わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

医学思想の大逆転はローマ帝国時代に始まった、ガレノスの登場

2016年02月01日 | 医学と健康

 病気とは自然の浄化作用。天の恵みである健康維持装置が備わっているのが人間。

病をありがたいものだと気づいて居れば、余計な事をしなかっただろうし、医学の隆盛もなかったであろう。
医学が進歩するというのは、医学も医者も不要になる世界が出来上がるということなのだ。

ところが、「病は悪だ」と逆にとってしまった思想(ガレノス医学)が、余計な薬を造り余計な医療を作り出して、それを進歩させれば病は地上から消えるという大錯覚に陥ってしまった。

だから、医学が進歩するほど病気が重度化し増えてしまうという大矛盾が起こるのだ。
その進歩こそ、間違いカンチガイだということに気づくまで・・・・・ガレノス医学は続くのだろう・・

 

 

 

しかし、それに気づくのには時が必要だった。

ガレノス以来2000年も経て、ようやくその事が分かり始めてきたのだが・・・

 

 ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

  松本英聖著 「医学と生命」 第一部

26P
   第二章、 医学思想の逆転

 話をヨーロッパに戻し、ヒポクラテスの死後五百年ほど経った西暦一三〇年のこと。古代ヒポクラテス医学の発祥の地コス島の対岸メシア(小アジア)のペルガモンに一人のギリシャ人医師が生まれた。彼の名はガレノス(英読みガレン)。ギリシャ医学のヒポクラテスと並び知られるローマ医学の巨星である。

 彼はギリシャ医学を学び、三十五才でローマ皇帝マルクス・アウレリウスに招かれ、王子コンモーヅスの侍医として最高の地位を得た。折しも〝アントニアヌスの疫病″(一六五年)と後に呼ばれた大疫病がローマを襲い、人々がバタバタと倒れ、ローマでは一日に二千人の人が死んだと言う。この死人の山を前にギリシャ医学(ヘレニズム医学)はなす術を知らず、ガレノス自身も翌年にはローマを離れて難を逃れざるを得なかった。まさに医学の敗北である。無力感に打ち拉がれた彼は避難地でこう自問した。
 「この善悪無差別の暴威に対して、ヒポクラテスの教えは役に立たず、人間の〝自然回復力″は余りにも無力だ。病は〝悪″であり、人類の〝敵″だ。この〝人類の敵″と戦うことが医学の使命ではないか……」と。

 こうして彼の疾病観は一変し、ヒポクラテス医学とは正反対に、病と戦うことを使命とするガレノス医学(ガレニズム)が誕生。爾後二千年にわたって酉洋医学を支配し、今日(現代医学)に至るのだ。まさに医学思想の逆転であり、ガレノス医学によって、ヒポクラテス医学は終焉を告げた。

 奇しくも丁度その頃、東洋の中国では腸チフスが大流行、死人の山が築かれる中で張仲景(一四〇年)が現われて『傷寒論』と「金要略』を著し、「症」によって方剤する漢方医学を確立したことは前に述べたが、この段階で中国医学も病を悪とする疾病観に転換したのである。
 西も東も、同じ時期(二世紀)に、疫病が大流行し、その惨禍によって疾病観が逆転したことは不気味な一致と言えよう。

 だが、本当にヒポクラテス医学は間違っていたのだろうか。この疫病の背景には、当時のローマ人の生活全般にわたって何か大きな反自然的要因が潜んでいたのではないか。その原因を突き止めて、禍根を取り除くべく努力をすることがヒポクラテスの教えではないのか。実は、当時のローマ人たちの食生活は贅沢を極め、心身ともに劣弱化していたのである。
 だが王宮の反自然生活に慣れ切っていたガレノスは、このことに少しも気づかず、それが当たり前だと思った。

 彼の間違いはここにあった。出発点でボタンをかけ違えたのだ。だから何処まで行っても辻褄が合う筈がない。事実、百年後に古代ローマを襲った。キプリアヌスの疫病″(二五〇年)に際してガレノス医学は無力を露呈した。
 そして三百年後に大流行した史上最初のペスト禍と言われる〝エスティニアヌスの疫病″(五四二年)において、栄耀栄華を極めたビザンチンは壊滅的な打撃を受け、東ローマ帝国は住民の半数以上もの人命を失って、これが口ーマ帝国崩壊の端緒となった。この時もガレノス医学は全く役に立たなかった。
 天網恢恢、疎にして漏らさず、鉄槌は下ったのである。



27P
   他人委せの医療観

 話は前後するが、疾病観が逆転すれば、当然、医療観もまた逆転する。即ち″病気と戦い、それを征圧する″という攻撃的医療観への転換である。
しかし、このガレノス医学の考え方は、裏を返せば、人間の反自然的生活を正すことなく、逆に人智(医学)によって人間の思うがままに、自然を征服しようとする思い上がった人間中心の思想に外ならない。
 だが、よく考えてみれば、人間は必ず死ぬ。これが真理である。従って、もし死に到る過程を″病気″と考えるならば、人間は永遠に病から解放されることはない。
 では、医学とは何か?

 ヒポクラテスは、病は〝死に到る悪〟ではなく、〝天寿を全うするための自然の浄化作用、つまり善である″と喝破した。そして浄化作用を滞りなく速やかに終わらせる手立てや浄化を必要としない生活条件(正しい生活)を探求し、それを教え導くことーーつまり〝健康を保持し、天寿を全うする道″を医学の使命とした。

 一方、ガレノスは、これと正反対に、病は〝死に到る悪化作用″と考え、死をもたらす悪(病気)と戦うことを医学の使命と考えた。即ち〝死との対決″である。

 だが、それは所詮空しい足掻きに過ぎない。死の影は常に人間に付き纏い、遅かれ早かれ死は確実にやって来るから医学は常に〝敗北の学問″となる。事実、ガレノスの願いも空しく、病気は常に人智を越え、医学の努力を嘲笑うかのように、次々と新しい悪疫が出現。その都度、医学は挫折感と無力感に打ち拉がれた。

 またガレノスの医学観に立つと、ヒポクラテスが確信した〝人間の自然回復力(生命力)″は、外敵から身を守るための生体防衛力として位置づけられる。そしてこの相対化された非力な生体防衛力が外敵(病原)と戦っている姿が病気であり、遂に力尽きてギブアップした時が死である。従って最後は必ず病に負けて死ぬという哀れな疾病観が導かれるから、病気を恐れて敵対視するわけだ。病気を〝悪″と考える限り、当然の帰結である。

 そこで、病気に対して、無力な自分の代わって闘ってくれる強力な味方が医療ということになる。つまり、病気(敵)と戦うのは医療であって、人間は医療費を払って、この戦いを一喜一憂しながら見守る観客に過ぎない。
 言い換えれば、病と戦う戦士(主体)は医療(医師)であり、患者は生命を医師に預けるだけという医師委せの医療観である。そこでは、人間の主体性は完全に無視され、肉体だけを対象とする人間不在の医療が罷り通る。 

 その結果、謂わゆる〝矛盾には矛盾を″という有名なガレノスの言葉が示すように〝毒を以て毒を制する″という危険な医療が正当化され、熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤、さらにメス、放射線、抗ガン剤と、より強力な武器を求めてエスカレートするわけだ。このような攻撃的医療を逆症療法と呼ぶ。
 現代医療はアロパシー医学の最高峰であり、史上最強の攻撃的手段を誇る医療であることは言うまでもあるまい。

 ところが、このような攻撃的医療をヒポクラテスは厳に戒め、弟子達に対してこの掟てを守ることをアスクレピオスの神殿に誓わせた。ヒポクラテス医学においては、再三述べたように「病は、自然の自浄作用」であり、「自然の癒し」であるから、この理を悟り、自らの自覚で生活を正すことが、「病から解放される唯一の道」である。つまり、真の医学の主体は人間自身であり、医薬などに頼ることは、自然の癒しを妨げる有害無益な愚かな行為に外ならない。 
 〝医療(人智)に頼るか、自然(神智)を信じるか″。
 この何れの道を選ぶか。あなたの健康と運命は、この選択に掛っていると言えよう。



29P
    ローマは食毒で滅んだ 

 〝ロ―マを滅ぼしたのはローマ風呂″という警告があるが、当時の贅沢三昧な世相をよく表わしている。有名な文明史家シゲリストは、ローマ時代には、古代の世界からあらゆる珍味が輸入され、正式の食事メニューは《前菜、アントレ-三皿、焼肉二皿、デザー卜七皿》と記しているから、現代人顔負けの〝美食飽食″だ。 この反自然的生活によってローマ人達の体内に大量の食毒(とくに肉毒)が蓄積され、それが飽和点に達した時、その歪みを正すための社会的大浄化作用としてペストが発生して、ローマは滅んだ。大事なことは、ペストは結果であって、原因はローマ人の反自然的生活にあったのである。

 かって、ローマの建設時代、彼等は〝質実剛健″をモットーとし、頭領の大カトーは常々〝自然に還れ!″と大号令した。だが、大ローマ帝国の出現と共にその美風は忘れ去られてしまった。

 ローマの爛熟期、憂国の詩人ルクレティウスは美食飽食に明け暮れる軽佻浮薄な当時の社会風潮を慨嘆して「人間が大自然の恵みを、敬虔な祈りを捧げて食べていた古き良き太古の時代こそ、人間は本当に健康で幸せであった……」と謳い上げた。

 その昔、ギリシャの哲人ソクラテスは「ローマ人は、豚肉を喰うから必ず滅びる」と予言したが、その言葉は五百生後に見事に的中した。またグイオジ・ニスは精強を誇ったローマ兵が軟弱化する姿を見て、「生や豚を喰うからだ」と指摘したと伝えられる。
 〝奢れる平家、久しからず″

 ローマ人の天を恐れぬ傍若無人な反自然的生活は、武力で他民族を征服し収奪した虚構の豊かさであり、何れは破綻する運命にあったが、暖衣飽食に溺れたローマ人は、それに気付かず、栄耀栄華の夢を追った。それが人間の宿業であろう。
 このローマ人の救い難い生活の歪みを一挙に是正するための社会的大浄化作用がペスト禍であって、それはローマ人自身が招いた人災である。この真理に目醒め、反自然的生活を改めて禍根を絶つことがヒポクラテス医学の神髄である。

 前者『松木英聖医事論集第一巻』(食と生命)で紹介したアメリカの『食事目標』は、このことに気付き〝美食飽食″を慎み、〝素食に帰れ″と勧告した。果たして、〝先進国民はこの勧告を素直に受け入れ、各自の自覚で食事改善に踏み切れるであろうか。日本を含めて西欧社会の命運はこの一点に掛っている、と申し上げて置く。





31P
    美食は人口を減らす

 民族の消長と食生活の関係について真正面から取り組んだのは、かって国連世界農業機構の理事長であり、人口食糧問題の世界的権威として知られたカストロ博士(ブラジル大学栄養研究所長)である。     同博士は、世界各国民の食生活と出産率との関係について大規模な疫学的調査を行ない、次の結論を得た。
 動物性蛋白質(肉・魚・卵・生乳)を豊富に摂っている豊かな国民ほど出産率が低く、その反対に粗末な澱粉食(素食)を常食としている貧しい民族ほど出産率が高い、という事実である。この事実はスロネーカー(生物学者)が行った次の実験によって生物学的にも裏付けられた。

 彼はネズミを幾つかのグループに分け、蛋白質をさまざまな割合で混ぜた餌をこしらえ、A群にはAの餌という具合にして飼育、六世代にわたって繁殖率を調べた。その結果、蛋白質の摂取量が増えるにつれて、ネズミの繁殖率(受胎率や胎児数)が次第に減る事実が明らかになった。この実験は、ネズミの繁殖が、謂わゆるネズミ算式に増えず、繁殖率が、栄養条件(餌の質)によって変わることを示すものであって、マルサス流の人口論は、この事実(栄養条件)を無視した机上の空論であることが分かるであろう。 

また、アメリカのマク・ケイ教授(コーネル大学動物研)は、ネズミを使って飼育実験を行ない、解剖して健康状態を調べた。すると蛋白質の多い餌を腹一杯食べさせたネズミは発育がよく、色艶もあって、見るからに健康そうに見えたが、間もなく腎臓硬化その他の病気に罹って早死にした。
一方、普通の餌を死なない程度に減らして与えたネズミは発育が遅く、見るからに貧弱そうに見えたが、寿命が長く、最高記録は通常のネズミの二倍半近くも長生きした。しかも彼らは耐久力があり、老化が遅く、バイ菌を植え付けてもビクともしない抵抗力を示した。矢追秀武博士(元東大教授)も同様な実験を試み、素食少食は、体質を強め、丈夫で長生きすることを確かめている。
 高名な杉靖三郎博士(筑波大学名誉教授)も同様な実験を行ない、ネズミの体力が強くなることを確認すると共に「戦時中の食糧事情が悪かった頃、日本人はみな痩せ細り、栄養不良で病気に罹りやすいと考えられていたが、その後の調査で、その頃は病気が激減し伝染病まで減っていることが判明した」と述べておられる。以上を総括するとーーー、
 美食飽食者は、見かけは健康そうだが、食毒のため老化が早まり、早晩に死病(慢性病)で倒れやすく、民族的には出生率が低下して民族の滅亡を招く。

 一方、素食少食者は、一見すると体格が貧弱で、病気にも罹りやすいように見えるが、事実はその逆で、健康に恵まれ、天寿を全うし、民族的には若さのシンボルである生殖能力が強く、民族を興隆する。
 これが生物界を支配する鉄則であり、この掟は絶対である。

 昨今、出生率の低下が目立ち、大きな議論を呼んでいるが、それは現在のグルメ時代と決して無縁ではなく、早晩に民族の衰亡を招くことは歴史の示す通りである。
 ともあれ、美食飽食は食毒を招き、その浄化作用として、さまざまな病気が発生するということである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 愚利己のオマケ 患者には出すけど、自分(医者)は飲まない薬とか、売りには出すけど自分ちでは食べない野菜とか

 

 

 

 

 

 

 

 

読まなくてイイよ ↓

 

うまい物喰いたいなあ~~

なんだ、うまいものって?

・・・・・・

スーパーに行くと、毎日が盆正月料理だもんね。
あれじゃあ、有り難みがなくなるさね。

そんなに美食飽食させて、アタシヲドウシタイノ~♪

なあに、まるまる太らせて、わしの美食のもとになるのさ。

そういえば、野菜のあの青々した色は本当は腐り野菜になるらしいぞ。

むしろ、色が薄い緑の方が本物で腐りにくいらしいね。

あれもやっぱりエサ(肥料)のやり過ぎらしいねえ。 腐って果てるか、しおれて枯れるように果てるか。

人間もおなじく、腐って果てるか、自然に枯れて逝くか・・・

と、いいつつ、今日も美食飽食に・・・ オイ!

いや、あのね、明日から素食にするつもりなのね。だから今日は精いっぱい食べまくって・・

「明日は呑むの止めよう」と今日は固く誓って、最後の晩酌をする。

 

そして、今日もまた・・・固く誓った ・・

 

でも、ローマ人嗤っていられないねえ。いまのニッポン人も同じようなところに行き着くのかな?

 

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