モノと心の独り言

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ことば・言葉とクォリアの関わり

2005-10-10 06:49:20 | 基本的なコト
状況の中で、対象との係わりを繰り返すと、
’ことば’が生じる。
’ことば’は、くっきりとしたものではなく、
対象と自身との係わりが繰り返された関係によるぼんやりした、手掛りだ。

他の人と状況と対象を共有することを繰り返すと、それぞれの’ことば’が、共感的な’ことば’になる。

共感的なことばとは、
自然の中での手掛り、印、兆しなど、環境側につくものと、身体にしるし・飾るものとして、あらわされる。
そして、環境と自身から独立して、記号・文字などを獲得する。
記号・文字が自立的な関係を定義された結果の果てが、自動計算機であり、電子化されてその規模とスピードが凝縮された。

では、この電子自動計算で、対象の写し(画像・音像・映像)の塊が、記号・文字のように個人化してくると、クォリアを体現する媒体となるのか?

つまり、’意図’を’映像’'音像’の組み合わせ、時間指定をいれれば’映像’として、
表現できるのか?

クオリアとマルチメディアの連想へと
妄想は転がるのです。
ここで、クオリアを、メタファーのように扱って外部で扱っていることが
次の課題、
近代的個人の分裂、個人の脳をこえでる、記憶の外部化、
そして、ネットワーク社会に偏在する多数のクォリア、
という妄想が垣間見えるのです。

ここで、コミック・アニメ:「攻殻機動隊」における、
『Ghost in the shell』や、”笑い男”現象、或いは、ゴーダの精神的なウィルスに親和する。

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