不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

本当の事を言ったり書いたりすると「くたびれもうけ」になるの?

2010年12月19日 | 医学と健康

先の試験では「リンク禁止」が解除されたようですね。

このHPは凄すぎる!

ちょっと、ここまでひどく書く必要はないのでは?

あまりにも残忍性、残酷性だ!

僕も紹介しながらも考えていました。

 

もっとやんわりと書いたらどうなのかなあ~~
あれだと殺されかねない(もっとも覚悟しているとどうってことないか?)

などと。

けど、最近の日記を読んだら、そんなの先刻承知の助だったようで。

ちょっと一部転載

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

http://hon42.com/iryou/br201012.html
;=================================================================== CliPla ====
    「あのサイトは余りにも出している事実も表現も残酷すぎて人には紹介できませんよ。とくにやられたガン患者やその家族にはとうてい見せられません。紹介したら恨まれますから。
    あの書き方では一部の人にしか広がらないですよ。あれを読んだ患者はコケにされたと思って書いてる人間に怒りが向かいますよ」

と、こういうことを言われました。
同様のことは前にもあって、ガン患者に対して船瀬先生のガンで死んだら110番 愛する人は“殺された”を渡してほしいと持って行ったら「こんな本、渡せませんよ」と言われました。
こういうことは、いまさら人に指摘されてハッと気づいたことではなく、そう思う人がいるだろうなというのは友達とも何度も話していたことで、最初から予想していたことで、私はどれだけ悪く思われてもかまわないと思ってます。
同様のことは、前に他の人からも言われていて、おそらく読まれた人も「この表現じゃ広がらないわ」と思われていることでしょう。気づいていないわけではないです。
私はその時にこう答えました。

    「それはもちろんわかってます。そもそも私は誰でも彼でも助かってもらいたいという言う意味で出していません。自分の人生の何が間違っていたのかということを根本的に悟れない人は助かる資格がありません。
    あのサイトは、わかるに人だけ助かってもらいたい、チャンスを提供したいと思って書いてます。心のある人にだけ助かってもらいたいので誰でも彼でも医猟のワナから逃れるようになったら、今のおかしな狂った人間の人口が増えて困るので万人ウケするように書く必要はないし、あの方針を変えるつもりはないです。
    おかしな人間を浄化している残酷な殺人医猟がなくなったら困りますから、そう思った人が読めずに殺されていくなら、それでしょうがないんじゃないでしょうか。世の中、助かるべき人しか助からないようになっているんです。
    医猟は浄化装置として必要悪だと思ってますから広めて潰す必要はないと思ってます。」と。


開設当初の2009年の夏ぐらいまでは、ある程度、丁寧な表現で書いてきましたが、これは自分が求めている本やサイトの表現としては「こんなぼかして書いたらもの足りないな」と言うことで、それ以降は騙す医猟の悪魔的な残忍性と騙される患者の滑稽さをストレートに表現することが中心になり、被害を受けた人にとっては非常に残酷で過激な表現になってきました。
人の感情を気遣ってオブラートに包むよりも本質をストレートに表現することに重点をおきはじめたと言うことです。
top
●非常に残酷な表現に関して
私がなぜもっとも残酷な表現で、この現代文明という残忍な世界の事実を書いたかと言いますと、それは人が本当の虚構の世界に気づくということがいかに難しいか、本当の事を報道することはいかに難しいことかということをさんざん見てきて感じているからです。
誰もこの虚構の世界の本当の滑稽なる実態をストレートに書くことができなかったということを初めてストレートな形で破って表現したのは、このサイトが初めてだと思っています。
人はストレートな残酷な事実よりも耳鳴りのいい嘘に惹かれてしまうものです。だからこそ残酷な現代医療がこれだけ支持されているわけです。 何十年間も医猟で痛めつけられて自分が何されたかまったく気がついていない人がほとんどです。私のように本当の本質を言ってくれる人が誰もいないからです。私は殺す医猟の問題で、いろいろわかった事ですが、人は自分が悪者にされたり文句を言われてまで人を助けたいと思わないものです。基本的に人がどうなろうと関係ないですから。本当の事を教えてあげたら怒られるんですから。親子関係や大親友くらいならまだしも、人を助けようとして怒られたてそんなバカバカしいことをわざわざ言うお人好しは居ません。
本当の事をストレートに書くのがいろんな意味で怖いからです。自分が悪者になりたくないからです。
まあ、これは狂った人間社会が全く変わることができない本質的な人間の心の壁だと思います。人間にはその心の壁があるから人は、基本的に変わることはできない。人間社会も変わることはできないものです。
例えばがん治療の闘病本を見ると自然療法と現代の悪魔の三大治療に莫大なお金をつぎ込んでいる人の何と多いことか。
半分このサイトに書いていることもわかって自然療法もやっているわけです。
このサイトや船瀬俊介先生の本を読んでさえいればすぐに地獄から抜け出せるというのに誰も言ってくれる人はいません。本で探しても書いてくれる人はいません。
この悪魔の3大治療で、猛烈な発癌作戦を受けているわけです。結局よくならないから自然療法もあまり効かないと言います。当たり前のことです。ブレーキとアクセルを同時に踏み込んでいるからです。
top
●感情が邪魔をするから人は基本的に変われない
人がなぜ間違った呪縛から抜け出せないのかというと、それは前に信じてやってきた人間の感情というものが必ず邪魔するからです。人は他人の間違いは認めても自分の間違いというのは認めようとしないものです。
これは、自分が今までやってきたことが間違ったことだったということは認めたくない、それを考えたくないという心理です。人にはこの心理があるから非常に堅い心の壁となって存在しているから反省が出来ないわけです。
普通の表現では、自分の人生が間違ってきたということは一切認められないし、そのようには気づけないようになっているわけです。

今の世の中は略奪侵略と本質的には全く同じ事繰り返しているわけです。医猟は発癌剤を投与して余病を仕掛けて人を痛めつけて殺しながらオマンマを食べていく。猟生活です。仮面でどういう美しい態度をとっていようとこれが本質です。今の世の中、今の経済活動のほとんど9割以上がこの悪循環の中でもまわってるのに人間というもの全く進歩しないわけです。

残念ながら、現代人は基本的に良いも悪いも本質が見抜けないで表の姿や態度や言葉尻だけで判断するから本当の真意は理解してもらえません。だから全部騙されます。そして本当に良い人は敵だと思うわけです。
人が本当のことを言わないのは本当のことを言ってもメリットがないから誰も本当のことを報道しなくなったわけです。本当のこと書いてたら恨まれるのですから。
私の書いているようなことをマスコミが誰も報道しないのは当たり前のことです。殺されるわ。儲からないわ。恨まれるわ。そんな事やるお人好しいませんよ。
白衣の天使ナイチンゲール作戦に参加してボロ儲けしたほうがホクホクですから。
だからこそ、悪魔の医猟がカモフラージュ作戦で演じることでこれだけ支持されているわけです。善と悪が逆転した人生を生きているからです。
だから獲物を引きずり込むワナである白衣の天使ナイチンゲール作戦は本当の親切だと思って本当の親切はバカにしたけしからんヤツやと思うわけです。やられる本質はすべて根本はいっしょです。本質が見抜けないからです。だからそういう心的態度があるから本当の事を言わせないわけです。だからこの世界も人も基本的に間違った呪縛から何も変われないわけです。
なぜなら自分がババをひいてきたということを認められないし、指摘されたくないからです。騙されて悲惨な目に遭い続けて気づけない人間の本質です。
人にはそのような感情論で動いてしまうからこそ、常に悪魔のワナに引きずりこまれやすい弱い存在であるわけです。

だから滑稽な社会も全く変わらないし、今の世の中というのは悪魔がナイチンゲール作戦で痛めつけながら莫大な金を収奪していく方に惹かれてしまうわけです。悪魔たちは白衣の天使という虚構のナイチンゲール作戦に莫大な演出コストを投資しているからです。
美しくカモフラージュしてるに決まってるわけです。
top
●殺されるとわかっている医者がなぜ教えてくれないのか
私が医者に訊いたら、悪魔の医猟産業に対しては、「それは同じ目に遭わせて殺してやりたいくらいの怒りはありますよ!」と怒気を強めて言います。
私は自然療法をやっているなら三大治療がよくないのだとわかってるなら、なぜ殺されに行こうとしている人にちゃんと言ってやらないのか、ちゃんと本に書いてやらないのかと思うわけですが、結局これは、被害に遭った人間に気づかうと、露骨すぎて書けないし言えないわけです。患者が言わせないわけです。
私がこのサイトのようなことをちょっとでも話したら、もうそれで立腹します。ああ、もう聞きたくないと怒り出します。
だからぼかして書く。だから気づけないで結局罠にかかって仕掛けられた後遺症の深みにはまって二度と抜け出せないという悪循環です。
だからいつまでたっても、だまされてる患者もボカシ本を読んだ人も悪魔的な実態に気が付いてないから、ずるずる、ずるずる騙され続けて、悪魔のサイクルの世の中は一切変われないというのが今のような悲惨な事態です。
そういう意味で私のように書いたものに対しては、「これはがん患者をバカにして楽しんでるだけの者である」と思われるわけです。そう思われるだけで1円にもならないのだから、くたびれもうけの損です。言う人がいないのは当たり前の事ですよ。
だからそういう怒る人間というのは結局自分が本当のことを言わせないようにしているという事に気がつかなければなりません。
なぜ教えてくれなかったのですか?教えないようにそういう態度をとっているから誰も指摘できないと言うことです。言わせない雰囲気があるからやめとこうとなるわけです。
例えば、どこのサイトとは言いませんが、私のサイトを親切な人がブログでピンポイントに教えてあげてるにもかかわらず、こんな迷惑なリンクしやがって不愉快という態度をとってリンクを張った人に怒っている人がいます。
それから、また発癌剤打たれて、のたうちまわったと書いて抗ガン剤は苦しいだけで効かなかったと書いているわけです。おそらくもう致命的なダメージが蓄積しており、もうあともどりは出来ないようです。
人は露骨な真実よりもオブラートに包まれたお世辞の方を好むものです。だからこそ本質的には宇宙ワースト級の悪魔でありながら白衣の天使ナイチンゲール作戦でカモフラージュしている現代医療は絶大な支持を得ているわけです。ライバルは潰して表面だけはよくしてありますから。
ニセモノのほうが見た目に莫大な投資をして、その態度だけは心地良いですから。 これで自然療法の医者は、
「先生、念のため抗ガン剤なども一緒にやりたいのですが…」と言っても、その自然療法の医者は、反対しません。当たり障りのないことしか言いません。本当のこと言ったら怒るからです。
私はそれらの実態を聞いて『なんで殺されるのがわかっているのに止めてあげないのか』と思うわけです。本質的に言えばそこまで患者を思う心がないから言ってやらないわけです。
そこには本質をストレートに言えば怒る患者が言わせないようにしているわけです。だがは発癌剤を打ちながら自然療法やっている患者は膨大にいます。誰も現代医猟というのは場だという事を教えてくれないからです。
だから、最初からわかっている人が目の前にいるのに誰も助けることはできずに最後はボロボロになって死んでいくわけです。
滑稽なる本質をストレートに直球で書けば端的に表現できることが万人に気を使うほどまわりくどい表現で長くなってしまうわけです。同じことを書いてもボカせばボカすほど二倍とか三倍になると思います。
私が感動したのは、副島隆彦先生が、真実を暴露することについて「私はこれで、自分が悪者になっても構わない」とおっしゃったことに関して非常に感動したわけです。
当たり障りのない美辞麗句の表現で書いた方が悪者にされる心配がない分だけ得に決まってます。
これも最初から分かってやっていることですが、私がそのように書いてきたのは、広めたいという思いと同時に医療犯罪からは、わかる人だけに助かってもらいたいという考えもあります。
あたりさわりのない表現に変えるとしたら、まどろっこしい表現にはなりますが、次のような感じかなと思います。
top
●気づく精神とは気遣いの精神である
この世界というのは本質的に非常に残酷なことが当たり前になっている世の中です。人は自分自身が持っている残酷で無慈悲で無関心な性質ゆえにまた逆に自分に降りかかってくる残酷なワナやウソの本質を見抜くことができません。
残酷なものに気づく精神の本質というのは、弱い者に対する気づかいの心だからです。だからその精神を持たずに無慈悲に生きてきたということは逆に自分が弱い者の立場になったときに、自分がされること本質ということに気づくことができません。
つまり、弱いものを見てかわいそうだなと思う精神と自分に降りかかってくる災いや仕掛けられた罠に対して、『これはおかしいぞ』と気づいて災いから逃れる気づきの精神というのは、その本質が全く同じだからです。
無慈悲な人間ほど現代医療にやられるような被害に遭うのは当たり前のことです。何かにつけておかしいものを見てもおかしいと気づく心がないからやられるにきまってます。残酷な世界の本質というのは根本的にどの産業であっても同じことです。人は他者の苦しみを考えていないがゆえに、自分に振りかかってくる身の危険を察知することができません。
残酷さを見抜けない精神というのは必ず人生のあらゆる局面において降りかかり続けるということで、根本的に本質を悟れない限り、その地獄のサイクルから抜けだすことは出来ません。弱い者に対する無慈悲な精神というのは、人生の様々な局面において、自分に振りかかってくることになり、報いがやってきます。人は残念ながら他者の苦しみに無関心であるがゆえに、その危険を察知することができないわけです。
人は、他の者が苦しんでいるところを見ても自分に関係のないことだと思って無関心になっていますから、自分は関係ないから大丈夫と特別扱いされているような錯覚に陥り、その本質が同じように扱われているということに気づくことができません。
その一つの例が現代医療という人間を計画的に悪化させて殺しながら財産を収奪していくという人間のあらゆる悪想念が集合した悪魔の産業による報いです。
無神経に生きてきた人間が最後に解体されに行く場所です。もちろん一回入ったら逃げだせないように銃と同じく後遺症を仕掛けられますから二度抜けだせません。
人は自分の性質ゆえにその悪魔的な本質を見抜くことができずに、その残酷な世界へと自ら惹かれていくのかもしれません。人間は自分と本質的に同じ世界へと惹かれていくものです。これは暴力団がみずから志願して暴力団に入っていくのと同じです。スウェーデンボルグによると地獄霊は自らの性質ゆえに自分と同じ精神に最適な地獄へと向かうといいます。
つまり、自分が何をされているのかということに気づけない精神というのは、逆に自分がどういう生き方をしてきたかということに気づけないことと本質は全く同じだからです。人間は自分の精神のレベル以上の世界に入ることはできません。
残酷なことを見て残酷だと思わない人間が自分に用意された残酷なワナを見抜けるはずがありません。つまり、優しさというのは最大の防御であり、本質を見抜く精神でもあるわけです。
人は自分の精神レベル以上に本質的にいい人生を生きることはできないと思います。医猟で殺されると言うことは何が間違っていたのかまったく気がつかないわけです。根本から狂った悪魔の文明に染まって何とも思ってないのですから。
人間は自分の残酷さというものに気が付いていないがゆえに、その医猟の残酷さにも気づくことはできないわけです。そして人間は自分の精神が汚れていた故にその汚れた人間の仕掛けたワナかかって病院という場で解体されていくわけです。これは自分の生きてきた人生と全く同じ結末を迎えるわけです。
人はその残酷さというものを気づけるかどうかをこの世という地獄の世界でその本質を試されてるのかもしれません。だからこそこの世界はあえて残酷に作ってあるのかもしれません。そしてその残酷な世界の間違いに気づけたときに、人間は仏教の言う涅槃という次の崇高なステージに進めるのかもしれません。この世界とはそういう人間が何度も生まれ変わって気づけるまで苦しみが設定された世界で何度も試されているのかもしれません。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 試験 | トップ | 本当の事を言ったり書いたり... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

医学と健康」カテゴリの最新記事