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奉仕とは

2007-09-10 00:31:09 | 初めての人は、ここから読め

奉仕とは

 

してあげるものでもなく、

 

 

させられるものでもない。

 

 

 

させていただくものである。

 

 

そして、国へのご奉仕。これが究極の奉仕である。

 

今日現在、日本国への最高の奉仕者は誰か?

 

それは、靖國神社に鎮まる英霊の方々である。

 

彼らはこの国の最高の奉仕者である。ご自分の命と引き換えに日本を守るという最高の奉仕をなさったからだ。だから彼らを英霊(英(ひい)でた霊)とお呼びするのだ。

 

ということは、現代に生きる我々子孫は英霊のお陰で今日まで生き長らえ、喜びも悲しみも衣食住も享受できていることになる。畢竟、靖國神社、護国神社に鎮まる英霊の御霊(みたま)、ひいては靖國神社および護国神社そのものに最敬礼を払わなければならない。それができない人間は、日本人たる資格がない!!

 

我々は靖國神社をお守りしなければならない。これが「後に続く」を信じて戦ってくださった英霊への恩返しである。無宗教の国立追悼施設なるものの完成は、日本人がこの世の中から消滅することを意味する。

 

靖國神社へお参りしたことがありますか?遠方からは中々難しいですが、ぜひとも参拝していただきたい。全国に52箇所ある護国神社へ参拝したことはありますか?護国神社には、その土地土地に縁にあるご祭神をお祀りしております。すぐに靖國神社は無理でも護国神社へは参拝できるのではありませんか?ちょっと時間を取れば。

 

ただ、参拝したことがある方にも少々苦言を呈したい。このようなブログを真摯にお読みになる憂国の志士の方々だからこそ敢えて申し上げたいのだが、皆さんはどのようなお気持ちで参拝されましたか。神妙な面持ちで、上記のような意識で、境内に入りましたか?英霊への感謝の心を持って鳥居をくぐりましたか?境内でぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋ってる場合じゃないんですわ!!手をつないでルンルン♪と鳥居をくぐるのはキチガイだ!!神妙になれ!敬虔になれ!!

 

「政教分離」規定が歪曲して解釈されているため、日本全国の神社には一切国から補助(金)が出ない。神社の運営はすべて民間の浄財で賄われている(細かいツッコミは不要です。知ってますから)。靖國神社、護国神社、然りである。憲法9条や教育基本法改正も大事だが、憲法20条の「政教分離」規定は喫緊の問題である。つまり、これからは日本の人口は確実に減少していく。そして、数十年後、靖國神社、護国神社に静まる英霊にとっての直接の親族の方が“一人もいなくなる”という時代を迎えることになるのだ。

 

そのときは確実にやってくる。数十年後(いや、数年後)ご英霊の直接の親族の方がいらっしゃらなくなったとき、果たして靖国神社、護国神社は誰が守るのか。誰が参拝するのか。誰が慰霊をするのか。誰が支えるのか。

 

答えは簡単。そう!我々日本人がお守りし、参拝し、慰霊し、支えるのだ!!このときこそまさに、我々日本人が真価を発揮するときなのだ。英霊にはご安心いただきたい。そして安らかにお眠り下さい、と言いたい。

 

では、具体的にどうやって支えるのか?

 

靖國神社側は、「靖國神社崇敬奉賛会」に入会して、会費を納入し、英霊のご威徳を偲び、「やすくにの祈り」ともに未来へ、とのご要望をお持ちである。そう。答え(の1つ)は「靖國神社崇敬奉賛会」に入会することだ。 具体的に何かの活動する必要はない。興味のある行事には参加すればいいと思うが、その他運営などに関わる必要はまったくない。入会することが靖國神社を支えることになるのだから。

 

しかし、靖国神社を支える国民は減少の一途を辿っている。日本国民一億数千万人のうち、「靖国神社崇敬奉賛会」に入会し、靖國神社を具体的に支えている人の数は7万5千人。なんと、1700人に一人しか「靖國神社崇敬奉賛会」に入会していないのだ。これだけ、靖國神社への意識を向けている国民が少ないということだ。さらに問題なのは、会員7万5千人のうち、60歳以上が多数を占めるという事実。これでは早晩靖國神社は解散を余儀なくされてします。

 

おそらく、靖國神社崇敬奉賛会の存在を知らない人が多いのではないか。入会することの意義がよく分かっていないのではないか。私もそうでした。しかし皆さん!これからは意識を靖國神社へ向けようではありませんか。護国神社へ向けようではありませんか。靖國神社を守り通すのだ!という気概を持ちましょう。現在様々な団体が「日本のために」「日本をよりよい国に」「日本を普通(?)の国に」との理念を掲げ活動しているようだが、「日本のために、日本をよりよい国に、日本を普通の国」にするためには、靖國神社への敬意が必要なのだ。内輪の人間だけが分かっていてもダメ。全国民が分かるようにならないと。靖國神社は日本人にとっての支柱である。その支柱が今ぼろぼろに腐って折れてしまいそうになっている。その支柱をみんなで支えようではないか。靖國という土台があって、はじめてそれぞれの「会」の意味が出てくる。このようにして、みんなで支柱を支えよう。これが一人一人、日本人が日本人としてこの世にある基盤となる。

だって、英霊は「靖國で会おう!」と仰り、散華されたのだから。

 

内輪の仲間だけで掲示板に書き込みをし合っているだけでは、日本は変わらない。掲示板、mixi、ブログなどもオープンにしなければ、くその役にもたたない。勉強会を行うのも結構だが、英霊のための勉強会ではなく、自分のための勉強会になっていないか?(こんなことまで知ってるねんぞー。お前ら知らんやろ。こんな偉い人と知り合いになったんやぞ。おもしろかったな(との感想で止まる)など)自己研鑽は必要だが、自己研鑽が目的になっていないか?こういう会に入会して活動している自分が立派に見えているのではないか?今年の正月に初詣に出かけましたか?ご近所に神社はありませんか?参拝してますか?産土様は?氏神様は?鳥居で頭(こうべ)を垂れますか?様々な事情はあるだろうが、日本の伝統を破壊しているのは、まさに君自身ではないのか?気づいたら行動することだ。実行することだ。日本のためにできることを、少しずつでも行っていこう。

 

大阪に居る者は、大阪護国神社崇敬会にも入会すべきである。大阪で生き、大阪で生活させていただいているのだから、大阪に縁のある英霊に感謝の誠を捧げる意味でも入会すべきである。もちろん、今は大阪で生活しているが故郷があるのであれば、故郷の護国神社の崇敬会(あれば)に入会すべきだろう。まさか、故郷の護国神社に参拝したことがない、なんてことはあるまいな。そうやって、それぞれがパトリの精神を持ち、日本のことを思い生きていく世の中になれば、これこそまさに「美しい国」(死語)ではないか。そのような国を目指したい。

 

ルネ・デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という有名な台詞を残した。一神教の西洋人にとってはこの感覚で正解だろう。「われが思ってるんやから、われがあるのは当たり前やんけ!のう!神様よ」と。しかし、八百万の神々を戴く神国日本人には、このように考える素養はない。お天道様は、西洋一神教の神とは訳が違う。西洋では悪魔がいるが、日本には悪魔は存在せず、悪神(怨霊) が存在するのだ。その悪神(怨霊)を慰めるために祈祷をし、神として崇める。何でも神になる日本。いうなれば、その辺にころがっている石ころにも魂がある、と時には考える。このような心性を持った日本人には「我が命は鴻毛より軽し」と仰り、特攻へ出撃された偉大な“先輩”が存在する。そのような“先輩”の存在は、我々に次のことを教えて下さる。我々は自ら積極的に生きているのではなく、誰かのために、あるいは誰かによって「生かされている」のだと。だから日本人にとっては「我が思う」から「我があ」るのではなく、「我が思うあなたがいる、ゆえに我あり」なのだろう。

 

岡倉天心は日本民族を評して「ふしぎな天性」と言った。我々は古いものを失うことなく新たなものを手に入れる民族なのだ。ゆえに天心は日本を「アジア文明の博物館」と称した。しかし、今日本で価値を見出されているものといえば、西洋化されたもの、あるいはアメリカ化したものだ(田島陽子はイギリスかスウェーデン化やなw池田大作センセイはシナ化やなwww)。「我思う、ゆえに我あり」がすんなりと理解できる人は、アメリカナイズされているのかもしれない・・・(わしは昔からデカルトを批判しています。自分の実力や知性は棚に上げてデカルトは間違っていると言って来ました。昨日・今日言い始めたことではありません!!

 

アメリカナイズされていようが、田島・本多・筑紫ナイズされていようが、気づいたときに行動を起こせばいい。そう。ここに集う多くの方は気づいた(あるいは気づいていた)方々ばかりです。あとは頭だけでなく、実際に行動しましょう。なんせ、英霊の親族の方々にとっては時間がないもんですから。

 

そして、他者を思う気持ち。相手の身になるという感覚。復活させましょう。たとえば、北朝鮮に拉致された同胞に対する気持ち。理屈を述べて分かっている振りをする人は多いが、そんな理屈を述べただけでは拉致された同胞は返ってこない(だから、「振り」やと思うんですわ)。同胞が拉致されたまま、楽しい宴会をしていいのか?どんちゃん騒ぎをしていいのか(「横田めぐみさんが日本の安全を守っている」という内容の記事をどこかで書いたが、探すの邪魔くっさいんで、勝手に探して読んでください)?多少、後ろめたい気持ちで宴会しようよ。所詮他人ごと、という人が今の日本には多いと思うので、それを我々が率先して変えていかねばならない(難しいね。。。)。

 

その他者を思う気持ちが昔の日本人にはあった。その象徴(「その」は「他者を思う気持ち」を指します。英霊がまさに「他者を思い」ながら散華されたまさに実行者だから)、つまり日本人の象徴が靖國神社である。靖國神社を守れ!

 

そして、日本人は我々で終わるのではない。これからも未来永劫続々と日本人が生まれてくる。今まで生きた日本人、今生きている日本人、これからうまれてくる日本人。すべての日本人に靖國の祈りを伝えよう。

 


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3 コメント

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ししく (べしみぼー)
2007-09-10 21:53:18
うわー、獅子吼されましたね

なお、わたくしはさながら、欲令衆の多寶如来様のように「善哉、善哉(中略)是の如し、是の如し(中略)所説の如きは皆是れ眞實なり」と歎て(ほめて)のたまいたいくらいであります!

入会をして財務をしまくる・・・と書くと、センセイの会になってしまいますが

とにかく、本当に、国民が皆で支えないといけませんね。
返信する
36 (インドちゃん)
2007-09-11 22:33:10
出だしは某ローソン御曹司のパクリですがwww
返信する
お人形さんのお名前 (べしみぼー)
2007-09-12 23:09:05
本日9月12日は、大聖人様の龍ノ口ご法難の日であります。

当然。新聞紙上に於いても、「社説」にて言及されていましたがw

それはさておき、かのセンセイが手ずからお書きあそばされてwいると云う、連載新聞小説にて。

若き日の山本伸一青年がソ連のモスクワの児童施設を訪問した際のこと。
先方から、お金の、もとえ、訪問のお礼として可愛らしい人形が贈られました。
その時、ただ者ではない、山本青年は、”想定外”の質問をします。

「ところで、このお人形には名前がありますか?」
「いいえ。」

すると、山本伸一青年は、後年の”桂冠詩人”を彷彿とさせるネーミングの冴えを発揮致します。

「それでは・・・この人形を・・・




『モス子』と名づけましょう!」



もう、「笑いの神、降臨」どころじゃなくて、「笑いの久遠実乗の釈迦牟尼世尊、降臨」ですね。

・・・ちゅーことは、もし、北京でお人形をもらったら、「ぺー子」。
平壌でお人形をもらったら「ピョン子」。
ってことになりますね。

・・・ううう、明日の新聞が楽しみでつね。

(追伸)
安倍さんなんか、もうどうでもいいや・・・
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