統合失調症ライフ

闘病生活8年目にして寛解を目指すあじーのブログ

椎名林檎「浴室」の一解釈[E]

2011-08-16 | 日記
[E]
甘い匂いに汚された
お留守になっていた守備部隊
あたしが完全に乾くのいまきちんと見届けて
赤い嘘に汚された
自分で吐いて傷を見た
あたしが完全に溶けたらすぐきちんと召し上がれ


さてさて最後が見えてまいりました。

「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」
なんてタイトルのマンガがありますけれど、本当でしょうか。
性的なことに関する味覚や嗅覚を「甘い」とするのは
良くある表現ですね。
また、性的なものに触れる・かかわることで汚される、
とするのも良くある考えです。
この、よごれちまった守備部隊とは何か。

ここでまた話が飛びますが、
学生時代、同級生が
「タダ食いできるんだって!」
と、ヤリコン(これもう死語でしょうか?)に行って、
まんまと処女を喰われて帰ってきて、
女友達一同の前で泣いたことがありました。
みんな優しくなぐさめていたけれど、
(あなたが足りないのもあったんだよ!)
と、内心思ったのは私だけではなかったでしょう。
女性は一定年齢を過ぎたならば、
守備部隊を持たなくてはならないのです。
と、いうことで私は守備部隊を
心の中にある自警心、処女性、自律心などと考えます。

この前段を受けると、
下のフレーズの意味は一番と真逆となるでしょう。

あたしが完全に乾くのいまきちんと見届けて

誰に見届けて欲しいのか?
前段に出てきた守備部隊でしょう。
何に乾くのか?
水に乾く。心が乾く。あんたに乾く。あんたから乾く。
あんたから乾くが一番しっくりきませんか?

(情事の)甘い匂いに汚された
お留守になっていた(私の心の)守備部隊(よ)
あたしが(没入していたあんたとの行為から)乾くの
いまきちんと見届けて

と解釈してみました。

赤い嘘に汚された
自分で吐いて傷を見た

全く根拠のない嘘のことを「真っ赤な嘘」と言いますね。
それと、赤は女性の象徴です。
あと、血の色であることから暴力の象徴でもあるでしょう。
さらに林檎≒あたしの色でもあります。
そして何より、「自分で吐いて」と述べてあります。
つまり、
「あたしの吐いた根拠のない乱暴な嘘によって自分が傷ついてしまった」
ということではないでしょうか。
それによって汚されたのは何か?

・あたしの正当性
・二人の関係性
・二人の未来
・あんたの心

うーん、これくらいしか出てこない!
この中から選ぶとして、
後ろとの関係を考えたらば(それと消去法でいったら)
あんたの心と二人の関係性が一番適当と思いました。

整理すると、
なんらかの根拠のない嘘によって
あんたの心が汚され、
このことでごく普通の仲良しカップルだったはずの
二人の関係性が汚され、愛欲をむさぼる仲になってしまった。
そのことによってあたしが傷つくことになってしまった。

だって、茶店で待ち合わせてすぐに浴室へGOって、
私だったら怒る話ですよ。
なのに「どうか 見捨てたりしないで」と言ってみたり、
その割に夢の中で彼氏を死なせてみては嗚咽して
その直後にリアルで仕方なく愛したり、
このあたしはチョイチョイおかしなところを見せる。
何でこんなに錯綜しているんだ、惚れすぎているからか……
と疑問に思っていると、
「赤い嘘」
が出てくる。
この赤い嘘がなんなのかは分かりません。
お手上げですみません。
ここは敢えて余白にして
各人の想いが入る余地を作ったのかなと思いました。
ということで、

赤い嘘に汚された
自分で吐いて傷を見た

は、

あたしが完全に溶けたらすぐきちんと召し上がれ

の、あたしにかかる修飾部なわけです。
上に述べた状態の私が何に溶けるのかというと、
ない知恵を振り絞って、出したのがこちら。

・自分を優位に持っていこうという気持ち(≒赤い嘘)
・常識などの社会的制約
・エゴ

……ここで昨日出した椎名林檎さん本人の解説を思い出します。

〈キチンと召し上がれ〉っていう詞は、
男の人が聴くと「ヤッちゃっていいよ」ってことだと
思うみたいなんだけど(笑)、
言葉の通り「本当に食べて欲しい」ということなんです。
「生死とかを超越した融合を実現したい」って欲望と提案の曲。
(電脳RAT)

と、おっしゃっているので、
上の候補全部じゃないかと思うことにしました。
というか、もっといっぱいの自分の情念やらがあると思います。
私の発想が及ばなくてすみません。
そして、インタビュー内にあった「本当に食べて欲しい」は、
カニバリズムの族内食人に類する言葉と思うのですが、
これを語り始めるとまとまりがつかないと思うのです……
どうしよう?

ここまで書いといてなんですが、
生死、という点からの解釈が全くなかったことに反省。
頭の中では色々考えていたのですが、
文章が更に長くなると思って削りました。
でも、この「死んだ」あんたのイメージと
それを超える性交、更にそれを超える関係性=融合の提案っていう
解釈なくしてこの曲成り立たないですものね……。

補足じゃないですけど、昔ドイツ文学の講義で先生が
「究極の愛の形としての死というのは東西を問わずありますね。」
と言われて、普遍的なものなんだなと知りました。
日本にも心中物(近松物っても言いますね。)ってジャンルが
あるじゃないですか。
えっと、北野武監督の「Dolls」に出てきたあれです。
(わ―今すごい乱暴なこと言ってる。)
で、椎名林檎さんはその考えを知ってらっしゃると思うんですよ。
「究極の愛の形は死と言われる、
死と互角に並ぶのは性愛ではないか。
でもさらにそれを超える融合があるのでは?」
と、思われているのではないかと思いました。
つまり、わたしはこの曲を

死≒性愛<融合

と読んだのです。
けれど、インタビューの感じで行くと、

死<性愛≒融合

かもしれませんが、
そこは読み込みが浅くて分かってなくて申し訳ないです。

今日は一気にラストまでいって総括をする予定でしたが、
まとまりがつかなくなってきた&眠くなってきたので
いったんここで終わります。
一晩寝て、書きなおすか、更に補足を増やしていくか、
このまま放置するか決めます。

ではではおやすみなさいませ。

1 コメント

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なるほど、 ()
2013-03-06 01:19:06
素晴らしい読解力ですね!
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