2012年 アセンショ ン 最後の真実
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地球の霊界が無くなりつつあるという話しは前から幾つかあるのですが、最近になって真実みが出てきたようです。
え?
そのまえに霊界なんて無い! って?
そうか、霊界という認識が無い人が多いからねえ。
では、どうだろう?
最新の量子物理学でも勉強してみたら・・
科学では既にパラレルワールドという「多次元世界同時成立」という不思議な世界に入り込み始めたのだから。
レイヤーといえばよいか。
それとも異なる周波数が空間同時成立する電波の世界を知れば理解できるかな。
パソコンでも画像処理にはレイヤーを使う。
そのいくつものレイヤーは同時に積み重ねられて一枚の絵に焦点を絞るというものだ。
中にはいくつもの透明レイヤーが重ねられて一枚の絵になっている
この宇宙は多次元宇宙で同時存在する世界が幾つもあるというのだから、摩訶不思議。
霊界の話しなど初歩的になる前提話に過ぎない。
そして、地球には固有の霊界があった。
その霊界とそれよりも波動が荒いというか、密でない世界が現実的物質世界と言われていたのだ。
その両方の世界はレイヤーの様に重ねられていたようだが、両者の差が無くなりつつあるというのだ。
まあ、この解釈は手前味噌であって、他の解釈もあるだろうが。
差が無くなるとどうなる?
両世界の重ねがひとつの絵の様になる つまり
透明レイヤーで表と裏が互いに見え見えという様な絵でひとつの絵になるということらしいが。
それはそれは長いあいだ、人類が輪廻転生という世界に入り込みいろいろな人生体験をやって来られたのは、霊界と物質界がお互いに見えない、差がある、というようになっていたからこそであろう。
いやになるほどの苦難を通してその中から幸せを体験するという、ドブ沼につかってkawai子チャンとキッスする楽しみのような(こんな例えしかできないのだ)苦難という暗闇の中において一瞬の光の体験こそ、貴重であり、鉄を鍛えるような熱しては打ち、熱しては打ちという様に。
しかし、どうもこの期間もそろそろ終わりにしないと、人類という乗り物自体が破滅の寸前というゲーム叔母ーを迎えたというのか?
もうここいらでゲームセットしないといけないんだぞ。
今度はまた新しいゲームに挑戦だ。
もっと高度なゲーム機に乗り換えちゃえ。
でも、それは自分で選べるようだ。
まだまだ古いゲーム機がいいよ~
という奴にはそれなりにゲームセンターを残しておこう
新しいゲームセンターに切り替えようという奴にはそちらへ行きやすいようなチャンスを与えよう。
普段よりも格段にその力が使えるよ
って、意味は勘違いかもしれないけど。
で、同時存在パラレルワールドって事が表に出始めてきたのだ。
多次元宇宙はあなたの欲するままにお好きなゲームセンターをご案内いたします。
場内放送が最近多くなってきたのは、その切り替えチャンスのお知らせなのだろうか。
で、2012年にすべてが輪切りのように切り替わるとは思えないが、その年をきっかけとするというか、ある意味で臨界点を意味する年号なのか、まやかれんだーでは年360日で数えたものが有名になっているらしい。
それで彼んだ~が終わる年が人類の終わる年と曲解されているらしいが、ほんとうはマヤカレンダーは幾種もあり、一年365日だともっと遅い年代に終わることになる。
当たり前だが。
それはともかく人類が終わるのではなく、世界が切り替わるタイミングとしてのひとつの切り替え点として見た方がよいのではないのかな。
そして、それも受動ではないという。
ということは、何かの神が強制的にさせるという意味でなく、
切り替えの援助パワーが最高度に増す時期として、それを使うのは人類個々の選択だという事で・・・
さて、偉大なる宇宙の神とは人間体ではない、もちろんは虫類型でも、龍神形でも、カマキリ形でも無い(どれもこれも宇宙に存在している生命体の幾種類かで、実在するというけど)
人類が神と言って想像するのは「人間型」の神様が椅子か何かに座って僕たる人類を眺めているかという程度だが・・・
宇宙の神というのは得体の知れない(なんちゃったら失礼だけど、その失礼も意に介しない)未だ想像もできないものだろう。
しかし、人類の想像範囲内ではどうしても人間型生命神の様にしか思い描けないのだ。
想像は創造となって、宗教の神がこうしてできたのだろうが。
だから、人間型でもないし、カマキリ型でもないとすると、形は無いのであろう。
だから、怒る口もないし、聞く耳も無い、お喋りしないでも話しかけるのだろうが・・・
いやいや、感情的になって「裁く」とかもない、「罪」という意識がないのだから。
正しいとか間違いがあるとか言っているのは地球霊界での神様である。
原因と結果の法則を創りだした神様達自身が地球に次元下降して、神を忘れる。忘れたから人間となる。
金持ちが貧乏人になって世間に体験に出かける。
しかし、途中であたまをうってしまい記憶を失う。
すると、自分は本当は金持ちなのに「どうして自分はこうも貧乏のどん底に生まれたんだろう」などと、真剣に嘆いている。
わらっちゃいけないよ。神が人間として地球に居られるのは「忘れられる」からだ・
もし思い出したらどうなる?
「わしはじつは大金持ちなんだ。でも、いまは貧乏人のふりをして世間の下々の者に混じって体験旅行中なのだぞ」
などと言って、ちっとも貧乏人の実感がわかない。
貧乏人になって、病人になって、心底から泣いたり悲しんだりできるのは「忘れる」からだ。
その霊界と現界を行き来して、やれ辛かったとか平坦だったとかいろいろな各種人生を通じて体験を味わいながら自身を鍛えるというか、質的向上に貢献するのかも。
同じ鉄でも鍛えると光り輝く
でも、いつまでも忘れた状態でいると同じ様な事をなんどもくり返すことになる。これでは向上どころかどんどん度つぼにおちこんでしまうだけだ。
どこかでゲームオーバーという仕掛けをしておかないと、ついには本当の自分に返るチャンスが無くなってしまう。
そんな意味でいうと、これから起こる、いやもう起こっている進行中なのだろうが、大災厄に見える世界もなんだか喜ばしい事に見えてくる。
陰きわまって陽に転ず
その陰と陽の転換点としての2012年説。
大根の輪切りのようにその年を境にひっくり返るとは思わないが、いろいろ情報があるので、けっきょくそれも自分の選択で見える世界が違うのかも知れない。
パラレルワールドが真実ならだけど。
霊界の浄化しきれない霊も神々とされている高級神霊もこの世界とますます密接になるそうだ。
そりゃそうだろうな。
居場所がどんどん無くなってきたんじゃね。
いくとこ無いんだ・・・・などとつぶやいて
となりに住みだしたりして・・・
おいおい貧乏神はおことわりだぜ
最後にくれぐれもご注意
「最後の真実」かどうかはまったく保証できません。
嘘か真実かは誰も保証できないんですよ。
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