クラシック音楽徒然草

ほぼ40年一貫してフルトヴェングラーとグレン・グールドが好き、だが楽譜もろくに読めない音楽素人が思ったことを綴る

グールドのバッハ フランス組曲第4番変ホ長調 + 池辺晋一郎「バッハの音符たち」

2015-06-26 13:57:05 | バッハ
フランス組曲は前半3曲が短調で、後半3曲が長調。
短調の3曲はやはりもの悲しげでシリアスな雰囲気がある。
4番に入るとパッと世界が開けたような雰囲気。出だしのアルマンドはこんな調子。



地面からムクムクと生命のオーラが湧き上がってくるような感じがする。
次のクラント。最初の2音がアルマンドと同じで、明確に音楽を継承しているが、さらにくだけてリラックスする。



上がタララタララと3連符、下がタッカタッカというリズムであるが、たまたま池辺晋一郎「バッハの音符たち」という本を読んでいたら、同じリズムが出てきた。



これはカンタータ《心と口と行いと生活て》BWV147にある超有名コラールである。
快活なクラントと心洗われるコラールを同じリズムで作ってしまう、というバッハの偉大を図らずも認識してしまった。
なお、ここで池辺先生が指摘されているのは、上のタララはラは一拍の1/3、下のタッカのカは1/4であるから譜面通りだと音がずれることになるが、上の3連符に合わせて演奏するのがふつうということ。
まともに譜面も読めないから、そんなことを意識したこともなかった。

ついでにこの本を読んで驚いたのは池辺先生の多作ぶり。
手がけた演劇は約350本。実は演劇の音楽といってもピンと来ない。まさか「エグモント」に対抗できるような重量級ではないと思うがかなりの数だ。
(本書の執筆は2000年頃だから現在はさらに増えているはず)
さらに大河ドラマの「元禄繚乱」では1年50回で600から700曲書いたそう。もし1曲を1番とすると、これだけでモーツァルトを上回る。
もっともモーツァルトだって「ドン・ジョバンニ」全曲で1番だから、これは比較になっていないが。
(そもそもこの話は、音楽作品の数え方は難しい、という文脈で出てきたのでした。)
それにしてもこれだけたくさん作曲して、素人向けの本も書いて、さらにテレビに出たりしているからスゴイ。
外見もどっしりしているからカツラでもつければまさに現代のバッハ。

本書ではフランス組曲もとりあげられている。
全24章のうちの第23章。内容はフランス組曲はイギリス組曲に比べ優美でおしゃれ、という程度で大先生にしては面白くない。
おまけに両組曲全曲の楽章構成まで示していて、ページかせぎの感ありあり。(一曲につき2行ずつ使えるから、これだけで1ページ半かせいだ。)
現代のバッハといえども連載の終了近くでネタが尽きたようで、かえって人間性を感じさせてくれます。

さて、本題のグールドの演奏であるが、心惹かれるのは組曲全体を通したつながりである。
この曲はアルマンド―クラント―サラバンド―ガボット―メヌエット―エール―ジグという並びがふつうらしいが、グールドはサラバンド―メヌエット―ガボット―エール―ジグの順番で弾いている。
時計じかけのような3拍子のサラバンド、メヌエットの次に2拍子系のガボットでちょっと動きが出てくる。
エールに入るとますますモメントが高まり、最高潮で弾けるジグに飛び込んでいく。
そこがすばらしく爽快で、思わず手を叩いたり足踏みしたりしてしまうのは私だけだろうか。








グールドのバッハ フランス組曲第1番ニ短調

2015-06-14 22:28:39 | バッハ
ブルックナーについて言いたかったこと―3,4,8番の初稿をほめたたえ、9番は4楽章を含めて演奏すべしと主張する―をどうにか書いてサッパリした後はバッハにハマっている。なぜかある曲が心の琴線に触れると、その作曲家の一連の曲ばかり聴く、というマイ・ブームが訪れる。その期間はまちまちで数年前にシューベルトの弦楽五重奏曲を初めて聴き”こんな名曲をいままで知らなかったのか!”と衝撃を受けた時は、半年以上明けても暮れてもシューベルトざんまいだった。しばらく前まではブルックナー・ブームだったのだが、こう蒸し暑くなると、さすがにブルックナーのような大管弦楽は聴く気にならない。グールドの冴えたピアノで涼を取ろう、と思って久しぶりに聴いたフランス組曲が非常に良く、バッハ・ブームに突入したのである。

グールドの演奏には、常に絶対的な静けさを感じる。まず水平線がある。楽曲が始まるとその上の空気がひとしきり振動するが、水平線はそのまま。曲が終わると、またもとの水平線に戻る。そんな印象である。この印象は、グールドが暴速で弾いているモーツァルトのイ短調ソナタ(この曲のレコードはグールドのしか持っていないから私にとってはこのテンポが標準なのであるが)のような曲でも変わらない。音の背後に何か静けさが感じられる。

なぜグールドの演奏は静かなのか?ペダルの使用を控えたノン・レガート奏法、とか、タッチが完璧に揃っていて音の粒に乱れがない、とか、各声部の強弱が精妙にコントロールされている、とかグールドの演奏法によるのかもしれないが、本質的には「芸術の目的は、アドレナリンの瞬間的な分泌を促すことではなく、おどろきと心の静けさをたゆむことなく一生をかけて構築していくことである」というグールドの態度によるのだと思う。

さて、フランス組曲第1番。この曲はアルマンド―クラント―サラバンド―メヌエットI―メヌエットIIージーグの配列であるが、聴きどころは2つのメヌエット。荘重なサラバンドの後、普通ならメヌエットでちょっと軽くなるところだろうが、グールドの演奏だと遅いテンポで深い瞑想に沈み込んでいく。メヌエットI、メヌエットIIと進むうち、どんどん瞑想が深まる。メヌエットIIの前半をオクターブ上げて繰り返した後の後半初め、冒頭の音形が畳み掛けるところでほんのちょっと感情の揺れが感じられる。が、その後はますます深く沈み、最後はまるで時間が止まりそうだ。メヌエットが2つある場合、2番目のはトリオとして使われ、メヌエットIにダ・カーポするらしいが、本演奏ではメヌエットIIで海底まで沈み込んでしまうので当然ダ・カーポせず、ジーグへ進む。

こういう演奏は無論バッハの意図したものではないだろうし、当時のスタイルでもないだろう。しかし、ここにはたしかに「おどろきと心の静かさ」がある。聴く者は思わず自己の内面と向き合ってしまうのである。