いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

おクニさんの店が無い

2016-06-26 07:27:37 | Weblog
                                            分類:PV

                                   場所 : いわき市鹿島町走熊字鬼越
  60年も前の話になるが……
 写真で見る限り 「波立(はりゅう)商店」 の看板があるから盛業中だった店のように思われるかも知れないが、実際には数十年も前から店は閉まっていたし居住者も居なかった。
 昔、この場所は平・小名浜間を繋ぐ道路(旧鹿島街道)の要所で、江名港からくる道と合流するT字路だったが、昭和50年の前半に県道常磐・江名港線の整備が行われて現在では信号付きの十字路に変わった。


                       《解体中の波立商店》

 地元の人にとっては鹿島のシンボルでもあったが、古き良き昔がまた1つ消えていく場面だ=写真
 かつて、この店の側に征夷将軍坂上田村麻呂が東北地方へ征途の時、走熊地内を通りかかり道端の一角に植えられたという七本の松があった。(註・2代目の松まであったが道路整備のために伐り倒され、現在では鹿島公民館の敷地内に三代目の松として記念碑と共に植えられている)

 60年以上も前の話になるが、この店の主人は京浜方面へ働きに出ていて奥さんだけが1人で店を賄っていた。
 村の人たちは屋号を呼ばずにその人の名前で「おクニさん」と言われるほど親しまれていた。
 私の母は特に懇意にして貰っていたようで「店の前を通っただけで、おクニさんに呼び止められて頂き物をしちゃった」などと、よく家族の前で恐縮していたのだった。私は子供心にいつの間にかおクニさんを見るたびに ❝ この人は神様みたいな人なんだ ❞ と思うようになっていた。
 おクニさんが亡き後、今でもこの家の前を通る時には当時の感謝を込めて自然と目礼をする自分だったのだが、とうとう家の解体が始まってしまった。


      《手前から真っ直ぐ伸びているのが旧鹿島街道で、左右の道が常磐⇔江名港線》

 左側の白い建物は鹿島公民館。写ってはいないが撮影場所の右側はコンビニの「ファミリーマートかしま病院前店」。

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グラン・デ・レガロ 閉店

2016-06-17 07:33:36 | Weblog
                            分類 : 商

                 レストラン グラン・デ・レガロ
                 いわき市鹿島町走熊字小神山85-1

   定評の洋食屋さんだった
 鹿島街道(県道26号 と、湯本=江名線(県道48号)が交差する信号近くにあったレストラン「グラン・デ・レガロ」が5月いっぱいで閉店した。
 道を挟んで目の前が 「ハニーズ」 で、直ぐ近くに 「びっくりドンキー」 があるところ。
 開業当初はステーキをメインにビール、ワイン、カクテルなど多数を取り揃えて、この地域一帯で洋食店としては高級感を漂わせた店として知られていた。


           営業していた当時のグラン・デ・レガロの全景

 店内は8席(32名)とパーティールーム(15~18名)の50席があった。
 いつの頃からだったか定かではないのだが通りすがりの看板で、カレーとハンバーグ中心のランチタイムを始めているのを見て、高級から大衆に変わっているのを知った。勿論、パスタ・ドリア・ステーキなど高級洋食メニューは用意されていた。
 Aランチを例にとると、コーン・ハンバーグ(デミグラスソース)が998円で、サラダ・スープ・デザート・ドリンク付きだったから昼食時になるとサラリーマンや女性たちから人気を得ていた。


          解体されて更地になったグラン・デ・レガロの跡地
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誕生日プレゼント

2016-06-08 08:40:43 | Weblog
                                        分類 : PV

 今朝早く、友人から携帯に誕生日を祝うメールメッセージが届いた。
 誕生日を迎える日までに何かの拍子で生まれた月日が頭に浮かぶことはあるが、当の本人にしてみれば普段から全く意識していないというのが本心だ。
 今朝も、そのメール1本によって 「あっ、そうだった」 と気付かされた。
 人は 「年を取っていくと言うから若くなっていくのだ」 と勇気?付けてくれるが、それは単なる気休めで現実には間違いなく年はとっているのだと実感している。
 樹木の年輪に例えてみると歪(いびつ)になった輪が広がっていて74を数えるようになった。
 陽の当たったところ、当たらなかったところがあるから歪は仕方がない。


    《郵便受けのエンジェルは、ポストカードが届くのを待ち受けている表情をしている》

 自分自身のことを失念しているというのに、相手の人は私のことを忘れず心に留めていてくれるというのはとても嬉しい。
 例年通り、遠方の友人や妹たちからは今日届くように計算されたバースデーカードが我が家の郵便受け(写真)に投函されるし、近くの妹夫婦は直接自宅へ声のメッセージを持ってやってくる。宅急便でプレゼントも運ばれてくる。
 今日は自分にとって否応なく誕生日を自覚させてくれる日になる。 感謝
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さようなら、ナガイ食品

2016-06-03 08:21:45 | Weblog
                             分類 : 商

                       ナガイ食品
                       場所 : いわき市鹿島町船戸京塚1-1

  新鮮野菜の販売で評判が良かった
 鹿島街道の 「船戸バス停」 そばにあったスーパー 「ナガイ食品」 が閉業した。半世紀に亘って店を切り盛りしていたのだが時代の趨勢によって退却の決断を迫られてしまった。

          《消えていく店を見ていると物悲しさを感じる》
  
 船戸とは隣地区になる飯田の永井さんが昭和40年後半に営業を始めたもので、農業の傍ら自家製の野菜を店頭に並べて販売したのが人気を呼んで近くの団地に住む人たちに重宝がられていた。
 スーパーというよりも昔ながらの雑貨屋さんと言った方がぴったりで約半世紀ほどの歴史をつくった。店の裏は船戸団地で昭和40年代から平屋建ての市営住宅が建ち並び、その地域に当時14戸あった農家集落は忽ちベッドタウン化していった。
 店の前は主要道路、平・小名浜線(通称・鹿島街道)で開業当初は順風満帆だったのである。


            開業していた頃 (直近) のナガイ食品

 ところが長い間に営業上の弱点が幾つか出てきた。近隣の市営住宅が老朽化したために、いわき市では平成16年度に国土交通省の事業採択を受け4ケ年で「まちづくり交付金」を活用して高台に船戸団地を建て替えたために客足が遠のいてしまった。
 更に、鹿島街道の交通量が頻繁になってきて一見(いちげん)客も店の前に安心して車を停めて買い物をするのが難しくなってきた(専用駐車場がないのもマイナス材料の一因)。
 何といっても致命的なのは鹿島地域に大型スーパーやショッピングセンターが進出してきた事によって、その辺りから個人商店は太刀打ちできなくなり店を閉めなければならない窮状に追いやられた。


         店に足場が掛けられ解体作業が始まったナガイ食品

 いま、鹿島街道沿線に立ち並ぶ衣・食・住の商業は、競争相手が激化してきて生半可な知識や思い付きでは簡単に手を出せないのかも知れない。
 長年、誠心誠意をもって営業を続けてきた店がまた1軒なくなっていく。
 さようなら、ナガイ食品
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