病室に入ると母は管に囲まれて痛々しく眠っていた。
親子というのは不思議なもので、その痛みが自分に伝わってくるのだ。
軽く布団の端を叩くと薄く目を開ける。
夜中の絶体絶命という様相が抜けていた。
ひとまず助かったと思った。
しかし、「よかった、よかった」と心細い涙を流せる状況でなかった。
高齢の母はボケてはいるし、風邪引いた私はこの入院中倒れてはならない、誰も助けてくれない長い体験で心が硬くなっていた。
それにやらねばならない事ばかりである。
私も高齢者だから、自分の命と悪い脚を守らねば母はお陀仏になるのだ。
緊張感で、かなりきつい表情になっていた。
看護師が直ぐに必要品を買ってきてくる様に依頼する。
それは、かなり重いオムツだった。
激務に疲れた看護師さんは、私が重い荷物を持てない事など考慮する余裕はない。
結果的に事情をトーンを抑えて要領よく説明したら、どれほど母の扱いが変わったかと思うと後悔して止まない。
母の手を握ると嬉しそうだ。もっと居て欲しそうだが、立ってるのが辛い。
止せばいいのに、看護師さんに「明日も明後日も病院に来ませんから(風邪で倒れそうだったのだ。そして翌々日5日は不要荷物の引き取り日だった)」ときつく言ってしまう。
事情をゆっくり説明すればよかったと後悔しても今は遅い。
そして一生懸命死と戦っていた母の側にもっといてあげていたら良かった。
私がいなくなって不安が募ったデリケートな母は、その晩幻覚を起こして大声を上げたそうだった。
そして6日に行った時転院を勧められた。
ボケ老人ばかりの病院ではないかと思った。
こんなに早く病人を転院させて病人の体に影響はないのだろうか?
私は、うっかりピシャリと断ってしまった。
上手に下手に出る事が出来ないのだ。
母への愛情もあるが、弱者に対する大病院の理不尽な扱いに腹を立ててしまったのだ。
病院同士の情報の繋がりは深い。今後の事を考えて抑えて対応すべきだった。
しかし、家の売却でやる事が山積みされてる私は、余裕などなかった。
私はカスカスの気持ちのままに、病院を後にした。
脚がやたらに痛んだ。
その日は初めて知ったバス停である。
帰りのバス停らしいところに、ようよう着いた。
日没のバス停は風が吹いていた。
慣れない土地なので、バスの行き先を隣のおばさんに確かめると、懇切丁寧に教えてくれた。
現金な事に心のスカスカが潤った。
「親が入院してる」の一言で彼女はとても同情してくれたのだ。
そのおばさんは親切で、同年代の親近感があって、看護師さん相手とまるで違うスムーズな会話が出来た。
会話が進み、お互いに経験のある介護の話題になった。
「介護って大変だよね。実は私は父がボケちゃった母の介護をしたのよ」
とおばさん(私もおばさんですが)。
問わず語りにおばさんの飾り気のない話を聞く。
「彼女の父親はボケた妻の無理な注文に応え、一心に介護する内に病魔に蝕まれた。
末期のガンだった。
それに気が使えない程ボケた妻の介護は過酷だったのだ。
父は日ならずしてこの世を去った」
この話を聞いた私は絶句した。
二人の子供である彼女の気持ちがモロに伝わってきたのだ。
「それで、残ったお母様の世話は?」
目顔でおばさんは頷いた。
彼女は父親に代わり母の最期を看取った事情が痛い程分かる。
私は「大変よね」という言葉を呑みこんだ。
陳腐にしか聞こえない。
目と目がウルウルしてきた。
おばさん「病人(お母さんの事)は我儘だからね」
とため息をつく。
「そうそう、折角身体にいいスープ作ってもマズイの一言です」と私。
「そう?」
おばさんはふと茫漠とした顔をした。
小柄なおばさんの身体全体にある寂しさが押し寄せているようだった。
おばさん自身の家族(夫とか子供とかある人の雰囲気たっぷりだった)がどんな状況かは勿論分かる訳がない。
しかし、そこで何ほどかの苦労があったとしても、親の居ないという寂寞感は私の想像の外なのだろう。
寒い風が吹く中、大勢の人が待つ中バスは来た(バスは電車と違って遅れは出るのだ)。
おばさんは「やっと来たね」と笑顔を見せた。
ホッとして二人でバスの座席に座った。
途中でバスを私が降りる時、おばさんは小さく「元気でね」と手を振ってくれたのだ。
あったかい塊が胸にこみ上げた。
その時私は、「いのちの灯は大事にしよう、元気出すぞ」と風の街を歩いていた。
^^
翌日4日私は熱が出て寝込みました。
お陰様で5日の荷物引き取りは済み、我が母は今現在無事でございます。
諸行無常の世の中ですが、いのちは大切にしていこうと思いました。
自分の命も他人の命もでございます。
12月8日母は退院しました。
体調は多少改善しましたが万全とは言えません。
ただ本人の私の許に帰りたい母の気持ちは強く、ホットしてるのが可愛くて、精神的に一番心休める場所で休ませたいです。
今もあのおばさんとの温かな会話は忘れられません。
人間同士の何気ない思いやりある繋がりが、心を180度変化させると思うのです。
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