平々凡々 されど日々新たなり  ~この指に 止まってくれる 風を待つ~

ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらずとか-。「今までのこと これからのこと 何気なく感ずる小さな夢のことを」

日教養講座受講のお話4:~パパはママにはかなわない~

2009-07-10 | 日本語教師養成講座

     

'09.7.8(水)
日本語教師養成講座 4日目

岡崎市にあるY言語文化研究所の日本語教師養成講座は午前9時半に始まる。本日はその第4回目、科目は「言語習得論①」。
一日おきにある講座の授業開始まで私が毎朝おおよそどのような行動をたどるのか。

◎習慣的に朝5時前後になると猫のクロが目を覚まし甘えた声を出しながら私どもの寝床周りを徘徊し始める。
クロは一年ほど前、妻と息子が犬のハナと遠出の散歩に出かけた折、駐車場脇で見つけた生まれたばかりの仔猫。
そのあまりの愛らしさに思わず手を差し伸べ家まで持ってきてしまった捨て猫チャンである。
今では大きく育ちもう家族の一員として君臨。家の中をくまなく歩き回り時に冷蔵庫の上などで寝そべったりする。

その目覚まし時計代わりに歩くクロの朝の徘徊で部屋の空気が揺れ動き、ついついつられて目覚めてしまい一日の幕が開く。
起きてまず隣の居間で腕立て伏せを71回。その後一杯の水を飲んでから自室のパソコンを覗く。
5時半になるとTV「朝ズバ」にスイッチを合せ最新の社会ニュースをインプット。いよいよ本格的な朝のスタートとなる。

因みに本日は先月25日に急逝した歌手マイケル・ジャクソンの追悼式典に世界中から数十万人のファンが集結したこと、今日イタリアの地震都市ラクイラで先進G8サミットが開かれること、2日前中国新疆地区ウルチナ市で暴動が発生し未だにウイグル族対漢族の対立が継続、予断を許さぬ状況下にあること等々。
司会のみのもんたが適当そうながら的確な進行を連発し日々話題には事欠かない。

6時過ぎ今度は犬のハナと散歩。近くの県立桜渕公園を散策。時に携帯電話を開き道々の草花や日々変化する風景をフォーカス。
気がつけば野鳥のさえずり・小川のせせらぐ音などボイスレコードする時もある。
今日はことのほか蒸し暑い朝で散歩から戻ってすぐ朝風呂で汗を落とした。

その後体を乾かす間もなく簡単に着替えをして軽自動車オプティのハンドルを握り一路岡崎市に向かうのが7時40分頃。
新城の自宅から東名高速豊川ICまで20分、東名を東名岡崎ICまで20分、更に岡崎市内を20分走りトータル1時間かかってY言語文化研究所の駐車場に着く。
9時10分頃に階段教室の扉が開くまでの30分間駐車場脇にあるK喫茶店でホットモーニングを注文し一息入れる。

いつもなら教室開扉まで待機する解放された教室前ロビーのテーブルも本日はその場に椅子が並べられ外国人を対象とした新しい講座のオリエンテーションらしきものが繰り広げられていた。

F女性講師による本日の受講科目は「言語習得論①」。
手製パワーポイント資料を白板に投射して説明が始まる。
最初はのうちは、わかっているようで実はわかっていなかったとしか言いようのない基本的な言葉の定義から。
この科目の命題は「人はどう言語を習得していくのか」である。

(母語と母国語)、(第一言語と第二言語)、(JSLとJFL)、などの対比話を踏み台としてついには「ノム・チョムスキーの生得説」まで一気に説明が進む。
次第に難しい言い回しが多くなりその不可解性も影響してか何が言いたいのか掴みにくくなってくる。

しかしよくよく聞いていると講師が努めて柔軟な表現に置き換えて説明してくれていることに気づき、ここで私なりの言葉で解釈しようとすればそれなりに理解できるのだという気持ちになる。
つまりこれこそがフェイス トゥ フェイス授業の真意でありますます講師の言葉に耳をそばだてようとする姿勢が勢いづいて、しまいには手にしたボールペンも汗で滑ってしまう感じとなる。

・(母語):子供のとき(家庭の中で一番最初に身につけた)言語
 (母国語):(国籍)がありその国で最も多く使われている言語
・(第一言語)(First Language):最初に習得された言語(=母語)
 (第二言語)(Second Language):母語の次に習得する二つ目の言語(二番目によくできる言語)
・(JSL)(Japanese as a second L):第二言語としての日本語。(家庭内=外・教室)(第二言語としての中国語なら「CSL」、英語なら「ESL)
 (JFL)(Japanese as a Forein L):外国語としての日本語。(家庭内≠外・教室)(外国語としての中国語なら「CFL」、英語なら「EFL」)
(練習)
・中国に生んでいる大学生が大学で日本語を専攻しているのは(JFL)。(≠だから)
・日本に住んでいる米国人が就職のため日本語学校で日本語を勉強しているのは(JSL)。(=だから)

第一言語習得(母語)
★「生得説」
ノム・チョムスキー(Noam Chomsky)
従来の(言語の習慣形成:Habit Formation)いう考え方を批判。
人間の頭の中には「言語獲得装置:Language Acquisition Device(LAD)」があり(普遍文法:Universal Gramar)が生得的に備わっている。
外からの言語インプットはLADを作動させるための(Trigger:引き金)でしかない。

「臨界期の仮設」(CPH:Critical Period Hypothesis)
・Strong CPH:思春期(12歳・13歳)までに第一言語を獲得しなければ、その言語のネイティブスピーカーと同じレベルまでマスターできない。
・Weak CPH:LA(言語獲得)は思春期を過ぎると、より困難になる。

「多重臨界期説」(Multiple CPH)
1978年、セリガー提唱
左脳や右脳の役割分担を含め、脳の言語機能の各能力は異なった要素ついて、それぞれの臨界期がある。

~DVD映像によるS「trong CPH・Weak CPH」の実例~
①Victorの例:(Strong CPH)
1799年に12歳でフランス・アベロンの森で発見された野性児。その後言葉を教えられたが二語文しか話せるようにはならず、コミュニケーションのため言葉を使うことはなかった。
②Genieの例:(Weak CPH)
1970年に生後1才8か月から父親の虐待のもと暗い小さな部屋に隔離・放置された少女。13歳半の時母親の失明により外へ連れ出され発見された例。
18歳半までの5年間、社会復帰の言語治療を受けたが言語的・認知的にはかなり進歩したものの、いろんな点でNS(ネイティブスピーカー)のレベルまでには行かなかった。

◎この映像を見終えてからから考えると、
どうしてこの映像をかなり長々と紹介してくれたのか密かに知りたい気持にならざるを得ない。
講座全体の余裕度から言って結構長い映像を、しかもオールEnglishで見させようと組み立てたレッスンプランには何かそれなりの意味があるに違いない。
私にしてみると映像で見た幼児たちが、いかにして人間としての扱いを受け始め、どのようにして言語を覚えて行ったのかということよりも、不幸にしてこの世に生を受け、人間の普通の道を辿ることから大きく閉ざされてしまった彼らの悲惨な人生をこそ憐れむ心情が先に立ち心が痛んでならないのであった。

本講座担当のF女性講師は第二言語研究が専門だとおっしゃっていた。
★「第二言語習得研究」とは、
1994年、Ellisが提唱
・第二言語学習者の(言語能力)と(コミュニケーション能力)をどのよう身につけていくかの研究である。
・言語能力(Linguistic Competence):頭の中にある知識。
・コミュニケーション能力(Communicative Competence):適切な言語を実際に使用する能力。

第二言語習得研究の背景
★「行動主義心理学」
1957年、Skinner(他に1924年、Watson。1932年、Thorndikeなど)
・(刺激)と(反応)による(習慣形成)による学習理論。
・S-R理論(Stimulus)と(Response)
・条件づけ
 ①古典的条件づけ:パブロフの犬(「S」餌を見せながらベルを鳴らす⇒「R」唾液が出る)
 ②オペランド条件づけ:ご褒美をによる強化(犬に「お手⇒ddddっできたら餌)
・言語習得:模倣(Imitation)+練習(Practice)+フィードバック(Feedback)=(言語の習慣形成・Habit Formation)

「オーディオリンガル・メソッド」:行動主義を背景とした外国語教授法の一つ。
・練習方法は(パターンプラクティス)。(例 T学校へ行きます⇒L学校へ行きます。T「スーパー」⇒Lスーパーへ行きます。)練習を繰り返し習慣化。

「アメリカ構造言語学」
1933年、Bloomfield提唱
全体は要素により構成される。
言語を一つの体系として捉え、音・語・文などの言語単と言語全体との間に存在する規則的・体系的な関係を、言語資料から客観的に研究する。

次第に行動主義心理学から次の対照分析研究へと移りゆく
(1960年、Brooks)(1945年、Fries)

★「対照分析仮説」(CAH:Contrastive Analysis Hypothesis)
1950年代
学習者の(母語)と(第二言語)を体系的に(比較)しその(相違点)を明らかにしようとする試み。
・正の転移(Positive Transfer):L1とL2が似ている場合は、易しい
・負の転移(Negative Transfer):L1とL2が異なる場合は、難しい⇒(母語干渉)


◆本日はここまで。
行動主義心理学・対照分析仮説など次々といろんな理論の説明が出てきた感じだが、今日の私にとって終盤のそれらは次々と固有名詞が流れていたという感じでしかなかく、やや置いてけぼりをくらったような心境のまま授業終了となった。

◎本日の授業で最後まで記憶に残ったのは、
「パパはママにはかなわない」というくだりである。
世界中のどんな人にあっても、その第一言語習得過程においてはアーウー哺語(あーうーなんご・babbling)が生後2か月ごろ表れ、次に「p・b・m」などの両唇音、次に舌先で出す「t・d・n」、さらには舌背で音を作る「k・g・y」に進むと言う。
この両唇音の中でも「m」の方が「p」よりも先に発声されやすいというところがこの話のミソ。
世界の90%以上で「ママ」に近い音声が「パパ」よりも先に使われるという。実際口の中に空気がたまるのを真似てみても何となく感じるような気がする。
「そうなるのは自然のことか」と母親の偉大な側面を再確認するとともに何かしら人生の暗示を受けたような気持に包まれるのでした。

もう一つ面白いところがある。
・生後6か月頃になると(母音)の知覚ができ哺語で発声。
・9か月頃になると(外国語の子音)の弁別が不可能になる。
という言語習得の道をたどるという。
つまり、生後6か月頃から例えば我々日本人は、日本語に必要な5つの母音以外を捨て母語獲得のため9か月頃までに今度は子音の「R」を捨てるのである。日本人が「R」を発音しにくい所以がここにある。

クラス終了後、K喫茶店で同級のS氏と同席しランチを食べながらお話する。同年齢層で3年ほど前までどこかの校長先生だったとか。
サッカーの審判員4級の資格を取っていること、入っている合唱団で15曲も演奏したこと、お嬢さん夫婦がインドで暮らしていることなど氏の個人的な話を聞かせていただいた。--が、どういう気持ちでご自分のことばかりをこのように初対面の私に話したがるのかその心境にこそ興味が湧く。
喫茶店を出た途端急激な腹痛を覚えトイレに走りこんだ。俄かすぎて推察しかねる。一体何が原因だったのだろう。



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