わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

本当に医者は足りないのか

2010年04月04日 | 医学と健康

 

2016/12/17追記

昔の記事が読まれているようなので、コメントを追記しました。

簡単ですが

現代医学は病気を治せない、治さない。むしろその対症療法(薬物を主とした)によって病気を増やしている(もしくは重度化させている=軽い病を重難病につくりかえている)造病医学だと気づくとすべてが見えてきます。

医師が不足しているかどうか、という質問にも視点が違うとまったく逆の答が見えてくるのです。(普通は医師不足なのだったら医者を増やせば良くなる=病人が減ると考えるでしょうが)

 

極々かんたんですが・・ 普通じゃない視点でみると・・・

詳しくは過去記事の中にくどいほど紹介してありますのでそちらをご覧ください。(ただし100パーセントではないので取捨選択が必要です)


 

今の医師は現代医学(西洋対症療法を柱としている)の教育を受けている。

この医学による医療全般の本質が造病医学なので、「治療行為」そのものがどうしても、病気を造り出すことになる。
もちろん、治る人も居るがそれは薬が治しているわけでは無い。(薬学博士もちゃんと本に書いてある)治るのはあくまで自分自身の力である。

 

 

医師が善意であろうが、悪意であろうが、その医学に基づいて行う医療そのものが病気を造り出す。

 

ゆえに、医者が増えれば病気が増える。(もしくは重難病化してくる)

 

ということは、いくら医者を増やしても病気は増えるのだから、いつまでも医師不足は続く。

 

ところが、世界の常識では医者が病気を治すという視点でみているから、病気が増えたら医者を増やせばよいと考える。

医者が増えるということは、病気を造り出す。(実質は薬物療法が土台だから、薬が病気を造り出す。)

医師が不足するのは病気が増えたからなので、病気が減れば医師は余る。

医学の目的は病気を減らし、より軽い病気にして行く事。その結果として病院は暇になり、医者も暇になる(余剰人員)。

ゆえに「医師不足」とは医学そのものに欠陥があるという証明に過ぎず、世の中が「医師が余る」現象こそ

真の医学であり、医学の勝利なのである。

 

この逆の視点はすでに昭和初期に示されていたことです。

2016/12/17記述


 

 

 

【転載】ほんとに医者は足りないのか、考察  (おじいさん医師の記事より)
http://www.asyura2.com/09/iryo03/msg/262.html
投稿者 寅蔵 日時 2010 年 4 月 02 日 10:27:24: 8X/teMCB5Xc.E

ほんとに医者は足りないのか、考察

【以下転載記事】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
副島隆彦 近代医療掲示板より
http://www.snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=medical
ほんとに医者は足りないのか、考察
投稿者:おじいさん投稿日:2010/03/15(Mon)
14:18:20

医者が足りないと言うことが叫ばれて、医学部の定員が増え、最近では、新規
の医学部増設も検討されております。

一般の総合病院で働く勤務医は確かに忙しい。
まず、患者の数が多すぎる。そして、検査が多すぎる。
そして、そこには健康不安で、ほとんどヒステリー気味になった、中高年以上
の「年寄り」が大半を占める。
くだらない病院機能評価の基準を守るため、書類攻撃、会議攻撃にあう。
おまけに何の手当ももらえないのに、研修医を教育しろという。

病院経営者からはこういわれる。
「ベットを入院患者で埋めろ、埋めた後はさっさと退院させろ。治ろうが治る
まいが退院させなければ、赤字だ。」
接遇としょうして、いまだに、患者に「様」付けをして、一般のサービス業と
変わりない待遇を強制させる。
これでは患者が、医師に対してサービス提供者として、対応に不満を述べたり、
場合によっては暴力に至るのは必然と思われます。

ところで、こうして提供された医療によって、本当にコクミンは健康になり長
寿になったのでしょうか?
例えば、なぜ、日本ではこんなに自殺者が多いのでしょうか。
もはやほとんど助かる見込みのない人に、人工呼吸器をつけて、高額薬品を投
与することが、防衛医療としての「善意」ととらえられている一方で、ブランド品
を買うために自分の体を売る子供がいたり、酒飲みオヤジに殺されてしまう赤子が
いるという、現象をどう理解したらよいのでしょうか。
教育費削減や失業によって、すさんだ生活があり、年収200マン前後の労働者が
1000万人いるという現実のなかで、本当に意味があるのかないのかわからない、特
定の、、というか、たっくさんの医療に対して、何兆円も税金が使われているとい
う現実をどう考えればいいのか。

結論を言えば、不必要な医療さえしなければ、医者も看護士も、はっきりいっ
て、今の10分の1くらいでいいと思います。

例えば、糖尿病(2型)や高血圧(本態性)も、普段の生活から変えないと何も
変わりません。
それは必ずしも医者が行う必要などないのです。テレビ、新聞でアナウンスす
ればいいのです。それで変えない人は、医者にかかったっていっしょです。
多分これだけで、薬は100分の1くらいに減らせるでしょう。

ガン?これも一部を除き生活習慣病ではないですか?

特殊な難病については、あやしい薬剤がゴマンとありますが、あれも、検討の
余地があります。「ロレンツォのオイル」みたいな病気は確かに不幸ですがそれを
利用して儲けたり、迂回して税金を使うのはどうかと思います。

ようするに医者が足りないという言い方には一方で患者が多すぎるという見方
があるわけで、要するに、不要な医療が多いと仮定すれば、(実際そうですが。)、
患者は減るわけで、医者も少なくてすむ、、先日のキューバ医療を勧めるわけでは
ないですが、参考にはなると思います。

cost perfomanceを考えれば、日本の医療がいかに悪いのか、、場合によっては
害なのか、、コクミンの皆さんは早く気づくべきです。
労働人口の1000マンに近くが年収200マンなのに、、、
終末期医療だけで、2兆円くらいは使われていると言われています。。
ちなみにわたしは70歳以上の高齢者には、延命治療はしない方がよいと考えま
すし、(大半は医者のパフォーマンスで肋骨が砕ける。)、イギリスのように薬物
の選択は狭くすべきと考えます。「日本は薬の認可が閉鎖的。」という、プロパガ
ンダにはそろそろ釘をさし、特に抗ガン剤については、コスパを考えて制限する。。
。救急車は1回5千円とり、タクシー乗車をやめてもらう。
以上の施策だけでも、10兆円くらいは浮きますね。

これにはとにかく若い人が選挙に行くことでしょう。若者を大事にする政治家
を育てることでしょう
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

URL:http://www.snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=medical
 

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コメント


01. 2010年4月02日 11:20:15: XSoUP
104歳の実母について書いておられる方のブログでも、この主張が正しいとわかります。
薬や医者に頼ると病気になって長生きできないというのが結論です。
http://longstory.blog.so-net.ne.jp/

02. 2010年4月02日 15:45:34: 8TRcY
必要なときは医者にかかる。
必要でないときはかからない。
それが基本です。

03. 2010年4月03日 07:48:07: fPK8Y
施折です。


>一般の総合病院で働く勤務医は確かに忙しい。
>まず、患者の数が多すぎる。そして、検査が多すぎる。
>そして、そこには健康不安で、ほとんどヒステリー気味になった、中高年以上
>の「年寄り」が大半を占める。

かつて私はこのおじいさん医師の言うところの、ほとんどヒステリー気味な患者の一人でした。
なぜヒステリーになるのかといえば、からだが全体的におかしいのに、部分的な対処しかされない、また薬での対処しかされなからです。
さらにその苦痛に対して同情もされないばかりか、頭が狂った人扱いになっているのが現状です。

医療現場では不定愁訴を抱える中高年女性は最も嫌われています。
それを当時痛感しました。

症状を説明することもできず、体調も改善されず、また理解もされず不満だけをつのらす。しかし、医師から離れることもできず、嫌われることはわかっていながらドクターショッピングを繰り返す。

これを非難し、指摘したところで現状にいささかも変化はおこらないはずです。

解決策は 一人一人が自分の健康問題をある程度自分で解決できる手段を持つことです。
私だけでも、喘息、腰痛、立ちくらみ、皮膚疾患、歯周病、その他自分でも説明不可能だった不定愁訴。これだけの医療の必要な症状を解決できています。
解決しているばかりか、その後これらの症状が起こっていません。

「ほとんどヒステリーとなった患者」
この侮蔑的な言い方が態度に表れ、患者の反感をつのらし医療機関への不満を膨らませるのでしょう。

患者が自分で健康管理できる手段があれば、忙しい勤務医はヒステリー患者から永久に開放されるでしょう。
(私も医者とは侮蔑的な態度の医者と無縁となって喜んでおります。)

その具体的手段が食の医学です。



04. 2010年4月03日 20:33:34: FiDIl
今年80歳になる母に数年前、体調が悪いからいつももらっている薬を
病院にとりにいってくれ、と頼まれていってみてびっくり!
レジ袋いっぱいの薬!何の話も聞かず、ただ私に薬をわたすだけ。
これが私の住んでいるところで一番の評判のいい診療所。
薬を飲み続けている母はいっこうによくならず、病院をかえ(そこは評判が悪い)
薬を1種類にかえたら、あら不思議。たちまち元気になって、最近は
近所の世話役になっている。

05. 2010年4月04日 05:32:54: jqVDu
大変参考になります。プリントアウトしました。03の、方の 「部分的」の、言葉が、的を射ていると、素人ながら、賛同しました。維新あたりから、西洋医学が、押し寄せたらしいんです。絵画も、しかり。「分析」 これも、江戸時代には、なかったらしいんです。この事は、多分に、宗教と、関係があるらしいんです。自身の、記憶では、少々、頼りないんですが、キリスト教では、聖母マリアと、人間を「分ける」事から、人間と、自然を「分ける」この、「分ける」事から、自然を征服する、とつながり、征服観念が、生まれた。と、あります。また、デカルトの、われ思う・から、われ在り・・は、人間中心の、哲学らしいいんです。「らしい」で、申し訳ないんですが、この、デカルトの、我思う・から、我在り・・の次に、その我は死ぬ・もしくは、消える。そして、また、我在り・・と、円く、循環するんです。在りのままでは、生存に向かい、ノイローゼになります。これ、言葉遊びみたいに、感じられるとおもうんですが、座禅すると、納得できます。循環が、中心の方向に向かうと、浄められると、理解してます。

06. 2010年4月04日 09:10:02: BXxGz
寅蔵
これは病院や医者だけを責めても解決しないようです。
ただ役割としては現代の医者は現代医療の臨界点に位置している立場なので、前も後ろも虎という状況に置かれていると思いますよ。

知っていてもできない事はあり得ると思います。
それは医療界の決まりの様な治療上のガイダンス?というのか、治療のための指針というものに背いてはいけないそうです。
背いても良いのでしょうが、裁判の時にそうとうまずい事になる。
だから治療指針というのが問題になりそうです。
これを作っているのが一部の医学者として、それに援助交際的製薬企業となりますが、さらに追求して行っても果てしない、いや、なかよしこよしのみんなで手を繋いで「○○チャンが言うから」ととなりの子のせいにして回っているようですし。

まず患者がなんでもかんでも訴えて裁判にしてしまうことが原因のひとつかも知れません。マスコミも記事で叩くのでこれが重大な悪影響なんですが。

「医療過誤」「医療ミス」で叩かれるから
は反省して気を引き締める   のは良いとしても

「医療拒否」で叩かれる
もしくは
「医療を施さないで」訴えられる場合が重要問題なのです。

その医療が「必要ないと分かっていても」です。
患者はまず「何もしてくれなかった医者だ」と非難します。
もし死亡したりすると、裁判にて「やるべき事をやらなかった」という訴えで出るでしょう。

すると、「治療指針どおりにやっておかなければ裁判で負ける」事が心配ですから、当然そのとおりにやります。

だから「治療指針」なるものが本当に必要な治療なのかどうかよりも、裁判で負けないためには必要という治療があるのではないでしょうか。

患者も患者です。
やればやったで医療過誤だのと訴え、しなければしないで訴えるしで、今の医師はびくびくものかも知れません。

しかし法律上で勝てるのは医学界の指針通りやっていれば安全です。
それが間違っていたとしてもです。
間違っていたことが判ったときは、それは上層部の方だけで処理されて終わります。

薬害エイズ事件などもよい例でしょう。
現場の医師達は指針通り、厚生省ご通達どおりのやり方をしていれば罪になることはありません。
むしろそれに逆らってなにか起こった場合に責任を問われてしまいます。

だから医師達はその立場上もあるし、医療教育そのものがその医師を作りだしているのですからこれはもうどうしようもない構造上の問題です。

だから、政治家やお役所など、さらにマスコミなどはもっと無駄でしょう。
彼らはある意味なかよしこよしの手を繋いだ子供達なのかも知れませんから。

無駄なエネルギーを使って攻撃しても無駄と判れば、後は自分だけです。
それと身内の理解です。

なんとしても自分一人というのはかなり困難な道でした。これは自分の体験ですが、一番反対して一番効果あるのが身内ですよ。

他人の冷たい目などはたいした事もないでしょうが、いざというときに役立つのも足を引っ張るのも身内です。

自分ひとりだけでがんばるというのは難しい。
だから同様なお仲間が必要なんですが、いざというときに薬を飲まないなどというお仲間は今までほとんど少なかった、どころか何人も挫折していったのです。

いまようやくこういう話しの通じる人たちが増えてきたようで、今年は張り切って、いや今年限定でがんばってみようかと思いまして出てきているのでが、かなりうるさい奴だと(笑い)

大昔だったら官憲がやって来たり、密かに殺されたり・・
でも、いまは時代の波が起こっているのでしょう。

寅年にまた阿修羅を歩き回るのも楽しいものです。

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