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市場社会意識が勝利した参院選、ネット利用解禁は、選挙ではなく日常こそ本番

2013-07-22 22:05:24 | 暮らし・街・環境

日常の課題や施策の経過・成果を、現場から持続的に伝え・記録を残してゆけるのがネットの強さ。瞬間的なアクセス数や感情的な人気など、エンタメやスキャンダルとは別の、持続的な活動のビッグデータの集積・活用こそが、ネットの社会的な使命の一つ。

できるのは、身の回りの、’レジリエンス’=基本的な目的と健全性を維持する能力を、共有する仲間を増しておくことだ。政党を選ぶというよりは、個別の施策にどう相対的な基準を持ち込むか仕掛けられる人こそ、現代の政治家かも。 今回の選挙が争点をもてなかったのは、対立する話題を、相対的に語る人が居なかった。自民党や安倍首相の理念が勝ったのではない。政党政治が分解を進め、市場社会意識が勝利した。

ちょっとした利権・利得をもって、市場原理を、経済規模拡大を望む層が投票しただけだ。競争社会、格差を覚悟する社会が肯定されたのだが、経済戦争や情報戦争による破壊という現代の競合を直視しているわけではない。金融資本市場・商品市場の膨張や破壊=バブルづくりとバブル崩壊は、現代の戦争であり、社会災害であり、人のコントロールをこえたものだ。金融資本市場は、それ自体が差異の最大集積化を求め、バブルと破裂を繰り返し続けるものなのだが。戦争や災害を否定しても避けられない。自身の生活の場で身を守り、戦うことでバランスを取ることが、世界の持続を守る。身を守るとは、自身の価値感を確立すること。戦うとは、絶えず変化に対応し、発信と応答を続けること。

世界の持続は、’在るべきイデオロギー’や、感情の吐き出しなど、多様な言葉や意識の刹那的合意ではない。様々な言い様と行動の経過・結果をセンシングして、大きな変化や破綻を防ぐ、複雑系の中の自己調整行為の仕掛けでこそ、持続可能だ。

持続的な意志を社会に望むなら、恣意的な市場調査や市場相場、無言のセンサー情報に頼るだけでなく、日常の生活現場に時間と費用を費やし話題を提供している政治家に、伝え続ける必要がある。また、施策を運用・管理している行政に、現場の状況を伝え続ける必要がある。その上での政治家による立法であり、行政との協力である。

だから、ネット選挙は投票以後に、本来の役割を発揮するのでなければ、AKBの総選挙と大きくは変わらない。いや、1人1人を見守っているAKBファンの日常を参考にするべきだ。しかし、CD売り上げで票の数になるのなら、それは市場の劇場化。かって資産で選挙権を持った時代があったけど。まー、政治が人の欲望を反映しつづけるだけのものなら、政治が市場に従ってしまうのも、やむを得ない。欲望も恐怖も、感情までを吸い込む市場社会だから。

参考:レジリエンス復活力 - あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か」

 


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