人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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沖縄の仏教 【25】

2017年11月20日 00時02分21秒 | 日記

 仲尾次政隆 <3>

政隆は禁教の浄土宗を布教したと言う理由で

石垣島へ終身流刑となった

 

政隆が記した、配流日記に石垣島に行く前に

座間味島に一年半ほど滞在し

1856年11月に息子と二人の共が同行して

流刑地石垣島に12月1日真泊に入港したと記されている

 

石垣島での生活は拘束もなく

妻を得て子供を儲け、船を持ち貿易・事業などに従事して

流刑人とはおもえない自由な生活をしている

 

石垣島で11年間の記録を記した配流日記に

島での出来事を詳細に記述されている

 

日記の中に島の生活で詠んだ

和歌542首、126首の琉歌が記されている

 

石垣島では、和歌・琉歌の関心は高く

政隆は島の知識人や僧侶・上級役人などとの和歌、琉歌を

通して交流を持ち人間関係を深めていった

 

仲尾次政隆は自身の資産だけを増やすことなく

以前から、王府へ台風や干ばつ(2回)や

王子らが薩摩へ行く旅費、また徳川将軍の即位に行く旅費

学校の建設費などの多額を献上し、無利息の貨与などもしている

 

中村家・政隆は信仰者として社会に貢献し還元している

仲尾次家の家譜に記述されている

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