★逸翁美術館 サイト
秋季展『茶の湯交遊録』 第2部『小林一三と近代茶人たち』 終了
これも「どーしても行きたくて」の展覧会。
「近代茶人」と一括りにされちゃうと、誰がどの時代を生きて活躍したかが、あやふやになる。
だって、大抵の方は長生きしたので、現代の私たちが目にするのはそこそこ晩年になってからの写真。
それぞれが交流があったというけれど、どれも「おじいさん」で時系列で捉えにくい。
それを補うためには、最初にパネルをじっくり見る。
なるほど
第1世代から第4世代に区切ればいいのか。
第1世代
井上馨(世外) 1836-1915
安田善次郎 1838-1921
平瀬露香 1839-1908
藤田伝三郎 1841-1912
第2世代
馬越恭平 1844-1933
益田鈍翁 1848-1938
三井高保 1850-1922
村山香雪 1850-1933
第3世代
団琢磨 1858-1932
根津青山 1860-1940
高橋箒庵 1861-1937
住友春翠 1864-1926
原三渓 1868-1939
第4世代
小林逸翁 1873-1957
松永耳庵 1875-1971
野村得庵 1878-1945
正木孝之 1895-1985
畠山即翁 1881-1971
五島慶太 1882-1959
山口滴翠 1883-1951
森川如春庵 1887-1980
湯木貞一 1901-1997
なるほど。
逸翁は最後の世代かぁ。
そして、鈍翁は第2世代、小林一三の元上司・高橋義雄(箒庵)は第3世代。
直前に訪れた香雪美術館の村山龍平は第2世代。
そして、同世代は耳庵に得庵、そして東急の五島さん。
さらに、“近代茶人”の最後が吉兆の湯木貞一さん。
この関係性を念頭に入れて見ていったので、かなり面白かった。
まずは井上世外の書蹟。
面識はあっただろうか。たぶん、憧れの人?
平瀬露香も同じかな?
続いて、益田鈍翁筆や作が並ぶ。
鈍翁への思慕が深かった、と解説にあるが、要するに「目標の人」であり尊敬していたのだろう。
(ファンとも言える?)
三井系列のつながりもあっただろうし、交流は深かったみたい。
「雅俗山荘」の字まで書いてもらうとは、さすが。
木菟(みみずく)の画賛はかわいい。
中には(鈍翁の没後に)所有者から無理に譲り受けた鈍翁手造黒茶碗も。
また、勤めていた三井銀行のトップ・三井高保(華精)の短冊や色紙もあって、
最初の勤務先で受けた影響の強さがよくわかる。
(たしか、銀行を辞めた時にもらったという)色紙が印象深い。
「きのうけふ そのの桜をまちわびて ふくめる花のかずかぞえけり」
そして、忘れてはならないのが上司の高橋義雄。
一三宛の書簡、以前見たものとは別物。
しかも3通。
秘書課への異動が叶わなかった時の云々~といった銀行員時代のものとか、
外遊へ行く前だったか帰国後に「これから益々の活躍を期待する~」的な?激励のものとか。
ほか「乱菊」は表装に手紙が用いられていた。
それをすべて表層しているのだから、如何にそのアドバイスや言葉を大切にしていたかが、
すごーくわかる。
こういう「一生の師」と仰ぐ上司に、私も出会いたかった。。。
ちょっと、変わったところでは村山香雪との関係。
神戸の香雪美術館~すなわち村山龍平の邸宅~北側には阪急神戸線が通っている。
当初の計画では村山邸の北庭の敷地内を通るルートだったとか。
ところが村山翁をはじめとする近隣住民の猛反対に遭い、
関係も険悪なものとなったらしい。
で、北庭を通過するルートはやめて北側を通ることで折り合いがつけ、
関係も修復された、とか。
ゆかりの道具は香雪筆の俳句短冊「老樹にも」。
表装の上下が梅に関する新聞記事を寄せ集めてある。
ほかには白鶴酒造の嘉納鶴翁筆の書蹟や扇子、住友春翠の書蹟、
野村得庵の金地秋草絵の扇子。(←野村美術館で絵で詳細に描いた茶会記を見たけど、そのタッチ)
大阪だけあって製薬業界とのつながりも。
塩野義関係のものがあった。(なんだったか、忘れてしまった)
あと「わかもと」ゆかりの薩摩焼の茶碗。
とても上品できれいなお茶碗。
(便宜をはかったお礼に贈られたもの、らしい)
湯木貞一ゆかりのものがなかったのが少し残念だったけど
これはこの次に訪れた湯木美術館で親交がわかるものに出会うことになる。
関西のみならず、関東の茶人(てか実業家)との交流も。
東急の経営を通じての関係も深かった五島慶太(古経楼)の横一行書。
原三渓の書蹟「臥庵」。←これは逸翁の茶室。
近衛文麿(虎山」とは政界進出時のつながり。
根津青山から小林一三宛の書簡。(←茶会の招待状だったと思う)
といったところ。
中部地方の川喜田半泥子(1878-1963)作の茶碗もあったから、交流もあったのだろう。
お坊さん関係のものもあったけど、興味がないのであんまし印象に残らず。
ユニークだったのは茶室スペースの特別展示。
芦葉会会記と寄せ書。
「芦葉会」とは昭和16年に発足した茶会。
手描きのイラストつきの茶会記がとっても楽しそう。
ほんと、茶会を楽しんでた大人たちだなぁ、と思った。
今回の展覧会はやっぱし面白かった。
残念だったのは図録を発行していなかったこと。
現状で持っている逸翁美術館の図録を参照して復習することにしよう。
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★逸翁美術館バックナンバーリスト
2013年10月 茶の湯交遊録『小林一三と松永安左エ門 -逸翁と耳庵の名品コレクション』
2013年6月 春季展『小林一三生誕140周年記念Ⅰ 復活!不昧公大圓祭-逸翁が愛した大名茶人・松平不昧-』後期
2013年5月 春季展『小林一三生誕140周年記念nⅠ 復活!不昧公大圓祭-逸翁が愛した大名茶人・松平不昧-』前期
2013年1月 早春展『漆の美-黒と金の世界-』
2012年5月 春季展「-茶会記をひもとく- 逸翁と茶会」
2011年8月 「銘のある茶道具 ~逸翁流、銘の楽しみ方~」
2009年11月 開館記念特別展「茶人逸翁 茶の湯文化と小林一三」
2007年11月 開館50周年特別記念展(後期)
秋季展『茶の湯交遊録』 第2部『小林一三と近代茶人たち』 終了
これも「どーしても行きたくて」の展覧会。
「近代茶人」と一括りにされちゃうと、誰がどの時代を生きて活躍したかが、あやふやになる。
だって、大抵の方は長生きしたので、現代の私たちが目にするのはそこそこ晩年になってからの写真。
それぞれが交流があったというけれど、どれも「おじいさん」で時系列で捉えにくい。
それを補うためには、最初にパネルをじっくり見る。
なるほど
第1世代から第4世代に区切ればいいのか。
第1世代
井上馨(世外) 1836-1915
安田善次郎 1838-1921
平瀬露香 1839-1908
藤田伝三郎 1841-1912
第2世代
馬越恭平 1844-1933
益田鈍翁 1848-1938
三井高保 1850-1922
村山香雪 1850-1933
第3世代
団琢磨 1858-1932
根津青山 1860-1940
高橋箒庵 1861-1937
住友春翠 1864-1926
原三渓 1868-1939
第4世代
小林逸翁 1873-1957
松永耳庵 1875-1971
野村得庵 1878-1945
正木孝之 1895-1985
畠山即翁 1881-1971
五島慶太 1882-1959
山口滴翠 1883-1951
森川如春庵 1887-1980
湯木貞一 1901-1997
なるほど。
逸翁は最後の世代かぁ。
そして、鈍翁は第2世代、小林一三の元上司・高橋義雄(箒庵)は第3世代。
直前に訪れた香雪美術館の村山龍平は第2世代。
そして、同世代は耳庵に得庵、そして東急の五島さん。
さらに、“近代茶人”の最後が吉兆の湯木貞一さん。
この関係性を念頭に入れて見ていったので、かなり面白かった。
まずは井上世外の書蹟。
面識はあっただろうか。たぶん、憧れの人?
平瀬露香も同じかな?
続いて、益田鈍翁筆や作が並ぶ。
鈍翁への思慕が深かった、と解説にあるが、要するに「目標の人」であり尊敬していたのだろう。
(ファンとも言える?)
三井系列のつながりもあっただろうし、交流は深かったみたい。
「雅俗山荘」の字まで書いてもらうとは、さすが。
木菟(みみずく)の画賛はかわいい。
中には(鈍翁の没後に)所有者から無理に譲り受けた鈍翁手造黒茶碗も。
また、勤めていた三井銀行のトップ・三井高保(華精)の短冊や色紙もあって、
最初の勤務先で受けた影響の強さがよくわかる。
(たしか、銀行を辞めた時にもらったという)色紙が印象深い。
「きのうけふ そのの桜をまちわびて ふくめる花のかずかぞえけり」
そして、忘れてはならないのが上司の高橋義雄。
一三宛の書簡、以前見たものとは別物。
しかも3通。
秘書課への異動が叶わなかった時の云々~といった銀行員時代のものとか、
外遊へ行く前だったか帰国後に「これから益々の活躍を期待する~」的な?激励のものとか。
ほか「乱菊」は表装に手紙が用いられていた。
それをすべて表層しているのだから、如何にそのアドバイスや言葉を大切にしていたかが、
すごーくわかる。
こういう「一生の師」と仰ぐ上司に、私も出会いたかった。。。
ちょっと、変わったところでは村山香雪との関係。
神戸の香雪美術館~すなわち村山龍平の邸宅~北側には阪急神戸線が通っている。
当初の計画では村山邸の北庭の敷地内を通るルートだったとか。
ところが村山翁をはじめとする近隣住民の猛反対に遭い、
関係も険悪なものとなったらしい。
で、北庭を通過するルートはやめて北側を通ることで折り合いがつけ、
関係も修復された、とか。
ゆかりの道具は香雪筆の俳句短冊「老樹にも」。
表装の上下が梅に関する新聞記事を寄せ集めてある。
ほかには白鶴酒造の嘉納鶴翁筆の書蹟や扇子、住友春翠の書蹟、
野村得庵の金地秋草絵の扇子。(←野村美術館で絵で詳細に描いた茶会記を見たけど、そのタッチ)
大阪だけあって製薬業界とのつながりも。
塩野義関係のものがあった。(なんだったか、忘れてしまった)
あと「わかもと」ゆかりの薩摩焼の茶碗。
とても上品できれいなお茶碗。
(便宜をはかったお礼に贈られたもの、らしい)
湯木貞一ゆかりのものがなかったのが少し残念だったけど
これはこの次に訪れた湯木美術館で親交がわかるものに出会うことになる。
関西のみならず、関東の茶人(てか実業家)との交流も。
東急の経営を通じての関係も深かった五島慶太(古経楼)の横一行書。
原三渓の書蹟「臥庵」。←これは逸翁の茶室。
近衛文麿(虎山」とは政界進出時のつながり。
根津青山から小林一三宛の書簡。(←茶会の招待状だったと思う)
といったところ。
中部地方の川喜田半泥子(1878-1963)作の茶碗もあったから、交流もあったのだろう。
お坊さん関係のものもあったけど、興味がないのであんまし印象に残らず。
ユニークだったのは茶室スペースの特別展示。
芦葉会会記と寄せ書。
「芦葉会」とは昭和16年に発足した茶会。
手描きのイラストつきの茶会記がとっても楽しそう。
ほんと、茶会を楽しんでた大人たちだなぁ、と思った。
今回の展覧会はやっぱし面白かった。
残念だったのは図録を発行していなかったこと。
現状で持っている逸翁美術館の図録を参照して復習することにしよう。
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2013年10月 茶の湯交遊録『小林一三と松永安左エ門 -逸翁と耳庵の名品コレクション』
2013年6月 春季展『小林一三生誕140周年記念Ⅰ 復活!不昧公大圓祭-逸翁が愛した大名茶人・松平不昧-』後期
2013年5月 春季展『小林一三生誕140周年記念nⅠ 復活!不昧公大圓祭-逸翁が愛した大名茶人・松平不昧-』前期
2013年1月 早春展『漆の美-黒と金の世界-』
2012年5月 春季展「-茶会記をひもとく- 逸翁と茶会」
2011年8月 「銘のある茶道具 ~逸翁流、銘の楽しみ方~」
2009年11月 開館記念特別展「茶人逸翁 茶の湯文化と小林一三」
2007年11月 開館50周年特別記念展(後期)
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