私達同好会メンバーは彼女から沢山のことを学びました最初の頃は画像入りメールの作成に夢中でした。ひな形を無料で提供してくれる〈踊る電子メール〉というウェブサイトの数あるひな形の中から気に入ったものをダウンロードして、それをメールに挿入します。音楽も入った美しく楽しい〈絵入り便箋〉のようなメールになります。このホームページを見つけた人が勉強会の担当者になり、使い方を皆に披露します。個人のパソコンを持ち寄っているので同好会を立ち上げた頃はXPのバージョンで揃っていましたが、会が経年すると違うバージョンのパソコンが混在してきました。バージョンが異なると表示を含め使い勝手が違います。担当者は自分のバージョンでの説明しかできませんが、Sさんが他のバージョンの人のサポートに回ってくれました。彼女はこの会がうまく運営でき、長く存続しうるよう陰ながら常に努力を怠らなかった。
無料のソフトをダウンロードして勉強することが多くなりました。みんながそろって勉強を進められます。メールに挿入できるように写真のサイズを小さくして額縁をつけたり、あるいは楕円に切り取ってその縁をぼかしたりしました。フォトストーリィーというソフトを使いムービーも作成しました。ワードで各自の名刺や便箋、暑中見舞いなども作成しました。兎に角みんなが楽しんで勉強できるように誘導していました。パソコンの使い方の勉強はSさん以外の人が担当することが多かった。
Sさんは主にパソコンのメンテナンスなど技術的なことを教えてくれました。パソコンの動きが悪くならないように定期的にデフラグをすることとか、大切なメールアドレスはDドライブや外付けにエックスポートしておく、知っておくと便利なショートカットキー等々。
私のパソコンが急に調子が悪くなった時も、調子が悪くなった時以前の状態に戻す〈システムの復元〉のやり方を個人的に教えてくれました。そして「次の勉強会の時にみんなに教えてあげてね。」と担当を任されます。そうすることで教わったことの復習になり、しっかり覚えられます。〈教え・教えられ・教える〉という会のモットーの実践です。とても巧みな指導でした。
Sさんが作成した〈手順書〉は、選択・決定する箇所の画像入りでとても分りやすい。私達も同様の手順書が作れるように、今開いている画面を画像に変えるPrint Screenの使い方を教えてくれました。
何のファイルを開いた時か忘れたが〈今すぐアップしてください。ダウンロードしなければファイルが壊れる可能性があります〉といった巧みな誘導メッセージが出たので直ぐにダウンロードして、実行する一歩手前で〈何だか怪しい〉と思い留まり、途中で画面の終了ボタンをクリックしたのですが終了できません。明らかに悪質なもののようです。ショートカットキー(Alt+F4)を使っても終了しないので、困った私は少し遅い時間でしたがSさんにSOSの電話をしました。「Ctrl+Alt+Delet (Win10はEsc)を同時に押すとタスクマネージャーが起動するから、そこから削除したいファイルを選択して削除 ボタンを押したら。」とたちどころに問題解決してくれました。困ったときはSさん頼み…です。ソース(プログラム)の読み方も教えてもらいましたが、不勉強な私には難しく覚えられませんでしたが。
Sさんは私と出会った3年前からパソコンを始めたといっていたが、どうやってこんなに深い知識を得たのだろう。生涯学習の講座だけでこれほどの知識が得られるだろうか。時に彼女を「先生」と呼ぶ人がいると「私は先生じゃないの。みんな平等なの。」と「先生」と呼ばれることをひどく嫌っていました。先生という呼称には上下関係が含まれる。彼女は決して偉ぶることなく〈同じ仲間〉という関係を重視していました。
Sさんはホームページの作成に意欲的でした。Webを勉強するには格好の材料です。それに加えてみんな同じソフトで勉強すれば一斉指導ができます。まずHPの扉のタイトルは何にするか、背景に何を持ってくるか、何よりもどのような内容のものを乗せるか…作成に悩みました。タイトルのロゴを作成し、披露したいファイルを扉からリンクする方法を覚え、最後はアップして公開です。
彼女のHPは素晴らしかった。半径500メートルと称して自宅周辺の四季を撮った写真集や同好会名から会員が其々に作成したHPへのリンク、県内の美術館やイベントホール、そのほかにも市のHPや市の天気と多岐に渡り、見事に構成されたそのHPは情報誌さながらでした。
彼女の死後、彼女を偲んで開いたHPは、情報はすべて削除され彼女のプロフィールだけが残されていて、そこには彼女がパソコンを始めた動機が記されていました。彼女のご主人が失明につながる眼病に罹ったとき、その眼病について調べ、知るためにパソコンを始めたそうです。彼女は情報を得ることの大切さを、身を以て感じ、インターネットが出来るか否かで生活に大きな格差ができることを憂慮し、そこで〈シニアの間にパソコンを広めたい〉という彼女の願望が芽生えたのでしょう。大学の聴講生となり勉強したことが彼女の死後分りました。私達にそのように努力した話はせず、一切報酬を受け取ることなくボランティアとして活躍し、夢を実現しました。
趣味の欄には〈読書〉とあり、彼女が読んだ本の中で特に印象に残った数冊の本の紹介がありました。その一つ〈ワイルド ソウル〉は、体制に翻弄され苦難な生活を強いられたブラジル移民が体制に一矢報いる…という痛快な顛末のハードボイルド的な小説でした。弱者が苦難を乗り切って成功を収める、といった類の小説を好んでいました。彼女もまた常に弱者に目を向け、寄り添うような人でした。
子供や孫は自分の分身でありこの世に生きたという証でもあるけれど、子供を持てなかった彼女はこの世に生きた証としてプロフィールだけのHPを残して逝った。
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