わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

医学はもう既に退廃期に入っている

2005年04月24日 | 医学と健康

そんな気がするのは独善てきだろうか。
最近のインターネット情報をみていても、医学の衰退というか負の面が目立ってきているかのようだ。

しかし、一般の人の目には全然変わっては見えないだろう。
ますます、医学は大切であり進歩し続けていると思っているだろう。

それは私がたまたま話をしたり聞いたりすることでよく分かるのである。
もうそんな人たちに医学は退歩しているとか、これから医学はだめになってくるなどといっても無駄だろうし、過去の経験でそんな事は十分知り得たことだから。

人の思考を変えるという事は一番難しいのだ。
彼らもそうだが自分自身でよく分かる。

自分がそういう事を受け入れる時期というのがあるようだから。
それまではいくら親切で言っても聞き入れては貰えないだろう。
逆にこちらの頭を疑うか、感情を害してしまい大切なおつきあいまで失ってしまうだろう。
理屈などではないのだ。
感情が嫌うからだ。

感情に対して理路整然とした説得などは無効も無効、かえって嫌われたりするのがおちである。

人は理屈や理論で心を変えるのではないようだ。
感情の方が心を切り替えるチャンスが強いのかもしれない。


私はこれからも自分の思いや主張は書いて行くが、個人に対して「ああしろ、こうしろ」とかは言わない様に気を付けないとならない。

ただ、私の思うことに共感してくれる、その時(時期)が合致してくれる人があれば嬉しい。ただ独りで強がって行くのも寂しいし、周りの環境が自分に合うようなことも幸せ感が強くなると思っているし。


私が25年前に共感した「現代医学の迷信性」というテーマが今でも未だ生きていると思っているし、そういう事実に気づいてきている人も増えてきていると思う。

しかし反面、以前よりも医学の信者として深い信仰を続けているひとも多いと気づいている。

やはり、もう後は一人ひとりの自由選択の時期なのだから、どちらが正しいとか間違っているとかの判断よりも、自分はこちらの方を選ぶという自由と責任の方が大切なのかも知れない。

薬を飲むのも自由だし、飲まないのも自由。
そして重要なのはそれを強制しないということ。

だが、今の医学制度はそれを一方だけの強制制度としているかの様に見える。一般の人にしてもそうだ。

医者にかからない人はまるで「悪」かの様に見ている人。
薬を飲まない人はまるで「狂人か変人」として排他主義で見る人。
ましてや法律などで、取り締まるなどは自由の束縛でしかない。

多数決の原理で言えば今の医学制度は正しい。
じゃあ、多数決がいつも正しいかと言えば、過去の歴史をみれば一目瞭然である。


まあ非国民的な差別だけはやめようよ。
逆になった場合も私も気を付けないといけないのだが。

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