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ボストン発、iPad体験記: 家族の会話と知の創造の場である食卓に溶け込む魅力

2010-05-10 | iPad
"The iPad as "Social Medium to Stimulate Dinner Table Conversation for Family"

By Akiko Sugaya/菅谷明子(在米ジャーナリスト)

iPad の利点は、自然な会話を妨げずに、グループで話題にのぼった文脈情報を即検索してシェアでき、すんなり場に溶け込むことにある。

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5月3日、我家に待望のiPad 「ポチ」がやって来た。「ポチ」というのは、全くの思いつきの名前。でも、数日経つと、平凡なこの名前が、実はiPadの我家でのポジションを上手く象徴しているように思えて来た。家族みんなに愛されて、何より家にすっかり溶け込み、存在に違和感がないのである。ちなみに米国でのiPad発売は約ひと月前で、我家への到着が遅れたのは、3G対応機種を待ったため。知人のiPadで使い心地は体験済みだったが、生活の中で使い込んでみるとその使用感は明らかに異なる。これまで、iPadのビジネス、技術、産業界へのインパクトなどの話題は出尽くした感があるので、ここではあえて視点を変え、暮らしのなかで、家族にとってのiPadとは何か、というテーマで経験談をまとめてみたい。
                   
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我家のキッチン・ダイニングスペースは、「料理をし食べる場所」というよりは、家族のコミュニケーションを「触発するため」の場と位置付けている。最近の関心テーマは、知を触発する物理空間+情報空間のデザインということで、大学やクリエイティブな企業の調査・研究を進めている。しかし、よく考えてみれば、家庭もある意味では知を創造する空間である。そこで、家族の行動をじっくりと観察し、それに応じた工夫を施してみたのである。

我家には、3歳と5歳の娘、そして、文字通りいつも走り回っていることで知られる、超多忙なパートナー ( @Twitter/ishii_mit)と4人家族である。本来家族のコミュニケーションと言えば、リビングルームなのだろうが、我家の場合、家族一同が毎日、一緒の時間を過ごすのは朝と夜の食事に限られる。というわけで、食器やお鍋、調理器具はごく最低限だけ残し、あとは地下のクロゼットへ全て移動したのは二年前。それより、会話や学習を盛り上げる本・雑誌、参照資料、知育玩具、パソコンなどを、ダイニングテーブルから、手を伸ばして取り出せるように配置した。「食事中に何とまぁ」という声も聞こえてきそうだが、忙しい家族だからこそ、一同揃った時には、顔を合わせて、じっくりと会話を深めることが、最優先だとの結論に達したのである。

さて、そんな我家に「ポチ」の登場である。初日は物珍しさに、皆でいろいろと試してみていたが、二日目の夕飯時はこんな具合だった。家族であれこれ話しをしていると、長女が音楽の授業で習ったらしく「チャーリー・パーカーって知ってる?」と聞いてきた。これまでなら、夕飯が終わったところで、余裕があればパソコンを開いていたけれど、「後で」となると、うっかり忘れてしまったり、当初の子供の興味が失せてしまうことも多々あった。ところがiPadなら、youtubeの映像をささっと検索プレイして、即、娘に手渡して見せることができ、それを手がかりにまた話しを広げることができる。チャーリー・パーカーの演奏、彼がどんな人物なのかもうろ覚えであったが、wikiで調べて何とか説明もできた。親も子供とともに、まだまだ学べることがたくさんあり、面白い。

また、このところ学校で宇宙がテーマなので、それに関係するものを見たいと言い出した。そこで、NASAのサイトや、野口聡一飛行士がTwitterで送って来た写真、日本人宇宙飛行士の山崎直子さんの映像なども皆で見た。会話を妨げずに次々と文脈情報が得られるは、何よりの魅力だと感じる。

今度は3歳の次女が、片言でクラスの友達が夏休みにイタリア旅行に行くと言い出した。そこで、Flickrから2年前の我家のフィレンツェ旅行の写真を見ることに。当時彼女は1歳で本人の記憶はないが、写真をみて自分も行ってきたのだと実感できた様子。そこから、イタリア旅行の家族写真で当時の想いで話しに花が咲き、しばし盛り上がる。家族写真は家族の絆を強くするものだと思うが、これが瞬時に取り出せるのはありがたい。

おまけにこの日は、知人からレッドソックスのチケットが回って来たものの、都合が付かず涙の見送りをしていた。実は長女が生まれた年にレッドソックスは、86年ぶりにワールドシリーズ優勝、次女が生まれた年にも続いて優勝と、家族で勝手に親近感を抱いている。というわけで、即、当時のレッドソックスの優勝写真を検索し、それから、当時、赤ちゃんだった娘たちの家族写真にまた戻るという具合。

数日前は、Twitter でピアニストLang LangのiPad ピアノ演奏を知り、これはぜひ家族に見せようと思っていた。ピアノ機能には、我家ではまっているもののひとつだが、彼のテクニックとユーモアセンスにも脱帽で、皆で繰り返し繰り返し見たのであった!

「なぁ~んだ、食卓でウェブ検索して使うのがiPad?」と落胆される方もおられるかもしれない。ここでまとめてみると、iPad の利点は、家族がお互いの顔を見ながら会話を妨げずに、話題にのぼった文脈情報を、家族で即検索してシェアできる点にある。例えば、テレビの場合は、どうしても番組の展開に支配され、話す話題をコントロールしにくく、視線も画面に向いてしまいがち。また、これまでノートブックパソコンも使って来たが、サイズやクラムシェル型のため、各人がそれぞれの世界に入って行ってしまい、むしろ会話を阻止してしまうことも多い。おまけに、皆で回して見るのには適当でなく、食事中には向いていなかった。そんなわけで、これまではiPhoneを使って来たのだが、やはり家族でシェアするには画面が小さすぎるのが難点だ。その点iPadは立てかけて皆で見ることもできるけれど、何より手に取って皆で回し見られるし、画面を逆さにして、相手に見せる事も簡単だ。機能だけでなく、サイズやデザインがいかに大切なのかを強く実感した。つまりiPadは、グループの自然な会話を妨げずに、文脈情報を提供し、場にすんなり溶け込むものなのである。

とは言っても、勿論、iPadさえあれば、全てが上手く行くとは限らない。あくまでも主役になるのは会話であり、iPadは必要に応じて登場する脇役である。何と言っても、ゲーム機能やyoutubeビデオにアクセスでき、子供でも簡単に操作できるので、油断していると子供たちが勝手に使ってしまう危険も付きまとう。そうなっては本末転倒。それを避けるためには、親がイニシャティブを取り、会話を上手くファシリテートしていく必要がある。

また、子供たちはiPadでビデオを見たいが為に、それに即した話題を持ち出すなど、さっそく狡猾な面を見せ始めている。(う~ん敵も考えておる..)確かに、映像やビジュアルを見せることは、物の理解の助けになるが、固定したイメージを受容するだけになる危険もある。だから、何でもかんでも、iPadを使って見せてしまうのも考えもので、そこは親の判断が問われるところだ。まずは、見せる前に「どんなものだと思う?」など問いかけておく事は、子供の想像力を伸ばす上にも大事な気がする。また、これは我家の特殊事情かもしれないが、パートナーが新聞サイトやメール、Twitterのチェックを始めたら要注意。さりなげなく「あちら世界」から引き戻し、食卓の話題に参加させる技もポイント(笑)。

目下、我家の「ポチ」の試練は、タッチ式ということもあり、バターやジャムのぎとぎした家族全員の手で触られまくり、妙に光り輝いていることかもしれない。おまけに、気がつくとご飯粒がついちゃったりしていることもよくある。実際、今朝もそうだった(汗)。しかしまた、この「ぎとぎと」ぶりは、それだけ生活に密着して使えるものだという証拠ではないだろうか。
また、食卓に限らず、家族でリビングやベッドでごろごろしながら使うのにも便利だし、本の読み聞かせにも十分使える。これから「ポチ」は、我家のお出かけや家族旅行のお供としても、ますます活躍しそうである。

ところで、このところ、iPadとKindleを比べた記事やブログなどを数多く目にし、違和感を感じることが多かったが、実際、iPadを使ってみて、それがいかに不毛な比較論であるかとの意を改めて強めている。我家にも2年前からKindleはあるが、あくまでも本や記事などテキストを読む為のブックリーダーに特化した端末であり、一方、iPadにとってのブックリーダーは何千という豊富な機能の一つに過ぎない。Kindleは読むことだけに集中する場合には、非常に優れたものであるが、それ以外の役割はなく、そこがiPadとは大きく異なっているのである。

iPadを使ってみて、グラフィカル・ユーザーインタフェースの進化により、各個人がコンピュータを通して「情報世界」とインタラクションする方法は格段に向上してきていることを実感した。これからは同じテーブルを囲む家族や学習仲間との、自然なコミュニケーションに溶け込む、さらに新しい形のコンピュータが求められてくるだろう。我が家にやって来た「ポチ」の存在は、そんな未来の方向を指し示してくれているように思えてならない。

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