終わった・・・。
自分では、殺して止める以外、翡翠を止める術はなかったろう。しかし、村長は、その圧倒的な戦闘力を持って、翡翠を殺すことなく、誰一人殺すことなく、この場を収めた。
全身から力が抜けて、立ち続ける事が精一杯なアンバーの心に去来する感情は、不思議と自分への不甲斐なさではなく、ただただ、村長への畏敬の念であった。
「あのシジィ、あの強さ、反則やろ・・・」
呟くガーネットの表情も、言葉とは裏腹にスッキリしている。
コーラルも、安心と疲れからか、少し離れた大樹の切株に腰を掛け、ライフルを切株にもたれ掛けて、腕の中の子熊を撫でている。
村長は、そんなアンバー達の様子を見ながら不敵な笑みを浮かべ、2本目の煙草を取り出そうと胸元を漁っている。
一番はじめに異変に気付いたのは、おそらく、コーラルの腕の中の子熊だったろう。
一瞬、ビクッと顔を上げたガルダベアの子熊は、すぐに全身を震わせ、コーラルの豊満な胸に顔を埋めた。
直後、村長、アンバー、ガーネット、コーラルが、空間に流れる冷気を感じ取ったのは、ほぼ同時。
それは、気のせいなどではなく、付近一帯の地面や樹皮、葉に霜が降りている。
「じいちゃん!!」
大紀が叫んだのも、ほぼ同時であった。
村長が翡翠の方を振り返る。
その目と鼻の先に、すでに翡翠は接近していた。
その表情に、卑猥な笑みは無い。
状況を判断するのが先か、歴戦の強者の条件反射か、翡翠に対し、カウンターの賞底を繰り出す村長。
振り下ろされる翡翠のブレードよりも、最短距離を走る村長の賞底の方が僅かに速い。
村長の賞底が、翡翠の鳩尾にめり込む。
手応えが・・・ない・・・?
村長の表情が曇る。
その村長の目の前の翡翠が、景色に溶け込むように消えた。
仙歩っ!?
村長が即座に、自分の死角になっている方向に視線を向ける。
そこには既に、翡翠のブレードが不可避な角度と速度で迫っていた。
高速で振られたブレードが空気を裂く音が空間に響く。
村長は咄嗟に仙歩を使い、翡翠の前から姿を消し、数メートル離れた位置に回避した。
ぱたた・・・
翡翠と村長の間の地面に、血痕が微かな音を立てて落ちた。
崩れ落ちる様に片膝立ちになる村長。
その背中は、衣類が裂け、薄い黄色の民族衣装が真っ赤に染まっていた。
腰の帯に差していたオリハルコンのリボルバー『野櫻』。
それがブレードに当たり、軌道を変えてくれなければ、致命傷になっていたかもしれない。
しかし、それでも、傷は深い。
「本能に支配された状態で、サイコキネシスを解き、負傷を治療しよったか・・・。なるほど、化け物じゃの。」
一見、平然と話す村長だが、その年季を刻んだ顔の皮膚は粘る汗が張り付き、その呼吸は先程までとは打って変わって荒い。
「自分一人イッて満足されたら困るわ。こっちはもっと気持ち良くなりたいっちゅうねん・・・」
そう言って悠然と村長の方に歩みを進める翡翠の口元には、再び卑猥な笑みが浮かんでいる。
アンバーが庇うように村長の前に踏み出し、同時にハンドガンの引き金を引く。
銃声と同時にガーネットが翡翠に飛びかかる。
翡翠の左肩口より噴出する靄に弾かれる銃弾。
鮮血を散らせながら、翡翠の脇に跪くガーネット。
そのガーネットに、まるで興味がないような視線を投げ、翡翠が呟く。
「邪魔・・・」
アンバーは翡翠の視線がガーネットの方に向けられた瞬間を逃さず、再び引き金を引く。
翡翠の眉間に吸い込まれる銃弾。しかし、翡翠の姿は、そこから樹海の風景に溶けるように消える。
刹那、押されるような衝撃に飛ばされたアンバーのすぐ後ろを、翡翠のブレードが斬り裂く。
村長がサイコキネシスで咄嗟にアンバーを飛ばさなければ、アンバーは真っ二つになっていたろう。それにしても、真似事とはいえ仙歩を使い始めた翡翠、事態は最悪のさらに上を進み始めた。
アンバーやガーネットを追撃せず、翡翠は村長の前に立つ。
膝立ちで荒い呼吸のまま睨む村長を見下ろし、翡翠は静かにブレードを上げる。
「もっと、気持ちいい事、しよっ♪」
ブレードを持ったその腕が、村長目掛け、一直線に振り下ろされる。
刹那、翡翠のブレードを持つ肩口が弾け飛ぶ。
「こ・・・のっ・・・」
翡翠が振り向き、まるで嫉妬でも籠ったような鋭い視線で一点を見る。
そこには、ライフルを構えたコーラル。その銃口からは硝煙が上がっている。
翡翠の意識が村長に縛られた瞬間を逃さず狙撃したのだ。
「やっぱりや!今の翡翠は、オリハルコンを体外に放出してるせいで、レーダーが使えてへん!!死角からなら当たる!!!!」
「あほ!!なんで、頭狙わんかったんやっ!!」
今の翡翠の弱点、その事実を伝えようと大声を上げるコーラルに対し、アンバーが叫ぶ。
「逃げろ!!」
「いかん!!」
ガーネットと村長が叫んだのは同時だった。
コーラルに月明かりを遮るように影が降る。
そのシルエットは、剣を振りかぶる。即座に間合いを詰めた、翡翠の影。
「それが・・・なに?」
「え?」
今までよりもさらに上がった翡翠の速度に、コーラルは反応出来ない。かろうじて、眼だけが目の前の月を背にする翡翠の幻想的で美しい姿を捉えていた。
「間に合わん!!」
叫びながらも、村長は左掌を翡翠に伸ばす。
振り下ろされる翡翠の凶刃。
アンバーもガーネットも動けず、ただ、刹那、訪れるであろう仲間の死を見つめる事しか出来ない。
迫るブレードに対し、身体がせめてもの反応を見せたものの、その反応は、腕の中の子熊を庇うように強く抱きしめただけだった。
刃がサラサラの美しい髪に触れる。
そこにいる全ての者が、スローモーションになったような感覚で、その様子を見ていた。
コーラルの眼がキツく閉じられた。その後の生存を諦めたように・・・
「コーラルっっっ!!!!」
アンバーとガーネットが同時に叫ぶ。
噴き上がる血液、飛び散る脳漿・・・・力を失った身体は崩れ落ち、その場に血の池を拡大させていく。
アンバーもガーネットも、そして村長でさえも脳内に描いた、確実に訪れる結末。しかし、それは訪れていなかった。
振り下ろされたブレードは、コーラルの毛髪に少し当たったところで停止している。
開かれたコーラルの目の前には、眼を見開き、その動きを止めている翡翠がいた。
コーラルは、自分が未だ生きている現状が理解出来ずにいた。
理解出来ずにただ呆然と目の前で動きを止めた翡翠を見つめ続けるうちに、翡翠の見開かれた眼が、自分の胸下辺りを見ている事に気付く。
コーラルは翡翠の視線を追うように、視線をゆっくりと自分の胸下に移す。
黒い短髪が、風に揺れている・・・
翡翠とコーラルの間に、コーラルを庇うように両手を一杯に広げた子供がいた。
「大紀っ!!!!」
事態を理解し、叫んだのは村長だった。
「大・・・紀・・・?」
コーラルが未だ事態を飲み込めずに呟く。
そういわれれば、なるほど。自分と翡翠の間に立っている子供は大紀だ。確か、村長が連れて来ていた・・・呆然と考えていた脳が、ここで正気に戻る。
「大紀、なんで!?」
コーラルが大紀に後ろから腕を回し、自身の後ろに下げようとする。
しかし、大紀は力強く大地を踏みしめ、全く動かない。とても子供の力には思えなかった。
翡翠を見つめる大紀の眼差しは、恐怖を一滴も含む事無く澄んでいる。
その大紀の姿に、視線に、捕われた翡翠は、未だ動かない。
大紀が澄んだ瞳を向けたまま、ゆっくりと口を開く。
「もういいよ、お姉ちゃん。戻っておいでよ。」
翡翠の手から離れたブレードが、力なく地面に落ち、横たわる。
翡翠の瞳から溢れた大粒の涙が、大紀の額を濡らした。
膝から崩れるように落ちる翡翠が、大紀を強く抱きしめ、優しい日向の匂いのする首筋に顔を埋める。
「ごめ・・・みんな・・・ごめん・・なさ・・・い・・・」
嗚咽に声を詰まらせながら翡翠を、その場の全員が呆然と眺めていた。
「もう、大丈夫だよ、お姉ちゃん。」
大紀の小さな手が、翡翠の頭を優しく抱きしめた。
翡翠の嗚咽が漏れる樹海に、虫の声が戻って来ていた。
自分では、殺して止める以外、翡翠を止める術はなかったろう。しかし、村長は、その圧倒的な戦闘力を持って、翡翠を殺すことなく、誰一人殺すことなく、この場を収めた。
全身から力が抜けて、立ち続ける事が精一杯なアンバーの心に去来する感情は、不思議と自分への不甲斐なさではなく、ただただ、村長への畏敬の念であった。
「あのシジィ、あの強さ、反則やろ・・・」
呟くガーネットの表情も、言葉とは裏腹にスッキリしている。
コーラルも、安心と疲れからか、少し離れた大樹の切株に腰を掛け、ライフルを切株にもたれ掛けて、腕の中の子熊を撫でている。
村長は、そんなアンバー達の様子を見ながら不敵な笑みを浮かべ、2本目の煙草を取り出そうと胸元を漁っている。
一番はじめに異変に気付いたのは、おそらく、コーラルの腕の中の子熊だったろう。
一瞬、ビクッと顔を上げたガルダベアの子熊は、すぐに全身を震わせ、コーラルの豊満な胸に顔を埋めた。
直後、村長、アンバー、ガーネット、コーラルが、空間に流れる冷気を感じ取ったのは、ほぼ同時。
それは、気のせいなどではなく、付近一帯の地面や樹皮、葉に霜が降りている。
「じいちゃん!!」
大紀が叫んだのも、ほぼ同時であった。
村長が翡翠の方を振り返る。
その目と鼻の先に、すでに翡翠は接近していた。
その表情に、卑猥な笑みは無い。
状況を判断するのが先か、歴戦の強者の条件反射か、翡翠に対し、カウンターの賞底を繰り出す村長。
振り下ろされる翡翠のブレードよりも、最短距離を走る村長の賞底の方が僅かに速い。
村長の賞底が、翡翠の鳩尾にめり込む。
手応えが・・・ない・・・?
村長の表情が曇る。
その村長の目の前の翡翠が、景色に溶け込むように消えた。
仙歩っ!?
村長が即座に、自分の死角になっている方向に視線を向ける。
そこには既に、翡翠のブレードが不可避な角度と速度で迫っていた。
高速で振られたブレードが空気を裂く音が空間に響く。
村長は咄嗟に仙歩を使い、翡翠の前から姿を消し、数メートル離れた位置に回避した。
ぱたた・・・
翡翠と村長の間の地面に、血痕が微かな音を立てて落ちた。
崩れ落ちる様に片膝立ちになる村長。
その背中は、衣類が裂け、薄い黄色の民族衣装が真っ赤に染まっていた。
腰の帯に差していたオリハルコンのリボルバー『野櫻』。
それがブレードに当たり、軌道を変えてくれなければ、致命傷になっていたかもしれない。
しかし、それでも、傷は深い。
「本能に支配された状態で、サイコキネシスを解き、負傷を治療しよったか・・・。なるほど、化け物じゃの。」
一見、平然と話す村長だが、その年季を刻んだ顔の皮膚は粘る汗が張り付き、その呼吸は先程までとは打って変わって荒い。
「自分一人イッて満足されたら困るわ。こっちはもっと気持ち良くなりたいっちゅうねん・・・」
そう言って悠然と村長の方に歩みを進める翡翠の口元には、再び卑猥な笑みが浮かんでいる。
アンバーが庇うように村長の前に踏み出し、同時にハンドガンの引き金を引く。
銃声と同時にガーネットが翡翠に飛びかかる。
翡翠の左肩口より噴出する靄に弾かれる銃弾。
鮮血を散らせながら、翡翠の脇に跪くガーネット。
そのガーネットに、まるで興味がないような視線を投げ、翡翠が呟く。
「邪魔・・・」
アンバーは翡翠の視線がガーネットの方に向けられた瞬間を逃さず、再び引き金を引く。
翡翠の眉間に吸い込まれる銃弾。しかし、翡翠の姿は、そこから樹海の風景に溶けるように消える。
刹那、押されるような衝撃に飛ばされたアンバーのすぐ後ろを、翡翠のブレードが斬り裂く。
村長がサイコキネシスで咄嗟にアンバーを飛ばさなければ、アンバーは真っ二つになっていたろう。それにしても、真似事とはいえ仙歩を使い始めた翡翠、事態は最悪のさらに上を進み始めた。
アンバーやガーネットを追撃せず、翡翠は村長の前に立つ。
膝立ちで荒い呼吸のまま睨む村長を見下ろし、翡翠は静かにブレードを上げる。
「もっと、気持ちいい事、しよっ♪」
ブレードを持ったその腕が、村長目掛け、一直線に振り下ろされる。
刹那、翡翠のブレードを持つ肩口が弾け飛ぶ。
「こ・・・のっ・・・」
翡翠が振り向き、まるで嫉妬でも籠ったような鋭い視線で一点を見る。
そこには、ライフルを構えたコーラル。その銃口からは硝煙が上がっている。
翡翠の意識が村長に縛られた瞬間を逃さず狙撃したのだ。
「やっぱりや!今の翡翠は、オリハルコンを体外に放出してるせいで、レーダーが使えてへん!!死角からなら当たる!!!!」
「あほ!!なんで、頭狙わんかったんやっ!!」
今の翡翠の弱点、その事実を伝えようと大声を上げるコーラルに対し、アンバーが叫ぶ。
「逃げろ!!」
「いかん!!」
ガーネットと村長が叫んだのは同時だった。
コーラルに月明かりを遮るように影が降る。
そのシルエットは、剣を振りかぶる。即座に間合いを詰めた、翡翠の影。
「それが・・・なに?」
「え?」
今までよりもさらに上がった翡翠の速度に、コーラルは反応出来ない。かろうじて、眼だけが目の前の月を背にする翡翠の幻想的で美しい姿を捉えていた。
「間に合わん!!」
叫びながらも、村長は左掌を翡翠に伸ばす。
振り下ろされる翡翠の凶刃。
アンバーもガーネットも動けず、ただ、刹那、訪れるであろう仲間の死を見つめる事しか出来ない。
迫るブレードに対し、身体がせめてもの反応を見せたものの、その反応は、腕の中の子熊を庇うように強く抱きしめただけだった。
刃がサラサラの美しい髪に触れる。
そこにいる全ての者が、スローモーションになったような感覚で、その様子を見ていた。
コーラルの眼がキツく閉じられた。その後の生存を諦めたように・・・
「コーラルっっっ!!!!」
アンバーとガーネットが同時に叫ぶ。
噴き上がる血液、飛び散る脳漿・・・・力を失った身体は崩れ落ち、その場に血の池を拡大させていく。
アンバーもガーネットも、そして村長でさえも脳内に描いた、確実に訪れる結末。しかし、それは訪れていなかった。
振り下ろされたブレードは、コーラルの毛髪に少し当たったところで停止している。
開かれたコーラルの目の前には、眼を見開き、その動きを止めている翡翠がいた。
コーラルは、自分が未だ生きている現状が理解出来ずにいた。
理解出来ずにただ呆然と目の前で動きを止めた翡翠を見つめ続けるうちに、翡翠の見開かれた眼が、自分の胸下辺りを見ている事に気付く。
コーラルは翡翠の視線を追うように、視線をゆっくりと自分の胸下に移す。
黒い短髪が、風に揺れている・・・
翡翠とコーラルの間に、コーラルを庇うように両手を一杯に広げた子供がいた。
「大紀っ!!!!」
事態を理解し、叫んだのは村長だった。
「大・・・紀・・・?」
コーラルが未だ事態を飲み込めずに呟く。
そういわれれば、なるほど。自分と翡翠の間に立っている子供は大紀だ。確か、村長が連れて来ていた・・・呆然と考えていた脳が、ここで正気に戻る。
「大紀、なんで!?」
コーラルが大紀に後ろから腕を回し、自身の後ろに下げようとする。
しかし、大紀は力強く大地を踏みしめ、全く動かない。とても子供の力には思えなかった。
翡翠を見つめる大紀の眼差しは、恐怖を一滴も含む事無く澄んでいる。
その大紀の姿に、視線に、捕われた翡翠は、未だ動かない。
大紀が澄んだ瞳を向けたまま、ゆっくりと口を開く。
「もういいよ、お姉ちゃん。戻っておいでよ。」
翡翠の手から離れたブレードが、力なく地面に落ち、横たわる。
翡翠の瞳から溢れた大粒の涙が、大紀の額を濡らした。
膝から崩れるように落ちる翡翠が、大紀を強く抱きしめ、優しい日向の匂いのする首筋に顔を埋める。
「ごめ・・・みんな・・・ごめん・・なさ・・・い・・・」
嗚咽に声を詰まらせながら翡翠を、その場の全員が呆然と眺めていた。
「もう、大丈夫だよ、お姉ちゃん。」
大紀の小さな手が、翡翠の頭を優しく抱きしめた。
翡翠の嗚咽が漏れる樹海に、虫の声が戻って来ていた。