わたしんちの医学革命と雑多な情報

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寿命は延びたが・・・ボケ、寝たきり老人が・・(医学と生命より)

2016年01月28日 | 医学と健康

平均余命って、ずいぶん延びたけど

べつにアンタのことじゃないんだな。

特に若い人たちに言えるけど、それは予想平均年齢であって。

しかも、平均点80点だと言われても、アンタいつも30~40点でず~~と持続していたじゃない?

 シィ~~~~

 

医学と生命 松本 英聖 医事論集 - 技術出版

より

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

   寿命は伸びたが--

 人生僅か五十年ーー。かって歌にも謳われた時代に比べて、今日本人の寿命は大幅に伸び、人生八十年時代が出現した。
 長い人間の歴史の中で、平均寿命が七十歳を超えたのは、つい五十年ほど前のこと。この水準に到達するのにヨーロッパでは三百年掛かったが、日本では明治以来百二十年で欧米を抜き世界一の超高齢化社会に突入した。欧米に比べて、実に三倍の猛スピード。特に戦後四十年間で三十年も寿命が伸びた。
 この数字を見れば、誰しも近代科学、特に医学・栄養学の進歩のお陰とその成果を誇り、この分で進めば人生百年時代の出現も間近いと思うであろう。
 だが、それは幻想に過ぎない。


   〝長寿地獄〟の実体


 「お年寄り(六五歳以上)の半数は病気持ち」ーー、厚生省が毎年発表する「国民健康調査」の結果である。因みに国民全体の有病率は、人口千人当り一三八・二人(八人に一人の割合)。調査を始めた昭和二十八年当時に比べて三倍も増え、六五歳以上では実に六倍に及んでいる。しかも毎年着実に増え続けているから無気味で、一億総半病人時代と言われる所以である。
 こんな国は世界中探しても何処にも無く、要介護老人の国際比較では実に欧米の三倍にもなっているのだ。
 つまり、今の日本は世界一の長寿国と言っても名ばかりで、実体は病人だらけであるから、むしろ〝長寿地獄〟と言った方が相応しい。この状態が今後も続けば、一体どうなるのだろうか。



    ボケと寝たきり老人

 ボケ老人二二三万人、寝た切り老人二〇二万人 日大・人口研が発表(昭和六一年十二月三日)した西暦二〇二五年(平成三七年)の日本の姿である。
 現在、日本の総人口は約一億二千万人、老年人口(六五歳以上)は千二百万人で、このうちボケ老人六九万人、寝たきり老人は六八万人である。
これが三十年後(二・〇二五年)には総人口一億三千二百万に対して、老年人口は約二・五倍の三千二百万人(総人口の四分の一)に増え、この時、ボケ老人と寝た切り老人は現在の三倍(二倍になるのは二十年後)に増えると予測されているわけだ。
 今でさえボケ老人や寝たきり老人が大きな社会問題になっているのに、この先二倍、三倍と増えたらどうなるか。
 仮に四五~五五歳の専業主婦がこのお世話をするとすれば、二十年後には主婦一人当たり一人のボケ老人か寝た切り老人を抱える計算になり、三十年後には一人当たり一・二三人の割合となって専業主婦の数を上回ることになる。
 また五十年前(戦前)は若者十二人で一人の老人を養っていたが、今では半分の六人で一人、十年後には四人で一人、三十年後には二人で一人を養わねばならなくなる。
 ともあれ長寿国とは、若者にとって高負担な社会であり、長生きのツケはすべて次代の孫・子に負わされるから、下手をすると「姥(うば)捨て山」の悲劇になりかねない。
 咋今、消費税率のアップを巡って大騒ぎしているが、事態は極めて深刻なのだ。
 長生きは大いに結構。だが、そのためには〝健康は自分で守る〟ことが鉄則であり、我が子と言えども人には迷惑をかけない - という自覚と責任を持たなければ、長生きをする資格は無いということであろう。


83P
    平均寿命は四十一歳に縮むー・

 『四一歳寿命説』(情報センター出版局)という衝撃的な著書を発表したのは食生態学者で統計にも明かるい西丸震哉氏(千葉大講師)であるが、『週刊現代』(平成元年四月二十二日)が同氏の所説を特集しているので、要点だけをお伝えしよう。
 「政府等は日本は将来、超高齢化社会に突入すると言い、日本人全体の寿命が伸びるようなことを言っていますが、これははっきり言って瞞(まやか)し。
現実的にはその逆で、これからの日本社会は急速に短命化社会になっていきます」
 その理由として同氏は、

 「確かに現在の平均寿命は一見高い数字に見えるが、それは統計上の見掛けの数字で、乳幼児、特に零歳児の死亡が減ったことと、高齢者の生存率が高いことによる統計上のカラクリにしか過ぎません。
 例えば、今七十歳の人は大正初期の生まれで、当時は今とはまるで別の生活をしていました。それは前近代的で古くさい生活のように思えますが、空気も水もきれいで、食生活も一部の人を除いて昔ながらの素食を旨とする古き良き時代でした。僕はそれを〝長寿村〟生活と言い、今の生活を〝短命村〟生活と呼んでいます。日本が短命村生活に代わったのは昭和三四年からで、その年を〝短命元年〟と呼んでいますが、それは〝所得倍増元年〟 〟高度成長元年〟 〝汚染元年〟 〝公害元年〟の年であるからです(なお二年後の昭和三六年は国民皆保険が実施された年で、〝薬害元年〟 〝乱診乱療元年〟に当たる)。
 それ以来、日本の〝短命村〟化が進み、生活条件は日に日に悪化しています、そうした中で古き良き〝長寿村〟生活を長年生き抜いて来た屈強の生き残りは次第に他界して、やがて〝短命村〟出身者の時代がやって来ます。
 そうなると、どうなるか。
 そこで厚生省の人口予測などの資料を、過去三十年にまで遡って、予測と実態とのズレをつぶさに検討した結果、短命村の平均寿命は四一歳と弾き出したわけです」
 要するに、昭和三十四年(短命元年)以降に生まれた人(三五歳以下)は、急速に短命化するということである。



     崩れた長寿神話

 以上が西丸説の概要であるが、平均寿命の算出に当たって、現在の生活条件の悪化を折り込んだ点が極めて合理的であり、大いに参考になる意見である。
 ところで、現在の平均寿命の伸びを以て医学・栄養学の進歩とする考え方については、かねてから多くの批判が出されていた。筆者も昭和三十八年に「ニッポン放送」でこの問題を取り上げたことがあるが、当時は時期尚早で全く問題にされなかった。ところが、十数年経ってから、カナダ政府が政府刊行物『健康展望』で、平均寿命の統計的カラクリを批判する論文を掲載。その後、アメリカ上院・栄養問題特製奢貝会においてリー博士(カリフォルニア大学健康政策教授)とスタムラー博士(国際心臓病会議議長)は、「平均寿命の伸びだけを強調することは統計上の錯覚を招き、国民の正しい判断を誤らせて、結果的に国民を騙(だま)すことになる」と指摘して大きな話題を呼んだ。
 その論拠を纏めると、
一、零歳(及び乳幼児)の平均余命(平均寿命とは零歳の平均余命のこと)が伸びたことは正しい。
しかし、
二、中・高年層の平均余命はほんの僅かしか伸びておらず、むしろ縮む傾向が見られ、近い将来急速に短命化する恐れ があること (西丸説と同じ)。
三、国民(特に老人)の有病率が増加し、医療費が急増していること。
四、有病率が増えた原因は、今の食事が誤っているためで、その改善を図ることが急務である。
 ということである。
今や長寿神話は揺らぎ、このまま進めば間もなく早老・短命化時代が出現することになろう。栄耀栄輩と長寿の夢を追い続けた物質文明の時代は終わりを告げ、新しい時代は精神文明を基調とし自然の恵みによって生かされる《天寿全う時代》が開幕するであろう。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

たしかに元気な老人も多いのが目に付くが、寝たきりだとかボケもどんどん増加しているね。

これは増加(どうか)しているぞ。たしかに。

 

ぼく?  まだまだ若い(脳みそか、精神年齢か?)

 

それに引き替え、最近はまだ41歳なんて極端じゃ無いけど、壮年の死が増えてきているような・・・

壮年(そうなん)です。

 

これも栄養過多と運動不足、そして若くから薬毒、食毒で

いまの若者は・・・・未来が危うい! sinpai

自分の心配でもしていろ?

心肺停止、いや心配停止。

 

 

 

 

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