久しぶりに外で人様をどやしつけた。後で考えたらやっぱりどうみても自分が悪い。勝手きままにわがままいっぱいで人様を怒鳴っていた。
そこでどうも後味が悪くなって・・ じゃあちょっとは良いことを・・
と、また書いてみたのですが。
え、書かなかった方が?
・・・・・
でもね。せっかく書いたもんをぶちゃちゃあ~(捨てちゃあ~)
あのWHOでさえ、いい加減丸出しなんだから、こっちなどショミン中のショミンていう、なんだかショミンったらしいっていうか。
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
引用ってこともないか。
弱毒性と強毒性のウイルスの正体見たり!
(まあ、いつも題名ばかりりっぱにこころがけているねえ)
ウイルスの弱毒性と強毒性とは
いったいなんぞや?
この言葉だけで聞くと、ウイルスには毒性をもつような性質がある。
その毒性の性質をもったウイルスにも、比較的弱い毒をもつものと強い毒をもつものがある。
それを区別してインフルエンザにも弱毒性ウイルスが原因となっているものと強毒性のウイルスが感染源になっているものとがある。
こんな風に素人は判断しちゃいますよね。
はぁ? そんな風には思っておらん!?
そうですか・・・
でも、話の都合上、ほとんどの人が上記のように考えているんじゃないのかな?って事で話を進めたいのが当ボロ愚書きのご主人さまなんですよ。
だから、他人の迷惑などちっとも考えない勝手な奴ってことをご承知の上で読んで欲しいのです。
ちょっと話がそれるけど、だいたいこのボロ愚書きの主は相当勝手気ままであって、えらそうに書いている時もあるけど、実質はほんとどうにもちんけな奴なんです。(コレ書くといかにも謙遜ってとられそうだけど)
そんなケチな奴の裏話なんぞはどうでもいいのでした。
で、インフルエンザにはどうしてもウイルスが必要だと思いこまされてしまった我々ショミンと致しましては、そのウイルスにもジャクドクだのキョウドクだのという区分があるそうで。
まことにもってウイルスというものは厄介な存在なものですねえ~
と、たいして知らない者にとってはウイルスがどんなに小さくて細胞膜も無いとかいう事にも無頓着なんですね。
まして、それが果たして生物なのか無生物なのかという専門家諸君の葛藤などどうでもいいや、いや、そんな事はあんたがたにお任せしといて、こちとら、そのキョウドクだかジャクドクだかの区別をつけてくれってんだ。
でもねえ、熊さんや、そのジャクドクだのキョウドクだのという表現してくれているけど、あれはどうもこちらもよく分かっていないんだよなあ・・
なにをおっしゃる!旦那さん!
いや、あのね、起きて見なきゃ分からないってことなのよ、じっさい。
はああ?
患者さんの具合次第ってことかな、たぶん。
たいした事無かったらジャクドク性でいいんじゃないの?
まあ、感染者の具合が悪い傾向が見られた場合はキョウドク性ってことかな。
おいおい、しろうとが何も知らないって事分かっていてそんな事言うのか?
あまりにもいい加減すぎるなあ。
(この話は専門家無視の話なので話し2分目くらいに聞いて欲しいーーボロ愚書き)
だってそうでしょ。
生き物だか生き物でないかも分からないっていうくせに、ハナから分かるはずもないでしょ? そのウイルスが弱毒だの強毒だのという性格まで判断出来ると思う?
だってすべてもう分かっているんでしょ? ウイルスのすべてを。
いやあ~~そりゃあ皮かぶりだよ。あ、買いかぶりだよ。
そりゃあ、電子顕微鏡で何十万倍かは知らないけど姿は見ることが出来るんだけど。
それも自然界におけるものじゃないんだ。
だいたいがウイルスが活躍できるのは人体内の特定の細胞に限られているんだけど、電子顕微鏡はその自然の姿のウイルスを見ているわけじゃない。
だから、外へ連れ出してみて、それも不自然な環境においての状態を見ているだけのこと。
だから、それを見てだいたいは推測しているだけなんだな。
なな、なあ~~だあ~~、もうウイルスの事はすべて分かっているんだと思ってたら、ほんの一部の事しか知らないってことだったのかあ~~
そりゃそうだよ。
だいたいね、きみ、君らがかってにそう思いこんでいただけなんだよな。
医学は進歩してるってことだよね、進歩って知ってる?
進歩って事は「いまだ至らず」って事。
いまだ至らず? まだまだ未知数?到達してないってこと?
進歩って事はそういう意味が裏にあるんだ。
それをきみらは進歩、しんぽ、シンポ、インポ・・ってもうかってに解釈してしまって、至らずどころか到達しまくったという風にとっているんだからオメデタイ。
なんだなんだ。それじゃあ、ウイルスの事ぜんぶ知っているかの様に思っていた僕らがぼんくらだったってことか。
なんだ、分からないものがしらないものに教えている様なもんだなこりゃ。
まあ、とにかく科学というものは推測が基礎になって、そこからいろいろ講釈をしているってことかな。
え、講釈?」
そう言えば、講釈師見てきたようなウソを言い・・・
あ、講釈じゃない、解釈だ。
ああ・・解釈ね。しかし、解釈にも見方によって180度も違うっていうけど。
そういっちゃあ実も蓋もないよ。
まあ、わしらはフタの方を重点的に言っている場合もあるけどね。
う~~Mu.
実の方はどうなってるんでしょうねえ~~
ということで、ウイルスに対しての現時点での医学上の講釈は、いや、解釈は実にあやふやな状態にある模様である。
ゆえに、ただ単に流されてくる医学の情報に振り回されてしまっちゃあ、いけないよ。
あれも見方によっては解釈は異なる。しかも180度も異なる可能性も秘めているってわけだ。
ウイルスに果たしてそんな毒性があるのか?
細胞膜も無いという存在にそんな性質があるわけないでしょ。
ただ、あるのはそのウイルスが実際に感染して発症した人の結果をみてから、いやあれは弱毒性だったの、強毒性だったのって言っているに過ぎないんじゃないの?
意図も簡単に弱毒性だの強毒性だのと言っているけど、その科学的根拠を明快に示してくれよ。
あ、医学は宗教だったか。科学的なんて言葉は失礼だった。
で、あんたはえらそうに書いて医学批判してりゃ済む無責任野郎だからいいけど、専門家はそうはいかんのだよ、飯の種、じゃない、それぞれのお勤めがあるからねえ。
責任ていうけど、ほんとに責任なんてとる人いたの?_過去に。
「今の最先端の医学ではそうなっている」とか「医学の進歩において現在最高の・・・」とか言って、いつも責任は「医学」のせいにしてきたんじゃない?
それなら無責任なボクには最適だよ、180度異なる講釈をしてみるね。
あ、講釈じゃない解釈だ。
ウイルスは潜在世界から暫時育って顕在世界に姿を現す。
感染と言っても最初は個人の人体内からその姿を現す(自然発生)
そして、顕微鏡で見ているのは結果のすがたかたちである。
ウイルスとは働きのことである。
働きの意味を知らずして姿かたちにとらわれていると見えるのは単純な分類になるだけ。
ウイルスの肝心な働きとは、人体の浄血作用、浄化作用に寄与すること、エンジンオイルに添加剤を注ぐとスムーズに回転するかのような。
浄化促進強力化的役目。
ちょうど酵素の役割のように。
細菌と違うのは細菌は直接的であり、ウイルスは間接的である。
どちらも血液の浄化、細胞毒の分解促進。
細胞に毒性のものが含まれているものを選別して、その細胞の排除に協力する。
ゆえに、ウイルスが全身どの細胞にも侵入することはない。特定の細胞に進入して細胞破壊に寄与する。
その細胞に毒性があるから。
細胞にしても人体内のある特定の臓器など、体内の毒素が集まりやすい箇所に限るということになる。
だから、全身感染しても全身の細胞が破壊されるわけではない。必要(毒性細胞)な働きが終えれば自然に消滅してしまう理由だ。
ウイルスの性質としてはどこかの個の人体に発生したものが他者の人体にも「共振作用的に働くのが感染的に見える。
しかし、その時点で共振できる者と出来ない者がある。
感染しても発症しない者の理由はそこにある。
ウイルスは急速に変異してゆくのは個々の体内の環境が微妙に違うのと、まったく同じ毒性の細胞ではないからだ。
細胞毒の源は血液にある。
血液は潜在世界においては不純性質のエネルギーが含まれている。それが多いと血液の顕在世界としては汚れ、濁りとなってゆく、それが毒血というもの。
その毒血も浄化装置として細胞に集溜固結してゆく。
血液の流れを川の流れとすると、川の汚れは常に清掃されないとならない。
その川の汚れを一部の細胞群が引き受ける。
最終的にはその細胞群も人体機能の邪魔になるので排除される。
その特定の細胞排除にウイルスは共振信号を送るようなものだ。
もちろんウイルス無しにでも単独でも浄化作用は働ける。
それらをウイルスの無い風邪という。
無菌でも無ウイルスでも人体の浄化作用は休むことなく働く。
しかし、細菌やウイルスが手助けをすると急速に浄化作用が促進される。
したがって、その発症の状態も急速で激しい。が、浄化効果は絶大になる。
危険なのはその発症状態を人為的に止める行為である。
ゆえに発熱、下痢などの症状を止めるのは危険が高まる。
普通は風邪もインフルエンザ(流行性感冒と言うのだから、もともと風邪の一種)も自然に任せておけば順調に治るから、怖い病気どころか結果的には万病を防ぐもっとも自然な排毒作用なのだ。
わざわざ、何か食べ物でもないモノを飲んでみたりしてデドックスとかいう必要もない。自然に発生し、自然に治るのが基本である。
しかし、中には相当体内の環境が悪化しており、風邪に限らずとも強い浄化作用の必要がある人体にとっては、たまたま風邪から始まっただけで、風邪が原因というよりも体内毒素の多量の為に身体がもたない場合もある。
ただ、反自然療法による体力悪化もあるので、たかが風邪といえどもその対処方法によってかなり重度化する場合もある。
で、ウイルスは共振作用的媒介とでも言おうか、脇役なのである。
主役は各人体内の環境である。
という事は、脇役が勝手に進入干渉するのではなく、
主役が認めた、許しを与えないとウイルスは侵入できない。
その条件こそ、その人体のその時期においての浄化作用を起こすべき「時」と「毒素」の状態にある。
ただ毒素だけではない、共振のタイミングというものがあるようだ。
それが何か?
おそらく、集合意識世界においての魂の合意というような、個々において起こる浄化作用と集合体として起こる浄化作用という様な密接不利な関係があるのだろう。
人体においての各細胞の役割のように、個々はそれぞれの位置に置いて働きが異なっているが、全体としての役割分担の様に密接不離に絡み合っている。
人間においてもそうである。
世界中の人と人の関係は人体内における各細胞の様な関係であろう。
各細胞ごとにある役目と全体の中における役割。
この関係でみると世界の感染症爆発と自然減衰という関係が見えるかも知れない。
世界の感染症に現代医学が功績を挙げたという話はウソなのであった。
これは統計で出ている。ただ、医療大本営が隠しているだけのこと。
ウイルスが主役でないとすると、ウイルスの弱毒性とか強毒性の話も主客転倒ということだ。
主役は個々の人体の主にある。
すると、弱毒性とか強毒性とかは
吾らの人体にあるということだったのだ。
そして、原因、感染の源は自分たちにんげんにあったということなのだ。
外から内へ。
精神世界の話ではない、これは感染症対策のうちわばなしなのだ。
ということで、当講釈師の話は終わります。
あ、いや、解釈でした・・・
-----------------------以上引用終わり--------------------------------
そこでどうも後味が悪くなって・・ じゃあちょっとは良いことを・・
と、また書いてみたのですが。
え、書かなかった方が?
・・・・・
でもね。せっかく書いたもんをぶちゃちゃあ~(捨てちゃあ~)
あのWHOでさえ、いい加減丸出しなんだから、こっちなどショミン中のショミンていう、なんだかショミンったらしいっていうか。
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
引用ってこともないか。
弱毒性と強毒性のウイルスの正体見たり!
(まあ、いつも題名ばかりりっぱにこころがけているねえ)
ウイルスの弱毒性と強毒性とは
いったいなんぞや?
この言葉だけで聞くと、ウイルスには毒性をもつような性質がある。
その毒性の性質をもったウイルスにも、比較的弱い毒をもつものと強い毒をもつものがある。
それを区別してインフルエンザにも弱毒性ウイルスが原因となっているものと強毒性のウイルスが感染源になっているものとがある。
こんな風に素人は判断しちゃいますよね。
はぁ? そんな風には思っておらん!?
そうですか・・・
でも、話の都合上、ほとんどの人が上記のように考えているんじゃないのかな?って事で話を進めたいのが当ボロ愚書きのご主人さまなんですよ。
だから、他人の迷惑などちっとも考えない勝手な奴ってことをご承知の上で読んで欲しいのです。
ちょっと話がそれるけど、だいたいこのボロ愚書きの主は相当勝手気ままであって、えらそうに書いている時もあるけど、実質はほんとどうにもちんけな奴なんです。(コレ書くといかにも謙遜ってとられそうだけど)
そんなケチな奴の裏話なんぞはどうでもいいのでした。
で、インフルエンザにはどうしてもウイルスが必要だと思いこまされてしまった我々ショミンと致しましては、そのウイルスにもジャクドクだのキョウドクだのという区分があるそうで。
まことにもってウイルスというものは厄介な存在なものですねえ~
と、たいして知らない者にとってはウイルスがどんなに小さくて細胞膜も無いとかいう事にも無頓着なんですね。
まして、それが果たして生物なのか無生物なのかという専門家諸君の葛藤などどうでもいいや、いや、そんな事はあんたがたにお任せしといて、こちとら、そのキョウドクだかジャクドクだかの区別をつけてくれってんだ。
でもねえ、熊さんや、そのジャクドクだのキョウドクだのという表現してくれているけど、あれはどうもこちらもよく分かっていないんだよなあ・・
なにをおっしゃる!旦那さん!
いや、あのね、起きて見なきゃ分からないってことなのよ、じっさい。
はああ?
患者さんの具合次第ってことかな、たぶん。
たいした事無かったらジャクドク性でいいんじゃないの?
まあ、感染者の具合が悪い傾向が見られた場合はキョウドク性ってことかな。
おいおい、しろうとが何も知らないって事分かっていてそんな事言うのか?
あまりにもいい加減すぎるなあ。
(この話は専門家無視の話なので話し2分目くらいに聞いて欲しいーーボロ愚書き)
だってそうでしょ。
生き物だか生き物でないかも分からないっていうくせに、ハナから分かるはずもないでしょ? そのウイルスが弱毒だの強毒だのという性格まで判断出来ると思う?
だってすべてもう分かっているんでしょ? ウイルスのすべてを。
いやあ~~そりゃあ皮かぶりだよ。あ、買いかぶりだよ。
そりゃあ、電子顕微鏡で何十万倍かは知らないけど姿は見ることが出来るんだけど。
それも自然界におけるものじゃないんだ。
だいたいがウイルスが活躍できるのは人体内の特定の細胞に限られているんだけど、電子顕微鏡はその自然の姿のウイルスを見ているわけじゃない。
だから、外へ連れ出してみて、それも不自然な環境においての状態を見ているだけのこと。
だから、それを見てだいたいは推測しているだけなんだな。
なな、なあ~~だあ~~、もうウイルスの事はすべて分かっているんだと思ってたら、ほんの一部の事しか知らないってことだったのかあ~~
そりゃそうだよ。
だいたいね、きみ、君らがかってにそう思いこんでいただけなんだよな。
医学は進歩してるってことだよね、進歩って知ってる?
進歩って事は「いまだ至らず」って事。
いまだ至らず? まだまだ未知数?到達してないってこと?
進歩って事はそういう意味が裏にあるんだ。
それをきみらは進歩、しんぽ、シンポ、インポ・・ってもうかってに解釈してしまって、至らずどころか到達しまくったという風にとっているんだからオメデタイ。
なんだなんだ。それじゃあ、ウイルスの事ぜんぶ知っているかの様に思っていた僕らがぼんくらだったってことか。
なんだ、分からないものがしらないものに教えている様なもんだなこりゃ。
まあ、とにかく科学というものは推測が基礎になって、そこからいろいろ講釈をしているってことかな。
え、講釈?」
そう言えば、講釈師見てきたようなウソを言い・・・
あ、講釈じゃない、解釈だ。
ああ・・解釈ね。しかし、解釈にも見方によって180度も違うっていうけど。
そういっちゃあ実も蓋もないよ。
まあ、わしらはフタの方を重点的に言っている場合もあるけどね。
う~~Mu.
実の方はどうなってるんでしょうねえ~~
ということで、ウイルスに対しての現時点での医学上の講釈は、いや、解釈は実にあやふやな状態にある模様である。
ゆえに、ただ単に流されてくる医学の情報に振り回されてしまっちゃあ、いけないよ。
あれも見方によっては解釈は異なる。しかも180度も異なる可能性も秘めているってわけだ。
ウイルスに果たしてそんな毒性があるのか?
細胞膜も無いという存在にそんな性質があるわけないでしょ。
ただ、あるのはそのウイルスが実際に感染して発症した人の結果をみてから、いやあれは弱毒性だったの、強毒性だったのって言っているに過ぎないんじゃないの?
意図も簡単に弱毒性だの強毒性だのと言っているけど、その科学的根拠を明快に示してくれよ。
あ、医学は宗教だったか。科学的なんて言葉は失礼だった。
で、あんたはえらそうに書いて医学批判してりゃ済む無責任野郎だからいいけど、専門家はそうはいかんのだよ、飯の種、じゃない、それぞれのお勤めがあるからねえ。
責任ていうけど、ほんとに責任なんてとる人いたの?_過去に。
「今の最先端の医学ではそうなっている」とか「医学の進歩において現在最高の・・・」とか言って、いつも責任は「医学」のせいにしてきたんじゃない?
それなら無責任なボクには最適だよ、180度異なる講釈をしてみるね。
あ、講釈じゃない解釈だ。
ウイルスは潜在世界から暫時育って顕在世界に姿を現す。
感染と言っても最初は個人の人体内からその姿を現す(自然発生)
そして、顕微鏡で見ているのは結果のすがたかたちである。
ウイルスとは働きのことである。
働きの意味を知らずして姿かたちにとらわれていると見えるのは単純な分類になるだけ。
ウイルスの肝心な働きとは、人体の浄血作用、浄化作用に寄与すること、エンジンオイルに添加剤を注ぐとスムーズに回転するかのような。
浄化促進強力化的役目。
ちょうど酵素の役割のように。
細菌と違うのは細菌は直接的であり、ウイルスは間接的である。
どちらも血液の浄化、細胞毒の分解促進。
細胞に毒性のものが含まれているものを選別して、その細胞の排除に協力する。
ゆえに、ウイルスが全身どの細胞にも侵入することはない。特定の細胞に進入して細胞破壊に寄与する。
その細胞に毒性があるから。
細胞にしても人体内のある特定の臓器など、体内の毒素が集まりやすい箇所に限るということになる。
だから、全身感染しても全身の細胞が破壊されるわけではない。必要(毒性細胞)な働きが終えれば自然に消滅してしまう理由だ。
ウイルスの性質としてはどこかの個の人体に発生したものが他者の人体にも「共振作用的に働くのが感染的に見える。
しかし、その時点で共振できる者と出来ない者がある。
感染しても発症しない者の理由はそこにある。
ウイルスは急速に変異してゆくのは個々の体内の環境が微妙に違うのと、まったく同じ毒性の細胞ではないからだ。
細胞毒の源は血液にある。
血液は潜在世界においては不純性質のエネルギーが含まれている。それが多いと血液の顕在世界としては汚れ、濁りとなってゆく、それが毒血というもの。
その毒血も浄化装置として細胞に集溜固結してゆく。
血液の流れを川の流れとすると、川の汚れは常に清掃されないとならない。
その川の汚れを一部の細胞群が引き受ける。
最終的にはその細胞群も人体機能の邪魔になるので排除される。
その特定の細胞排除にウイルスは共振信号を送るようなものだ。
もちろんウイルス無しにでも単独でも浄化作用は働ける。
それらをウイルスの無い風邪という。
無菌でも無ウイルスでも人体の浄化作用は休むことなく働く。
しかし、細菌やウイルスが手助けをすると急速に浄化作用が促進される。
したがって、その発症の状態も急速で激しい。が、浄化効果は絶大になる。
危険なのはその発症状態を人為的に止める行為である。
ゆえに発熱、下痢などの症状を止めるのは危険が高まる。
普通は風邪もインフルエンザ(流行性感冒と言うのだから、もともと風邪の一種)も自然に任せておけば順調に治るから、怖い病気どころか結果的には万病を防ぐもっとも自然な排毒作用なのだ。
わざわざ、何か食べ物でもないモノを飲んでみたりしてデドックスとかいう必要もない。自然に発生し、自然に治るのが基本である。
しかし、中には相当体内の環境が悪化しており、風邪に限らずとも強い浄化作用の必要がある人体にとっては、たまたま風邪から始まっただけで、風邪が原因というよりも体内毒素の多量の為に身体がもたない場合もある。
ただ、反自然療法による体力悪化もあるので、たかが風邪といえどもその対処方法によってかなり重度化する場合もある。
で、ウイルスは共振作用的媒介とでも言おうか、脇役なのである。
主役は各人体内の環境である。
という事は、脇役が勝手に進入干渉するのではなく、
主役が認めた、許しを与えないとウイルスは侵入できない。
その条件こそ、その人体のその時期においての浄化作用を起こすべき「時」と「毒素」の状態にある。
ただ毒素だけではない、共振のタイミングというものがあるようだ。
それが何か?
おそらく、集合意識世界においての魂の合意というような、個々において起こる浄化作用と集合体として起こる浄化作用という様な密接不利な関係があるのだろう。
人体においての各細胞の役割のように、個々はそれぞれの位置に置いて働きが異なっているが、全体としての役割分担の様に密接不離に絡み合っている。
人間においてもそうである。
世界中の人と人の関係は人体内における各細胞の様な関係であろう。
各細胞ごとにある役目と全体の中における役割。
この関係でみると世界の感染症爆発と自然減衰という関係が見えるかも知れない。
世界の感染症に現代医学が功績を挙げたという話はウソなのであった。
これは統計で出ている。ただ、医療大本営が隠しているだけのこと。
ウイルスが主役でないとすると、ウイルスの弱毒性とか強毒性の話も主客転倒ということだ。
主役は個々の人体の主にある。
すると、弱毒性とか強毒性とかは
吾らの人体にあるということだったのだ。
そして、原因、感染の源は自分たちにんげんにあったということなのだ。
外から内へ。
精神世界の話ではない、これは感染症対策のうちわばなしなのだ。
ということで、当講釈師の話は終わります。
あ、いや、解釈でした・・・
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