なんだか昭和天皇の侍従の日記が問題になってますが、なんだかきな臭い感じがするのは私だけだろうか?
日記の史料としての評価は、一般的に考えて割合に高いと思う。
例えば徳川家斉の没日数も公表されている日と異なることが、近年に井関隆子という人の日記の発見を発端にわかった。
でも、明治以前の人は、自分の書いた日記が没後他人に読まれることを意識して書いていたともいう。つまり、そのときは公にできない自分の心情を、吐露しているケースがある。日記であっても他人の目を気にして建前で終わる人ももちろん居る。
何が臭いって感じたのかというと、日記を預けたのが朝日新聞なのだ。
自分は全文を読んでいる訳でもないし、一部でさえ読んでいない。
だから、断定的なことは言わないし、そういう印象がする、ってだけなんだけど、なんだかくさい気がするのは自分だけなのかちょっと疑問に思ったので書く。
承子のサイトがすっごい問題になったが、その程度で、皇族の情報管理はかなり高いレベルで成功していると思う。イギリスと比較すれば一目瞭然だ。
皇族の方々の努力であると思うが、スキャンダルとは無縁。そこで働く人からの情報漏れもほとんどないに等しい。どれも噂レベルでとどまっている。
これって本当にすごいことだと思う。
どうしてここまでするかといえば、社会に与える影響が大きいことを自覚してるからだ。
そこでこの侍従。
彼の思想信条は全く知らない。どういう背景で成長してきた人かも全く知らない。
だから、実際のところも全く想像できないけど、確信犯的なにおいがする。
働いていた期間、日記をかなり詳細につけていたそうだ。
業務でもないのに、そんなことなかなかできるものじゃない。
でもそれを、朝日新聞という、報道機関に授けたところに疑問を感じる。
報道機関に授ければ、それだけレベルの高い史料、必ず世に出る。
世にでることを考えて日記を書き続けてきたのではないかということを感じるのだ。
つまり、世にでて欲しい情報がそこに含まれているということである。
朝日がどんな記事に食いつくのかは、言及する必要はないでしょう。
そういうことを感じしてしまうのは、私だけだろうか。
一番最初にこの侍従の日記をすっぱ抜いたのは文芸春秋だったと記憶している。
自分も買ったから、どこかにあるはずだ。丁度2年くらい前、夏だったと思う。
存在が指摘されているにもかかわらず、今の今まで朝日は出してこなかった。
これは、報道することを前提に、「いつまでは公開しない」みたいな約束がなされていたのではないかと感じるのだ。
報道されることを望まず、歴史史料として扱ってほしいのなら、朝日ではなく、国の公文書館や博物館といった施設に渡すべきだ。天皇の生活を知る資料として、かなりの研究材料になっただろう。
それを、わざわざ朝日に渡したというところに、私は非常にきな臭さを感じてしまうのです。
昭和天皇もこの侍従もなくなっているし、実際のところは検証のしようがない。
侍従はそこを狙っていたのではないかと思ってしまうのです。
上記に書いたとおり、皇室の情報統制はかなり成功している。
何がいいたいかというと、検証材料がほかにないのだ。
それをいいことに、侍従の日記の一部に書かれていたことが全て事実のように報道されている。
それにすっごく違和感を感じてしまうのは自分だけだろうか…
日記の史料としての評価は、一般的に考えて割合に高いと思う。
例えば徳川家斉の没日数も公表されている日と異なることが、近年に井関隆子という人の日記の発見を発端にわかった。
でも、明治以前の人は、自分の書いた日記が没後他人に読まれることを意識して書いていたともいう。つまり、そのときは公にできない自分の心情を、吐露しているケースがある。日記であっても他人の目を気にして建前で終わる人ももちろん居る。
何が臭いって感じたのかというと、日記を預けたのが朝日新聞なのだ。
自分は全文を読んでいる訳でもないし、一部でさえ読んでいない。
だから、断定的なことは言わないし、そういう印象がする、ってだけなんだけど、なんだかくさい気がするのは自分だけなのかちょっと疑問に思ったので書く。
承子のサイトがすっごい問題になったが、その程度で、皇族の情報管理はかなり高いレベルで成功していると思う。イギリスと比較すれば一目瞭然だ。
皇族の方々の努力であると思うが、スキャンダルとは無縁。そこで働く人からの情報漏れもほとんどないに等しい。どれも噂レベルでとどまっている。
これって本当にすごいことだと思う。
どうしてここまでするかといえば、社会に与える影響が大きいことを自覚してるからだ。
そこでこの侍従。
彼の思想信条は全く知らない。どういう背景で成長してきた人かも全く知らない。
だから、実際のところも全く想像できないけど、確信犯的なにおいがする。
働いていた期間、日記をかなり詳細につけていたそうだ。
業務でもないのに、そんなことなかなかできるものじゃない。
でもそれを、朝日新聞という、報道機関に授けたところに疑問を感じる。
報道機関に授ければ、それだけレベルの高い史料、必ず世に出る。
世にでることを考えて日記を書き続けてきたのではないかということを感じるのだ。
つまり、世にでて欲しい情報がそこに含まれているということである。
朝日がどんな記事に食いつくのかは、言及する必要はないでしょう。
そういうことを感じしてしまうのは、私だけだろうか。
一番最初にこの侍従の日記をすっぱ抜いたのは文芸春秋だったと記憶している。
自分も買ったから、どこかにあるはずだ。丁度2年くらい前、夏だったと思う。
存在が指摘されているにもかかわらず、今の今まで朝日は出してこなかった。
これは、報道することを前提に、「いつまでは公開しない」みたいな約束がなされていたのではないかと感じるのだ。
報道されることを望まず、歴史史料として扱ってほしいのなら、朝日ではなく、国の公文書館や博物館といった施設に渡すべきだ。天皇の生活を知る資料として、かなりの研究材料になっただろう。
それを、わざわざ朝日に渡したというところに、私は非常にきな臭さを感じてしまうのです。
昭和天皇もこの侍従もなくなっているし、実際のところは検証のしようがない。
侍従はそこを狙っていたのではないかと思ってしまうのです。
上記に書いたとおり、皇室の情報統制はかなり成功している。
何がいいたいかというと、検証材料がほかにないのだ。
それをいいことに、侍従の日記の一部に書かれていたことが全て事実のように報道されている。
それにすっごく違和感を感じてしまうのは自分だけだろうか…