モノと心の独り言

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近代の忘れ物を思い出す、ルドルフ・シュタイナー著 「色と形と音の瞑想」

2007-04-05 07:37:43 | 基本的なコト
’イコン’というと、形象・記号という視覚的概念の領域で語られる。
’メタファー’というと、言語的概念操作の領域で語られる。
このイコンもメタファーもそれ自体、交換される情報の塊・論理の部品ではなく、
人間の抽象概念の理解を支える概念操作という、人間の行為・動きである。

ルドルフ・シュタイナー著 「色と形と音の瞑想」は、
そんな言語中心・論理・記号中心の近代が、
中世・近世から置き忘れてきた人の感性・感情のありようを確かめる手がかりになる。
興味ある話題をたどれば、肉色・肌色、印・象徴、建築、数、音楽、
そして、ゲーテとシュタイナーの色彩論。
しかしこの概念操作において、言語はわずか、多くは色・形・音などを手がかりにしている。
メラピアンの法則は、行動社会学での特定条件下での実験からだが、
印象にのこる手がかりの順番は、視覚55%、音37%、言葉8%と言われている。
シュタイナーは、この視覚を色彩で語り、音を音階で語る。色の膨張感・収縮感は、今カラーデザイナーが語る色相・色味の手がかりでもあり、また人間感性の基本でもある。音でも、長調と短調を、拡張感・収縮感と語る。
このあたりも、生命の領域の拡大とエネルギーの高さ、つまり空間と質の、拡張・収縮に通じて面白い。

彼の名づけた人知学の宗教的・神秘主義的な表現は、その時代・社会の言葉だからであり、人の生活刺激・行動の記録などを集積・分析できない時代に受け継いできた直感的言葉を使っているからだ。
A.クラークの「2001年宇宙の旅」で理解しがたかった宇宙観も、シュタイナーの人類以前・地球以前の姿に対する考えと繋がっていた。宇宙生命的な考えかたは、キリスト教の世界の始原・終末観、また、最近の全環境をとらえる地球村・ガイヤなどの表現として身近でもある。
又、彼が当時の言葉で云う肉色による分類、「白人」が概念的に言葉に生き、「黄色人」が感覚に生き、「黒人」が衝動に生きるという強引さも、
風土・気象・日照・緯度による行動範囲と活動量として捉えると、分りやすい。
それを、固定的に捉えず、人類が森からでて猿と分化したように、種族のせめぎあい・移動は、状況を意識し対処する力が文明の発展に深く関わっていると、固有のものとして捉えなければ納得できる。

移動・変化するスピードが級数的に速まった今は、ユビキタス時代だ。
人の組織・取引・マスメディアばかりではなく、移動・連絡・個人的な日記まで、記録され交換・収集される。
モノとして測りやすい、生産・交換・消費として現れる経済・社会ではなく、
創造・共歓という精神や感情の共通性・強さの社会・経済である。
アート・コンテンツ、ブランド・金融商品は、その精神・感情のグローバル市場故なのだ。欲望はつねに他者のものなのだから(ラカン)

多くの精神世界の書籍が本屋に並び、年配ばかりではなく若者が手に取るのは、
物理・化学世界の法則だけではなく、
そこで反応・応答しあう人間の感性・行動こそに興味があり、生活に繋がるのだと感じているからでもないか?
何よりも、小説・エッセイなども、発行部数が桁違いに多く、ビジュアルな雑誌・コミックの売場が入り口の主要な場をしめているのが現実である。

コミュニケーション・メディアの主体が、印刷・文字から、通信・ネットワークの音声・画像・映像メディアへ拡大している現代、
色・形・音など、すべて日常のデザイン要素の大きな部分をしめ、
またそれが行為・機能を超えた感性・情緒の価値として、商品化されている。

逆に言えば、貴族・市民というセレブ・格上志向だけでない大衆社会の感性・情緒の時代が始まっているとも云える。
もちろん、より早くなった環境の変化や人間の欲望の増幅による、生存リスクも大きくなっているのだが。

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