いや~暑いね。
太陽がギラギラと輝き、むき出しの肌をジリジリと焼く
夏バテしそうだけど、元気ももらえる。
そんな夏が俺は好きだ。
やはり暑い夏の夜の出来事だった。
当時、専門学校は一応卒業したけど、職も決まらず、
とりあえず深夜の道路工事現場で警備員のバイトをしていた時の事だ。
その日は須崎公園と市民会館の間の道でNTTのマンホール工事中
人が落ちないように警備する仕事だった。
深夜とはいえ、真夏の夜は暑く、湿気も多い。
須崎公園に人の気配はあるが、浮浪者達だ。
人も車も通る気配は無く、ただ立っているだけの行為がどれほど辛いか。
疲れたから地べたに座ろうとすると、マンホールの中から作業員が顔を出す。
「おい、なに座ってんだ。会社に言うぞ」
けっ!
俺の監視じゃなくて、仕事早く終わらせろってんだ。
すると、どうした事か、腹が痛くなってきた。
鈍痛が響き、腹の中で何かが蠢きだした。
肛門を開こうとしやがる。
苦しい時に限って作業員は顔を出さない。
わざわざマンホールを覗いて「トイレ行ってきても良いですか?」
なんてとても言えない。
しかし、苦しい。
暑さでの汗というよりも、冷や汗のようだ。
我慢も限界に近づき、公園のトイレに駆け込もうとした時のこと
暗がりの中でも存在が確認出来る白いスーツに身を固めた女性が
フラフラと歩み寄ってくる。
見事な千鳥足だ。
人間あんなにジグザグに歩くものなのねぇ・・・
腹が痛いのも忘れて、しばらく観察していたらマンホールに近づいてきた。
ヤバイ、落ちるわ
慌てて作業場に戻り、光る棒を振り回した。
白いスーツの女は、髪を掻き上げ顎を前に突き出し立ち止まった。
どうやら、何があるのか見ようと目を凝らしているようだ。
微妙に突き出た口がかわいらしい。
よく見ると微妙に美人だ。
『危ないですから、迂回してください』
マンホールに空気を送ってるコンプレッサーの音で俺の声は聞こえにくいようで
『え~、何だって~、聴こえなぁ~い』
と、叫びながら肩をすぼめ、掌を上に向け外人のようなポーズをしてる。
そのまま俺に近づいて来て『何か私に文句があるの?』と言ってるようだが
呂律が廻っておらず、聞き取りにくい。
呂律が回らず、焦点もあってないようで、見事な酔っ払いだ。
歳は24、5くらい。会社帰りのOL?というには少しケバイ感じか・・・
『あなたねぇ、なんでこんな所に立ってるのよ。もしかして、痴漢?ははははははは』
今度は、俺に絡んできだした。
俺と女の声が聞こえたのか、穴の中から作業員が顔をだしてきた。
何やってんだ?って顔で俺を見ながら
『今日の作業は終わったから、帰るぞ。片付け手伝え』
もう一人の作業員も出てきて「お前の彼女か?」と聞いてきた。
ただの酔っ払いです。と答えると、「俺が家まで送ってやるかな」と・・
女にも俺と作業員のやり取りが聞こえてたようで
『やだ~、あんたなんかに送られるくらいなら、こっちの子が良い~』
と、俺を指差す。
つーか、なんで俺が送らなきゃならないんだよ!
4人でしばらく話していたが、女は突然気分が悪くなった様子で
俺に向かって吐きやがった。
うわ~っと逃げようとしたら、腹に力が入ってしまい・・
・・・
涙目になりながら公園のトイレに駆けこんで用をたし、泣いていると紙がない。
さらに情けなく悲しく泣いていると、女の声が聞こえてきた。
『大丈夫~?』
『大丈夫じゃねぇよ!!早く帰れよ、酔っ払い!!!』
『工事の人達帰っちゃったよ?君、一人で帰れるの?』
マジかよ・・・
現在、深夜3時。勿論、バスも地下鉄も無い。
タクシーで帰る金なんて持ってない。
さらにゲロ臭くて、ズボンもパンツも少し汚れてる。
『最悪だ・・・』
しばらく黙っていると
『ねぇ、怒ってんの?怒ってるよねぇ~』
『怒ってねぇから、お前も早く帰れよ!』
『やっぱ、怒ってんじゃん。ごめんね。』
『そうだ、何か私に出来る事ある?怒らせちゃったし、服も汚しちゃったから・・』
少し考えた。忌々しいが、紙とパンツは欲しい。
しかし、ポケットティッシュくらいは女が持ってるかもしれないが
近くにコンビニは無く、パンツは無理があるし、俺にもプライドがある・・
しかし、背に腹は代えられない。
『とりあえず、紙持ってない?』
そんな縁で、女、圭子とは付き合う事になった。
24、5歳だと思ってた圭子は、実は22歳で、俺とは2つしか違わなかった。
あの日はメイクが濃かったので年上に見えたようだ。
メイクをとった圭子は年相応、若しくは幼く見える。
職業はピアニスト。
なんでも天神・中洲界隈でクラブやラウンジで弾き語りをしたり、
ヤマハで子供に教えたりしてるそうだ。
しかし、圭子の部屋にピアノは無い。
キーボードさえも見当たらない。
作曲なんかもするらしいんだが、楽器は高くて買えないし
音は頭の中にあるから大丈夫なんだと言い、紙に書いた鍵盤を見せてくれた。
1DKの部屋はベッドと小さなテーブルしかなく、確かに
鍵盤楽器なんか置くスペースはない。
小さなテーブルに紙の鍵盤を広げると、楽しそうに弾くマネを始めてくれた。
弾き語りをして、金を貰っている以上、圭子はプロだ。
目を瞑り、鍵盤を弾くマネをしているうちに、本当に弾いてる気分になってきたのか
声を出して唄い出した。
初めて聴いた圭子の歌声は艶があり、楽しい気持ちが伝わってくるようで一瞬でファンになった。
『私はね、気持ちを歌で伝えられるようになりたいの』
そう言うと、まくし立てるように話しだした。
今のような小さな箱ではなく、CDが出せるようになりたい事
天涯孤独の身だが、歌があれば寂しくない事
今は直彦(俺ね)が居るから毎日が楽しい事
天涯孤独だからって同情はして欲しくない事
その他諸々。。
そういった音楽論で、店と喧嘩になり、あの晩は飲み過ぎてたらしい。
そんなに歌が好きな圭子だが、夜唄ってる店には近寄らせてくれなかった。
仕事の顔で、私の顔じゃないから見られたくないだって。
彼女は頑張ってる。
ほとんどの生計はヤマハの講師として稼いでるようだが、
好きな事、やりたい事をはっきり見つめて努力してる。
俺はどうなんだろう?
親に無理を言って専門学校を卒業出来るまで金を出してもらったのに
何も生かせず、定職はおろか、やりたい事すら分からない。
圭子は焦る事無いよ。と言ってくれるが、一番身近な人が頑張ってるのに
俺は・・・
その後も圭子は努力を続ける中、俺は相変わらずで、バイトで生活費を稼ぐのが精一杯。
圭子は、最近では小さな箱だけでは無くて、オークラやハイアットのような
有名ホテルからも声がかかるようになり、ヤマハの講師は辞めており収入も増えたようだ。
『直彦、直彦の部屋代も勿体無いし、一緒に住まない?』
付き合いだした当初は圭子の部屋に入り浸っていたが、最近はたまに泊まって帰る程度になっていた。
圭子にとっては、それが不満だったのだろう。
しかし、俺には俺なりの理由もある。
圭子が小さなツアーなんかに出るようになり、会える日が減ったのもあるが、
ほとんどヒモ状態な自分に嫌気がさしてきていたのもあった。
そして、決定的だったのが圭子のCDデビューの話。
圭子からは知らされていなかった。
店頭のポスターを見て、初めて知った事だった。
『おめでとう』
と伝えはしたが、ソレ以上は何も言わなかった。
圭子の成功を素直に喜べなかった自分の小ささが嫌だった。
圭子はもがき続けてる俺に気がついて言えなかったようで、忙しい中でも
俺のことを見てくれている優しさは、嬉しくもあり、辛くもあった。
圭子が居ない間、俺も何もしていなかった訳ではない。
俺が行ってた専門学校は服飾系の専門学校だったのだが、デザイン専攻だった俺は
その知識と最近の流行りも考え、webデザインの会社でバイトしていた。
やはり服飾の夢も捨て切れていなかったので、ほそぼそとスケッチを描きためていた。
圭子と一緒に住むようにはなっていたが、昔の俺の部屋はそのままにしていた。
部屋にはドールが2体とミシンの廻りに布切れが散在しており、かろうじでベッドに寝れる程度。
圭子は益々忙しくなり、2枚目のレコーディング作業に入っていた。
一緒に住んでいるとは言っても、圭子は昼ごろ起きて帰ってくるのは深夜。
俺は昼間仕事しているので声を交わす事さえ困難な状態が続いていた。
バイト先の社長から服を作っているのなら、ホームページに載せてやると言われて
掲載してもらうと、それなりに人気も出てきて、段々と作業場と化した昔の部屋で
過ごすことが増えてきていた。
すれ違いは、さらなるすれ違いを呼び、心のすれ違いが増え、久しぶりに会えば喧嘩だった。
だからと言って、圭子の事が嫌いになったかといえば、それは違う。
少しずつだが、将来への展望が見え始め、廻りを見渡せる余裕が出来てきたが、
やはり圭子は好きだ。
下痢とゲロにまみれた出会いから、既に5年が経ち、一度も口にしたことが無い言葉がある。
『愛してる』
目を閉じれば胸の中に映る懐かしい思い出や、圭子との毎日。
途中からは圭子を振り返ることすら出来なくなっていたけれど
やはり圭子を愛してる。
俺は圭子を愛してる。
そう自分に言い聞かせ圭子との部屋に帰るとダイニングテーブルの上に
クシャクシャに丸められた紙があった。
広げてみると、滲んだり破れたりしてるが手紙だ。
親愛なる直彦様
お元気ですか?
一緒に住んでいるはずなのに、最近なかなか会えませんね。
私は相変わらずですが、直彦も仕事が忙しそうでなによりです。
今度ミニアルバムではなく、デビュー3年目を記念としてフルアルバムの話も決まり、
スタジオに缶詰状態です。
紙の鍵盤しか置けなかった部屋から、ラップトップとはいえ、部屋にピアノが置ける程に
成長しました。
これも全て、直彦との出会いがあったからだと信じてます。
お互い成功という言葉に向かい努力が実りつつあるのでしょうか?
廻りの人から見れば、さぞ羨ましい状態なんでしょうね。
でもね直彦。
私、寂しいよ。
天涯孤独でも寂しくない。音楽があれば寂しくない。
そう言ってたけど、私寂しい。
起きてる時も、寝てる時も、直彦に隣にいて欲しいよ。
直彦、本当に元気ですか?
私は元気か知っていますか?
ここで、手紙は破けてて続きは分からない。
でも、圭子もまだ俺の事を好きで居てくれている事は分かった。
その後も忙しさですれ違いは続いたが、俺達は一緒に住んでいた。
圭子の3枚目のフルアルバムの表紙は俺が作った服を着た圭子が飾り
裏表紙は、俺たち2人の赤ん坊が飾った。
俺は歌が苦手で、人前では絶対にマイクを握らなかったのだが
結婚式の時に1曲だけ唄わせてもらった。
ずっと言えなかった言葉が圭子にも伝えられたようだ。
唄うことは難しいことじゃない
ただ声に身をまかせ頭の中をからっぽにするだけ
唄うことに対する圭子の気持ちも少し理解できるようになれた。
太陽がギラギラと輝き、むき出しの肌をジリジリと焼く
夏バテしそうだけど、元気ももらえる。
そんな夏が俺は好きだ。
やはり暑い夏の夜の出来事だった。
当時、専門学校は一応卒業したけど、職も決まらず、
とりあえず深夜の道路工事現場で警備員のバイトをしていた時の事だ。
その日は須崎公園と市民会館の間の道でNTTのマンホール工事中
人が落ちないように警備する仕事だった。
深夜とはいえ、真夏の夜は暑く、湿気も多い。
須崎公園に人の気配はあるが、浮浪者達だ。
人も車も通る気配は無く、ただ立っているだけの行為がどれほど辛いか。
疲れたから地べたに座ろうとすると、マンホールの中から作業員が顔を出す。
「おい、なに座ってんだ。会社に言うぞ」
けっ!
俺の監視じゃなくて、仕事早く終わらせろってんだ。
すると、どうした事か、腹が痛くなってきた。
鈍痛が響き、腹の中で何かが蠢きだした。
肛門を開こうとしやがる。
苦しい時に限って作業員は顔を出さない。
わざわざマンホールを覗いて「トイレ行ってきても良いですか?」
なんてとても言えない。
しかし、苦しい。
暑さでの汗というよりも、冷や汗のようだ。
我慢も限界に近づき、公園のトイレに駆け込もうとした時のこと
暗がりの中でも存在が確認出来る白いスーツに身を固めた女性が
フラフラと歩み寄ってくる。
見事な千鳥足だ。
人間あんなにジグザグに歩くものなのねぇ・・・
腹が痛いのも忘れて、しばらく観察していたらマンホールに近づいてきた。
ヤバイ、落ちるわ
慌てて作業場に戻り、光る棒を振り回した。
白いスーツの女は、髪を掻き上げ顎を前に突き出し立ち止まった。
どうやら、何があるのか見ようと目を凝らしているようだ。
微妙に突き出た口がかわいらしい。
よく見ると微妙に美人だ。
『危ないですから、迂回してください』
マンホールに空気を送ってるコンプレッサーの音で俺の声は聞こえにくいようで
『え~、何だって~、聴こえなぁ~い』
と、叫びながら肩をすぼめ、掌を上に向け外人のようなポーズをしてる。
そのまま俺に近づいて来て『何か私に文句があるの?』と言ってるようだが
呂律が廻っておらず、聞き取りにくい。
呂律が回らず、焦点もあってないようで、見事な酔っ払いだ。
歳は24、5くらい。会社帰りのOL?というには少しケバイ感じか・・・
『あなたねぇ、なんでこんな所に立ってるのよ。もしかして、痴漢?ははははははは』
今度は、俺に絡んできだした。
俺と女の声が聞こえたのか、穴の中から作業員が顔をだしてきた。
何やってんだ?って顔で俺を見ながら
『今日の作業は終わったから、帰るぞ。片付け手伝え』
もう一人の作業員も出てきて「お前の彼女か?」と聞いてきた。
ただの酔っ払いです。と答えると、「俺が家まで送ってやるかな」と・・
女にも俺と作業員のやり取りが聞こえてたようで
『やだ~、あんたなんかに送られるくらいなら、こっちの子が良い~』
と、俺を指差す。
つーか、なんで俺が送らなきゃならないんだよ!
4人でしばらく話していたが、女は突然気分が悪くなった様子で
俺に向かって吐きやがった。
うわ~っと逃げようとしたら、腹に力が入ってしまい・・
・・・
涙目になりながら公園のトイレに駆けこんで用をたし、泣いていると紙がない。
さらに情けなく悲しく泣いていると、女の声が聞こえてきた。
『大丈夫~?』
『大丈夫じゃねぇよ!!早く帰れよ、酔っ払い!!!』
『工事の人達帰っちゃったよ?君、一人で帰れるの?』
マジかよ・・・
現在、深夜3時。勿論、バスも地下鉄も無い。
タクシーで帰る金なんて持ってない。
さらにゲロ臭くて、ズボンもパンツも少し汚れてる。
『最悪だ・・・』
しばらく黙っていると
『ねぇ、怒ってんの?怒ってるよねぇ~』
『怒ってねぇから、お前も早く帰れよ!』
『やっぱ、怒ってんじゃん。ごめんね。』
『そうだ、何か私に出来る事ある?怒らせちゃったし、服も汚しちゃったから・・』
少し考えた。忌々しいが、紙とパンツは欲しい。
しかし、ポケットティッシュくらいは女が持ってるかもしれないが
近くにコンビニは無く、パンツは無理があるし、俺にもプライドがある・・
しかし、背に腹は代えられない。
『とりあえず、紙持ってない?』
そんな縁で、女、圭子とは付き合う事になった。
24、5歳だと思ってた圭子は、実は22歳で、俺とは2つしか違わなかった。
あの日はメイクが濃かったので年上に見えたようだ。
メイクをとった圭子は年相応、若しくは幼く見える。
職業はピアニスト。
なんでも天神・中洲界隈でクラブやラウンジで弾き語りをしたり、
ヤマハで子供に教えたりしてるそうだ。
しかし、圭子の部屋にピアノは無い。
キーボードさえも見当たらない。
作曲なんかもするらしいんだが、楽器は高くて買えないし
音は頭の中にあるから大丈夫なんだと言い、紙に書いた鍵盤を見せてくれた。
1DKの部屋はベッドと小さなテーブルしかなく、確かに
鍵盤楽器なんか置くスペースはない。
小さなテーブルに紙の鍵盤を広げると、楽しそうに弾くマネを始めてくれた。
弾き語りをして、金を貰っている以上、圭子はプロだ。
目を瞑り、鍵盤を弾くマネをしているうちに、本当に弾いてる気分になってきたのか
声を出して唄い出した。
初めて聴いた圭子の歌声は艶があり、楽しい気持ちが伝わってくるようで一瞬でファンになった。
『私はね、気持ちを歌で伝えられるようになりたいの』
そう言うと、まくし立てるように話しだした。
今のような小さな箱ではなく、CDが出せるようになりたい事
天涯孤独の身だが、歌があれば寂しくない事
今は直彦(俺ね)が居るから毎日が楽しい事
天涯孤独だからって同情はして欲しくない事
その他諸々。。
そういった音楽論で、店と喧嘩になり、あの晩は飲み過ぎてたらしい。
そんなに歌が好きな圭子だが、夜唄ってる店には近寄らせてくれなかった。
仕事の顔で、私の顔じゃないから見られたくないだって。
彼女は頑張ってる。
ほとんどの生計はヤマハの講師として稼いでるようだが、
好きな事、やりたい事をはっきり見つめて努力してる。
俺はどうなんだろう?
親に無理を言って専門学校を卒業出来るまで金を出してもらったのに
何も生かせず、定職はおろか、やりたい事すら分からない。
圭子は焦る事無いよ。と言ってくれるが、一番身近な人が頑張ってるのに
俺は・・・
その後も圭子は努力を続ける中、俺は相変わらずで、バイトで生活費を稼ぐのが精一杯。
圭子は、最近では小さな箱だけでは無くて、オークラやハイアットのような
有名ホテルからも声がかかるようになり、ヤマハの講師は辞めており収入も増えたようだ。
『直彦、直彦の部屋代も勿体無いし、一緒に住まない?』
付き合いだした当初は圭子の部屋に入り浸っていたが、最近はたまに泊まって帰る程度になっていた。
圭子にとっては、それが不満だったのだろう。
しかし、俺には俺なりの理由もある。
圭子が小さなツアーなんかに出るようになり、会える日が減ったのもあるが、
ほとんどヒモ状態な自分に嫌気がさしてきていたのもあった。
そして、決定的だったのが圭子のCDデビューの話。
圭子からは知らされていなかった。
店頭のポスターを見て、初めて知った事だった。
『おめでとう』
と伝えはしたが、ソレ以上は何も言わなかった。
圭子の成功を素直に喜べなかった自分の小ささが嫌だった。
圭子はもがき続けてる俺に気がついて言えなかったようで、忙しい中でも
俺のことを見てくれている優しさは、嬉しくもあり、辛くもあった。
圭子が居ない間、俺も何もしていなかった訳ではない。
俺が行ってた専門学校は服飾系の専門学校だったのだが、デザイン専攻だった俺は
その知識と最近の流行りも考え、webデザインの会社でバイトしていた。
やはり服飾の夢も捨て切れていなかったので、ほそぼそとスケッチを描きためていた。
圭子と一緒に住むようにはなっていたが、昔の俺の部屋はそのままにしていた。
部屋にはドールが2体とミシンの廻りに布切れが散在しており、かろうじでベッドに寝れる程度。
圭子は益々忙しくなり、2枚目のレコーディング作業に入っていた。
一緒に住んでいるとは言っても、圭子は昼ごろ起きて帰ってくるのは深夜。
俺は昼間仕事しているので声を交わす事さえ困難な状態が続いていた。
バイト先の社長から服を作っているのなら、ホームページに載せてやると言われて
掲載してもらうと、それなりに人気も出てきて、段々と作業場と化した昔の部屋で
過ごすことが増えてきていた。
すれ違いは、さらなるすれ違いを呼び、心のすれ違いが増え、久しぶりに会えば喧嘩だった。
だからと言って、圭子の事が嫌いになったかといえば、それは違う。
少しずつだが、将来への展望が見え始め、廻りを見渡せる余裕が出来てきたが、
やはり圭子は好きだ。
下痢とゲロにまみれた出会いから、既に5年が経ち、一度も口にしたことが無い言葉がある。
『愛してる』
目を閉じれば胸の中に映る懐かしい思い出や、圭子との毎日。
途中からは圭子を振り返ることすら出来なくなっていたけれど
やはり圭子を愛してる。
俺は圭子を愛してる。
そう自分に言い聞かせ圭子との部屋に帰るとダイニングテーブルの上に
クシャクシャに丸められた紙があった。
広げてみると、滲んだり破れたりしてるが手紙だ。
親愛なる直彦様
お元気ですか?
一緒に住んでいるはずなのに、最近なかなか会えませんね。
私は相変わらずですが、直彦も仕事が忙しそうでなによりです。
今度ミニアルバムではなく、デビュー3年目を記念としてフルアルバムの話も決まり、
スタジオに缶詰状態です。
紙の鍵盤しか置けなかった部屋から、ラップトップとはいえ、部屋にピアノが置ける程に
成長しました。
これも全て、直彦との出会いがあったからだと信じてます。
お互い成功という言葉に向かい努力が実りつつあるのでしょうか?
廻りの人から見れば、さぞ羨ましい状態なんでしょうね。
でもね直彦。
私、寂しいよ。
天涯孤独でも寂しくない。音楽があれば寂しくない。
そう言ってたけど、私寂しい。
起きてる時も、寝てる時も、直彦に隣にいて欲しいよ。
直彦、本当に元気ですか?
私は元気か知っていますか?
ここで、手紙は破けてて続きは分からない。
でも、圭子もまだ俺の事を好きで居てくれている事は分かった。
その後も忙しさですれ違いは続いたが、俺達は一緒に住んでいた。
圭子の3枚目のフルアルバムの表紙は俺が作った服を着た圭子が飾り
裏表紙は、俺たち2人の赤ん坊が飾った。
俺は歌が苦手で、人前では絶対にマイクを握らなかったのだが
結婚式の時に1曲だけ唄わせてもらった。
ずっと言えなかった言葉が圭子にも伝えられたようだ。
唄うことは難しいことじゃない
ただ声に身をまかせ頭の中をからっぽにするだけ
唄うことに対する圭子の気持ちも少し理解できるようになれた。