On the way to A

written by A, for M

誕生日

2005-10-27 00:43:46 | 読書&movie
お風呂に入るときに本を読むのは習慣(中学生くらいから・・・昔はよく怒られた。で、段々影響の出ない遅い時間に入るようになり、現在のような夜更かしが出来上がった。)だけど、今日はちょっと重量が軽いものを読もうと思った。
で、新潮文庫から出てる「ティファニーで朝食を」を久々に読んだ。
作者のトルーマン・カポーティーは自分と誕生日が一緒の人の一人。
だからなのかなんなのか・・・初めて彼の文章を読んだのは、図書館で借りた「叶えられた祈り」というやつだったけど、他人の書いた文章という感じがしなかった。(おこがましいか?まあいいや。。)
センテンスの取り方が適当だったり、「、」で区切ってわざとながーく書いたり、あとモノの例え方や扱うアイテムといい、とても親近感が沸いた。

「ティファニー」は、多分映画が先だろう。
映画と小説全然違う、という話をちらほら聞いていた(よくある話)のだけど、ほんとに違う。
多分、わたしもああいうHappy Endにはしないと思う。
単に映画であり、50年代であるのが、あの映画のラストの理由なのではないかと思う。

ちなみにもう一人誕生日が同じ人で、イタリア人のモニカ・ベルッチがいる。
MI2で金持ちの奥さん(うろ覚え)をやってた人だけど、ほんと、「イタリア人」って感じ。
パーツが大きく、濃く、豊かなの。
この人は昔モデルをやっていたのだけど、細い体型のモデル業界の中で彼女の肉体はさぞ目立ったことでしょう・・。
でもそれはすごく、いい「目立ち」だと思う。
イタリアの宝石、と本国では呼ばれているそうだが、さもありなん。。。
宝石に例えたら、わたしは彼女はエメラルドなんじゃないか・・・と思う。なぜだろうか。直感でそう感じる。

誕生日・・・というところでは、東山紀之と石原慎太郎も同じです。
「えええ~???」とは思わない・・・・。

ばらばらな人物たち(自分を含め)の共通している項は、「変人」系ってとこか。

そんなわたしに付き合ってくれて、ありがとう。
恋人よ。
















はいはい

2005-10-26 00:32:21 | 読書&movie
明日からまた雲の多いソラになるらしい・・。
ここのところホント、秋の空って感じでスコーンと高くてよかったのになあ。
カンケイないけど、「スコーン」って表現は好きだ。
いや、湖池屋じゃなくて・・・フレンテでもなくて。

先日久々にGLAYの曲を思い出した。
聞いたんではなく、思い出した。
君はないか?
あまりに聞き込んで聞き込んで・・・そして自分がipodになってしまったかのように曲のコマカーイところまで頭の中にインプットされてしまうことが。
そして時たまそれはなにかのきっかけでぐるぐると頭の中を駆け巡る。

例:「いやー、今日、朝から○○の■■が頭の中を廻っててさー」

わたしは別に異常に音楽好きではないし、音に敏感でって程でもない。
でも間とかこの背景にこんな音がなってて・・・なんてゆうのがみっしりと頭に入ってしまうタイプ。多分いると思うけど・・・

GLAYは一時期好きだった。
大学1年の冬に2ヶ月ヨーロッパを周ったのだが、GLAYのグロリアスが入っている・・・「BELOVED」のアルバムを持っていって移動中聞いていた。
多分出発の少し前に買ったからなんだろうけど。

その体験がものを言って、わたしの中のヨーロッパ各都市のイメージとGLAYはリンクしている。歌詞もほのぼのというかしっとりしているものが多かったし。
あの乾いた空気感と合っていたのかもしれないね。
あれからもうすぐ10年経つのだけれど、あの頃抱えていた問題や望みはなんとなく自分の中に生きていて捨てられなくて・・・。

夢中でたくさん書いた小説も、大半はフロッピーディスクと一緒にどこかに消えてしまった。
しかし惜しくもなく、忘れてもいない。
恋愛と一緒に、並んでいる。

ちなみに。
わたしの中で一番リンクしているのは冬のポンデュガールと「カーテンコール」です。





赤と緑

2005-10-25 00:46:21 | 東京編
と言ってもきつねとたぬきではなく、X'masでもないのです。
今このブログは背景が縁なのですが、こういう葉陰の縁はわたしにとっては特別で懐かしいものがある。

今の所にひっこして来る前、10歳から23歳くらいまで住んでいた場所は東京都のはじっこ、一応23区だったけど。
引っ越してきたばかりの頃は、通学路は畑を横切っていたし、野菜の無人販売なんかもあった。
家は住宅街だったけれど、それなりに木々や緑の割合が多く、空もきれいだった。

家の前の道をまっすぐ行くと、中学校があって、道に面して体育館が建っていたんだけど体育館と道を隔てるように桜の木々が植えられていた。大振りで、桜の季節は当然見事だったけれど、わたしは夏のはじまりから秋口に至るまでのその葉陰の道がとても好きだった。

幾重の縁は8月の日差しすらさえぎって、道を隔てた人家の窓際まで枝を伸ばしている。アーチのような空間だった。

中学生の頃のこと。
やはり夏で、時刻は4時くらい。
行き先や目的は忘れたが、ひとりでその道を歩いていた。大通りを曲がった車がその縁の空間にさしかかる。
まぶしい夕陽が一層濃い影をあたりに落としていたんだけど、うっそりとしたその空間に入ってきたのは真っ赤な車だった。
住宅街に似つかわしくないフェラーリだった。
わたしは道の端っこで縁のトンネルの中をすべるように過ぎってゆく真っ赤な車を見ていた。
それは一瞬で、たんなる瞬間で、傷も言葉もない間なのに、10年以上たった今でも忘れられない。
どうしてだろう。
ほんとうに美しいコントラストだった。
美術の課題では、何かしらモティーフにしてしまった、しつこいと言われても仕方がない。
ものすごくかっこよく言えば、あれが美の原点みたいなものだ。


しかしこの話をすると、
「フェラーリかあ。小室だねー。」(実際わたしは彼のファン)
だったり、
「赤いきつねと緑のたぬき」
だったり、
「なぜいつもX'masカラーなの」
となったりする。
単にわたしの言葉のつたなさや伝える術の貧弱さのせいだが・・・

いつか、いつかこの原体験をいい形で表したいなと思っている。
どんな形をとるのか、それは分からないけど。





11月からの傾向と対策

2005-10-22 02:58:12 | 東京編
なんか「傾向と対策」ってゴロ(とは言わないか・・・)が好きで、昔からよく使う。
今の職場は今月一杯で終了です。契約満了、任期満了。
来週末には、チームで送別会をやってくださるそうだ。
今日は一足早く、おんなじスタッフの子が辞めた。有給を消化するらしく、来週1週間はのんびりとのこと。
しかしただでさえ大きな組織なのに、あれだけの派遣スタッフ(女)。。。

何も起こらないほーがおかしい。
3年間、いろいろあったなあ・・・思い返せば、去年の今頃くらいから岐路にたってたのね、と思う。
でもあの時さっさと辞めないでよかったなとしみじみ思う。

今回勉強になったこと。
この先「仕事」や「人生」に悩んだら、また自分レジュメを改めて作り直してみようと思っています。
そうすると現在自分の手がけていること、その存在意義やどうしたいのかという方向性がホントくっきりするんだな、と実感しました。

結果に対して欲をいえばきりがないが、こういう「思考」の時期が持ててヨカッタな~と心から思ってます。

1985

2005-10-15 02:26:37 | 東京編
さっきTVでやってたんだけど1985年と2005年は類似点が多いそうです。
いわく万博や長期政権、通貨政策(政策っつーか)。。
万博といえば、1985年のつくば万博には10回は行ってた気がします。当時小学校2年だったわたしは夢中になり、今でもガイドブックを持っているほど。

なぜかそれと一緒に思い出すのが「タッチ」。多分、1985年のあの頃、おそらく日曜日だったと思うが、夜やってたよね。
その時初めてラジカセを買ってもらっていたわたしは、チューニング(なつかしい)をTVの局番にも合わせられることを知り、理由は忘れたけど「タッチ」をカセットテープに録音した。(まだウォークマンはなかった。出ていなかったのか、持っていなかったのか・・・)
万博から帰ってきた日の晩、眠る前にこっそりカセットを再生してみた。
こぶ平の声もそのままに入っていた。
暗い中でラジカセをいじり、闇の中でテープがくるくる廻る音やボタンがカシャリという度に、特に怒られるわけではなかったのにドキドキした。

そしてその「タッチ」も実写になってしまった。
「つくば万博と愛地球博」「中曽根政権と小泉政権」「プラザ合意と人民元実質切り上げ」・・・似たような流れが繰り返されている、ってことなのか。。

「バブル」と呼ばれた時期にわたしは小学生だったので、恩恵という恩恵はほとんどわかんないし、自分自身の体験としては、ない。
ただ周りの景色とか親しい人々があまりに豪快にお金を使ってたのはよく覚えている。
当時、まだ株式市場の存在も知らず、「昨日は1ドル126円。今日は1ドル123円。3円の円高ドル安。」を聞いて「3円の円安の間違いでは?(←意味が分からなかった)」と思ったりする子供でした。
ドラマでは浅野温子と浅野ゆう子が、カラオケ付きお立ち台アリのマンション(あるんか、そんなの)に住んでたり。
リゾートマンションとか、毛皮とか、・・・今考えると笑えるようなものをあの頃は消費していた人がいたんだなーと思う。
わたしの従姉(17歳年上)には、当時「アッシー君」が居ましたよ・・・。
金なんてどうにでもなるし、という考え方だったんだなーと思う。

アレがまた来るとはとても思えないが・・・・
ただし、あの頃と似たような人々が今も生き続けているということは事実。
1985の波は、形を変えて訪れるのかもしれない。

おかいもの♪

2005-10-14 00:28:10 | 東京編
TBS買収に村上さんが名乗りを上げ、楽天が提携話を持ち出した本日。

わたしは夜9:30に西海岸にいる恋人をたたき起こす(電話で)のだが、なんやかやと色々なことをしゃべる。(結構内容はくだらない・・・)

向うでもリアルタイムのNHKを見ることが出来るのだが、本日10:00からかの村上さん(まるで知り合いのよう・・知りません)が出演されていた。
「村上だ」
「村上さんだね」
太平洋を隔てて、同じ電波を見る二人。
ちょっとロマン(笑)
で、タイガース上場はやっぱりあんまり意味がないんじゃないかとか、イエローキャブを上場させてみたらどうかとか、ジャニでもいいんじゃないか?その場合、上場の際の投資家説明には日替わりでSMAPをひとりづつ出させて・・・とか。

21世紀の本日、これで何度目かの有名企業の買収騒動。そして今年に入ってから特に目立つTVメディア媒体の・・・
上場ってなんだろうと思う。
でも買収を恐れてひとつひとつ企業が市場から姿を消していったら(MBOで)それはそれで寂しいのではないのだろうか?

小さい話だけど、例えば新しいビールのCMを見たとする。
なかなか面白くて、「あー。今度買ってみようかな。こういうの、うけそうだ。」
と思う時、
デパートで服を選ぶ時、「ここのブランドって2年前に始まったけどどんどん良くなってきてるなー」と感じてブランドのタグを見る時、
自分に関わる特に消費の場面でわたしたちは企業について興味を抱くのだけど、その時「上場している会社」であるか「上場していない会社」であるかでその後の思考の展開は随分違う。

少なくともそうやって今まで興味を持って調べてきた「Aの素」や「SンエーI」などが株式市場から姿を消したらちょっと、いやかなりがっかりだ。

W-ルドの上場廃止は、だから寂しかった。

村上さんは、「上場しているのだから安定株主を求めることが一番大事なんて馬鹿げている。株主価値をどう高められるかだ。」というようなことを話していた。
間違っていないし、上場するのは「世間に認められて資金を調達すること」だからほんとその通りなんだけど。
今の日本では難しいかもな・・・そうすると「嫌なら市場から降りろ」ということにならざるを得ないのかもしれない。

強い会社ってなんなのかしら?

そんなこんなしゃべっているうちに彼はオフィスの入っているビルにたどり着き、「いってきます」と、電話が切れた。

彼の1日が始まり、わたしの1日が終わる。







スタートのための準備

2005-10-13 22:01:51 | 東京編
人生の岐路にたたずむ~・・・ってなんだったっけ?と思ったらそれはGLAYの歌でした。
結婚式の日取りが決まり、そして自分の退職を決め、そして渡米日の決定など模索してたらあっというまに10月で、日は短くて風が冷たくなってくる。

友達の間もさまざまだ。
年がそんなに違わないけれども、仕事や恋愛や、または子供のことなんかでちゃんと岐路がきているように見える。

羨望やねたみやそれを向こう側から見る、という機会にも恵まれた1年だった。

「あーあ」と思ったこともあったけれど、全部トランクにしまって出かけることにしようと思っている。
アメリカに行くのは楽しみ。

ひとまず10月一杯で今のお仕事はおしまい。
11月に集中的に働いて、12月に一旦渡米し、また1月に帰ってこようと思ってる。
別の仕事をやるのも、自分の気分転換だとおもう・・・

さあ新生活の序章だ。