昨日のセスのウイルス論は面白かった
ですか?
これは今の先端ウイルス学とか生物学の先生たちに聞かせてくださいね。
きっとハタと膝を叩いて喜ぶでしょう。
だってそのうち、生物学の方でもウイルス学者さん達が知り得る知識でしょうからね。
医学の方は?
あ~~これは一番遅いんじゃ内のかな?
医師頭の医学者さんたちが否定しまくるでしょ
その後ろには薬たたずの制約企業が控えているしね。
あ、文字ちがった?
今回は人間の本体であるという
意識
ということは・・・
ボクの身体は若々しかろうが老化していようが、疲労感いっぱいだろうが・・
本体じゃないってこと?
スクリーン上に登場しているひとりの配役?
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーwebより
「誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え」
P72
意識が存在するすべてです。意識は、それ自身の中に映像を創造するのです。映画はスクリーンがなければ、そこにあることはできません。ですから、スクリーンが現実で映画は現実ではありません。意識が現実です。あらゆるものは現象で、人間はその現象の一部です。現象の機能とは、夢のようなものです。
P98
目的は何もありません。それは娯楽です。もし映画がすべて善人の登場人物だけでできているとしたら、誰が観に行くでしょう? あなたが映画を観に行くのは、それが面白いからです。英雄がいて、悪漢がいます。ですから、神の映画においても、彼は英雄と悪漢を創造し、恋愛物語、悲劇、喜劇を創造します。神、つまり意識は、映画のために脚本を書き、映画を製作し、映画を演出し、映画の中のすべての登場人物を演じています。そして、彼は一人一人の登場人物に起こることを苦しみ、そして楽しんでいるということです。意識が映画を作り、意識が映画を観ています。登場人物は映画の終わりに何が起こるか知りません。ただ、自分は登場人物にすぎないと理解した登場人物は、もう何も気にしないということです。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
現代医学の本質を知るといかに必須で有用なアイテムかと分かりますね。
ただし、その「有用性」は「病気を造る」ということですが。
どんな映画(小説でも漫画でもあらゆる物語にも)でも、悲劇性が必要でしょうね。
大なり小なり、喜びの反対側、つまり悲劇があってこそ盛り上がるというものです。
それにはいろんなアイテム(この言葉が適正じゃないって?)が必要ですが、なかでも実に効果的というか必須というか、これは絶対どこかで使われちゃうってもの。
それが「病気」です。
病気でも進行中とかもありますし、(余命何ヶ月の花嫁とか・・)
過去系のもの(病気の結果、身体の不調や身体の不具合(五体不満足) とか、
そして未来形のもの(これから起こるであろうパンデミック等、伝染病の危機とかね)
それがあってこそ、映画は盛り上がるのです。
どうでしょうか、この「病気」という不幸がなかったら・・・・
もしも、これから病気という悲劇が無くなったら・・・
小説家(映画などの脚本家も)たちは、どうして物語を創り上げてゆくのでしょうか?
あとは事故とか戦争とか・・・
しかし、なんといっても「病気」こそ、不幸、悲劇のネタ元。
この病気について人類が長い間愛してきたのは・・・
物語に必須のアイテムだったからなのでは?
などと、妄想ばく進中のボクです。
が、上の引用のとおり、
この世が物語として活き活きするのは、善人がいて、悪漢がいる。
健康人がいて、病弱な人が居る。
ぼく達がいて君たちがいた♪
善人だけでしかも病気一つしない健康人だらけの世界だったら・・・
争いも無し(もちろん国家間の戦争などあり得ない)、病院も無し(当然薬も無い社会)
不幸の種など、どこを捜したらいいのかよ~~~(汗;
だったら、小説も漫画も書けないじゃ無いか!
おもしろくなんともないじゃないか!
これが映画だったら、観客はだれもいなくなる
だけど、同じ映画でもこの実写世界(つまりぼく達の現実世界のこと)ではそうはいかない。
かたくかたく信じているからだ。
横から見ても縦から見ても、どうみたって現実世界だ。
細菌も居るし、ウイルスも居る。
血も流れているし、鼻水も出る。
彼所は役立たずだけど、ちゃんと付いている。。。?
こんな現実世界が映画だというなら、証明して見ろ!!
ところが誰も証明出来ないほど「うまく出来ている」
病気もそうだ。
いくら有用な病気だといっても誰も信じられない。
ましてや、薬がその病気を治しているんじゃない。むしろ作り出しているんだ」などと言っても誰も信じられない。
もっともそう簡単に信じられても困るのだろう。
映画にならないじゃないか!
物語ができないじゃないか!!
たぶん、多数の抗議が¥¥
幻想の中にどっぷりと浸かっているマトリックスの世界としては
簡単には気づけないように細工が微に入り細に入り施してあるのだろう。
ここを最初に読んだとき、 まさか~~の声がでたのだが
どうやら、べつのひとも同じようなことを言っていたらしいのが冒頭の引用文だ。
そのここ → 人類の目覚めの時
あらゆる事が起きても、それは夢の中であり、「神の遊び」だというのですから。
でも絶対夢であるとは気づけないように出来ている ・・・だって造り主は神だもんね
で、登場人物のボクはどうなってるの?
ただの神の遊びのコマなの?
そこんとこは上記のHPで隅から隅までじっくり読んで自分で答をさがして下さい世
物語が何万難渋万年つづいたか知らないけれど、病気と薬の関係・・・
これほど長いつきあいだったとはね。
どうりであたりまえのことに気づかないわけだ。
薬学博士の弁 薬で病気は治せない
治しているのは自分の治癒力なのだ。
だが、これを知っただけではいけない。
次の談が必要なのだ
岡田茂吉医学論より
病とは浄化作用(本来の姿に戻す生命の反応)のことであり、肉体的には血液をきれいにする過程である。
薬はその過程を一時停止させ症状を緩和する働きがある。
だが、病そのものを治せない、どころか薬の本質である毒が次の病を造り出す。
いくら映画の中であっても出演者はそれが現実としか見えないように精妙に出来ているわけでして、高いビルから飛び降りれば死ぬし、車に引かれれば血を流して大けがもするし、毒を盛られれば苦しむというように、その中にはちゃんと法則があるのですね。
だから、物語だと言っても実際は現実そのものを体験しているように思えるんでしょう。
「知っていても」 そう感じられない幻想世界だと
どんなによく効く薬でも病を治すのでは無く、強い浄化停止に効いているだけである。
これが夢物語であってもこの現実世界の法則として効いているようなのです。
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