わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

阿修羅で人のふんどしで相撲取っている怪しい似たもの同志

2010年12月16日 | 医学と健康

今日のふんどしです。

他人のふんどしの方がはきやすい・・・・

うん、そのうち自分のふんどし、どこかに無くしたりして・・

ああ、もう無いかも

そうなりゃ、もう覚悟して(なにを?)一生他人のふんどしで相撲取ってやる!!

 

と、決意も新たに(べつにいま始まったことでもないのだけど・・)

 

今日はあなたに阿修羅を紹介したいのだ。

そこの健康、豚(口蹄疫ともなっている)インフル、医療崩壊・・・

そこに投稿している僕とそっくりな奴が居るのだ。

そいつもほとんど他人のふんどしで相撲取っているらしい。

そして、他人のふんどし使ったばっかりに、他人のふんどしの責任まで取れと迫られている。

「あ、それは他人のふんどしでして・・決して自分のふんどしではありませんけど・・・」

などと言い訳してももう遅いのだ。

他人のふんどしばっかりしめていた為に、自分のふんどし、どっかに行ってしまって、はは、惨めな受け答えをしているんだなあ~~

読んでいておかしくなっちゃった。馬鹿なやつもいたもんだ。

そいつは「寅蔵」とか名乗っているけど、

きっと猫なんだろうね、おなじ属とはいえど、せめて名前くらい強そうにしておかないと、阿修羅という怖い名前の場に合わないからね。

(ここでばらして申し訳ないけど、

秋葉三尺坊  なんてハンドルネームあったけど、このひとどうも同郷のひとらしい。 どこかで繋がっているものがあるようだ。  くわしくは秘密)

 

 

こっちはそんな突っ込みもほとんど無い、逆に言えば無視されている状態で、もうそろそろやめるかななどと思っていたら、禿ましのお言葉をいただいのでもう少し続けるかな。

製薬会社の雇い人に始末されるまではね。

って、あいてにもされないかな?

まあ、いまの心境は死なんてどうってことないんだけど。

 

で、きょうのふんどし

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

2010年10月11日12:19

カテゴリ
    日々雑感

臨界点を越えた
みなさま。ご無沙汰しております。
書き出しは、言い訳から始めます。



ただいま私の生活はこのような優先順位でエネルギー配分しています。


仕事、健康管理(食材の調達、運動含む)、食事以外の家事、自健会電話・メール相談活動、ブログ更新、政治状況の把握。

これでもう一杯一杯。
他は興味はあっても、切捨ててます。


優先順位下位のほうはどうしても時間が足りません。
夜の時間帯にそうした時間を持とうとしても、パタリと眠ってしまいます。まるで、電池でも切れたように。
ある日、気がついたら寝室までたどり着けなかったらしく机近くの床で眠っていました。


疲れを意識する前に、眠ってしまう。
同年代の女性のなかには不眠を訴える人も多いのですから幸せなことではありますね。


政治状況の把握は優先順位下位ですが、許されるなら大いに時間を割きたい。
必死で抑制しないと、一日中政治情報を追っかけてしまいそうなのめりこみようです。


世の中には説明上手がいるもので、私のような政治音痴でもわかるように解説してくれる方がいます。
是非、「阿修羅」というサイトを覗いてみてください。
情報の質は玉石混交ではあります。
が、選択眼があれば数少ないといえども「玉」を発見できますよ。



本ブログで政治情報を発信するには、あまりも理解不足な段階ですから詳しく触れることは避けます。



ただ、医療に変化を起こそうと望むなら政治にも決して無関心ではいられないのです。



免疫力を重要視するすべての自然療法は、存在自体を否定される抑圧された実態があります。
では、抑圧してきたのはいったい誰なのでしょうか。


それは一般人・国民の意識です。


そんな馬鹿なとお思いですか?
正しくは、薬や手術でないと病気は治せないと繰り返し刷り込まれてきた国民そのものが代替療法を侮蔑し軽んじ、否定し続けてきたのです。


医者ではなく一般国民の意識が変らなければ、薬偏重の医学は変れません。
変われるわけがないのです。

名医。高価な薬。難しい手術。
そんなものがなければ、健康は保てない。
私たちは何十年も繰り返しこのメッセージを浴び続けています。

無意識にまで刷り込まれてしまった概念です。

こういう意識がある限り図らずも私たちは医薬産業を下支えしてしまうのです。
ゆえに薬害は起こり続けるし高度医療はますます先鋭化し医療費は膨らむ一方になって行くのです。
にもかかわらず、病気は増え続けます。


このストーリーが究極的に行き着く先はこうです。


「貧乏人は医療が受けられない。」


医療費を払えなくなった入院患者を道端に置き去りにする。
すでにアメリカでは現実化しています。もうこうした現実が目の前にあるのです。
それだけならまだしも、高度医療は臓器移植の拡大を計るべく世論を動かす準備を始めています。
この臓器はどこから持ってくるというのでしょう。貧しい国からでしょうか。人権のない国からでしょうか。


こうしたストーリーのなかでは、仮にお金があったとしても決して幸せとはいえません。
むしろ抗がん剤や濃厚治療、過剰医療による別の苦しみが待ち受けているといえるかもしれません。


このような医薬産業のグロテスクなストーリーに乗るくらいなら、無治療で死んでいくことを選択する覚悟が必要になってくるのです。

私が2000年にプロゲステロンを選択したときからその覚悟はもっています。




国民の意識が変りつつある。

阿修羅のサイトで私が注目しているのは常にこの点なのです。
この国の権威と呼ばれるすべてのものに検証の目が入り始めています。


いまやこれまでの権威に対する疑問は沸点に達し、臨界を超え行動に移ろうという段階になっています。


巨大な利権産業であるマスコミは国政に食い込んで、真実を捻じ曲げまげてきました。
私たちは騙されてきた。
騙されたといえないまでも、真実から巧妙に目を逸らされてきた。そうはいえると思います。


縦・横・斜め・上から下から内側から情報を分析する目が張り付いてます。
定年後時間が出来た団塊の世代がついに覚醒し、ネット上で活躍し始めたのが大きいでしょうね。


インターネットではウソやごまかしは、いずれ暴かれます。
縦横斜めから検証の目がはいれば、操作された情報は整合性を保つのが難しいからです。
整合性が崩れた瞬間、権威は機能を失います。


地鳴りのような変化はもう起こっています。
;=================================================================== CliPla ====
http://blog.livedoor.jp/ninomiyatchizuko/archives/51139113.html

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

どうも申し訳ありません。上記の方にはまったく了解を得ていません。

かってにふんどし借りました。

きっと、いまごろ

「う~~~、なんだか、さぶいなあ~~冷え込んできたのかな?寒冷前線近づいているって言うし」

なんて。

 

 

 

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