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読書の森

色ガラス その2

「東京へ行こう!」祖母の言葉は魔法のように敏恵を元気にした。

噂好きの狭い田舎町の為、兵頭一家の離散は町内(と言うより村内)殆どの人が知る事になって、通学する度に敏恵は好奇の視線を感じていた。
今迄ごく自然に通り過ぎた人が、作り笑いを浮かべて「お父さんやお母さんいないんだって大丈夫?敏恵ちゃん頑張って!」と声をかける。
それは両親が不在の事実以上に幼い敏恵の心を痛めつけた。
そのため、彼女には広い東京、自由で可能性に富んだ大都会に憧れる気持ちが強かった。ただし、その時の彼女は大都会に住み着く気持ちなどさらさら無かった。

始発の夜行列車で早朝東京に着く。
よそゆきのワンピースを着て大きなリボンを髪に飾ってもらった敏恵は車窓から過ぎゆく景色に眼を見張っていた。ネオンの少ない時代で、広々とした田んぼも闇に包まれ、漆黒の空に星が瞬いている、それは彼女には全く未知の世界だったからだ。何が待つのか?それは今迄読んだどの本にも描かれてないワクワクする世界に思えた。
冷房もない時代の晩夏だったが、窓から入る石炭の粉混じりの風で充分涼しかった(蒸気機関車です)。
ぼんやりとした蜜柑色の光に包まれて和服の祖母はお行儀良い姿で目を閉じている。

周りの大人の乗客も前のシートに足を乗せたり、もたれあったり、中にはイビキをかいている人もいる中、敏恵だけぱっちりと目を開けていた。
ワクワクしてとても眠れるものでなかった。
列車の規則的な振動が彼女には快適で敏恵はこのままずっと揺られていたい、と願った。大人の世界の事なんかどうでも良い、知らない世界に運んでくれる、そこにはきっと今より幸せが待っている、そんな期待を持たせる旅が出来るのがたまらなく嬉しかった。



丁度出勤時に重なった東京駅は驚くほど人が多いところだった。
さらに、電車を乗り継いで着いた伯母の町工場は機械がいっぱい置かれて、見知らぬ若い男たちが働く、確かに未知のところだった。
が、敏恵は落胆した。

「汚いわあ」「臭あい」
臨時に三人家族で暮らした小さな家を母はせっせと掃除して綺麗に片付けていたから、町工場の猥雑な雰囲気と若い男独特の体臭や機械油の臭いが染み込んだ工場は、違和感が相当あったのである。


「としえ、思ったより元気そうだね」
ざっくばらんな笑顔の伯母は工場長の妻と言うより、給食のおばさんみたいでよく肥えていた。
「でも細すぎる!太って丈夫にならなきゃ」
(嫌だ!おばさんみたいにデブになるのは)
敏恵はじっと我慢して大人しくしていた。

ただ不思議な事に敏恵の耳は前より聴こえにくいものの、会話には困らないし、咳も熱も正常になってしまったのである。

それは多分小さな女の子の一人くらい誰も気にしない、元気に騒ぐ子どもの圧倒的に多い町の中だったからかも知れない。
工場の機械が出す音に負けない位、伯母や工員の声はよく響いた。
又三度の食事は、工員と一緒の場所で特別扱いする時間がないから、同じ物で同じ量なのである。

戸惑う敏恵に構わず、どんぶり飯や大皿の炒め物はどんとテーブルの前に置かれたのだった。

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