年末年始のご挨拶はきちんとしたので、そんなには更新頻度を気にしてはいなかったのですが、気づけば9日更新していませんでした…。なるべく1週間以内に更新しようと思ってはいるんですが、用事が立て込んでくるとそうもいかないのが難しいところですね。
さて、ちょっと気になることがあるんですよね。
「このような学習態度・習慣では当方への入塾をお断りすることがあります」。というブログをたまに見ます。まあね、気持ちは分かりますよ。そりゃ地頭が良くて、素直で従順で…。そんな生徒だけを受け入れていけば、確実に生徒の成績は向上していきます。
★ 勉強に向き合う姿勢ができていなければ預かれない。そういう心の指導は小学生のうちからしたいなあ…
だから、ある程度うちの教室に合う状態の生徒でないと、と思うので今後は受け入れをご紹介に限定します。
と書いてある方の記事を見ました。学習塾であるのに、自分の思い通りにならない生徒は受け入れないんですって!
私はそろばんの先生です。でも、生徒たちにきちんと将来を生き抜く力をつけてほしいと思います。怠ける心に打ち勝つ力(克己心)、しんどい状況から逃げない力(忍耐力)、毎日の課題をサボらずにこなすこと(継続力)…。そろばんの授業を通してあらゆることがらを身に付けてほしい。だから授業中はもちろん、日々の会話の中にもいろいろな想いをちりばめています。
ご挨拶の声や、私と目が会ったときの態度、あるいはお友達との会話の声色や視線なんかで子供たちの異変に気づくことが良くあります。そんなときに信頼関係が出来ていれば声をかけますし、まだだなあと思える生徒にはそれとなくジャブを繰り出します。そうして「先生なら大丈夫」と思ってもらえる関係を作り上げて、始めてしんどい課題でもこちらを信じてついてきてくれるようになるんですね。(ただ、私が勝手に信用してもらえていると思っている独りよがりの場合も有り得るとは思っています。)
ただ、上記のお考えの方はそのほかの記載をどう好意的に呼んでも、「私の指導はクリアすれば絶対的に正しい。だから早くに生徒を預かって自分の教えやすい生徒に育て上げたい」という思いが透けて見えて仕方ないんですよね。
子供たちはそんなことは実は怖いくらい見抜いています。自分の都合のいいように振舞う大人の言うことは、表面上の損得で言うことを聞いているように見えることもありますが、内面では怖いくらい保身のために何かを言っているのか、本当に自分のために言ってくれているのかは分かっています。
成績を上げていく、偏差値を上げていくこと。それだけを究極に求めるのであればこの考え方はそれほど間違いではないでしょう。でもね、子供たちの人生を預かる指導者の立場としては、「自分の色に染める」ことは怖くて出来ません。
私が究極の目標にしていることは「自分で判断できること。そのために必要な力のつけ方を理解させること」なんですよね。自分で自分の人生を切り開くことが出来るようになって欲しいんですよ。
そのためには、必要なことを出来る限り伝えていきたいと思っています。たとえばご挨拶はものすごくうるさく指導していますし、失敗したときはごめんなさいが言えることを大切にしています。また、何かをしてもらえば感謝の気持ちを表すことも当たり前です。
そして日本人として知っておいて欲しいことは折に触れて伝えます。おせち料理とはなんぞや? 三が日とは? 松の内って何? 門松はなぜ飾るの?
などなど、いろんなことを伝えていきたいわけですよ。
どんなに、えらそうな御託を並べても、どんなに能力が高そうに見えても、どんなに生徒の学力を伸ばしていても、年末年始のご挨拶ひとつすらまともに出来ない指導者ってなんなんでしょうね。
さて、ちょっと気になることがあるんですよね。
「このような学習態度・習慣では当方への入塾をお断りすることがあります」。というブログをたまに見ます。まあね、気持ちは分かりますよ。そりゃ地頭が良くて、素直で従順で…。そんな生徒だけを受け入れていけば、確実に生徒の成績は向上していきます。
★ 勉強に向き合う姿勢ができていなければ預かれない。そういう心の指導は小学生のうちからしたいなあ…
だから、ある程度うちの教室に合う状態の生徒でないと、と思うので今後は受け入れをご紹介に限定します。
と書いてある方の記事を見ました。学習塾であるのに、自分の思い通りにならない生徒は受け入れないんですって!
私はそろばんの先生です。でも、生徒たちにきちんと将来を生き抜く力をつけてほしいと思います。怠ける心に打ち勝つ力(克己心)、しんどい状況から逃げない力(忍耐力)、毎日の課題をサボらずにこなすこと(継続力)…。そろばんの授業を通してあらゆることがらを身に付けてほしい。だから授業中はもちろん、日々の会話の中にもいろいろな想いをちりばめています。
ご挨拶の声や、私と目が会ったときの態度、あるいはお友達との会話の声色や視線なんかで子供たちの異変に気づくことが良くあります。そんなときに信頼関係が出来ていれば声をかけますし、まだだなあと思える生徒にはそれとなくジャブを繰り出します。そうして「先生なら大丈夫」と思ってもらえる関係を作り上げて、始めてしんどい課題でもこちらを信じてついてきてくれるようになるんですね。(ただ、私が勝手に信用してもらえていると思っている独りよがりの場合も有り得るとは思っています。)
ただ、上記のお考えの方はそのほかの記載をどう好意的に呼んでも、「私の指導はクリアすれば絶対的に正しい。だから早くに生徒を預かって自分の教えやすい生徒に育て上げたい」という思いが透けて見えて仕方ないんですよね。
子供たちはそんなことは実は怖いくらい見抜いています。自分の都合のいいように振舞う大人の言うことは、表面上の損得で言うことを聞いているように見えることもありますが、内面では怖いくらい保身のために何かを言っているのか、本当に自分のために言ってくれているのかは分かっています。
成績を上げていく、偏差値を上げていくこと。それだけを究極に求めるのであればこの考え方はそれほど間違いではないでしょう。でもね、子供たちの人生を預かる指導者の立場としては、「自分の色に染める」ことは怖くて出来ません。
私が究極の目標にしていることは「自分で判断できること。そのために必要な力のつけ方を理解させること」なんですよね。自分で自分の人生を切り開くことが出来るようになって欲しいんですよ。
そのためには、必要なことを出来る限り伝えていきたいと思っています。たとえばご挨拶はものすごくうるさく指導していますし、失敗したときはごめんなさいが言えることを大切にしています。また、何かをしてもらえば感謝の気持ちを表すことも当たり前です。
そして日本人として知っておいて欲しいことは折に触れて伝えます。おせち料理とはなんぞや? 三が日とは? 松の内って何? 門松はなぜ飾るの?
などなど、いろんなことを伝えていきたいわけですよ。
どんなに、えらそうな御託を並べても、どんなに能力が高そうに見えても、どんなに生徒の学力を伸ばしていても、年末年始のご挨拶ひとつすらまともに出来ない指導者ってなんなんでしょうね。