モノと心の独り言

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人とモノとメディアとメッセージ:映画『甲殻機動隊』素子から

2004-10-14 06:07:34 | 基本的なコト
メディアはメッセージ

メディアという情報の乗り物と、
メッセージという情報自体の関係は、
入れ子状態

意味するもとの、
意味されるものとの
入れ子の積み重ね

初めに意味されたものは、
アメーバの細胞膜にふれたものが、
変化しているか?変化していないか?
どっちがどっち?
細胞膜の中に、食べられるか?食べられないか?
どっちがどっち?


だいたい”情報”ということばは、明治時代以後のことば、
主に軍事的なところから使われていたことば、
敵か?味方か? 
拡げられるか?攻められるか?

意味は、長期的には生存に関わり、
短期的には、その場の占有、共有、共感、一体化に
根底では関わってきた。

男と女は、
永遠に互いの存在の可能性を、不確定さの中で決断させてゆく
異質性維持の仕組み。

人形にも、ロボットにも、本来の性がないがゆえに、
環境の変化に耐える多様性をつくってゆけない。

意味の伝達は、
その生命の生存に影響を及ぼす環境の差異を感知した反応動作。
意識するしないにかかわらず、その動作を、
圧力で(触覚で)、叫びで(音波で)、動作で(視覚で)伝え合ってきたのだろう。

叫びが、ことばに、物語に、歌に、
しぐさが踊りに、祈りに、形に、記号に、

それぞれが入れ子(フラクタル)になって、
メディアがメーセージを支え、
支えているメディアがメッセージになり、
ミクロではメーッセージの流れ、
マクロでは、メディアの構造に沿って、
声も文字も画像も映像も、積み重なっている。

メッセージだけが、ネットワークを飛び交うのではなく、
メッセージは、ネットワークの構造に縛られ、その意味もまた縛られる。

映画『甲殻機動隊』の素子のダイブする”ネットワーク”は、
”宇宙樹”、”生命エネルギー”を仮想した時代の夢の再現なのか?

いや、
”色即是空”と丸呑みする身体鍛錬と
擬体・電脳に馴染みこなす身体鍛錬と
21世紀の錬金術、いや練身術

身体がメッセージ自体となって”見得を切る”
”大見得を切って”ダイブする宇宙の海
「素子はどこ?」

(「さて、今日も夜が明けた」
 「なんで、文章が、バラバラなの?」
 「思念をまとめようとすると、
  歴史的な文脈に乗る表現がまだできないから。」)

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