今日は特別のせる様な事柄も無いので、私のスキー歴について簡単に纏めます。
1967年 静岡県掛川市から札幌市に引越しをしました。まだ小学生低学年だったので、体育の授業でも平たい校庭でスキーを履いて歩くといった感じのスキー授業でした。
今は懐かしいカンダハーのビンディングに革靴、竹のストック、エッジの無いスキー板という装備だった様に記憶します。
カンダハーとはこんなものです。
http://sak.dip.jp/%7Etkrd/kandahar/kandahar.html
カンダハーの意味とは?とずっと考えていたのですが、実はアフガニスタンの都市であるカンダハールが由来だそうです。
http://homepage2.nifty.com/charles/sub04_1.htm
1971年 1970年に手稲山の近く(今の札幌市西区)に引っ越しました。西野のスーパーの二階にあったスキー用品店で自分の身長より10cm程長いスキー板と、その頃は多分解放機構の付いたビンディングにプラブーツを一式数万円で購入して貰い、その一式で中学くらいまで滑っていたと思います。
テイネオリンピアの初心者コースに父に連れられていった記憶があります。リフトはロープトウでした。
他にも小学校や町内会のスキー遠足で何回かテイネオリンピアには行った記憶があります。
1973年 手稲東中学のスキー遠足で何回かテイネオリンピア?に行った記憶があります。また宮丘小学校の校庭には傾斜があって、冬になると滑られた記憶があります。
まだプルークボーゲンから卒業できない位の足前で、パラレルターンの出来る友達が遠足に向かうバスで隣に座ったので、どうやればパラレルターンができるのかという質問した記憶があります。
1980年 1979年に岩手大学に入学し、体育の授業にスキーがあるので、アルバイトしてヤマハのCF3000?という板にチロリアのビンディング、コフラックの靴という一式を買いました。多分一式で5万円~6万円位だと思います。ステップターンをやっと出来る位の足前でした。
スキー授業を5~6回、岩山パークスキー場に大学の先輩と行って、その後に親戚が住む札幌のテイネオリンピア(その頃、私と家族は東京都に引っ越していた)に2回ほど行きました。
結局自前の自動車を持たない貧乏学生は盛岡に住んでいても、余程の動機が無いとスキーには行かないと分かりました。
スキー道具一式は大学の後輩に譲りました。
その後とても長いブランクがあり、スキーをやったのは・・・
1996年 出向先の会社のクラブにスキークラブを選んだので、スキー合宿は裏磐梯地方でした。
その頃、丁度スノーボードの流行が始った頃で、その合宿でも2名程スノーボードを始めた人がいました。
この合宿のために上下で2万円ほどのノーブランドのスキーウェアを買って、スキー用具一式は現地でレンタルする事としました。
そのウエアは去年まで持っていて、ヤフオクで2000円ほどで売りました。
皆さん結構な足前で私は足手まといとなったので、それ以降当分またスキーからは遠ざかります。
行ったスキー場 裏磐梯猫魔スキー場、アルツ磐梯。多分、ナイターで裏磐梯。
2001年 関越道で冬期の事故調査の仕事が入り、3週間ほど石内丸山スキー場の麓の民宿に住む事になり、休みの日は石内丸山スキー場で滑りました。
中腹にある焼肉屋は今まで行ったスキー場のゲレ食では一番美味しかった記憶があります。
しかしその頃の私の足前では初心者コースしか滑られず、石内丸山は殆ど分かっていないと思います。
もう一度行ってみたいスキー場ですね。
2002/2003 那須地方への長期出張が決まり、御茶ノ水のスキー用品店(フソウスポーツ)で板サロモン ヴァース7、ビンディング サロモンのS810、靴 サロモン ヴァースTFといった組み合わせで一式を揃えました。
始めにハンターマウンテン塩原に行って、スキースクールに入りました。スキー靴のタンに体重を掛けて滑るようにとインストラクターさんに指導を受けました。12月中だったので、午後はベタベタの雪になっていた様に思います。
その時の勤務が丁度月曜日と木曜日が休みになる事が多く、木曜日はエーデルワイススキーリゾートのメンズデーでリフト一日券が2200円なので、6回ほど行きました。
エーデルワイススキーリゾートでも一度スキースクールに入りましたが、このレッスンはとても自分としては役に立ったと思います。
このシーズン会津高原だいくらは一度行くと毎回500円割引券が頂けたので、エーデルの次に通ったと思います。
他、会津高原高畑、会津高原たかつえ、グランディ羽鳥湖スキーリゾートに行きました。
たかつえは行った日が午後は雨交じりになりコンディションは余り良くありませんでした。
羽鳥湖は今の足前ではちょっと斜度がゆるく感じ、このシーズンに2回行った後は行ってません。
その時の経験で那須から2時間以内で行けるスキー場で一番の好印象を持ったスキー場は会津高原高畑スキー場でした。
このシーズンに行ったスキー場
栃木県 エーデルワイススキーリゾート、ハンターマウンテン塩原、マウントジーンズ・スキーリゾート那須
福島県 会津高原高畑、会津高原たかつえ、会津高原だいくら、グランディ羽鳥湖スキーリゾート
滑走日数 19日
2003/2004
去年買ったヴァースTFはサイズが大きすぎた点と柔らか過ぎた点から靴をサロモンのコースXRジャパンに交換しました。
一応熱成型タイプのインナーブーツです。
フソウスポーツでは他にフレクソンPro T、ラングのバンシー辺りを候補にしましたが、どれもきつ過ぎて結局同じサロモンを選びました。
また板の方も、ヴァース7では高速安定性が低く、フォルクルの724Proという板に交換しました。
使っていたブーツはヤフオクで15000円、スキー板は会社の人に2万円で売りました。
行ったスキー場
エーデルワイススキーリゾート
このシーズンからClub Eというマイレージカードが出来て、3回1日券を買うとリフト半額券、5回一日券を買うとリフト優待券を一枚貰えるというので、6日通いました。
ハンターマウンテン塩原
知り合いから優待券を貰えました。
会津高原だいくら
今年も500円割引券を貰えるかな、と思って行ったのですが、そのサービスは今シーズンはありませんでした。
ただ12/21に行ったところ、タダ券を一枚貰えました。
会津高原高畑
第4月曜日はリフト券が2500円になるので、行きました。
ただ2回の訪問とも雪が降りすぎでコンディションは余り良くは無く、特に最終日は前日に雨が降った上に30cm程の積雪があって、私の足前では楽しめる状態では無かったです。
ホワイトワールド尾瀬岩鞍
大学の先輩の奥さんからこのスキー場は良いよ、と言われたので行ってみました。
ここも前日雨が降った上にバーンが凍りつき、その上30cm以上の積雪があって、私の足前では余り楽しめませんでした。
このシーズン行ったスキー場
栃木県
エーデルワイススキーリゾート、ハンターマウンテン塩原
福島県
会津高原だいくら、会津高原高畑
群馬県
ホワイトワールド尾瀬岩鞍
滑走日数15日
1967年 静岡県掛川市から札幌市に引越しをしました。まだ小学生低学年だったので、体育の授業でも平たい校庭でスキーを履いて歩くといった感じのスキー授業でした。
今は懐かしいカンダハーのビンディングに革靴、竹のストック、エッジの無いスキー板という装備だった様に記憶します。
カンダハーとはこんなものです。
http://sak.dip.jp/%7Etkrd/kandahar/kandahar.html
カンダハーの意味とは?とずっと考えていたのですが、実はアフガニスタンの都市であるカンダハールが由来だそうです。
http://homepage2.nifty.com/charles/sub04_1.htm
1971年 1970年に手稲山の近く(今の札幌市西区)に引っ越しました。西野のスーパーの二階にあったスキー用品店で自分の身長より10cm程長いスキー板と、その頃は多分解放機構の付いたビンディングにプラブーツを一式数万円で購入して貰い、その一式で中学くらいまで滑っていたと思います。
テイネオリンピアの初心者コースに父に連れられていった記憶があります。リフトはロープトウでした。
他にも小学校や町内会のスキー遠足で何回かテイネオリンピアには行った記憶があります。
1973年 手稲東中学のスキー遠足で何回かテイネオリンピア?に行った記憶があります。また宮丘小学校の校庭には傾斜があって、冬になると滑られた記憶があります。
まだプルークボーゲンから卒業できない位の足前で、パラレルターンの出来る友達が遠足に向かうバスで隣に座ったので、どうやればパラレルターンができるのかという質問した記憶があります。
1980年 1979年に岩手大学に入学し、体育の授業にスキーがあるので、アルバイトしてヤマハのCF3000?という板にチロリアのビンディング、コフラックの靴という一式を買いました。多分一式で5万円~6万円位だと思います。ステップターンをやっと出来る位の足前でした。
スキー授業を5~6回、岩山パークスキー場に大学の先輩と行って、その後に親戚が住む札幌のテイネオリンピア(その頃、私と家族は東京都に引っ越していた)に2回ほど行きました。
結局自前の自動車を持たない貧乏学生は盛岡に住んでいても、余程の動機が無いとスキーには行かないと分かりました。
スキー道具一式は大学の後輩に譲りました。
その後とても長いブランクがあり、スキーをやったのは・・・
1996年 出向先の会社のクラブにスキークラブを選んだので、スキー合宿は裏磐梯地方でした。
その頃、丁度スノーボードの流行が始った頃で、その合宿でも2名程スノーボードを始めた人がいました。
この合宿のために上下で2万円ほどのノーブランドのスキーウェアを買って、スキー用具一式は現地でレンタルする事としました。
そのウエアは去年まで持っていて、ヤフオクで2000円ほどで売りました。
皆さん結構な足前で私は足手まといとなったので、それ以降当分またスキーからは遠ざかります。
行ったスキー場 裏磐梯猫魔スキー場、アルツ磐梯。多分、ナイターで裏磐梯。
2001年 関越道で冬期の事故調査の仕事が入り、3週間ほど石内丸山スキー場の麓の民宿に住む事になり、休みの日は石内丸山スキー場で滑りました。
中腹にある焼肉屋は今まで行ったスキー場のゲレ食では一番美味しかった記憶があります。
しかしその頃の私の足前では初心者コースしか滑られず、石内丸山は殆ど分かっていないと思います。
もう一度行ってみたいスキー場ですね。
2002/2003 那須地方への長期出張が決まり、御茶ノ水のスキー用品店(フソウスポーツ)で板サロモン ヴァース7、ビンディング サロモンのS810、靴 サロモン ヴァースTFといった組み合わせで一式を揃えました。
始めにハンターマウンテン塩原に行って、スキースクールに入りました。スキー靴のタンに体重を掛けて滑るようにとインストラクターさんに指導を受けました。12月中だったので、午後はベタベタの雪になっていた様に思います。
その時の勤務が丁度月曜日と木曜日が休みになる事が多く、木曜日はエーデルワイススキーリゾートのメンズデーでリフト一日券が2200円なので、6回ほど行きました。
エーデルワイススキーリゾートでも一度スキースクールに入りましたが、このレッスンはとても自分としては役に立ったと思います。
このシーズン会津高原だいくらは一度行くと毎回500円割引券が頂けたので、エーデルの次に通ったと思います。
他、会津高原高畑、会津高原たかつえ、グランディ羽鳥湖スキーリゾートに行きました。
たかつえは行った日が午後は雨交じりになりコンディションは余り良くありませんでした。
羽鳥湖は今の足前ではちょっと斜度がゆるく感じ、このシーズンに2回行った後は行ってません。
その時の経験で那須から2時間以内で行けるスキー場で一番の好印象を持ったスキー場は会津高原高畑スキー場でした。
このシーズンに行ったスキー場
栃木県 エーデルワイススキーリゾート、ハンターマウンテン塩原、マウントジーンズ・スキーリゾート那須
福島県 会津高原高畑、会津高原たかつえ、会津高原だいくら、グランディ羽鳥湖スキーリゾート
滑走日数 19日
2003/2004
去年買ったヴァースTFはサイズが大きすぎた点と柔らか過ぎた点から靴をサロモンのコースXRジャパンに交換しました。
一応熱成型タイプのインナーブーツです。
フソウスポーツでは他にフレクソンPro T、ラングのバンシー辺りを候補にしましたが、どれもきつ過ぎて結局同じサロモンを選びました。
また板の方も、ヴァース7では高速安定性が低く、フォルクルの724Proという板に交換しました。
使っていたブーツはヤフオクで15000円、スキー板は会社の人に2万円で売りました。
行ったスキー場
エーデルワイススキーリゾート
このシーズンからClub Eというマイレージカードが出来て、3回1日券を買うとリフト半額券、5回一日券を買うとリフト優待券を一枚貰えるというので、6日通いました。
ハンターマウンテン塩原
知り合いから優待券を貰えました。
会津高原だいくら
今年も500円割引券を貰えるかな、と思って行ったのですが、そのサービスは今シーズンはありませんでした。
ただ12/21に行ったところ、タダ券を一枚貰えました。
会津高原高畑
第4月曜日はリフト券が2500円になるので、行きました。
ただ2回の訪問とも雪が降りすぎでコンディションは余り良くは無く、特に最終日は前日に雨が降った上に30cm程の積雪があって、私の足前では楽しめる状態では無かったです。
ホワイトワールド尾瀬岩鞍
大学の先輩の奥さんからこのスキー場は良いよ、と言われたので行ってみました。
ここも前日雨が降った上にバーンが凍りつき、その上30cm以上の積雪があって、私の足前では余り楽しめませんでした。
このシーズン行ったスキー場
栃木県
エーデルワイススキーリゾート、ハンターマウンテン塩原
福島県
会津高原だいくら、会津高原高畑
群馬県
ホワイトワールド尾瀬岩鞍
滑走日数15日