息子が産まれて10日が経ちました。
出産の痛みは忘れると言うけど、・・・ある意味そうかも と。
「死ぬほど痛かった」という事は覚えているけど、どんな痛みかって聞かれると表現しづらい

そしてもう既に経過も忘れかけている。。。
覚えている事・・・
(文章、長くなりますよ~)
9日早朝より、陣痛らしきものがある。
とは言っても我慢できるくらいの痛み。
その日一日、畑でウロウロ出来る位

夜中、0時頃、痛みの間隔が12・3分になった。
もしや、本当に陣痛???

時間を計りながら時間のメモを残していく事に。
1時頃、8分くらいになる。
痛みも座りこんでしまう程になったので不安になり、病院へ電話

「もう少し様子を見てください」と言われ、うずくまりながら痛みの合間に着替えや身の回りの用意を始める。
2時過ぎ6・7分間隔になり、いよいよ「無理!」な状態になり病院へ電話


入院決定。
3時に到着。
病院着に着替え、陣痛の痛みに耐えながら内診室へ。
この頃からもう痛みで正常心は無くなっていく・・・
子宮口の開きが5センチくらい?になったがそこからお産を早く進める為に、廊下を歩く

陣痛室が一杯で、トイレの無いスペースにいた為、少し離れたトイレまで歩く


良い運動になったのかもしれないけど、かなりキツかった~。
母親に抱き抱えられ歩く



トイレの中でも蹲り、そりゃもう、どうにもこうにも・・・。
廊下中、私のうめき声が響いていたような・・・。
時間は過ぎていき、昼を超す。
痛すぎて食事も水分もノドを通らない
何度目かの内診後、破水。
また時間が過ぎ内診室へ。
「邪魔な羊膜を取りますね」の声と共に水がドバっと出る。
それまでの痛みなんて比べ物にならない強い痛み!内診室で「イタイ~!!!」て叫んでました

「夜間は医師の数が少ないので、促進剤を使うなら今しかないですよ。」と言われたけど、もうこれ以上の痛みが間隔無く来るかと思うと踏み切れず、自分からは返事をせずにいたん。
そうこうしていると自然と陣痛間隔が2・3分になり、促進剤使わずにイケルと医師が判断。
母親の手とテニスボールで肛門を押さえてもらい、イキミ逃しをする。
もう、何がなんだか分からない状態になって、陣痛の合間でも意識が遠のく・・・。
夕方、旦那が駆けつける。
仕事の都合上、東京からの立会いは無理だろう、自分も見られるのは恥ずかしいし、来ないものと思っていた。
しかし、本来日曜しか休めない職場だけど、上司の計らいで金土日の休みを許してくれた。
母親がトイレなどで私から離れるときは旦那に肛門押さえをしてもらう。
旦那の抑え方がイマイチなときには指導して。
私は必死ですわ。
浣腸もせず、イキミが来るんやから、そりゃ、ウ○コも出ますわ。
こんな姿、旦那に見られる事になるとは・・・

でもこの頃には自分も羞恥心を持つ余裕もなくなっていたん。
そんな所じゃないん。
子宮口も8センチ開になり、イキむのを許される。
が、そこからが進まない。
陣痛も5分間隔ほどに遠のいてしまう。
先生が「今日中に産んでしまいましょう!」と夜10時くらいから促進剤を使うことになった。
お陰で間隔も2・3分に。
イキみたいだけイキめるのではなく、途中で逃す様に言われるが、それがまた痛いし難しい。
腰は分裂しそうだし、ほとんど何も食べていないのに吐いてしまうし、下腹は痛いし、、、。
子宮口全開になるも、赤ちゃんが降りて来てくれない。。。
うめき、叫びながら日付も変わり、自分の体力も限界に。
だって、まる2日寝てないんやもんね・・・。
1時過ぎ、ようやく分娩室へ移動。
吸引分娩になると聞かされる。
先生2人、助産士2人が機械やらの準備をしている。
その間も陣痛は容赦なくやってくる。
いよいよ吸引開始。
一人の先生が機械担当。
もう一人お先生がお腹を これでもかっ って強さで押す。
内臓つぶれそう・・・
旦那の「息吐いて!ふーふー」の声は良くきこえましたわ。
助産士さんは何していたのか見る余裕なく、下とお腹と陣痛の痛みに耐えつつ、旦那の声を拠り所に息を吐く。
もう記憶ありません・・・。
赤ちゃんが出てきた瞬間は本当に記憶が飛んでいたと思う。覚えていない。
でもその後、冷静になって、顔を見て、手足の数を数えて、ちゃんと揃っているのを見てたと思う。
その後は涙が止まらなかった~。
吸引分娩って無理やり引っ張りだすのやから、恐ろしく痛い物なんやと思う。
絵陰だけでなく、中も大きく切った様なので。。。
けど、それまでの先が見えなく続く苦しさに比べたら、吸引してくれて有難うございます!って思えたね。
分娩に掛かった時間10分程やと思う。
本間に、辛かった~。
友達で初産にも関わらず2時間で産んだ人がいたん。
そうなる様にイメトレしてたけどダメやったね。
私は入院から23時間苦しんだけど、同じ部屋のママで3日苦しんだ人、2日苦しんだ人がいた。
お産てひとによって違うって聞いてたけど、ほんとにそうやね。
もし、万が一、また子供を授かる事になったら、妊娠中に良く動いて、子宮口を開き易くし、赤ちゃんも程ほどの大きさで産まれる様にしようと思う
それと、私の陣痛に一睡もせず付き添って、腰、肛門を押し続けてくれた母親、本当に感謝で一杯!

助産士よりも頼りになった。
3人も子供を産んだ母親やから出来たんやろね。
仕事を置いて駆けつけてくれ、付き添ってくれた旦那。
嫌な顔せず、私のワガママな注文に答えてくれて感謝。
彼の声は凄く頼りになった。
廊下でウロウロしていた父親。
家に帰らず、心配してくれていた。
下はやはり見られたく無かったから、部屋に入らないでって言って御免よ。
年やのに、徹夜はキツかったやろうね。
生まれてきた子。
私達のもとに産まれてきてくれて感謝。
本当に可愛くて、もう親バカになってしまってます。
これらの感謝は忘れないでいたな・・・と思う。