わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

化学療法の父--パラケルスス の憂鬱 

2016年02月05日 | 医学と健康

 

以前にも紹介したと思いますが・・

これだけ素晴らしい病気観をもっていたパラ蹴る煤、じゃない、化学療法の父--パラケルスス 

が水銀という毒物を使った(夜の時代だからよく効いたと思う)

その効果のため、肝心の病気観は忘れられ、実効(対症療法に過ぎないのだが)効果にのみ注目されたため、化学療法の父と後世に崇められたという。

だが。あちらにいるパラ蹴る煤、じゃないって! パラケルススは憂鬱(ゆううつ)だという・・・・(ってボクが勝手に思い込んでいるだけだが)

そりゃそうだろう。 
対症療法の浄化作用停止の水銀など使ってシマッタのだからね。それは「アンタのせいじゃな」とボクは声援を贈っておこう。 え?

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

 

 41P
    浄罪に逆らう医学

 パラケルススは神の浄罪力と医学との関係について次のような極めて注目すべき見解を著書『奇蹟の医書』(大槻真一郎・明治薬大名誉教授訳)(工作舎)で述べているので、同書から引用させて頂く。 

 「あなた方が知って置かねばならないことがある。それは、ヒポクラテスやラージス(アラビア医学の泰斗)やガレノス(ローマ医学)などの時代に医術がうまくいったのは、浄罪力が小さかったからだ。しかし今日では、悪が絶えず増大しているために、浄罪力が強まり、彼らの医学は通用しなくなってしまった。だから、今ほど悪い医者が多い時代はかってなかった。それと言うのも、今は浄罪力があまりにも強く、どんな医者でもその力に逆らうことは出来なくなっているからである」

 要するに、病気の原因は人間の罪(反自然生活)であるから、それを改めない限り、ますます浄罪力は強まるということ。しかも、そこに気付かず、医学で治そうとすることは、罪の上塗りをすることであって、つまり、医学は人を救うどころか、反対に病気の原因を助長することになるわけ。ここに「神なき医学」の悲劇と恐ろしさがあることに気付かねばなるまい。

 昨今のエイズ、MRSA(耐性菌)、輸血によるB型肝炎、人喰いバクテリア等々は、そのことを雄弁に物語っているが、パラケルススは五百年前にこうした時代が来ることを予見していたわけで、ここに彼の偉大さがあると言えよう。

 だが、医学は彼の警告を無視して、神の浄罪力に立ち向い、益々攻撃的医療をエスカレー卜して今日に至るのだ。

 神意に背いてひた走る「神なき医学」ーー、まさに歴史の悲劇と言わざるを得ないが、これも人知では計り知れない神のプログラムであろう。
 それと言うのは、皮向なことに、現代の強力無比な化学療法への道筋が、実はパラケルスス自身の手によって期せずして導かれたからである。



42P
   化学療法の父--パラケルスス 

 「神の医学」を実践したパラケルススは、意外にも現在の医学史では「化学療法の父」と呼ばれている。この問題は避けて通ることが出来ないので簡単に紹介しておこう。

 さて、パラケルススは当時の占星術や錬金術をマスターしたが、それに止どまらずそれらを超える独創的な理論を構築して医学に取り入れた。
 例えば、古代天文学(占星術)ではマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人体)を相似象(人体は大宇宙のミニチュア)として捉えているが(中国の陰陽五行説も同じ)、クリスチャンである彼は、「神は両者を〝双子の宇宙″して創造した」と述べている。つまり彼は「大宇宙=人体」と捉え、自己の中に「内なる大宇宙」(霊的実在)を自覚していたので、例えば占星術が説くように「外なる星」によって人体が支配されるのではなく、人体は「内なる神」の調和である、考えたのである。
 また当時の錬金術が金を造り出すことだけに血道を上げていることに対して、拝金主義に毒された邪道であると非難すると共に、「内なる錬金術師」という前代未聞の着想によって人体の生理を説明した。実はこの考え方は、インド医学(アーユル・ヴェーダ)のアグニ(今日の消化酵素に当る)という考え方にそっくりであるから、恐らく彼はインド医学を学んでいたのであろう。
 彼は、この「内なる錬金術師」の働きを正常化することが錬金術の使命であると考え、鉱物質を積極的に医学に活用することを考えた。まさに東洋古来の錬丹術の考え方である。なお、丹とは自然水銀(辰砂=硫化水銀)のことで、赤色(朱色)をしている。これが不老長寿の神仙思想と結びついて東洋では錬丹術となった。
 当時の錬金術では水銀と硫黄が中心であったが、彼はこれに塩を加え、この三者の三位一体的な調和を整えることによって「内なる錬金術師」の働きを正常化することが出来ると考え、この着想から当時ヨーロッパ中に蔓延していた梅毒疹に対する水銀療法(水銀硬膏)を創始して、劇的効果を上げたのである。

 しかし、この劇的効果が仇となって、彼の予期せざる方向へ医学を導くことになった。彼が残した錬金術に関する著書『アルキドクシス』を読んだ後の医師達は、故意か過失か知らないが「神の医学」や「内なる錬金術師」という考え方は全ぐ理解されず、専ら水銀療法の一時的な即効のみに幻惑されて、より強力な化学薬剤を求めて走り出した。

 かくして近代化学療法への道が開かれ、彼は、一般医史において「化学療法の父」と呼ばれることになった。が、生前の彼であれば、恐らくこの呼称を直ちに峻拒したであろうが、歴史の歯車は彼の願いとは逆に「神なき医学」を目指して独走し始めたのである。

 その結果、人々はやがて恐るべき薬毒の虜にされるのだが、その運命の転機はパラケルススの水銀療法に始まるわけで、人々は医療が一時的にせよ効秦する限り、人々は神を忘れがちになるという教訓である。しかし、ひとたび医療不信に陥ると、手掌(てのひら)を返すように神の救いを求め、それに縋ろうとする。まさに困った時の神頼みであるが、千年の長きに亘って中世ヨーロッパを支配した僧院医学がその典型と言えよう。


 ともあれ、ガレノスの誤った疾病観と、それから導かれる虚構の医療観を持ち続ける限り、人は病から解放されず、揚げ句の果ては、神仏さえも、病気治しの手段となることは、今も昔も変わりはない。


その根底にある考え方は、他人任せで主体性のない医療観が支配するためであって、〝物(医薬)に頼るか、神仏(偶像)に縋るか″という点が違うだけ。所詮は同床異夢に過ぎない。


かくして、人は医学と宗教との間を、彷徨いながら破滅に向かって驀進する。
人盛んにして天に勝ち、天定まって人に勝つーー

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 緑色の部分は重要ですね。

薬に任せる。医者に任せる。
他の療法に任せる(民間療法等)

これが「任せる」=「丸投げ」にするということでは同質だと言っているようです。

これについては「浄霊法」も同じ事。

これさえやれば後は・・・となると、効かないときは、また他に丸投げする・・・
まったく逆の方法(固めるか、溶かすか)の違いはあっても、丸投げはいけません。

どれをやるにしても、主役は自分自身なのだということ。

 

 

岡田茂吉の医学論の土台にあるのが薬毒論と浄化作用論ですが、

その土台にあるのが「夜昼転換論」なのですね。

難しいことは抜きにして、エネルギー状態が固結か融解かという働きが背景にあるという。
(もっと分からない?)

 

今までは夜の時代だから薬(毒)の固める作用がよく効いたというのだ。

ちなみに現在は昼への転換期にあるという。

それは昔はよく効いた薬が今後は逆転してくると言うのだ。

それは薬の本質、先祖返りのようなものか・・・毒の性質がよく顕れて来るというのだ。

だから、昔は単純にある主の毒を用いてもよく効いたし、長持ちしたというのが夜の時代という背景があったから。

近代で言えばステロイド剤とかね、劇的に効いたわけ。
魔法の弾丸、抗生物質とか。

いずれも初期は劇的効果を上げていたが、段々と効果が薄れると同時にその薬の本質である毒性が顕れやすくなってきた。

これも昼の時代にサイクルが替わって来たからと。

そして、夜の影響より昼の方が影響力が増すと、すべての薬が同様になってくるというのが骨子。

そのよい例が抗生物質が効かない超耐性菌の出現。

 

インフルエンザが大流行するというのも、浄化作用の形が集団化するということです。

それは体内に浄化の原料があるためであって、必要なければウイルスなど活躍もできないのです。それは細菌も同様、エサが無ければ繁殖できないわけです。

病源をいつまでも外から侵入するウイルスや細菌だとしている医学は今後も感染症に振り回され続けるでしょう。

もう80,90年前から言われたことを繰り返しているだけなんですけどねえ。

風邪(インフルエンザも同じ)は万病を防ぐ元。

罹るときには罹るがよかろう。

ただし、余計な邪魔をしないこと(浄化作用の停止=下熱剤や咳止め薬などの薬毒)

 

 

 



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