人のところまで投げてしまいます。
毎年すみません。

そして締めくくりは私に豆をぶつけます。
思いっきり大声で「オニハソトオオオーー」
なんでーー?お面かぶっていないのに・・・
負けずに反撃開始!!
いつのまにか豆合戦になっています。



お金は魔物

2006年01月26日 | 子供
私はお金は魔物だとずっと感じていた。
お金に心を奪われると人格までも変わってしまうのだ。
お金さえあればいい。お金で物を言わせる。
欲がからんで心の目がみえなくなってしまう。
身近にそのような人がいた。
いつも何かに飢えているようだった。
その人の台詞はいつも決まって「正直者はバカをみる」といっていた。
自分の欲望にまかせ、正直者は犠牲になって悲しんだ。
その人はお金を求めているうちにお金に人生を握られているように映った。

子ども達にいつも言っている。
「お金は追いかけるのではなくて、ついてくるもの。お金のことを忘れるくらい忙しく働いていれば、気がつくとお金が回ってきてくれる。お金に振り回されないようにしなさい。楽して得たものは、すぐ消えるようになっているんだよ。」
お金を大事にするのは大切だけど、汗を流して得ないと価値がないと私は思っている。

朝日新聞の特集で「12歳」を連載していた。
1月6日の記事がずっとひっかかっていた。

「ホリエモンいつか私も」という題である。ここに内容を要約してのせる。
小学6年生。始業式を休んで、東京証券取引所へ行く。証券会社主催の「株のがっこう」の受講日であった。この受講応募率は22倍。小中学生の口座が増えている。夜は親が一緒にネット株の購入を手ほどきし、子どもが自分の口座から株を買う。親は「学資保険代わり」「子どもに経済の仕組みを覚えさせる」と言う。子どもはノートに「今日のもうけ」をつけている。株主の小学生は「将来はホリエモン」になりたいと言うのである。

そんな矢先のライブドア事件。法の合間をくぐって膨大な資金を一夜にして手に入れる手法に検察が入った。結果社長以下役員数名は逮捕。

新聞に登場した親は子どもはどう思っているのだろう。

この敏感な年頃の子どもにもっと人として生きて行く上でなぜお金が必要なのか、なぜ働くのか根本的なところから話してほしい。
Enterを押したらお金ができると教えないでほしい。

親御さんたちは私と同じくらいの年代なのに心の話が抜けている。
どうも感性が違うのである。
このごろそのような話をあちこちで耳にして切に感じている。
心の話をしてもらえなかった子ども達が大人になり、ホリエモンだらけだったら?
冷たくて寂しい悲しい世の中になってしまうのだろうか?



ぼくってへん?

2006年01月20日 | 子供
次男は4歳頃いきなり「胎児記憶」を話し出しました。
始まりは一人で積み木遊びをしながら突然「○○○○」とある名前をいいだしたからです。
次男によると「ボクがママのおなかの中にいたときにいつもパパがこの名前言っていたよね」
いいえ、違うのです。職場の男性が勝手に名前を付けておなかの子どもに向かって「○○○○ちゃんおはよう」と毎朝ごあいさつをしていたのです。つまり毎日男の人の声を聞いていて、次男は「パパだ」と思っていたのでした。
「それからそれから?」と聞くと、
「おなかの中が暑くってけっとばしたりパンチしちゃったんだ。いたかった?ごめんね」
「こんにちわの格好をしてゴロリンとして出たら急に寒くってさあ。すごいまぶしいの」
次男の記憶の話はそこで終わりです。何も予備知識とかそのような関連のテレビを見たことはなかったので、「胎児記憶」だと思います。

ある研究者によると出産の時、産道を通りながらあるホルモンが含まれた分泌物を大量に浴びて「胎児記憶」は消えて(消されて)生まれると言っています。帝王切開とか何かの影響でホルモンを浴びないか少なかった場合の時に記憶が消せなかったと言います。

そういえば、次男は出産直前に点滴に促進剤を投与され、急激に産気づいたという経過があるので、そうかもしれません。
そういえば新生児以降のことは覚えていません。

数年して、もう一度「胎児記憶」を聞いてみたけれど、「知らないよ」と言ったので記憶は消えちゃったんだなと思っていました。

実は17歳の今にしてまた「胎児記憶」がよみがえってきたのです。
でも今回の記憶は前回のような言葉とかどんな仕草をしたという記憶ではないようです。

始まりは「これを言うと皆が「変だ」って笑うんだけど。でもほんとにそうなんだけど」と言い出したのです
彼が言うには
「自分は昔たくさん人を斬ってしまい、たくさん恨まれて、森の中で寂しく生涯を終えてしまったんだ。
気がつくとひろいピンク色の部屋にいて隣にもう一人自分より少し大きい子がいてね、ある日「じゃあ先に行っているからね」と大きい子がそう言ってどこかへ出掛けようとしていたんだよ。
「えーなんで行っちゃうの?待ってよーー」と呼び止めたんだけど、大きい子は自分を残してそのまま「さあーっ」とどこかに行っちゃって、自分はそれからひとり寂しく寝ちゃったんだ。

気がつくとまたそのピンクの部屋に一人でいたんだよ。
目はつむっているんだけど周りがピンク色しているのだけ分かったよ。
水の中でどうやって息をしていたかはわからないのだけど息はちゃんとできるんだ。
そして外に出た時になんかとっても寂しいような悲しいような気分だったんだよね。」
というのです。「そうしてオレがここにいるのさ。」ですって。

彼の言うにはたぶん人を斬るというのはさむらいだろう。
広いお部屋のとなりにいた子はたぶんおにいちゃんだろう。
ピンク色の部屋はたぶん母親の胎内だろう。
ということを一応そこははっきりわからないから想像上なんだけどと付け加えていいました。
それって胎児より遡っちゃっているじゃない。前世がわかっちゃったの?すごいんだけど。
彼は不思議な体験として、幼児の頃によく女性のがいこつをみたそうです。
「なんで女性なの?」
と聞くと「なんとなく、しぐさとか?」といいます。
それを見なくなったころに「胎児記憶」も消えたのではないかと話します。

「「胎児記憶」がよみがえったから、またがいこつ見えちゃうのかな?オレそういうのビビリなのよ」なんて言っていました。

「テレビにでている江原さん(霊のメッセージがわかるので有名、スピチュアリズムに関する本が人気)に見て欲しいよ。マジマジ」とビビッています。

前世なんて話は半信半疑でよくわからないのですが、「変じゃないよ。そういうのあるって聞くし、へーえ本当にあるんだね。おもしろーい。変じゃない、変じゃない」と励ましているというより楽しんでいる母でした。

おねむの一年生

2006年01月17日 | 子供
バスの中での出来事。
駅のバス停に某私立小学校の男の子がいました。
隣にいたオバちゃんに「ボク何年生」「どこまで乗るの」なんてやりとりしていました。

たいそうお行儀のよろしいお坊ちゃまで、オバちゃんに敬語でお答えして、「いい子だねえ」とか「かわいいから声かけてごめんね」なんていわれると「はい。ありがとうございます。」とお礼まで言います。

この子は1年生なんだそうで、朝7時にバスに乗って学校へいくのだそうで、帰りは6つ目あたりのバス停で降りるのだと話をしていました。

私は「なんかよそよそしい感じ、こういうの慣れているんだろうな。お受験でかなり鍛えられているな」なんてちょっと皮肉っぽく見ていました。

私はその子供の前に座りました。
いつものことなんですが、私はバスで本を読んでいるうちに目が疲れて車内の暖房も加担してお休みタイムになります。降りるのは終点なので運転手さんに起されることもしばしあります。

今日は熟睡したのか、終点よりも前で目が覚めました。
「あー今どこだ?」「終点はまだまだ先だ」と何気なく後ろを振り返ると子供も寝ているではありませんか。
「へ?今どこだ?この子の降りるバス停は???」頭が回らないのでしばらく考えていて、「あーーー過ぎている」と気がつきました。
「ねーねー。バス停過ぎているよ」トントンして起してみました。
ちかくにいた方も「ボクー、ボクー」とユサユサして起します。
私とその方で何度もやってみました。
ダメです。完全に熟睡しています。

それから私は自分の子にするのと同じように(ウチの子もなかなか起きないので)「ほら、起きなさい。はい。起きて」といってグイっと体を引き起こしました。
まだポヤーンとして、夢の中にいるその子に「今、どこ走っているかわかる?外見てごらん。ボクの降りるバス停が過ぎちゃったよ。ほら、一緒に終点まで行ってそこから乗り換えようね(上り線のバス停と下り線バス停がかなり離れていて知らないバス停だと分かりづらいのです)」とどんどん話しかけ夢の世界から引き戻しました。

その子はそれから4つほどバス停を進んだ頃に正気が戻ってきました。
「ねー川みてごらん。ここに蟹がいるんだよ。今日はいるかなあ?次が終点だからね。寝ちゃダメよ」ともう寝ないようにと絶えず話しかけました。

近くにいた方が「この子いつもそうなのよ」
「運転手さんも困って、しかたなく終点まで乗せちゃうみたいよ」
「終点で起すのも大変らしいわよ」
「たまにお客さんが抱きかかえて起したりしているけれどね」
そりゃそうだろうなあ。まだ6歳か7歳で7時に家をでてバスに乗っていくんだもの。
バスは気もちいいものねえ

だけどね、これがたまの話ならわかるけどいつもとなると問題ではないのでしょうか。
多くの見知らぬ人と関わるのと迷惑をかけるのとは違うような気がするのです。
それ以前に子供がいつも寝てしまうのなら対応をしてあげるのが親の愛情であり責任のようにも思うのです。

やっと終点に着きました。
案の定その子は別の方向へ歩き出しました。
「こっちこっち」と乗り場へ連れて行きました。
このバス停は車庫からの始発なので、たくさんの系統が出て行きます。
乗るバスを間違えると全くちがう方向へ行ってしまうので、その子が乗るまで一緒に待つことにしました。

話しかけるとやっぱり敬語。よくできたお坊ちゃんです。
「ママはお仕事でお留守なの?」
「いいえ、だいたいうちにいると思います。」
「ずいぶん遅くなっちゃね」
「ここは遠いから仕方ないです。」
「じゃあ遅くなると心配しているかもよ。携帯貸してあげるから、電話いれたら?」
「いいえ、大丈夫です。いつも寝ちゃうから」
「じゃあさ、いつも同じ時間のバスに乗るなら、駅のバス停でママと待ち合わせした方がいいんじゃないかなー?」(駅からその子の降りるバス停はバスで10分しか離れていなんだもの。自転車でも行けるし)
「・・・・・」

何台か違う方向のバスを見送ってその子の乗るバスがようやく来ました。
「気をつけてねバイバ~イ」と手を振るとその子はご丁寧な会釈をしてバスに乗りました。
大変よくできたお坊ちゃんでした。

まだその年齢だと不安とか心細さでいっぱいだろうになあ。
「小学生なんだから自分でなんとかしなさい」といきなり突き放すのも家庭の方針かもしれないのでしょうが親の勝手な解釈のような気がします。
お坊ちゃまは子供らしく大きくなるでしょうか?


ある日の出来事

2006年01月14日 | 子供
駅のホームで電車を待っていた時に、背後から荒々しい声が聞こえてきた。
若い男性が携帯電話で電話の相手に向かって怒って怒鳴っていたのである。
男性は既婚者で、仕事が終わって帰宅途中であり、相手は妻で外出先からの応答のようだ。
「こっちは働いているのに飯も作らないで、何ぶらぶらしているんだ。お前は何様のつもりだ?え?誰が働いて稼いだ金で遊んでいるんだ。帰ったら子供の前でパンチしてお前の鼻を潰してぼこぼこに蹴ってやる。それも○○(子供の名前)の見ているところでやるからな。子供の前でやるのがおもしれえんだ。」と言っていたのである。

私が言われたのではないのだが、大変恐ろしく腹ただしく感じたのである。足はガタガタ震えて、頭に血が昇ってクラクラしてきた。これってドメスティック・バイオレンス?

電車に乗り込むとき「なんてひどいの。最低な人」と言うのをぐっと我慢した。
しかし、それ以上のことは何もできないのである。
暴力に苦しむ女性。目の前で見せ付けられて子供の心に深く傷がついていつまでも悲しみや傷が残ることを考えるといたたまれない。
傷ついた子供はどのように成長していくのだろうか?

DVに関するホームページには次の内容が書いてあった。
「暴力を目撃したことによって、子どもに様々な心身の症状が表れることもあります。また、暴力を目撃しながら育った子どもは、自分が育った家庭での人間関係のパターンから、感情表現や問題解決の手段として暴力を用いることを学習することもあります。」
http://www.gender.go.jp/e-vaw/dvexp/dv05.htm「ドメスティク・バイオレンスー子供に与える影響」

普段ならこの考えをめぐらして自分の力なさを嘆いてしまうのだが、このとき私が頭の中で大きな声で言った言葉が「魔法が使いたい」であった。
これには自分が驚いた。今まで考えもしなかった言葉だ。
最近ファンタジーの本をむさぼり読んでいた影響らしい。

じゃあどうやってこの問題を解決する???。
小さな虫になる。透明になって後をつける。あっこちゃんのコンパクトで変身してみるか?
頭の中はどうやって魔法を使ってこの男性をやっつけようか、改心させようかなど色々なことが渦巻いた。

そして決まった。「時間を戻す。」単純に1日だけ戻してこの場は凌いでも男性のゆがんだ心がある限りいつかは起きることである。
この男性の心がゆがんだ背景があるはずなのである。

多感な時に何かの影響を受けてしまった結果ではないかと想像できるのである。
もし魔法が使えるのなら、この男性の多感な時代まで遡りファンタジーを読み聞かせをしてあげたいと思った。
ファンタジーに登場する自己中心的な登場人物が物語の中で大切な役割を果たしているかを知ったからである。

ファンタジーの魔法で自己中心的な考えに嫌悪感を抱き、自己中心的な行動は醜い、心が貧しい、心が寂しいと気がついて欲しい。
協調性や豊かな心の真意を見出してほしいと願う。

多感な子供だからこそ受け止められる事がある。
自分以外へ関心を抱ける心の豊かさを抱いて欲しい。
寂しさの隙間を埋めてくれるような暖かさを感じて欲しい。
言いようのない焦りや不安を払いのけて、生きていることに喜びを感じて欲しい。

なぜかわからないが何かに当たりたくなるようなむなしい心。ゆがみが蓄積されて心が渇いているのではないだろうか?
そんな渇きを潤してくれる要素がファンタジーにはたくさん詰まっているように思う。
当然ファンタジーだけでは偏りすぎなのだが、きっかけづくりには充分であるように思う。

子供の心にたくさんファンタジーを注いであげ、充実感や達成感を満たしてあげることが必要である。
ファンタジーは私の考えの幅を広げてくれ、視野を開いてくれた。今後子供の支援への考え方や行動によい影響を与えてくれるであろう。

ファンタジー的に考えるのなら、駅での出来事の巡り合わせもこれらのことを気づかせてくれるための魔法であったのかもしれない。夢の中の事であって、実在しないでほしいと祈るような気持ちである。

速読

2006年01月10日 | 幼児教育
速読はご存知、文章を早く読むことですがこればかりは訓練をしなくてはいけません。

右脳が開き本をはらはらとめくりながら読んでいるシーンを見る場合もありますが、これは文字を映像として捕らえ瞬時に頭の中に写せる「特殊能力」でここまで行き着くのは稀だと思っています。

絵のカードを読みあげずにフラッシュして見せ、何枚まで記憶できるかによって速読の能力をある程度までは上げることはできるでしょう。

おそらく何度か行ううちに頭の中に残像がはっきり残って「見える」ようになったら速読の期待ありです。
それから文字に移行するといいでしょう。

さて、こんなえらそうなことを言っている私は全く残像が残りません。
きれいさっぱり真っ白です。
白でも色が出ればいい方ですけど、無って感じです。

そんな私は大学の科目で、数十冊の児童文学を読んでレポートを書かなくてはならなくなりました。

そこで、ある準備をしました。それもお仕事中にです。
何をしたかといいますと、整理している本を(それも報告書というもので、字ばっかりの考古学の内容の本です)全て読みました。たぶん200冊くらい・・・
当然専門書なので、意味は全くわかりません。
しかし、ひたすら読んだのです。じっくりではなく斜め読みという文字を追うだけの作業をしました。

すると、「○○の図や説明が書いてある本ってある?」
という質問に「あーーどこかで見ましたよ。たしか白い表紙で、2センチくらいの厚さの本かな?一週間くらい前に登録していると思いますから探してみます」
という返答をして、本を見つけました。ほとんどイメージ通りで、自分が驚いてしまいました。
というようにイメージや印象がうっすら残っているのです。

いよいよレポートのための本を読み始めました。
すると、いままであまりに内容がちんぷんかんぷんのものだったので、ストーリーのある本が速く面白く読めるのです。そして強烈な余韻に浸ってしまいます。
ほぼ毎日夜に2-3時間内に1冊読み、冬休みは1日に3冊はいけました。

とうとう昨日で物語は19冊に。
参考文献は23冊読みました。参考文献は練習した斜め読みで、「キーワード」を探してから、その「キーワード」の章をじっくり読む方法をとったので冊数が多いです。

生まれて初めて1ヶ月でこんなに本を読みました。
すっかり頭の中が物語りの世界に占領されています。最近は特にファンタジーな頭です。
あ・・・でも文章を作り上げる練習をしていません。
レポートに行き着くのはいつになることでしょう???


トランプの効果

2006年01月06日 | 幼児教育
暖かい部屋で家族で遊ぼうの第2弾です。(いつからこんな題がついたの?)

トランプは数字と親しくなれる優れた遊びだと思います。
「7並べ」は数字の順番が覚えられる。
「ババ抜き」は同じ数字を認識する。
「51」は足し算。
「大富豪」は数の大小。
このくらいの遊びでしたら、幼稚園くらいからでもできるようになるのではないでしょうか?

ちょっと工夫すれば、ドッツトランプが簡単にできます。

トランプの「エース」から「10」までを用意します。
数字を消してしまいます。
これだと「ババ抜き」もかなりむずかしくなります。
でも、簡単な「7並べ」や「ババ抜き」や「神経衰弱」の方がより効果が抜群です。

最初は「1.2.3.・・・」数えてしまうかもしれません。
それでもOKです。

少し話がそれてしまいますが、個数を認識することはとても大事なのです。これを「1対1対応」といいます。
数字が読めたり、100まで言えても、「○を7個並べてね」と言っても並べられなかったりすることがあります。
「1対1対応」ができないと足し算や引き算で苦労します。特に繰り上がり、繰り下がりになってくると「なんでわからないのよ」とママがパニックになるようです。
もし、小学校低学年で計算につまづいたときは「1対1対応」をやってみてください。

慣れてきたら、一目でトランプのマークの個数を判別できるようになるでしょうか?

ちなみに私もやってみました。
・・・・7以降になるとぜんぜんわかりません。いかに数字にたよっているかがわかりました。
どうぞお試しください。

注意:トランプはドッツ遊び専用に100円均一とかで入手したものを使用した方がいいと思います。
我が家は「J~K」を混ぜて普通のトランプ遊びをやろうとしたら、マークばかりで困ってしまいました。



カルタあそび

2006年01月05日 | 幼児教育
今年はなんて寒いのでしょう。
今朝ラジオで「12月の平均気温が戦後最も最低です。」なんて言っていました。
余計寒くなってしまいました。
年末から昨日まで風邪をひいていました。やっと復活です。

こんな寒い日には暖かいお部屋でカルタ遊びが楽しいですよね。
小さいお子さんならフラッシュカードを広げて即席カルタをしても楽しいですよ。
カードを広げてママがカードの名前を言う。
お子さんが探して取る。
きっと「やった!とれた!」って大喜びするでしょう。

カルタは速読の練習になるのです。
集中して目を凝らして取り札を探す時、目は上下左右ぐるぐる動かして文字や絵を探しているでしょう。

速読の準備運動は目の筋肉を上下左右、ジグザグ、回転させるのです。
その時のコツは目だけ動かすのがいいんですって。

よくチロッと狙い札を定める時に目だけ動かしているでしょう。あれです。

文字に親しむきっかけになるのもカルタ取りからだったりします。
文字を覚えたり、読み札を暗記したりとスポンジのように知識を吸収していきます。
子供は遊びながら学ぶのだなとつくづく感じます。

頭文字を取るカルタがやさしくて物足りなくなってきたら、なぞなぞカルタのように答えが取り札になっているのはどうでしょう。

小学生くらいになったら百人一首を10枚くらいからはじめてもいいですよね。
最初は絵札と取り札の神経衰弱みたいにして遊んで、絵札のイメージを入れた方が楽しいかもしれません。

毎日何回も付き合うのは大変ですが、「今日はとことん付き合うよ」と決めた日は思いっきり付き合うのもいいですよね。
読み手は口が疲れるし、時間がかかるし、兄弟がけんかしたりと大変ですが、ママやパパや兄弟と一緒で一番楽しいと感じるひと時。
テレビの音が消えて、皆の笑い声でにぎやかなのっていいな。
子供はこんな時間をいつまでも心に残していたりするものです。

皆さんも風邪を引かないようにしてくださいね。