悪性リンパ腫Ⅳ期 発症から15年目の回顧録

突然の死の宣告
考えてもどうにもならない
なるようになれ
ケ セラ セラと覚悟する
…あれから15年

念願の第九に挑戦 その2

2017年08月05日 | 闘病記

 練習に参加するときは、入り口の受付で出欠をとり、名札を受け取ります。席が隣になった人に挨拶を交わし、その時名札を見て名前を覚えました。小学生のお嬢さんを連れて参加している人、高校生、私のように高齢者も参加するなどアットホーム的なコーラス集団です。

 コンサート会場兼練習場として使われている建物は、明治31年に建てられた赤レンガ作りの元ビール工場です。基礎設計はドイツの機械製作所に依頼、施工は大蔵省など官庁を多く手掛けた建築家・妻木頼黄の手によって建てられた、当時としてはモダンな建造物です。第二次世界大戦中はこの町に戦闘機の製造工場があり、そこの衣糧倉庫として、戦後は食品会社の工場の製品保管庫として使用されてきましたが、2009年に工場が操業停止し、取り壊しになるところを、歴史ある建物なので市が買い取り保存してきました。現在は国の有形文化財に、経済産業省の近代化産業遺産に指定されています。耐震工事を契機に一般の人が利用できるようにリニューアルされ、その一角にできたカフェの閉店時間後に使用させてもらっています。このカフェでは当時のビールを再現したものが売りの一品になっています。

  本番1週間前にリハーサルがありました。受付でコンサート当日のスケジュール表とステージの並び順と氏名が書かれた資料が渡されました。練習場には実行委員の方たちの手で、すでにひな壇が設えてありました。その日はまず資料どおりにパート別に整列した後、観客席からどの人の顔も見えるように立ち位置が調整されました。舞台への入退場の説明の後、ソロの歌手4名が最前列に入りました。それまでは部分的に練習していましたが、リハーサルでは初めてプロの歌手によるソロも加わり、全曲通しての合同練習です。私は出だしをミスらないか、緊張して歌いました。

 7月1日(日)、いよいよ本番の〈七夕コンサート〉です。七夕にちなんで全員浴衣姿で歌います。結婚してから一度も着たことのない浴衣ですが、晴れの舞台に着る衣装です。幸い友人に着物の着付けの先生がいるので、特別に彼女の1日生徒になり、着崩ずれしない着方のポイントや半巾帯の結び方などを教えてもらいました。

 開演は午後5時からですが、その前に最後の練習をするため2時に集合です。いまだ自信のない私は昼食のときも練習用のCDをかけ、脇に譜面を広げ、それを横目で見ながら食事をしました。早めに食事を済ませるとすぐ身支度です。慣れない手つきで浴衣を着終わると、もう出かける時間でした。

 コンサート終了後に打ち上げがあるので着替えの包みを抱え、急ぎ車に乗り会場へ向かいました。ところが少し走ったところで大事なアンチョコを忘れたことに気づき、慌ててUターンをして楽譜を取りに戻りました。会場にはぎりぎりで間に合いましたが、汗っかきの私はスタート前なのにもう一汗かいてしまいました。

 本番前の練習では舞台にコーラス隊が入場するところから始まり、私達が整列すると次にソロの4人が舞台の最前列に並びました。さらに舞台下に観客と肩を並べる形でセントラル愛知交響楽団のメンバーによるアンサンブルとピアノが入りました。最後は指揮者の入場ですタクトに合わせて前奏が始まり、それが終わるとバリトンのソロが高らかに歌声を鳴り響かせました。その声はついに第九の舞台に立って歌おうとしている私の胸に深く呼応し鳴り響いていました。

 まだ練習というのに観客がちらほら見え始めました。奥さんが出場しているのでしょう男の子を連れた父子が、孫が出場しているのか初老のご夫妻が中央前列でカメラを構えていました。

  いよいよ本番です。コンサートの前半はアンサンブルで映画音楽、昔懐かしい唱歌やアニメなどポピュラーミュージックの演奏があり、その間私達コーラス隊は、薄暗い通路で入場順に整列して出番を待っていました。演奏が終わり、いよいよコーラス隊の入場です。拍手の中舞台に整列し、観客席を見ると会場は立ち見がいるほど超満員でした。主人の姿も後方の座席に見受けられました。

  最後に指揮者の入場です。先生もいつになく緊張した面持ちで、しかし熱くタクトを振っていました。60人くらいのコンパクトなコーラス隊ですが、この日はみな口を大きく開けて、お腹の底から声を出して歌い上げました。

 先生の寛容な後押しのお陰で、わずか3ヶ月の練習で舞台に立たせてもらい、感謝の気持ちでいっぱいでした。来年は譜面なしで完全に歌えるよう、引き続き頑張らなくては…。

*6月8日に定期検査がありました。ここ半年足らずの間に少しずつ体重が減少していま  す。私の濾胞性リンパ腫は治らないタイプです。今年は再発から10年目にあたる。再々発の兆しではと、今回は心配しながらの受診でしたが無事通過、いつも高めだったコレステロール値も抑えられ、心配は払拭されました。