朱の徒然

変形性股関節症の76歳

39日間の入院生活の前半

2014年05月28日 | 日記
 手術後一番の敵は、血栓、感染症、脱臼です。

 手術当日は、夫が付き添ってくれましたが、いいしれぬ不安でいっぱいでした。
入れ歯を外し、ベットのままストレッチャーで廊下やエレベーターを運ばれながら、
まるでTVドラマみたいと思っていました。

 手術室に入って、フワッと温まったバスタオルをかけて頂いた時、まだ肌寒い日でしたので、
その思いやりが嬉しかったですね。
 また、いつもは、多人数の手術を同時にされるが、その日は私一人とのことで、医学生集中ってかんじで少し気恥ずかしいって気持ちも、この年でもありました。でも、優しく手を握っていて下さったのは、女性の方で安心しました。

麻酔と睡眠薬でだんだん意識が遠のいていきました。

「終わりましたよ」の声に「イヤー、ちょっと待ってー、ここは桃源郷だからー」と思ったところで、目が覚めました。
あの気持ち良さはなんだったのでしょう!フワーッと何かに包まれたような心地良さ・・。

 集中治療室へ。すっかり大丈夫と思ったので、朝から付き添っていてくれた夫に
「明日、また来てね」と夕方に帰ってもらいました。

ところが、日没とともにカーテンで閉ざされた器具に囲まれた一人ぼっちの部屋で、だんだんとひどくなる得体のしれない痛みと底知れぬ不安。

のどの渇き、誰もいない。身動きとれない。もう死んでもいい。
看護師に言いました。痛み止めを・・。睡眠薬を・・。息ができない・・・と。
酸素吸入器をはめられました。

おまけに、深夜2時ころに地震が・・・・。
震度3でしたがかなり揺れました。 集中治療室の大きな機器がガチャ、ガチャ・・・
当直の看護師が患者の安否確認、病室の機器の緊急停止の有無チェックなどで
病院中を走り回る音・・・。  怖い、痛い、苦しい・・・・

不安で、不快で、辛い、一晩でした。
恐らく、それはビビリの私ならだったのでしょうが・・。

翌朝からは、夫だけが頼りの生活が始まりました。
大岩のように動かない右足にも血栓予防の弾性ストッキングが履かれ、足先の動かしが一日の唯一の仕事になりました。同じく看護師の方々の大きな仕事が、ストッキングの脱ぎ履きでした。患者が自分ですることは困難でもあり、脱臼の恐れがあるからです。

感染症予防のため拭いてもらうだけで洗えなかった体も
傷が塞がってからは、シャワーだけですが入浴が許されました。

 気持ちまでこんなにさっぱりするものかと思いました。

ここでの学びは、30分内での脱ぎ着とシャンプーと身体洗いです。
今でも役立っているのは、まず脱いだシャツを椅子に敷きます。風呂上がり、この上に座り、水気を除ってからバスタオルで拭くと、より水分が拭けました。

医療センターの3種の神器は、ソックス・エイド、 リーチャー、  足ブラシ  です。






これが入院生活の中でとても役に立ちました。

左がソックス・エイド・・・術後当面前かがみ出来ない状況で、ソックスを自分一人で履くための
               補助具です。

真中が リーチャー・・・・伸縮可能な棒にフックがついています。車椅子の際ドアを開ける、
              閉める。 ズボンやソックスを脱ぐとき活用する など等。

右が 足ブラシ・・・・・・シャワーを使う際、前かがみにならずに脚を洗うブラシです。



入浴では特にリーチャーがないと、一人での脱ぎ着は出来ません。


足ブラシもソックス・エイドも作業療法士の方の手作りです。各ぞれが300円で、
どれ程有難かったか・・。



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術後2か月半の私

2014年05月26日 | 日記
  


2014年3月13日に○○医療センターの○○先生に変形性股関節症の手術をしていただきました。
 39日間の入院生活でした。16日間は 3階の病棟で、23日間はリハビリ病棟で過ごしました。そして今、2か月が過ぎ、もうすぐ3か月目の初検診日を迎えようとしています。
 ですが、いまだ心も体も不安定です。

 手術さえすれば、あの苦痛だった状況がゼロになると思っていた愚かな66歳です。
 手術された方のコメントは、もっと早くすればよかったという喜びに満ちたものばかりでした。
 今、私に後悔はありませんが、もっと術後の具体的な様子が知りたかった。

だから同じ病の方の参考になればとこのブログを立ち上げました。

 病の状況は人それぞれ違うと思いますので、私の場合を述べてみたいと思います。

 幼い時からお転婆で体を動かすことが大好きでした。
 昨年までは、夫とウォーキング大会に喜びを見出し、孫たちとキャッチボールや水泳を楽しみ、町の体育館ではバレーボールやツクポニーに親しんで10月までを過ごしました。それが年末になり痛みは尋常ではなくなり、正月は百円均一の杖を10本買い込んで、どこにでも置いていました。一番助かったのは階段でした。


それでも、秋から予約していた1月4日は、雲仙の「有明荘」に1泊2日。2月はカニを食べに雪の中を鹿島の「鶴荘」に1泊2日。でもそれら楽しかるべき旅も時折の「アイタター」に自分がうちひしがれ、夫に申し訳なく、とうとう決心して2月に急きょ医療センターに申し込みました。

 そこでの私の第1声は「先生 参りました。手術お願いします!」と頭を下げることでした。
 だって12月の初診察の時は「手術以外に方法はないんですか?薬とか貧乏ゆすりとか手術以外の方法はないの?」というエラそうな態度でしたから・・・。

 もう2か月で絶望感を十分に味わっていました。読んだ本は10冊以上、整体院は2軒。インチキくさいことには悲しみは増すばかりでした。筋力体操すれば手術の回避があるかもとサークルにも毎週通っていましたが効果なし。

 よく怒りもせず3月の再診予定を入れていてくださったと思います。もしかしたら、経験上こんな風にもっと痛くなって耐えられなくなることがお分かりだったのでしょうか?

 ありがたいことです。2回目で幸いにも空があり手術日が決まり、貯血までして次回は入院と、とんとん拍子に決まりました。

 ここでも、ラッキーなことに、待合室で退屈まぎれに花柄の杖を持った女性に話しかけてみました。
 
「手術はもうおすみなんですか?」と・・。すぐに意気投合して電話番号を交換していただきましたので、彼女にいろいろアドバイスを頂いて準備をしました。

同病の士ありがとう。
コメント (2)
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