私は誰か?のまとめ - 私は誰か?とリリーステクニック - 1
私は誰か? - ラマナ・マハルシの教え - 02 (P8 ~ P16)
ラマナ・マハルシ(1879年12月30日 - 1950年4月14日)
注記) 覚醒の本性は、存在-意識-至福である。
Sat-cit-ananda : 存在-意識-至福
参考サイト:
Sat-cit-ananda | Define Sat-cit-ananda at Dictionary.com
reality, seen through the discovery of Brahman as sat or ultimate being, cit or pure consciousness, and ananda or perfect bliss.
satまたは究極の存在(being)、citまたは純粋な意識、アナンダ(ananda)や完璧な至福としてブラフマンの発見を通して見た現実。
Brahman の意味とは - Yahoo!辞書
Brahman:ブラフマン,梵(ぼん):宇宙の根本原理. (バラモンの意味もある)
sat or ultimate being,: sat あるいは最終的な存在、
cit or pure consciousness,:cit あるいは純粋な意識、
ananda or perfect bliss.:ananda(歓喜) または完全な幸福(完全な至福)。
--- 8 ---
3 覚醒の本性は何でしょうか?
覚醒の本性は、存在-意識-至福である。
7 対象として見られている世界は、いつ消え去るのでしょうか?
すべての認識作用とすべての行為を引き起こす原因である心が静かになったとき、世界は消え去るだろう。
8 心の本性とは何でしょうか?
想念が心の本性である。
P8
--- 8 --- --- 9 ---
8 心の本性とは何でしょうか?
人が絶え間なく心の本性を探究しつづけるならば、心は真我をあとに残して死滅するだろう。
9 心の本性を理解する探究の道とは何でしょうか?
身体のなかに「私」として立ち現れるものが心である。
心のなかに現れるすべての想念のなかで、最初に現れるのは「私」という想念である。
P9
--- 9 --- --- 10 ---
11 「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?
想念が起こるたびに「この想念は誰に起こってきたのか?」と入念に探究すべきである。それに対して現れる答えは「私に」だろう。そこで、すぐに「私は誰か?」と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるだろう。このように修練を繰り返せば、心は源にとどまることに熟達するだろう。
注記) リリーステクニックの第5の方法について
感情のリリース - The 5th Way(第5の方法)
感情のリリース - The 5th Way(第5の方法)- 2
感情のリリース - The 5th Way(第5の方法)- 4 あなたの経験を調査する
人は何をするときにも、「私」という自我性なしにそれをすべきである。
P10
--- 10 --- --- 11 ---
12 心を静かにする他の方法はないのでしょうか?
想念が決意を固めて一点に集中すれば、強いものとなる。そのような心にとって、真我を探究することは容易になるだろう。すべての規則制限のなかでも、適度な量の清らか(サートヴィック)な食事を取るという方法が最上のものである。これを守ることによって、心の清らかさは増し、真我の探究の助けとなるだろう。
注記) カム・バクーシの手紙
''カム・バクーシの手紙'' - リリース・テクニック
P11
--- 13 ---
19 無執着とはどういうことでしょうか?
想念が起こるとともに、その起こったまさにその場で、あますところなく完全に消滅させること、それが無執着である。
20 神やグルは、魂の解脱をもたらすことはできないのでしょうか?
けれどもひとりひとりは、神あるいはグルによって示された道を自分自身の努力で究め、解脱に達しなければならない。
P13
--- 14 ---
23 解脱を願う者にとって、本を読むことにはどんな価値があるのでしょうか?
心を静めるには、人はただ自分自身の内に、真我とは何かと問いつづけるべきである。
P14
--- 15 ---
24 幸福とは何でしょうか?
幸福とは真我の本性そのものである。幸福と真我は別のものではない。
実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は幸福を体験する。世界が現れると、不幸を味わうのである。
P15
--- 16 ---
27 探究と瞑想の違いは何でしょうか?
探究とは、真我のなかに心をとどめておくことである。
28 解脱とは何でしょうか?
束縛されている自己の本性を探究すること、その真の本性を悟ることが解脱である。
P16
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私は誰か? - ラマナ・マハルシの教え - 02 (P8 ~ P16)
ラマナ・マハルシ(1879年12月30日 - 1950年4月14日)
注記) 覚醒の本性は、存在-意識-至福である。
Sat-cit-ananda : 存在-意識-至福
参考サイト:
Sat-cit-ananda | Define Sat-cit-ananda at Dictionary.com
reality, seen through the discovery of Brahman as sat or ultimate being, cit or pure consciousness, and ananda or perfect bliss.
satまたは究極の存在(being)、citまたは純粋な意識、アナンダ(ananda)や完璧な至福としてブラフマンの発見を通して見た現実。
Brahman の意味とは - Yahoo!辞書
Brahman:ブラフマン,梵(ぼん):宇宙の根本原理. (バラモンの意味もある)
sat or ultimate being,: sat あるいは最終的な存在、
cit or pure consciousness,:cit あるいは純粋な意識、
ananda or perfect bliss.:ananda(歓喜) または完全な幸福(完全な至福)。
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3 覚醒の本性は何でしょうか?
覚醒の本性は、存在-意識-至福である。
7 対象として見られている世界は、いつ消え去るのでしょうか?
すべての認識作用とすべての行為を引き起こす原因である心が静かになったとき、世界は消え去るだろう。
8 心の本性とは何でしょうか?
想念が心の本性である。
P8
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8 心の本性とは何でしょうか?
人が絶え間なく心の本性を探究しつづけるならば、心は真我をあとに残して死滅するだろう。
9 心の本性を理解する探究の道とは何でしょうか?
身体のなかに「私」として立ち現れるものが心である。
心のなかに現れるすべての想念のなかで、最初に現れるのは「私」という想念である。
P9
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11 「私は誰か?」という想念を絶えず心に保つにはどうすればよいでしょうか?
想念が起こるたびに「この想念は誰に起こってきたのか?」と入念に探究すべきである。それに対して現れる答えは「私に」だろう。そこで、すぐに「私は誰か?」と探究すれば、心は源に引き戻され、起こった想念は静まるだろう。このように修練を繰り返せば、心は源にとどまることに熟達するだろう。
注記) リリーステクニックの第5の方法について
感情のリリース - The 5th Way(第5の方法)
感情のリリース - The 5th Way(第5の方法)- 2
感情のリリース - The 5th Way(第5の方法)- 4 あなたの経験を調査する
人は何をするときにも、「私」という自我性なしにそれをすべきである。
P10
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12 心を静かにする他の方法はないのでしょうか?
想念が決意を固めて一点に集中すれば、強いものとなる。そのような心にとって、真我を探究することは容易になるだろう。すべての規則制限のなかでも、適度な量の清らか(サートヴィック)な食事を取るという方法が最上のものである。これを守ることによって、心の清らかさは増し、真我の探究の助けとなるだろう。
注記) カム・バクーシの手紙
''カム・バクーシの手紙'' - リリース・テクニック
P11
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19 無執着とはどういうことでしょうか?
想念が起こるとともに、その起こったまさにその場で、あますところなく完全に消滅させること、それが無執着である。
20 神やグルは、魂の解脱をもたらすことはできないのでしょうか?
けれどもひとりひとりは、神あるいはグルによって示された道を自分自身の努力で究め、解脱に達しなければならない。
P13
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23 解脱を願う者にとって、本を読むことにはどんな価値があるのでしょうか?
心を静めるには、人はただ自分自身の内に、真我とは何かと問いつづけるべきである。
P14
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24 幸福とは何でしょうか?
幸福とは真我の本性そのものである。幸福と真我は別のものではない。
実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は幸福を体験する。世界が現れると、不幸を味わうのである。
P15
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27 探究と瞑想の違いは何でしょうか?
探究とは、真我のなかに心をとどめておくことである。
28 解脱とは何でしょうか?
束縛されている自己の本性を探究すること、その真の本性を悟ることが解脱である。
P16
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