秋吉 巒 の孫のブログ

秋吉巒の孫の家にある秋吉巒の絵を少しずつ紹介していきます!

戴冠式だけどサバト

2017-10-18 22:22:33 | 雑誌の表紙
こんばんは。
秋吉巒の孫の秋吉らんです。
お越しくださりありがとうございます。

今日は、雑誌の表紙がドバっと保管されている箱からひとつ。そしてその箱からペラリと出てきたものも紹介します!
まずは表紙をどうぞ!




なんだか保管されているほかの表紙よりも新しいもののような気がして、「サバト 三和出版」で検索してみたところ、1985年発行のムック本でした。祖父は1982年に亡くなっているので、この絵をぜひ表紙に!ということだったのかなぁと思います。
この絵は画集にも載っています。
『戴冠式』油彩 (1970〜1976) です。
ムック本なので、なんだか盛り盛り盛り沢山の内容ですね。。


次は、表紙でもなく、裏表に祖父の絵が載ったペラ紙が5枚、保管されていたので裏も表も紹介します。











表なんだか裏なんだか。。という感じですが、この5枚は何の雑誌からなのか等が全くわかりません文章は祖父ではないみたいですね。


雑誌の表紙が入った箱には、本当に大量に表紙が保管してあります。原画と関連付けたり、絵合わせみたいに紹介できたらいいなぁと思ったりしているのですが、最近滞りがちなので、まずはコンスタントな更新を再び!と思ってがんばります


それでは。。

画集のリンクはこちら。。
illusion―幻想画家・秋吉巒の世界

古い油絵シリーズ

2017-10-15 22:22:31 | その他
こんばんは。
秋吉巒の孫の秋吉らんです。
お越しくださりありがとうございます。

今日はまた、板に描かれた古い油絵をいくつかどうぞ。






最近、サイズを測り忘れてばかりいます。。また追記していきますね。

3枚目の花の絵は、祖父らしい絵の中に描かれている花の部分を感じさせて、この絵自体は普通の静物画だけれど、どんな絵でも祖父らしさというものがやはりあるんだなぁと思います。
。。にしても、青いバラは最近になってようやく品種改良で誕生したはずなので、この絵も祖父の頭の中だけで描いたのかもしれませんね。


2枚目上の風景画はどこを描いたのでしょう。。東京には思えません。祖父は京城で生まれ育っていますが、戦後は祖父の父の実家である熊本に帰ってしばらく過ごしていたと聞いているので、もしかしたら熊本の風景なのかもしれないなぁとも思います。


祖父の父は長男だったのですが、戦時中の「いざ!大陸へ!」という風潮にスルリと乗り、あとはよろしく〜!と大陸へ渡ってしまったそうです。

戦後に熊本に戻ってきた時には、既に養子を迎えて、本当によろしく収まっていて、突如戻ってきた長男の居場所はなく、厄介者として相当肩身の狭い思いをしていたようです。

そんな父を見て、一足先に上京していた祖父は、自分のもとに呼び寄せ、近くで暮らすことになりました。

でも祖父は、自分の父に対する実家の仕打ちが許せずに、自分の本籍地はもちろん、結婚後の息子(わたしの父です)の本籍地も熊本から動かさないでほしい、と頼んだそうです。なので、わたしの本籍地も結婚するまでは、行ったことのない熊本県にありました


今日はつらつらと祖父の個人的なところを書いてしまいました。たまにはこんなのもいいですかね。。親族にしか伝えられないことだと思うので、どうぞお付き合いくださいませm(__)m


それでは。。

初めて見た!

2017-10-04 22:22:49 | 人物
こんばんは。
秋吉巒の孫の秋吉らんです。
お越しくださりありがとうございます。

今日は、物入れのまあまあ奥から発掘してきた、箱に入っていたこちらの絵を!




あ、サイズを測るのを忘れました!最近ダメですね。。また追記します。
この絵、箱を開けて見た瞬間、うわー初めて見たー!と思いました。赤と青のファイルも確認したのですが、やっぱり載っていませんでした。
赤と青のファイルの記事こちら→強力な助っ人(ファイルだけど)を発見! - 秋吉 巒 の孫のブログ

祖父の絵は青がきれいだなぁといつも思います。この絵の青もとてもきれい。そしてまた見れば見るほど不思議な絵です。。


それでは。。