平々凡々 されど日々新たなり  ~この指に 止まってくれる 風を待つ~

ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらずとか-。「今までのこと これからのこと 何気なく感ずる小さな夢のことを」

OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (17) ~学位記授与式・卒業式~

2016-03-28 | 放送大学(OUJ)

         

                ~学位記~              ~授与式(NHKホール)~    ~学長・同僚と~      ~授与式(愛知)~

’16.3.28(月) 

いよいよ、このブログのタイトル、「OUJ(放送大学)の旅・心理学探求」も最終場面

となった。

 

3月26日(土)は本部主催・東京代々木のNHKホールで、27日(日)は愛知学習

センター主催・名古屋八事の中京大学ヤマテホールで、「学位記授与式(卒業式)」

があり、式の後の祝賀パーティーともども、70歳通過の一つの区切りとしてこれら

二つの「学位記授与式(卒業式)」という名のセレモニーに参加した、

という場面についてである。

 

そのときの心情は、滋賀の学習仲間に送った下記のメールからうかがい知ることが

できるかと思い、ここに載せ残しておくこととする。

 

 

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

滋賀の3人さんへ 

 

庭に咲いていたモクレンや沈丁花の白い花びらが舞い落ち、

野や田の畔に、にょきにょきと土筆が並ぶ今日この頃、

皆々さんにあってはいかがお暮らしのことでしょう。

 

この土曜日に東京で、昨日の日曜日には名古屋の愛知学習センターにて学位記授与

式(卒業式)と祝賀パーティーがそれぞれあり、一応の区切りと、両方へ参加しました。

 

東京・代々木にあるNHKホールでの学位記授与式は、あの広い会場を埋め尽くさん

ばかりのものすごい大勢な人数にびっくりしました。

式は終始厳粛な気持ちに包まれ、思っていたよりも深く胸に残るものがありました。

 

そして、

場所を変えて品川プリンスホテルでの祝賀パーティーは、エリアごとに定められたテー

ブルでしたから、東海・愛知のテーブルで十分歓談したあと、滋賀・京都テーブルまで

2回ほど出かけ皆さんを探しました。

しかし、

知っている滋賀の皆さんの姿に出会うことなく、残念で後ろ髪引かれる思いでした。

事前に余り連絡しあわなかったのがよくなかったのかな--。

 

さて、

これからです。

これから、何を目指してやっていけばよいのか、的が絞りきれていません。いまだ---。

 

一応、

今考えているのは修士選科生になり、大学院の必要単位を獲得してから大学院入試

に挑戦、大学院2年間は修士論文作成にのみ集中するというのはどうかな----、と。

 

不整脈やら高血圧、更には脊椎管狭窄症や花粉症やらで、このところ通院が急増。

・不整脈関係(心房細動)で2種類、

・高血圧で1種類、

・脊椎管狭窄症で2種類、

・花粉症で2種類、

と合計7種類もの薬を日々服用するような身であることや、

今年71歳という年齢のことを考慮するとき、

 

あと4年間、

75歳迄に上記の修士論文作成・大学院卒業というのが人生最後の学習目標として

精一杯ではなかろうかと自問自答しているというのが今の我が心境ではあります。

 

また機会があれば皆さんとお会いしたいものですが、

日々枯れていく年齢的・現実的・実感的心境から申しますと、メールなどでのお付き

合いが頃合ではなかろうかとも考えられのです。

 

だのに、晩酌だけはやめられんません。

 

それでは皆さん、

時期はずれの風邪などにはお互い気をつけましょうね。

 

桜の名勝”S渕公園”の近くに住むK.Aより


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (16) ~卒業研究論文発表会~

2015-12-14 | 放送大学(OUJ)

  

          ~参考文献の中の一冊~                   ~OUJ(放送大学)本部~

’15.12.14(木)

 昨日、千葉幕張のOJU本部で開かれた卒論発表会に出席。

これで卒論に関する行事的なことは全て終了したことになる。

あとは2月頃出るはずの合否判定を待つのみとなった。

以下に卒業研究論文の概論を記しておくことにする。

       ~~~~~~~~

研究テーマ

           “心の病”の呼称変更について

~ 一連の変更がもたらされた時代背景と社会的意味 ~

 

 病名の呼称変更はある時突如として行われるのではなく、医学の発展過程でその必要性

が生じたり、時代の潮流を背景に各支援団体から出る変更要望がその契機となったりする。

 今回取り上げたわが国における病名の呼称変更4事例、

 ①精神分裂病から統合失調症へ、

 ②精神薄弱から知的障害へ、

 ③痴呆から認知症へ、

 ④人格障害からパーソナリティー障害へ、

について、その呼称変更の“発端”となった事柄に着目してみると、

 ①の場合は、1993年(平成5年)、当時の財団法人全国精神障害者家族連合会(全家連)

が日本精神神経学会にその呼称変更を要請したのが発端となっている。

 また、

 ②の場合は、1990年(平成2年)、当時の日本精神薄弱者福祉連盟の中に「用語問題検討

委員会」が設置され3年間の論議の後1993年に、精神薄弱に替わる用語として、

1 )症候名としては「精神遅滞」を用いる、2)身体障害者等と並ぶ障害区分としては「知的障害」

に位置づける、との結論をまとめ公表したことが契機となっている。

 そして、

 ③の場合は、2004年(平成16年)4月に仙台市・大府市・東京都の当時の高齢者痴呆介護

研究・研修センターの3センター長が連名で、「痴呆」という呼称の変更を時の厚生労働大臣に

申し入れしたことが発端となっている。

 これらとは状況が異なる、④の場合は、2002年8月に日本精神神経学会の総会で正式に

「精神分裂病」が「統合失調症」へと呼称変更されたのを機に、“精神分裂病”と表記していた

初版「DSM-Ⅳ-TRの手引」の改訂をしなければならなくなったことが契機となって、2003年

(平成15年)8月に「DSM-Ⅳ-TR・精神疾患の分類と診断の手引」の日本語訳・新訂版

刊行され、初版で訳していた「精神分裂病」を「統合失調症」へ替えたのに伴い、それまで関連

用語として訳していた例えば、 “分裂病型人格障害(schizotypal personality disorder)

は失調型パーソナリティー障害”というように、

「人格障害」を「パーソナリティー障害」へと変更した。

 

 研究論文ではわが国における代表的な“心の病”4事例を取り上げ、一連の変更がもたらされた

時代背景や経緯などを、取り巻く精神保健福祉の歴史とともに検証し、変更後の新呼称の普及や

波及効果、告知状況の変化の様子など、その社会的意味について考察した。

 また、

 2013年改訂の米国精神医学会の診断手引き「DSM-5」における病名変更の中の一つ、

「DSM-5で消えたアスペルガー分類」の説明を、参考として論文の巻末に記載した。

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (15) ~卒論完成やミャンマーのことなど~

2015-12-04 | 放送大学(OUJ)

  

               ~晩秋の空1~                                   ~晩秋の空2~     ~晩秋の空3~

’15.12.4(金)

 完成した卒業研究論文をOUJ本部へ書留で郵送してから1ヶ月になる。

卒論作成に集中していたことから解放され、この1ヶ月ほどはいわゆる

燃え尽き症候群状態であった。

 本日、久方ぶりに滋賀の学習仲間に送ったメールをここに載せておこう。

      ~~~~~~~~~~

滋賀の3人さんへ

12月に入った途端急に冷え込んできました。

 

例年なら街の名所に色づく筈の紅葉が、今年は紅くならぬまま落葉するという有様。

つまり、それほど晩秋が暖かだったということでしょう。

 

ここにきて、

ごまかしごまかしで過ごしてきた脊椎管狭窄症の痛みがひどくなり、この1月間、洗顔

姿勢や靴下履き姿勢や腰掛から立ち上がる姿勢時に苦慮しています。T橋市民病院

で診察しましたが、2種類の薬を処方された程度で特別な治癒話しはありませんでした。

 

私から皆さんへメールするときの多くの場面、例えば肘や指の痛みのこと、例えば心房

粗細動のこと、そし、て今回の腰痛のことなど、心身の健康についての泣き言を述べて

ばかりいますが、これも、誰かに胸のうちを公言すると気持ちがやや穏やかになる傾向

があるせいだと、ご勘弁願います。

 

さて、

11月4日〆切だった卒論提出から1ケ月経ち燃え尽き症候群状態が長らく続いています。

それでも一昨日12月3日(水)、卒論最後のゼミがあり、今度は12月13日の卒論発表会

の準備に取り掛かることになりました。

 

この卒論発表会は千葉幕張の放送大学本部で開催されますが、どうやらこの発表会は、

「生活と福祉コース」に限られたもののようです。

私自身の所属は「心理と教育コース」なのですが、卒論担当の先生が「生活と福祉コース」

の教授だったのでこの発表会参加メンバーに私も登録されたというわけです。

 

長崎や島根など全国から8名の発表者が集います。(今年度は少ないと言うことです)

 

発表会の内容が原因で卒業できないという例は過去にない、と最後のゼミで担当の

I丸教授から激励されました。

 

卒論ゼミは全部で7回ありましたが、ゼミ仲間が神戸・愛知・長野と東京から離れていること

もあり、7回のうち最初の2回は東京文京学習センターに集まったものの、あと5回は名古屋

の愛知学習センターで実施。

その日は、東京からわざわざ先生が名古屋まで足を運んでくださいました。

 

そうは言っても、

N江さんからご推薦いただいたジパング倶楽部は十分役に立ちまして、老齢旅行者には

便利なサービスであり、12月13日の千葉幕張での発表会の鉄道切符も既に3割引きで

往復分手にしてあります。(一部指定席)

 

話しは変わりますが、

私にとって今年一番の社会的喜びは、ミャンマーにおける初の民主的総選挙の結果、

アウンサンスーチー氏率いる野党・国民民主連盟(NLD)が勝利したことでしょうか。

彼女が時のビルマに出現した1989年前後の3年半の間、私は丁度JICAのとある

プロジェクトでビルマの地にいたのです。

 

この時期にビルマの名はミャンマーとなり、首都ラングーンの名はヤンゴンへと変わり

ました。

当時のアウンサンスーチー氏の人気はすでに不動であり、またその信念はノーベル

平和賞で表現されたとおりです。

まさに今年の11月、改革への最初の砦が具体的に切り開かれたのです。

 

また、今日の新聞記事によりますと、2015年生まれの赤ちゃんの名前ランキングと

いうことで、

・男:大翔(ひろと)悠間(ゆうま)蓮(れん)

・女:葵(あおい)陽菜(ひな)結衣(ゆい)

などとなっていて、

なかなか難しい読みに圧倒されてしまいます。

しかし、

女子の4番は「さくら」、5位は「凛(りん)」と馴染みやすくなっていて安堵いたしました。

 

先日録画して見た「ダブル・フェイス」の西島クンの立ち居振る舞いや表情がいまだ

脳裏に蘇ってきて、穏やかな姿で時々見るテレビのCMでの笑顔が嘘のようです。

ダブル・フェイスは、本当によかった!!

 

と、

まだまだ燃え尽き症候群から脱皮できていません。

自分のことばかり述べてしまい申し訳ありません。

 

皆さん、いかがお暮らしですか。

いつまでも気持ちだけは熱っぽくありたいもの。

東京での卒業式でまた顔を合わせましょうね。

 

寒さに負けぬよう、

その時まで、いや、いついつまでもお元気で。

S城の地より A形より


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (14) ~卒業研究ゼミ初回~

2015-04-08 | 放送大学(OUJ)

      

                          ~ 散歩路に咲く春の花 ~

 ’15.4.8(水)

 本日、東京は急激に寒くなり街ゆく人々はマフラーやコート姿でした。

そのうえ氷雨のような感じで降リそそぐ冷たい雨糸が足元を濡らし、歩みも縮みがちです。

久しぶりに東京へ着いた私は、昨日までの田舎の暖かさとの寒暖差に戸惑いながら茗荷谷の駅を出ました。

神戸からやってきた女性は今朝飛行機で東京へやってきたそうです。

そして、長野からの学習者は雪で一時間ほど到着が遅れました。

こういう驚きの寒さ漂う日に卒業研究第一回目のゼミが10時半から東京文京学習センターで始まりました。

 

以下は、第一回目の卒研ゼミに当たり、私が昨日から今朝深夜にかけて準備した発表用資料です。

 

1.何を研究したいのか

 2014年5月29日の朝日新聞朝刊に「心の病」名称変更へという見出しで、例えば

 ・「アルコール依存症」が「アルコール使用障害」に、

 ・「性同一性障害」は本人が実感として感じる「性別違和」へ、

 ・「神経性無食症」は食欲がないわけではなくやせたいという願望があるので「神経性やせ症」に、

 また、

 子どもの時期に多い病気を中心に「障害」という言葉を使うのを減らし、例えば

 ・「注意欠如・多動性障害(ADHD)は「注意欠如・多動症」に、

 ・「言語障害」は「言語症」に

 したという報道がなされた。

 同様の記事が同日の毎日夕刊や翌日の中日朝刊にも掲載された。

 

 一体“どこ”の“だれ”が“なぜ”このように公共的な病名変更という行為をするのだろうかと深い関心を

  持ちつつ記事に接したところ「日本精神神経学会」が新しい指針を作り、28日に公表したとある。

 理由は、

 国内でも広く使われている米国精神医学会の診断手引き「DSM-5」が昨年5月に改訂されたのに伴い、

 様々な訳語が出て混乱しないように関連学会が共同で名称を検討したのだという。

 

 とりまとめた日本精神神経学会副理事長の神庭重信・九州大学大学院教授の、

 「患者の理解と納得が得られ、差別意識や不快感を生まない呼び名にするよう心がけた」

 というこの発言に何か意味があるような気がしてならず、卒研申請に向けてのタイトルを

 「病名(特に“心の病”)の呼称変更の歴史的時代背景と社会的意味について」

 とし研究のテーマはこれしかないと決意、申請が受理されたら先ずこの記事の出所を手掛かりに

 手探り研究の第一歩を踏み出そうと思いつつ今日に至ったという次第です。

 

2.どこまで作業が進んでいるのか、及び 収集中の文献リスト

 1)新聞記事のDSM-5に準拠し日本精神神経学会主催で検討作成したという新指針の調査

  ① 精神経誌 第116巻第6号(2014)「DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン(初版)」

  ② 日本精神神経学会・日本記者クラブ勉強会「精神疾患用語改訂の背景」での解説・2014.8.1

       (YouTube)

  ③「DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引」(2014)用語監修日本精神神経学会 医学書院

  ④「DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の分類と診断の手引」(2002)訳・高橋三郎ら3名 医学書院

  ⑤「臨床家のためのDSM-5 虎の巻」(2014)編集者・森則夫ら3名 日本評論社

  ⑥ 朝日新聞記事・2014.4.30「アスペルガー分類消える・発達障害自閉症に一本化」

  ⑦ 精神科臨床サービス第14巻3号(2014)「なぜアスペルガーが消えたのか」大西ら3名

  ⑧ 椙山女学園大学教育学部紀要7(2014)「DSM-5:神経発達障害と知的障害、自閉症スペクトラム

        障害」宮川充司

   ⑨ SYNODOS 2013.6.11「自閉症の診断基準の改定とアスペルガーカテゴリーの削除について」

       阪大 井出草平

 

 2)「精神分裂病」から「統合失調症」への呼称変更に関する調査

  ① 日本精神神経学会・前理事長佐藤光源教授「統合失調症について-精神分裂病と何が変わったのか­-」

  ② 精神経誌98(4)(1996)「Schizophrenieの訳語の歴史」岩舘利晴ほか

  ③ 精神経誌102(7)(2000)「精神分裂病はどこまでわかったか」佐藤光源会長講演

  ④ 厚労省・社会保障審議会障害者部会(第24回)2005.1.25「資料3:精神保健福祉法の改正に

        ついて」(「精神分裂病」の「統合失調症」への呼称変更:平成17年施行)

  ⑤「疾病、傷害及び死因分類の正しい理解と普及に向けて~ICD-10(2003年版)準拠」2007.3厚生

       労働省大臣官房統計情報部長

       (法令改正等に基づく名称の変更:精神分裂病→統合失調症、痴呆→認知症)

  ⑥ 中井久夫著「分裂病と人類」1882、「最終講義」1998、徴候・記憶・外傷」2004

  ⑦ 年報 社会科学基礎論研究 第3号(2004年度)p132~147「精神障害と“人間”からの解放~精神

        分裂病の呼称変更にみる~」周藤真也

  ⑧ 朝日新聞朝刊全面意見募集広告2001.10.7「誰の“精神”も“分裂”してはいないから」(「精神分裂

         病」にかわる新しい名前をいっしょにかんがえてください)全国精神障害者家族会連合会(全家連)と

         日本精神神経学会「精神分裂病の呼称委員会」の連名

  ⑨ 朝日新聞朝刊記事2002.6.30「統合失調症へ呼称の変更議決・日本精神神経学会」

  ⑩ 精神経誌98(4)(1996)「精神分裂病の概念と用語に関するアンケート調査報告」岩舘敏晴ほか

  ⑪ 精神経誌104(1)(2002)「DSM-Ⅲ以降の精神分裂病の展望」金吉晴

  ⑫ 「精神分裂病の概念~歴史と分類~」保崎秀夫(昭和57年2版)金剛出版

  ⑬ 放送大学研究年報 第27号(2009)p1~23「統合失調小史」石丸昌彦

    ⑭ 宮崎県立看護大学研究紀要4(1):1~7(2004)「統合失調症についての諸問題」布施裕二

    ⑮ 「看護の為の精神医学」第2版 中井久夫+山口直彦(2004)医学書院

 

 3)「精神薄弱」から「精神遅滞」「知的障害」への呼称変更に関する調査

  ① 脳と発達(第147冊)26巻2号(1994)「精神薄弱の用語をめぐって」熊谷公明

  ② 日本障害者リハビリテーション協会発行・ノーマライゼーション 障害者の福祉15巻通巻173号p34~37

    (フォーラム‘95「精神薄弱に替わる用語の問題」小出進(「日本精神薄弱者福祉連盟が出した結論:

     症候名としては「精神遅滞」、身体障害等と並ぶ障害区分としては「知的障害」に位置付ける」

    (厚生省の「精神薄弱にかわる用語に関する研究会」での検討結果1995.7公表:精神薄弱に替わる用語

     を「知的発達障害」またはそれを簡略化して「知的障害」とする・最終結論得られず)

  ③ 内閣府・障害者対策推進本部決定(1995.12.18)「障害者プランの概要~ノーマライゼーション7か年

    計画戦略~」(当面緊急に整備すべき目標:心のバリアを取り除くために・「精神薄弱」用語の見直し:

      保護者団体その他関係者の意見を踏まえ見直しを行う)

  ④ 参議院法制局・平成10年(1998)9月28日法律第110号「精神薄弱の用語の整理のための関係法律の

    福祉を改正する法律」(趣旨:障害者に対する国民の理解を深め、もって障害者の福祉の向上に資するため、

    精神薄弱者福祉法等における「精神薄弱という用語を「知的障害」に改める。

    施行は平成11年(1999)11月4日)

  ⑤ 奈良教育大学紀要63巻1号(2014)「知的障害概念の成立過程に関する研究:ヘバー定義の成立

    およびその意義と特徴」清水貞夫・玉村公二彦

 

 4)「痴呆」から「認知症」への呼称変更に関する調査

  ① 厚生労働省「痴呆」に替わる用語に関する検討会(厚労省のHPよりダウンロード)

   ・第1回(平成16・2004.6.21)・第2回(平成16・2004.9.1)

   ・第3回(平成16・2004.11.19)・第4回(平成16・2004.12.24)

   経緯:日本老年医学会において2004年3月に柴山漠然人が「“痴呆”という言葉が差別的である」と問題

       提起したのを受け、厚労省では6月から上記の検討会を始め最後の2004年12月24日付で法令

       用語を変更すべきだとの報告書がまとめられた。厚労省は同日付で行政用語を変更し、

       「老発第1224001号」により老健局長名で自治体や関係学会などへ「認知症」を使用する旨の協力

       依頼の通知を出した。

       関連する法律上の条文は、2005年の通常国会で「介護保険法の改正」により行われた。

       医学用用語としては、まず日本老年精神医学会は「認知症」を正式な学術用語として定め、

       関係40学会にその旨通知した。現在の医学界では「痴呆」はほぼ「認知症」と言い換えられている。

       (ウイキペディアより)

  ② その他、文献については探索中。

以上

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (13) ~自己効力感~

2015-02-03 | 放送大学(OUJ)

     

             ~散歩路に見る雲々とその時々の光~

 ’15.2.3(火)

下記は心理学学習初期の頃(3年ほど前)、東京に住む知人にあてた返信メールである。

この頃の私の心境を懐かしく垣間見ることができ、忘れないためにも今ここに提示しておこう。

 

            ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「Rモード」全開のMさんへ 

 

こんにちは。

読みましたよ。「気付力が夢を叶える!」

お送りしていただいた本の読後感をお礼がてら述べてみます。甚だ自分よがりな所があるかとは思いますが、

気になさらぬよう素通りしてお読みください。

 

地域で生活するようになって5年ほどになりますと、ごく平凡な地域社会の枠に収まることも必要なこととなり

区長やら氏子総代やらおよそサラリーマン時代には考えてもいなかった現実的な時を、習慣性と大衆性を帯

びた役割の中で過ごしております。

さて、

毎年いただく年賀状からもあなた様の気力は十分伝わってきましたがそれが“気付力”だったとは存じません

でした、正直--。

 

読んでみてナルホドと意気に感ずる場面がたくさんあります。

潜在的な力を、意識して引き出す次元から知らず知らず実現させる次元へと高めていく過程がこの本の中に

詰まっておりました。

 

私の知る複数の自律的な学習論、

一つは「達成動機づけ」というアトキンソン説、

一つは「自己効力感」というバンデューラ説、

一つは「原因帰属」というワイナー説、

から知りえた限り、

教える側からの働きかけだけでなく、学習者自身が自分の動機づけをコントロールすることこそが大切だと

思っていましたから、この著書の内容に大いなる共感を覚えました。

 

いずれの説も「達成場面」を想起するところに源泉があり、まさにこの本の中でバンデューラの名を見たとき

は心震えるものがありました。

 

 1981年バンデューラの実験「目標設定による自己動機づけと、目標設定の違いによる効果に関する研究」

によれば、自己効力は、一日当たりの目標が適度に挑戦的で目標に達したという達成感をその日のうちに

味わうことができる「近い目標」群でもっとも効果があったのに比し、「大きくて遠い目標」群の効果は、目標を

設定しない群とほとんど変わらなかった、といいます。

 

つまり、

よく「目標は大きいほどよい」と言われますが、大目標のままでは効力期待も低く行動に移せないので小さな

目標に分解することが有効というわけです。小さな目標なら「自分にもできる」という効力期待を持ちやすいの

でしょう。

小さな達成感を何度も経験することで「自分はやればできる人間なんだ」という自己認知が形成されてくると

いうことから、

結論、

「効力期待」を高めるには「大目標より小目標」なのだ!!

 

私が心理学に興味を抱いた経緯は以前お話ししたようなことのほかに、にほんご教育に関心があったからで、

私にすればにほんご教育の歴史と潮流において心理学はいかなる意味を持っているのか、を知りたい、と

思っているのです。

 

資格を取ってそれを機に社会に出るという大それた気持ちは、70歳に近い現在ではもはや毛頭なく、心理学

という学術的な環境の中に自分を投じてみたいと思っているだけです。

 

3.11即ち東北大地震と福島原発事故以降、

日本人は何を根拠に社会生活を営むべきか、私たちの生活は人と人との相互作用がどれほどその基盤となっ

ているのか、がより鮮明になってきました。

 

数少ないとは申せ、

あなた様からの便りがいつも新鮮でわが人生への刺激となっていることは間違いなく今回も例外でありません。

 

大きな目標も小さな目標から成立する、という気持ちを忘れることなく、いつの日かあなた様に心理学との

関係性においてにほん語教育や地域にほん語ボランティア学習に新しい問題提起ができる日の来るその報告

のできますことを期待せずにお待ちください。

 

いただいたあなた様の健康そうな写真を見て、20数年前海外関係の職場でご一緒した当時の明るくて気分が

大きいあなた様が当時の最先端ワープロであった富士通社のオアシスを自由に扱っている姿を思い出しました。 

メール、長くなって申し訳ありません。

また

何かありましたら元気になるネタ話など教えてください。

 

それではお礼かたがた報告まで。

急な寒気にお気をつけくださり、

いついつまでもお元気で。

 

話のわかりあえそうな“ハツラツMさん”へ

自然豊かなわがふる里の地より、

K.A


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (12) ~「にほんごひろばQ&A」の一部紹介~

2014-10-26 | 日本語ボランティア

             

   ~「にほんごひろばQ&A」の回答作成時、参考にしているハンドブック・各種辞典など~

’14.10.26(日)

S城市国際交流協会で毎週水曜日の午後7時半から9時まで開いている日本語教室の名は「Sしろにほんごひろば」。

このひろばで学習者やボランティアから出てくる疑問、質問、難問については「にほんごひろばQ&A」としてまとめておき、

回答を添えフィードバックするよう試みている。その初期のものを見てみよう。

 

回答は、他の資料を見なくてもその場で読めば理解できるように編集してある。

回答源はネットであったり手持ちの参考書、辞書、辞典、過去資料、日本語テキストであったりするが、

この「にほんごひろばQ&A」を教室「にほんごひろば」外で使用する意図はなく、専ら本教室のグループ内での

日本語理解と学習支援に役立てるために作成しているものであることを宣言しておきたい。

ただ、

この「にほんごひろばQ&A」綴りがひろばグループ内で有効活用されているかどうか、

それは今のところ不明であるが---。

 

 ~~「にほんごひろばQ&A」~~

 

Q1:ずうっと、と いつも、の違いは?

 

Answer:(参考資料より)

●「ずっと、ずうっと」の使用例と説明(cf.L31 all the time )

「ずうっと」は「ずっと」の強調形で日常会話中心に用いられる。

 (1)

  ①前作よりも今度の絵のほうがずっと出来がよい。

   被害は予想よりもずっとひどかった。

  ②彼とはずうっと以前に別れたきり会っていない。

   真犯人はずっと後になってから名乗り出てきた。

  ③風船はずうっと向うの空の彼方へ飛んでいった。

   母はあなたのことをずっと遠くで見守っている。

 (2)

  ①三日前からから雨がずうっと降り続いている。

   彼はこのところずうっと家にいない。

   豊橋から新城までずうっと立ちっぱなしでくたびれた。

  ②坂の上から下まで桜並木がずうっと続いている。

   この道をずうっと行くとお寺です。

 (3)

  ①さあさあ、こっちへずうっと入って、入って。

  ②会場をずうっと見渡してみたが、目当ての女性はいなかった。

 

【説明】

(1)ある状態の程度が高まる様子を表す。プラスマイナスのイメージはない。

 ①   は状態を表す語にかかる修飾語。他のものや過去の状態などに比較して程度がはなはだしい様子を表し、

        比較の暗示がある。  (もっと、さらに、に似ているが若干暗示の内容が異なる。説明省略)

 ②   は時を表す名詞に係る修飾語。

 ③   は距離や方向を表す語にかかる修飾語。

 ②③は単に程度がはなはだしいことを表し、必ずしも比較して述べているとは限らない。

 

(2)時間的、空間的に継続している様子を表す。プラスマイナスのイメージはない。

  かなり客観的な表現で同じ状態が継続することについて特定の感情は暗示されていない。

 ①   は時間的に同じ状態が継続しているという意味。

 ②   は空間的に同じ様子が継続しているという意味。

 

(3)ためらわずに最後まで行動する様子を表す。プラスマイナスのイメージはない。

   動作にかかる修飾語。

 ② は行為に際しての遠慮なさが暗示されるが、失礼の暗示はない。

 

●「いつも」の使用例と説明(cf.L6 always、usually )

 (1)

  ①部長はいつも怒ってばかりいる。

   そういつもうまくいくとは限らない。

  ②ママはいっつもボクばかり責めるんだから。

 (2)

  ①日曜日はいつも(の日)より遅く起きる。

  ②いつもはうまくいくのに、今日だけ間違えた。

  ③今日の彼女はいつもの彼女と違うみたいだね。

  ④(食堂で)オレ、いつものでいいや。

  ⑤(デートの約束)じゃあ、6時にいつもの所で。

  ⑥いつもの通りにやれば失敗しないよ。

 

 【説明】

(1)時と場合によらない、という様子を表す。

    原則プラスマイナスのイメージはない。述語にかかる修飾語として用いられる。

    ある行動や状態が常に同じようで例外がないというニュアンス。

    日常会話で強調して用いる場合にはしばしば②のように「いっも」と「つ」だけが高い中高型のアクセントで

    発音され、やや誇張的ニュアンスがこもり、マイナスイメージに傾く。習慣性と一般性の暗示があり例外のない

    ことを強調する。 (いつでも、つねに、たえず、などに似ているが暗示内容などが異なる。説明略)

 

(2)通常や普段の状態を表す。プラスマイナスのイメージはない。

   ① は名詞に、②は述語にかかる修飾語、③~⑤は名詞にかかる修飾語、⑥は名詞の前に直接つく用法である。

  通常の習慣的な状態や物事を表し、一般性の暗示がある。④の 「いつもの」は、普段注文している料理、

  ⑤の「いつもの所」は普段デートしている場所の意である。

   (ふだん、に似ているが若干ニュアンスに違いがある。説明省略)

 

結論:「ずっと」の(2)項と「いつも」の(1)項の違いについて比較すること。

   (該当項目以外の例文比較は提示しないこと。思考を錯綜させることになる。)

 

参考:(ネットより)

  『机に花がずうっと置いてある』:同じ花が、ある時点から現在まで継続的に同じ状態であることを示しているように

    読み取れます。

  『机に花がいつも置いてある』:その机を見る機会があるときには必ず置いてある(例えば友人の家を訪ねると、

    必ず花が飾ってある)ように読み取れます。その花は前回見たものとは違う花でも良いでしょう。

  即ち、

  『ずっと』には継続的な意味合いが含まれ、『いつも』は、その机を見るときはいつでも、つねにのように、ある条件

   を満たす時の様子、を表しているのではないでしょうか。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

Q2:将来、と 未来、の違いは?

 

Answer:(ネットより)

 (cf.将来:L28 future 未来:ナシ)

 「使い方の分かる類語例解辞典:小学館辞典編集部」の語釈は以下の通り。

 

未来:過去、現在と対立する客観的な時間の概念である

将来:具体的な人や組織などがこれから持つであろう具体的な時間

 

(参考:三省堂・大辞林より)

未来:

 ①   時の経過を三つに区分した一つで,これから来る時。将来。

 ②   〘仏〙 三世の一。死後の世界。あの世。後世。来世。未来世。

 ③    主として西欧語の文法で,動詞の時制の一。過去・現在に対して,動作・作用・状態などがこれから行われる

        ものとして表す表現形式。

将来:

 これからやってくる,時。これから先。普通,未来より現在に近い時をいう。副詞的にも用いる。

 「 -が楽しみだ」 「 -に備える」 「 -きっと後悔するだろう」

 1.副詞的に用いる場合

 (ア)将来、あなたはどんな仕事をしようと思っていますか。(○)

 (イ)未来、あなたはどんな仕事をしようと思っていますか。(×)

 

  「将来」は副詞的用法があるが、「未来」にはない。

 

2.具体的な個人や組織がこれから持つであろう時間にプラス評価を与える言い方

 (ア)君には将来が約束されている。

 (イ)君には将来があるんだから、ここで短気を起こさないほうがいいよ。

 

 この場合の「将来」は出世、昇進、地位の向上、と同義である。

  これを「未来」に置き換えた場合、(ア)は少々不自然だが非文とは言えない。

 「すばらしい未来」と限定されると、「将来」または、「将来性」に近い意味になるようだ。

  (イ)は「将来性」があるから、短気をおこすなということを述べている。また、「未来」としても、非文とは言い難い。

 

3.名詞「将来」はその主体のもつ具体的な時間を表す

 (ア)将来に備えて、食糧を蓄えておかなければならない。(国の将来、個人の将来)

 (イ)今回の事件は世界の将来に暗い影を落とすだろう。

 (ウ)今晩は大学の将来を考えるというテーマで議論します。

 

 これは「未来」に置き換えると、国、個人、世界、大学のもつ具体的な時間という印象が弱くなるようだ。

 現在と時間がつながっていないような印象があり、「非現実的」「他人事」のよう に聞こえる。

 

4.名詞「未来」は単純に過去,現在に続く時間という意味。

 (ア)豊かな未来を切り開く新製品。

 (イ)このアイディアは未来を先取りするものだ。

 この「未来」は現在と比較した時間である。

 

  (ウ)その少年には未来があるという点でこの老人とは違っていた。

 この「未来」は老人に比べ、その少年が現在から数えてたくさんの時間を持っているという意味である。

 これを「将来」に置き換えると、ニュアンスが変わってくる。

 単純に多くの時間という意味だけでなく、それに何か特別なものがあるような印象を与える。

 例えば、どんどん成長する可能性とか、ほかの少年やその老人にはない彼だけの可能性など。

 -----------------------------------------------------------------------------------------------

Q3:行ってくる(行ってきます)、と 行く、の違いは? 

 

Answer:(参考資料より)

  (cf.L43)

  前提:「~ていく」・「~てくる」という組み合わせパターンで説明するのが普通である。

  語形としては「Vて形+いく」・「Vて形+くる」であり、ていく・てくる、をひらがなで書いて補助動詞として扱う。

  空間的用法(主体の移動、対象の移動)と時間的用法がある。参考までに前半はそれらの例文だけを載せ

    詳細説明は省略、後半それらの中の、「行ってくる」に特化して取り上げることにする。

 

参考1:「~ていく」「~てくる」の空間的用法(主体の移動):

 話し手の発話時の位置から離れていく遠心的方向性(「(~て)いく」と、

  その位置へ向かってくる求心的方向性(「~て」くる)を持つ動作や出来事に対して。

 ①   その飛行機は西から飛んできて、東へ消えていった

 ②   演奏会にこの前買ったドレスを着ていった

 ③   (電話で)A:途中でお酒買ってきて。B:じゃあ、買っていきます

 

参考2:「~てくる」の空間的用法2(対象の移動)(~ていく、にこの用法はない)

 ①   実家からみかんを(私に)送ってきた。(×送った)

 ②   大学生の時、友人が手紙を(私に)書いてきた。(×書いた)

 ③   昨日玉井さんが私に電話をかけてきた。(×かけた)

 

参考3:「~ていく」「~てくる」の時間的用法

 (基準時以前から基準時への推移や変化は「~てくる」、基準時から基準時以降への推移や変化は「~ていく」。

 ①   日本で学ぶ留学生の数が増えてきた。これからも増えていくだろう。

 ②   国に帰ってからも日本語の学習を続けていくつもりです。

 ③   太陽が出たので、だんだん雪が解けてきた。(?解けた)

 ④   太陽が出たので、だんだん雪が解けていく。(?解ける)

 ⑤   積もった雪も昨日一日ですっかり解けた。(?解けてきた)

(変化動詞の「~てくる、~ていく」は段階的なニュアンスが出てくる。③④⑤)

 

●~へ『行ってくる(行ってきます)』について。

 語形:V「行く(行きます)」のて形「行って」+くる(きます)

1.ある所へ行き→元の所へ帰る、という意味が含まれる。

 ①郵便局へ行ってきます

  ・行く場所で何をするかは限定されない

  ・I am going to the post office(and coming back).

 ②ちょっと行ってきます。(ちょっと出かけてきます。)

  ・行く場所もそこで何をするのかも限定されない。

  ・I am going out(and coming back soon).

 

2.参考:(ネットより)

  「行く」が一方向の移動を表しているのに対して、「行ってくる」は文字通り往復の移動を表しています。

  従って「行ってくる」は元の場所へ戻ることを含意しています。

  とはいえ、

  必ずしも「すぐに帰ってくること」を想定してはいないでしょう。

  外出するときに「行ってきます」と言いますが、これは確かに「すぐに帰ってくること」を想定していると言える

   かもしれません。しかし、

   例えば2年間の留学のために家を離れるときにも、同じように「行ってきます」と言うことが可能です。

  つまり、戻ってくることが想定されている場面では、元の場所を離れている期間が短かろうと長かろうと「

   行ってくる」が用いられるわけです。また、

  「行ってくる」は上述のごとく挨拶ことばとして会話で用いられ、「行く」にはそのような用法が見られません。

  しかし、

  「行ってくる」が会話以外に用いられないかというと、そうとは言えません。

  「行ってくる」のままの形では確かに用いられにくいかとは思いますが、

  「○○へ行ってきました」

  「先日行って参りました○○は……」

  などという形であれば、普通に目にするように思います。

 -------------------------------------------------------------------------------------------

Q4:置いておく(置いておきます、置いとく(日常用語))、と 置く、の違いは?

 

Answer:(参考資料より)

●~ておく(おきます)について               (cf.L30)

 語形は「Vて形+おく(おきます)」。

 意味は、ある目的のためにあらかじめある行為を行う、ということ。

 (1)或る目的に必要な事前準備

 (2)行動が終わった後で次回のためにしておくべき事後処置

 (3)現状の放置

の意味がある。以下に

 

1.準備(~のまえに・~までに)、~ておく(ておきます)

  ①パーティーが始まるまでに、ここへ花瓶を置いておくように。

  ②国へ帰る前に、お土産を買っておきます

 

2.事後処置(~たら)、~ておく

  ①パーティーが終わったら、ビールやワインの瓶は台所に置いておきます

  ②ハサミを使ったら、元の所に戻しておいてください。

 

3.放置(そのまま)、~ておく

  ①この教室を使いますから、パソコンは(そのまま)置いておいてください。

  ②暑いから、窓はそのまま開けておいて

 

4.注意;「ておく」は自動詞とは使える(①)が、無意志動詞とは使えない。(③)

 ①  会議が始まる前に、出ておく。(○自動詞)

 ②  ○料理を作っておく。(○意志動詞)

 ③  ×料理ができておく。(×無意志動詞)

 

5.参考:(ネットより抜粋)

  「~ておく」は通常ひらがなで表されます。「~ておく」の意味用法は、普通次の2つに表されます。

 

 1)「前もってする」

  「行為者+が」+意志動詞(自動詞・他動詞)+ておく

  (8)行く前に相手先に電話しておく。 

  (9)今晩人が来るので、ビールを買っておこう。

  (10)若いうちに、苦労をしておいたほうがいい。

 

 2)「そのままにする」

  「行為者+が」+「目的語+を」+意志動詞+ておく

  (11)A:窓を閉めましょうか。

      B:いえ、(そのまま)開けておいてください。

  (12)子供のやりたいようにやらせておく。

 

 「~ておく」の基本的な意味は、「あとに起こる事柄を予想して、前もって何かをする」というものです。

 1)はもちろんのこと、2)の「そのままにする」もある目的・予定・予想のためにそのまま放置しておくのですから、

 このような意味になります。

 あとで部屋を使うので、そのまま「窓を開けておく」のであり、

 また、子供が成長するためにとか子供が自分でわかるまでは「やりたいようにやらせておく」のです。

 

 1)の「前もって何かをする」はしばしば「準備」という言い方をされますが、

 (10)のような例が「準備」に当てはまるかどうか疑問が残ります。

 したがって、

 1)は「準備」というより「前もって何かをする」と考えたほうが適切だと考えられます。

 

  「~ておく」は通常、(13)のように話し手自身の行為・動作に用いられます。

 第3者が主語である(14)は不自然に感じられます。

   (13) 私がやっておきます。

  (14)?田中さんがやっておきます。(→田中さんがやっておくそうです。)

 

 「~ておく」は話しことばではしばしば次のような縮約の形をとります。

 置いておく → 置いとく  食べておく → 食べとく  来ておく→ 来とく

 話しておく → 話しとく  見ておく → 見とく    しておく → しとく

 飲んでおく → 飲んどく   言っておく → 言っとく

 

●「~ておく」と「~てある」の違い

  「~てある」「~ておく」とも、「前もって」という意味を持つために、どちらを使っても同じ意味になることがあります。

   (15)a.必要なときいつでも着られるように、洗濯しておいた。

        b.必要なときいつでも着られるように、洗濯してある。

   (16)a.今晩人が来るので、ビールを買っておきました。

       b.今晩人が来るので、ビールが買ってあります。

 

  a,bの違いは、

  a「~ておく」が(前もって行う)動作のほうに焦点が置かれるのに対して、

  b「~てある」は動作が行われた結果の状態に焦点が置かれる点です。

  また、

  「動詞+ておく」がとる助詞は動詞が本来とる助詞のまま(切符買う→切符買っておく、

    トイレ行く→トイレ行っておく)です。

---------------------------------------------------------------------------------------------

Q5:行く余裕、というところを、行くことの余裕、と言ってもよいのでは?

       

Answer: (cf.V辞書形+こと:L18、V辞書形予定、Nの予定:L38)

  この質問は「V行く(普通体)+(こと )+N余裕」というように動詞の普通体(行く)に「こと」(名詞化)と

  「の」(格助詞)を連続させた(ことの)をつけて前後の名詞を結びつける表現例であるが、

  まず一般的に「こと」と「の」を付加して名詞節をつくる「埋め込み表現」ついて調べてみよう。

 

 (結論から言えば、「~ことの(こと+の)」表現は初期段階では使わせない方がいい。)

 

●「埋め込み表現」について(参考資料より)

 形式名詞「こと」と「の」をつけて様々な表現を名詞化し、できた句を名詞節にする表現を「埋め込み表現」と言う。

  ①   彼女はおししいケーキを食べる{こと/の}が趣味です。

  ②   あの店のケーキがおいしい{こと/の}は有名です。

  ③   昨日新しいケーキ屋がオープンした{こと/の}を知っていますか。 

 〈接続〉

   1)動詞・い形容詞  普通体+{こと/の}⇒☆注1

   2)な形容詞     Adな+{こと/の} 

   3)名詞       Nな+{の}または、Nである+{こと/の}⇒☆注2

 

  ☆ 注1:丁寧体を使う間違いをする学生がいるので注意すること(普通体に直させる)。

   ④ ×昨日新しいケーキ屋がオープンしましたことを知っていますか。(○したことを)

                     

   ☆ 注2:名詞に接続する形は「こと」と「の」で違うことに注意すること。

    ⑤ 山田さんのお母さんが先生な{×こと/○の}は知っています。 

   ⑥ 山田さんのお母さんが先生である{○こと/○の}は知っています。

 

  ※埋め込み表現の節の中では主題を表す「は」は使えない。

    (名詞修飾節の中では主題を表す「は」は使われないため。ただし対比や「~ということ」の場合は別。説明略)

   ⑦ 新しいケーキ屋{×は/○が}駅前にできたのを知っていますか。

 

  ※「こと」と「の」は多くの場合置き換え可能だが、一方しか使えない場合もある。

 《「こと」しか使えない場合》

 (1)後ろに「話す、伝える、約束する、命じる、祈る、希望する、聞く」など

    発話に関係する動詞が来る場合

   ⑧ 今夜のにほんごひろばに出られない{○こと/×の}を玉井さんに伝えてね。

 

  (2)後ろに「です、だ、である」が来る場合

   ⑨ 私の趣味は音楽をきく{○こと/×の}です

 

 (3)「ことができる、ことがある、ことにする、ことになる」などの複合表現の場合。

   ⑩ 私は日本で暮らした{○こと/×の}があります

   ⑪ あそこでは一日中遊ぶ{○こと/×の}ができます

 

 《「の」しか使えない場合》

  (1)後ろに「見る、見える、聞く、聞こえる」など知覚を表す動詞が来る場合

   ⑫ 窓から雨が降っている{×こと/○の}が見えます

 

 (2)後ろに来る述語が「待つ、手伝う、邪魔する、写す」などある事態にあわせて行う動作の場合。

   ⑬ このかばん、運ぶ{×こと/○の}、手伝ってよ。

      ⑭ 雨がやむ{×こと/○の}を待って、家に帰った。

 

  (3)後ろにくる述語が「やめる、とめる」の場合

   ⑮ 彼が出ていこうとする{×こと/○の}を止めました

 

   ※埋め込み表現が長くなるときなどは、「こと」だけではまとまりがわかりにくくなるため、

      「ということ」で、くくる方が自然。

   ⑯ 明日もし雨が降ったらハイキングが中止になるということを仲間に伝えた。

 

 参考1:「準体助詞」について(詳細略)

 前に出た名詞をそのまま繰り返さず「の」で置き換える場合の「の」を準体助詞という。

      ① この本はダヴィッドです。

   ② 野菜は新鮮ながいい。

 

 参考2:「の」は、名詞と名詞を結びつけ前後の名詞の関係に様々な意味を持たせる助詞としての用法が主である。

     (詳細略)

      ① 先生本(所有)、玉井さん兄(人物関係)、冷蔵庫ドア(全体と部分)など。

      ② 歴史本(内容説明)、野菜スープ(材料)など。

      ③ 銀行隣に花屋がある。(位置基準)(前後、左右、上下、東西南北)方向性など。

      ④ 展覧会でゴッホ絵を見た。(作成者)、玉井さん壺(作成者or所有)など。 

      ⑤ 私が上司玉井です。(同格)(例:首都東京、であるで置き換え可能)

 

【結論】:「行くことの余裕」という表現について(「埋め込み表現」+「参考2の②」)

    初心者には「行く余裕」と直して言わせた方がいいが、「余裕」という高度で抽象的な名詞を使う学習者の

    レベルは最早初心者とは思われず、示された文全体から言える説明をすればよいと思われる。

    (例文提示しながら)(論文調が多い)

   (例)

    従来から言及されてきたことの先に見えてくるのは、並々ならぬ人道支援の必要性ではなかろうか。


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (11) ~4年目Ⅰ期単位認定試験と心房細動の危惧~

2014-07-31 | 放送大学(OUJ)

        

              ~散歩道にある百日紅の木や草花たち~              ~妻が栽培する裏庭畑の茄子~

’14.7.31(木)

以下は、

放送大学滋賀学習センターの仲間に本日昼間、私から送信したメールの全容である。

 

平成23年の春に入学して以来、4年間で卒業したいという目標を持って今までが過ぎ、

いよいよその4年度目にあたる今年つまり平成26年度Ⅰ期終了間近を迎えた今の我

心境変動の所以を正直に述べた内容であり、今年度の後半Ⅱ期終了となる半年後、

春の到来と同時に卒業するという今までの流れの最終時期を迎える中、思わぬ形で

出現した心身事情の変化を事柄の一現象として記録にとどめておくために、今回送信

したメールをここにそのまま載せておくことにする

 

私が4年間で放送大学卒業ということにこだわったのは、大学は4年で卒業するという

普通の流れ以上に、卒業と認定心理士のタイトル取得は70歳のうちにやり遂げたい、

いう人生節目にあたる時期だからであり、”古希に卒業と認定心理士” の台詞は

日常生活の目標設定として唱えやすいわが心への語り項目だったのである。

 

さて、今期(平成26年度Ⅰ期)の単位認定試験終了直後の8月5・6日、

OUJ滋賀学習センターで開かれる面接授業の中の1科目に愛知の私が出席すること

は以前科目選択をした時点で滋賀の3人の仲間に伝えてあり、その初日5日の授業

終了後、4人で1年ぶりに団欒ることになっていた。

 

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 放送大学滋賀学習センターの3人さんへ

暑いさなか、こんにちは。

単位認定試験への取り組みなど皆さん如何お暮しでしょうか。

 

今期認定試験、当方は目下8科目に挑戦中です。

昨日も名古屋の愛知学習センターまで出かけてきました。

7月27日2科目、昨日2科目、8月2・3日2科目ずつ。

今日までの試験で印象に残った点など書いてみますと以下の通りです。

 

「世界の中の日本」は記述式。

時迫り前日の夜に的を絞って「外国人労働者について」の論文を事前にまとめておいたのが見事

に外れ、出された「人口問題」「イスラム問題」の2テーマに対しうまく文をまとめきれませんでした。

逆に、

昨日受験した「格差社会と新自由主義」はテキスト持込み可でしたが結局テキストを開いたのは

15問中1問だけで30分後には退室できました。遅い7時限目でしたので帰りの新幹線の時刻が

気になるのです。

 

「色を探求する」は今までの択一・記述併用方式から択一だけに変わっていましたが結構ややこ

しかった。

じっくり向き合えば面白い科目であること間違いないと思ってはいるのですが---。

 

「睡眠と健康」もそういう点では身近で関心深い科目でした。

 

N江さん推奨の「比較行動学」は前期、無事通過しましたが確かに興味深かった。

“猿まね”という言葉がありますが、実はチンパンジーでさえ模倣(猿まね)は無理。

模倣のできるのは我々人類だけというところが特に印象深かったですね。

 

ところで

皆さんに謝らねばならないことがあります。

8月5・6日に予定していた滋賀学習センターでの面接授業「健康の社会的格差」には出席いたしま

せんことをご報告します。

どうしてかと申しますと、

この7月27日で古希を迎えた身体になにやら異常が出たようで、目下自制中なのであります。

 

1か月くらい前から「心臓がいつもばくばくしている」ということを自覚するようになり場所が場所です

から地元のS城市民病院の総合診療内科で診察してもらったのが、7月初め。

血液検査・心電図などから所見するに「特に異常がありませんが---。」とのことでしたが--。

しかし、

その後も自覚症状はあるのです。

何かが起きている、どうも変だと思わざるをえない日々が続くなか、衝撃的なテレビに出会いました。

 

7月16日NHK「ためしてガッテン」。テーマは、「夏に!心臓けいれんがあなたを襲う」です。

番組を見終えて「なんだこれは自分じゃないか」と、まさにその相似性にびっくり。

いきなり聞いた「心房細動」という怖そうな病名に、たじろぎました。

 

すぐに思いついたのが「24時間心電図」のこと。歩いて3分、近くの個人クリニックでやってもらえる。

さっそく翌日そのことを言って診てもらいましたが、24時間心電図の前に普通の心電図をとってみま

しょうということになり、隣室でとった結果、

「不整脈がでています。」と心電図見ながら説明あり。

「紹介状を書きます。T橋市民病院の循環器内科で予約とりましょう。心臓そのものの検査が必要です。」

ガクッ!

 

そしてこの7月22日(火)、

自宅から約1時間の地にあるT橋市民病院に出かけ心電図、その他エコー、血液検査、レントゲンなど

ざっと検査したたあと、ドクターが言うには、

「そんなひどい状態ではなさそうですが、あなたが自覚しているという以上、とりあえず24時間心電図

(ホルター心電図)で調べてみましょう。結果は29日に説明しますから来てください。」

同日その場でホルター装着。

24時間そのままで過ごし翌日妻と一緒に行ったT橋病院で取り外しました。

(痕がかぶれ皮膚が数日間赤くなりかゆいかゆい)

 

そして一昨日7月29日(火)。結果を聞きに行ってきました。

放送大学、認定試験の合間で予定していた翌日30日の試験対策がままならなくなってしまいますが

そんなこと言っていられない。

最初心臓の模型を使って、ここが鼓動を発生するところ、ここが心房、その下に心室などと言っていて、

やおら、「大したことはないと思っていましたがあなたの心臓は確かに時々震えています。」

ヤバイな?

「(上室性期外収縮)が多発しています。このままだと、(心房細動)という症状になりかねません。」

 

「この症状が続くと(脳梗塞)になる確率が非常に高い。抗凝固薬で血液を流れやすくするのも予防に

はなりますが、逆に(心不全)になる率が高まります。

脈拍も100を越えています。

まずこれをゆっくりさせるクスリで2週間様子をみましょう。」

 ヤッパリわるかったんだ!!

 

どうして健康そのものだった自分がこういう状態になっているのか?????

酒の飲み過ぎか???

晩酌兼晩ごはんは毎日夜の9時~11時。

直後就寝し朝の4時半頃起床。睡眠時間毎日5時間余。

この蓄積された時間観念の過ちが原因なのか???

ストレッチのやり過ぎか?汗の出し過ぎか???

 70年間の疲労の故か??

今は亡き両親にもこのような素養があったのか??

 

こうなったら仕方ない、心機一転、この時、私が自律的に決めたこと。

・規則正しい生活をする。

・暴飲暴食はしない。

・禁酒する。

・植物性タンパク質の摂取を多くし塩分は控える。

・しばらく遠出はしない。(何が起こるかわからない)

・身分を示す名札を常時首からぶらさげておく。

 などであります。

 

以上、私の自重の決断を報告し、残念ながら滋賀学習センター行きを断念したことご理解くださいませ。

ホテルの予約もキャンセルしました。

 

この状態で考えました。

①   放送大学は来春必ず卒業しよう。

②   認定心理士資格はそれと同時に必ず取得する。

早めにそうしておかないと、この命どうなるかわからない。

③   従って卒業研究はとらず早く確実に卒業できる方法を選択する。

  (卒業研究とると卒業が1年遅れてしまう)

 

以上、大袈裟に覚悟しました。

従って、

今期あと残っている4科目、必ず征服しなければならない。

(心理と教育を学ぶために)

(特別支援教育総論)

(教育と社会)

(言葉と発想)

の4科目は必ず。

 

蛇足ながら、科目「言葉と発想」はメチャ面白い。

目からうろこ、とはこのことをいうのでは----。

 

いつものクセで超長くなってしまい申しわけありません。

皆さんが日々生活するその営みこそ真実で正義なのだ。

 

こんな私も含め4人の26年度1期認定試験が無事通過できますこと祈りつつ----。

真夏のS城の地より

 

K.A

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

追記1;

7月29日(火)、

病院からの帰宅途中、処方されたクスリをS城市内、家の近くにあるM原屋薬局店にて買い求めた。

クスリの名前は「メインテート(2.5mg)」錠。心臓の動悸を収める効能がある。

朝夕食後、半錠づつを一日2回服用、2週間分。

 

追記2;

滋賀学習センタの仲間の一人N江さんより耳寄りな情報が与えられた。

放送大学の選択科目の中に「循環器病の健康科学」という専門科目があるという。

心臓について科学的な学習ができる絶好の機会ではないか。

8月15日から始まる次期のための科目登録にもちょうど間に合う。

卒業記念としてこの科目を選択しておこう。

心臓の仕組みなどについて詳しく学習してから卒業するのも何かの因縁に違いないから。

 この情報をくださった滋賀のN江さんに深く感謝申し上げたい。

 

【補 足】 (後日寄稿)

上記、滋賀の学習仲間へのメールで、卒業研究を選択することを一旦諦め、なるべく早く

卒業したのち認定心理士資格申請に持ち込むという流れを覚悟した、のであるが、

その後の心情変化により、卒業研究論文執筆活動に挑戦せず単純に卒業するだけでは

せっかくの機会を逃し勿体ないではないかという気運が盛り上がってきて、最終的には、

この後一年かけて卒業研究論文を書き上げ、合計5年の学習で卒業という運びとなった。

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (10) ~ボランティア・Sしろ にほんご ひろば~

2014-07-18 | 日本語ボランティア

   

                 ~AグループはN2目標、BはN3目標、CはN4の漢字目標、Dは初心者及び対話主体のレッスンで~

'14.7.18(金)

S城市国際交流協会では毎週水曜日の午後7時半から9時まで、にほんご教室を開いている。

教室の名前は「Sしろ にほんご ひろば」。

 

もとはと言えば、約3年前にS城市国際交流協会をもとに日本語教室を立上げようという気運が

高まり、S城市国際交流協会メンバー2人とどういうわけか私の3人で愛知県国際交流協会が

主催する複数の日本語教室研修会に参加して立上げの段取り作りに着手したのが始まりで、

その後広報誌などで日本人ボランティアを募り地元での研修や他市での現行日本語教室を

見学しながら一応の基礎固めをしたあと約2年前、S城市国際交流協会が主体となって期待

と若干の不安のなか、平成24年(2012年)4月14日(土)14時、日本語教室、

「Sしろ にほんご ひろば」

がこの地に誕生し、そのまま何とか現在に至っている 。

 

当初はS城市内に在住する外国人を対象に、生活するために必要な会話主体の対話型日本語

教室を目指しそれなりに出発したのであるが、集まる外国人も徐々に減ってきて途中で解散する

かもしれないという危惧を抱きつつも何とか今日まで続いてきた。

そして、

スタートから2年経ってみると、3年前の立上げ時核要員や初期に集まった日本人ボランティア

メンバーは、私を除いてもう誰もいない。

 

その道のりは紆余曲折。

昨年度の最後の頃になると学習者の数も平均1~3名、参加日本人ボランティアが2・3名という

消極的なレッスンになる日もあったが、とにかく「にほんごひろば」という組織が組織として保たれ

てきたのは一ひとえに国際交流協会事務局の辛抱と苦心のおかげであると強く思っている。

 

入れ替わりながらも継続されている日本人ボランティア集団は、もちろん私も含めてのことである

が、いつまでもおんぶにだっこの状態で、結局は事務局の負担ばかりが大きいことに変わりはなく、

日本人ボランティアが主体となって運営を担務するということは、その間ついぞなかったのである。

 

そういう時、

いろいろな道程を経て今年度のスタートを迎えるに当たり、国際交流協会事務局ばかりに負担を

かける従来からのやり方では進歩が望めない、新しいやり方に変えましょうという新事務局サイド

の考えが出されてきた。

(今までの事務局職員が退任し同年輩の若い女性が新しい国際交流協会事務局員として採用さ

れたのが半年前のこと)

それは、

「にほんごひろば」のコンセプトを今までの会話や対話主体のレッスンから変え、思い切って、

日本語能力試験(JLPT)対策主体のレッスン内容に変えたらどうかという提案であった。

事務局サイドとして、もちろんそれなりの根拠があった故の改革案だったのは確かなことである。

 

実は、

今年度の「にほんごひろば」を開講するにあたり、S市国際交流協会の名前で事前に地元外国

人世帯からこの地の日本語教室に望むアンケート調査を実施していて、その中で最も期待の多

かったのが日本語能力試験に合格したいという項目だったと言うのである。

そして何の前触れもなくそのまま試験対策用N1~N5のテキストや参考書が揃えられていた。

 

新しいこの方針に内々大いに賛意の念を抱いた私ではあったが、事務局のこういう誰のヘルプ

も頼ろうとしない、ボランティア個々の実力や経験を問題外視する空気、新方針への気持ちが

先行し過ぎていることなどに危機感を覚え、初めて、

これは、事務局だけでは持ちこたえきれない、今まで企画や運営に関し意識的に沈黙を保って

きた私であったが何とかしなければと、やむにやまれず遅まきながら、新事務局員に寄り沿う形

をとりつつ、

一緒に問題を表面化させ二人で対策、検討lしながら、ぎりぎりスタートの日を迎えたのである。

 

胸襟を開き語り合ってみれば、「にほんごひろば」以外にも存在する数多い国際関係のイベント

全部の企画や実施を一人で切り盛りせざるを得ない現環境下における新事務局員の方の思い

も伝わってきて、今まで半年間味わってきた「にほんごひろば」への心の内にあるわだかまりに

共感しうるものが多々あることがわかってきた。

 

目指すところは同じである。

S城市内に居住する外国人の方々に日本語を自由化したい。

 

彼女が経験してきた主にスペインでの海外生活や陶器作りの話しにも関心が及んだりして、

最終的にはお互いなるべく合理的な「にほんごひろば」の運営を目指しつつ、一気にできそうも

ない所は時を待ちながらスローに、しかし一歩ずつ踏襲と変革の折り合いをつけつつ歩むことで

合意できたと思う。

 

私としては、

・新しい方針を全面的にバックアップすること、

・折々で、やりやすい具体的な目安を提示していくこと、

という2点に徹し、

若々しく新鮮で意欲的なそのモチベーションに水をさすようなことや先輩じみた主張は避けるよう

につとめている。

 

早い機会に日本人ボランティア全員の意見交換会を持とうということを前提にしつつ、メールの

やりとりや、二人ミーティングを数回持つうちに共通の的が見えてきた。

最終的に、

「にほんごひろば」の第一回目をどのように幕開けし、どんな台本をもって進めばいいのかという

ことなどが確定したのは第1回目の「にほんごひろば」が始まる当日の午前中のことである。

 

会場に初めて集まってくる学習者をどのように迎えるか、部屋の中の配置はいかにあるべきか、

最初の個人面談の内容や各人のレベル判定をどのようにするか、など今までの知識と経験に

加え事務局からの新鮮なアイディアが加味された初回のシラバスがようやく煮詰まった。

 

平成26年(2014年)6月4日(水)、午後7時半。

こうして、例年よりやや遅く連休明けに今年度の「Sしろ にほんご ひろば」がスタートした。

 

その後すぐに、

レベル分け、グループ分けされた学習者の仕草にこれまでにない活気が漂うようになり、今では、

出足は遅かったものの参加学習者の数は、予想をはるかに越え常時20名近くの地元外国人が

やってきている。

対応する日本人ボランティアも昨年に比較すればずっと数が増え、その状態が6月以来継続して

いて心強い。

 

思い切って新しいレベル別にほんごレッスンスタイルに舵を切ったあのときの新事務局の決断が

間違いでなかったことを支持すると共に、

今後間違わない展開を望むならば、今までの勝手な信念から脱皮し、日本人ボランティア自身の

意識変革と協調が問われるであろうことに気づいていかなくてはいけないし、そのような振る舞い

を見せなくてはと思う。

 

真の問題は裏側に山ほどあるが、今はただ学習者が依然多く来てくれることを有難く思い、彼ら

の期待を吸収することと、それに応える具体的な方策を工夫していく心を相互に持つようにする

ためにも、ボランティア同士のコミュニケーションが大切であることは言うまでもない。

 

昨日、7月17日(木)の夕方7時より、初めての、

「Sしろ にほんご ひろば・日本人ボランティア全員ミーティング」の開催にこぎつけることができた

ことを最後に記しておこう。(台風接近により一週間延期してのミーティング開催)

ミーティング前後、舞台裏で事務局の方とかなり綿密な二人ミーティングやメールのやりとりをした。

 

今回のボランティアミーティングの特徴は以下の通り。

①ミーティング開催前にどんな問題意識をもっているかボランティア全員からアンケートをとった、

②そのアンケート内容を集約したペーパーを準備し当日配布して説明した、

③ミーティングスタイルを全員参加型方式とした、

④我々とは初面識となる中立なファシリテーターに来ていただいた、

⑤3つに分けたミーティンググループを恣意的に配置できるよう工夫した、

 

こうして初めて皆んなと討議しあった今回のメインテーマは、

「グループレッスン」のあり方についてであった。

決まった結論は、できる項目から即実行していくこととした。

 

残っている最大の課題、それは、

この「Sしろ にほんご ひろば」の企画・運営主体は、ボランティアなのか国際交流協会事務局

なのかについてのテーマである。

ボランティア間に感情的な齟齬が生まれかねないこういった本質的なテーマを討議し合うのは、

時期尚早、もう少し時と間を待つべきだという気が、今はするのだが---。


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (9) ~OUJ4年目の春を迎えて~

2014-03-17 | 放送大学(OUJ)

                   

            ~咲き始めた庭のモクレンの木の下でくつろぐ愛犬ハナ~                                   ~散歩路で出会う花たち~

 '14.3.17(月)

ここのところ理研の小保方晴子先生達が権威あるイギリスのネイチャー上で発表したSTAP万能細胞に関する論文

の中味に対しインチキではないかという話題で連日賑やかな報道がなされている。

また一週間以上前にクアラルンプールを離陸し一路北京へ向かうはずだったマレーシア航空機ボーイング777機が

乗客239名ともども行方不明となっているニュースも世界の関心事である。

世界のニュースといえば、

ウクライナ南部クリミア半島のクリミア自治共和国と特別市セバストポリで、ロシアへの編入の是非を問う住民投票が

昨日行われた事態も無視できない。少数先住民族クリミアタタール人の存在を置き去りにし半島で6割以上を占める

ロシア系住民らの賛成により、編入の承認は確実で事実上の国家分裂は避けられない情勢が続いている。

これに対し、

ロシア軍による現時点でのクリミア支配を欧米メディアは「密やかな侵略」と呼んで警告を発し、今回の住民投票を認

めていない。

 

さて、

昨日から妻は刈谷市富士松に住んでいる次男の所へ一人住まいの家中の掃除や庭の手入れをするといって出かけ

ている。

こういう時の私の夕食は、

同居の長男がいれば二人で外食することとなるが、昨晩は彼も早朝からのバスツアーでまだ帰宅しておらず、

愛犬との散歩の途中で購入しておいたしゃぶしゃぶ鍋を自宅で一人手料理するという昨晩のような事例となることが、

たまに起こる。

早めの入浴の後、しゃぶしゃぶをつまみに熱燗で晩酌しつつNHKの大河ドラマ「軍師・官兵衛」を見て過ごした。

 

 

本題に入ろう。

放送大学の単位認定試験が終わったあとの今年の2月と3月は、昨年の同時期に比べずっとのんびりした生活が続

いている。昨年のこの時期は地元のS東高校へやってくるというスウェーデンからの留学生へのにほんご授業の準備

で大慌てだった。

彼とのにほんご授業による交流も昨年末で終わり、更にこの4月末で地元T神社の氏子総代役の任期も全うすること

となっており、4年目となる今年度(2014年度)こそ放送大学の学習に専念できる環境が整ってきたというわけである。

 

それにつけ、一つのテーマが今、大きくのしかかっている。

放送大学の1年度は4月からの1期と10月からの2期の2学期制をとっている。

卒業に必要な取得単位数は4年間以上で、下記に示す3領域(A+B+C)の合計が124単位必須となっている。

ここで卒業を意識した今、今年度夏までに科目「卒業研究」を申請し無事認可された上、来年度一年かけて研究論文

を執筆するという道を選択すべきかどうか、大きな岐路に立っているというのが正直な現在の心境である。

難解であろうこの科目を選択した場合、一年間余まともに情熱を集中しなければならなさそうだからである。

或いは卒業への近道のみを考えるならば別の仕方もあり今年度末の卒業も可能なのである。

卒業研究を選択せず合計124単位になるよう一般科目の認定試験を通過させ今年度末に卒業するという道である。

 

因みに、

丸3年目となった前年度2期(2013年度2期)、2014年3月末時点での修得単位数は以下のようになっている。

・領域(A):放送授業:履修済みは76単位。(卒業に必要な単位数は94単位でありあと18単位不足

・領域(B):面接授業:履修済みは17単位。(卒業に必要な単位数は20単位でありあと3単位不足

・領域(C):放送/面接授業:該当履修なし。(卒業に必要な単位数は10単位でありあと10単位不足

合計すると、18+3+10=31。卒業までにあと31単位が不足ということになっている。

 2014年4月から始まる2014年度1期の科目申請は既に登録決定され、先日8万8千円の学費を振り込んだ。

この登録科目内訳は以下の通り。

 

領域(A):2014年度1期放送授業6科目(1科目2単位)

  ・言葉と発想(’11)

  ・教育と社会(’11)

  ・特別支援教育総論(’11)

  ・格差社会と新自由主義(’11)

  ・心理と教育を学ぶために(’12)

  ・睡眠と健康(’13)

 以上であるが、都合により2013年度2期に認定試験を受けなかった下記の2科目も学習対象となる。

  ここで細部を語れば、下記の2科目とも科目区分でいうと総合科目に属している。

 卒業に必要な条件の中に総合科目は4単位以上修得のことというのがある。今まで総合科目は2単位

 取得済みであるから下記の2科目のうち1科目(2単位)でも合格できれば、合わせて4単位修得の条件

 はクリアーされることになる。

  ・世界の中の日本(’09)

  ・色を探求する(’13)

 これらを合わせた8科目の放送授業を2014年1期の認定試験で合格すれば16単位得られることになる。

前項で述べた領域(A)放送授業あと18単位不足は、2014年度1期末ではあと2単位不足になる。

 

領域(B):2014年度1期面接授業4科目(1科目1単位)

  ・認知心理学の基礎と応用

  ・科学とジェンダー

  ・「気持ち」を表現する基礎英語

  ・健康の社会的格差

 この4科目の面接授業を全部合格するとすれば4単位得られることになり、

前項で述べた領域(B)面接授業あと3単位不足が、2014年度1期末で不足なしということになる。

 

領域(C):放送/面接授業の項目に該当するのは、前(B)2014年度1期の面接授業4単位のうち余った1単位で

あり、前項で述べた領域(C)放送/面接授業あと10単位不足が、2014年度1期末で9単位不足ということになる。

 

以上をまとめると、

2014年度1期対象の科目が1期ですべてクリアーされれば、2014年度2期開始時点での不足単位数は、

(A)放送授業で2単位即ち1科目

(B)面接授業は不足なし、

(C)放送/面接授業で9単位即ち、例えば放送3科目と面接3科目

ということになる。

 

つまり2014年度2期に放送授業4科目と面接授業3科目修得しさえすれば卒業に必要な単位数124に到達する。

これで2011年4月入学から4年目にあたる今年度末(2015年3月末)で当初の計画通り卒業できる運びにはなる。

勿論、認定心理士資格取得に必要な科目はすでに履修済みであるから卒業と同時に資格申請も可能である。

これは難しいことではなく、今までのペースから鑑みて十分可能な数値であり流れである。

 しかし、個人的にはこういう形で卒業してしまうことに、いささか抵抗感を抱かざるを得ないのである。

 

「卒業研究」は担当教授とじかに接触しながら一つの論文を作成することが求められるより次元の高い科目だと考

えられる。それゆえ科目「卒業研究」に対しては6単位(放送授業分3+面接授業分3)が与えられているのだろう。

科目「卒業研究」を選択しなくても、上記のような道順で卒業することは可能である。

「卒業研究」は卒業への必須科目ではない、からである。

しかし、

どうせなら「卒業研究」体験を通してやや突っ込んだ心理学的学究の世界を垣間見たいという欲求と好奇心が心の

底に潜んでいる。

そして、できうるならばその上の大学院過程をも挑戦し、本格的な心理学の世界に浸りたいという気持ちもある。

 

ここで問題なのは、

科目「卒業研究」を履修するためには、前年度のしかるべき時期(8月下旬)までに「卒業研究申請書」を作成・提出し、

その審査により履修が認められなければならないということである。

私は未だこの「卒業研究申請書」に手をつけていない。

つまり、

「卒業研究」を選択しようとすると今年度末での卒業はないということである。ここに迷いの源泉がある。

いわゆる「卒研」に挑むとすれば、

今年度はその「卒業研究申請書」の作成と提出さらには審査での認可という過程が待っているということ、

そして来年度一年かけて「卒研」に挑み論文発表まで持ち込んで初めて6単位取得が可能だということである。

 

本来ならば、昨年度(2013年度)に卒業研究申請書を作成提出しておけばよかったと言えるのであるが、

迷いや、その他色々な出来事があってそれを諦めた。

もう一度初心に立ち返り、何のために、何を得ようとして放送大学に入学したのかはっきり自覚すべきである。

今は、ただ前を向くのみだと思って間違いない。

 

2014年度を迎えるに当たり、今ここで進むべきこれからの進路選択には二つの道程が考えられる。

・一つは、科目「卒業研究」を体験することなく124単位を全うし、今年度で卒業する道程

・一つは、今年度中に「卒業研究申請書」を提出、それが受理されることを前提に、来年度一年かけて科目「卒業研究」

 に取り組んだのち卒業するという道程。

どちらにするか、である。

 

安易な道程でよければ、「卒業研究」を選択しなくても卒業はできる。

しかしその後の道に続くべき残物に期待するものは少なかろう。

「卒業研究」に挑戦することは、そのことだけでもさることながら、未知の世界への新たな窓を開いてくれそうな気もする。

そうは申せ、どうせなら、どうせならと自己満足だけで「卒業研究」を選択するのもよかろうが、臨むだけの能力や忍耐力

があるか、冷静沈着に見極める必要もあろう。

更に今や、

学究的なことへの憧れだけで挑む年齢なのかという視点も浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。

「卒研」なしで今年度末卒業すれば70歳での卒業であり、単純な当初目標はクリアーでき進み方もシンプルで済む。

「卒研」に着手し、うまく行って来年度末卒業するということなら71歳での卒業となる。

この1年の差をどう考えるか。

 

さて、ここで「卒研」を選択したらという前提に立ち、話を元に戻して考えてみる。

上記のスケジュールによると卒業までには2014年度1期末で11単位不足(Aで2、Cで9)だということになる。

これを埋めるべく2014年度2期で11単位全部修得してしまうと自動的に卒業となって、

「卒研」にチャレンジする機会を逸してしまうことになりかねない。

 

「卒研」の6単位分を2015年度中の(C)領域の6単位に充てると考えれば、

2014年度2期で取得すべき単位は、(A)の2単位、(C)での3単位で十分である。

例えば、放送1科目+面接3科目、或いは放送2科目+面接1科目など余裕ある選択が可能である。

こうなれば、この時期に卒業研究への足掛かり時間をとることもできよう。

逆に(C)での6単位は2015年度用として必ず残しておかなければいけない。

こうすれば卒業研究の課せられる2015年度は他の科目を選択することなく科目「卒業研究」にのみ専念できるわけだ。

 

ここまでくると、2014年度中に31単位-6単位=25単位を修得すればよいのだという別の考えもできる。

即ち、すでに2014年度1期用として科目登録してある放送授業6科目+2科目、面接授業4科目をこの学期で全部修得

しようとすると、「卒業研究申請書」作成提出に支障が出るかもしれない。

・支障が予想される場合には多少の放送科目を2014年度2期へ廻すことも可能ではないか。

・この期はとにかく「卒業研究申請書」作成提出へ力を傾注すべきである、

という考え方である。

 

とすると、

今からでも早くはない。「卒業研究申請書」作成に向け下調べを始めることが当面の我がなすべきことと考えられる。


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (8) ~DくんとのS東高校における最後の日本語授業~

2013-12-20 | 日本語授業

     

                                       ~最後の日本語授業の際、Dクンに手渡した年賀状~

'13.12.20(金)

今日は、県立S東高校において外国人留学生Dくんに教える日本語授業最後の日である。

そしてS東校では二学期終業式が午前中にあり、Dくんは全校生徒の前でフェアウェル・スピーチをする。

本日をもって日本での学校生活も終わり、きたる1月12日(日)にスウェーデンへ帰国する予定である。

ここに55回目となった私とDくんとの最後の日本語授業の実際(16課)を記録しておこう。

初回の日本語授業は、4月11日のことであった。

その後、教えるというよりは共に感じあい分かち合った日々を経て今、別れの時を迎えることとなった。

 

その前に私事を少し。

ここのところ安倍政権が強行採決も辞さない強引な手法で近い将来、憲法改正・集団的自衛権の行使容認を目指

した新たな「積極的平和主義」への道を進もうとしている。

危ない。戦後の専守防衛から「統合起動防衛力」・「強靭性」・「力の行使」へと舵が切られている。

 

・12月以前:国家安全保障会議(NSC)の立ち上げ

・12月上旬:特定秘密保護法案の衆参における可決(その恣意性が問題)

・12月17日:閣議決定による新安保戦略構想の構築

①    国家安全保障戦略(NSS):(武器輸出三原則の見直し・軍備増強・愛国心)

②    新防衛計画の大綱(防衛大綱):今後10年程度の防衛力整備指針

③    中期防衛力整備計画(中期防):14年度から5年間の防衛予算の提示

 

ここで意識しておかねばならないことは、「安全保障のジレンマ」についてである。

軍事偏重の動きは、近隣諸国への敵対的なメッセージに繋がり、軍拡が軍拡を連鎖させる。

「戦略的忍耐の必要性」(中日新聞)や「地域軍備管理構想のないままの軍拡競争の危うさ」(朝日新聞)などの

指摘に注目したい。

 

昨日(12月19日)午前10時半、猪瀬東京都知事が記者会見し辞任発表をした。

昨年末の都知事選挙直前に医療法人徳洲会から無担保・無利子・無期限で5千万円借りたことによる関連疑惑

を晴らすことができず、現在もなお徒に都政の停滞をきたしていることによる。

政治に関してアマチュアだったと言う論理が背任の弁解ととられても仕方あるまい。

 

また、昨日の夜、

名古屋駅新幹線側出口直近の店で開かれた一年ぶりのNHOF会へ顔を出し、メンバー5人と歓談した。

NHOFとは「NEC」「HITACHI」「OKI」「FUJITSU」4社の略称である。

そのうちの一人で65歳になるK地氏がこの7月に社会労務士となって新たなオフィスを開いたという話に拍手。

何かに挑戦し目標を抱きながら定年後の人生を切り開く姿勢に共感。

紳士帽をかぶるその姿は伊達じゃない。

 

その昔私と会って以来彼の心の端には彼流に私を追い越し、追い抜くという目標があったかもしれない。

そのことは常々感じていた。彼は4歳ほど年下で、彼の結婚披露宴で私は司会役を頼まれた仲である。

さあ、どうだ、これで勝負あった、と言うわけにもいかないだろう。

私の方こそ、今まさに初心にかえり、一歩一歩わが道を究めていこうと改めて決意した次第である。

 

さて、

本日12月20日(金)はDくんとの最後の日本語授業の日であった。

彼と共有した時間を振り返ってみればいかにも早い時の流れである。

今日はS東高校の終業式の日でもあり、Dくんは今日をもって学校とも別れを告げる。

従ってもう登校することはない。

終業式の中でDくんは全校生の前に立ち別れのスピーチをするように言われていて、

今日の私との授業中でも、そのスピーチの最後の練習をした。

 

8時50分から始まる1限目に間に合うよう家を出る。

高校玄関の事務室でいつものように小会議室の鍵をもらい階段を上がる。

いよいよ最後ですね、と言った事務員の声が脳裏をかすめる。

すぐに学生服姿のDくんが時刻通りにやってきたが、この日本式学生服を着るのも今日が最後である。

 

挨拶代りの言葉を交わした後先日作っておいたDくん宛ての年賀状を見せて手渡す。

そもそも渡したハガキがどういう意味を持つハガキであるか、日本社会にあっては一年の初めに送る特別

めでたい郵便物であることを知ってもらう。

表紙面に印刷されている年賀のマークや最下段にあるお年玉年賀クジなどについても話してみた。

裏側に貼っておいた私とDくんの顔写真は、思い出になると思っての配置であり、真ん中の枠に平仮名で

Dくんへの激励の言葉を書いておいた。

 

「通過した2013年・69歳の誕生日」「8月16日、クイズにチャレンジ」などの写真の説明文や、

「少年老い易く、学成り難し」「青年は荒野をめざす」「平々凡々されど日々新たなり」などの日本語は、

対日本人への年賀はがき文そのままである。

そのうち「Dくん、元気で」などを日本語や時に英語で説明しているうちに、

じわーっと惜別の感情が湧いてくるような気がして、あわてて話題を変えなければならなかった。

 

Dくんの写真にも映っている、かって黒板に書いたクイズに再度挑戦させてみた。

かなり真剣に取り組み始めたがわからない。

手元にあるプリンント用紙の裏側に12個の丸を書き番号を付けて考えていた。

 

最後は結局、記憶を呼び戻した解答を私が丁寧に教えると納得した様子である。

言葉で理解するよりも図で書いてその特徴を覚えておけば思い出しやすい。

書かないと忘れると言って私が書いたのとの同じ図を書き写させた。

これで彼も問題提供者になれる筈である。

 

何となく、二人の間に今日が最後の日本語授業だと言う微妙な別れの感情が漂っていた。

Dくんがカバンからビニール袋を取り出して「どうぞ」と言う。

入っていた3つの包の中味は、

日本製さしみこんにゃく、スウェーデンの都市ウプサラの絵ハガキ、スウェーデン製キャンデー、

スウェーデン製敷き布とヘラ、などである。

「ありがとう」。

メリークリスマスでもありフェアウェルの気持ちでもあるそれらの贈り物は「大切にしておくよ」と伝えておいた。

以前雑談の中で私の嫌いな食べ物は「こんにゃく」だと言ったことを記憶していて、今日茶目っ気たっぷりに

「その袋開けて」と勧めた意味が開けてみてわかった。こんにゃくが出てきたのだ。

ブラックユーモアーなのである。

 

オーノー、まさかDくんからこんにゃくを贈られるなんて、とびっくりしたようにおどけたあと、

ワイフが好きだから喜ぶよきっと、と言うと「それは、よかった、よかった」と喜んだ。

 

一昨日テレビで放映された「世界行ってみたらホントはこんなトコだった・スウェーデン」、

これをCDに録画したのを持参して行った。

本当はマイクロSDにダウンロードして今日の授業中にTabletで一緒に見たかったのだが、

マイクロSDへのダウンロードの仕方がわからず、書き出しのできたCDを参考までに持ってきたのである。

Dくんにそのことを言うと彼も見たと言っていろいろな場面について論じ出した。

「見たよ、だけどあのイケメンのところは一番だという男性よりより2番の方がいい」などと批評もしていた。

結局、このCDも手渡した。

スウェーデンに帰ってから日本人がどのような視点で自国スウェーデンを眺めるかなど、

思い出になるかもしれない。

 

NEWS WEB EASY「スマートフォンを使いすぎると成績が悪くなりやすい」の読解に移る。

スウェーデンは世界一のインターネット普及国だからこういう論議は通用しないだろうと思っていたが、

テーマに関心を示し、頭から内容を否定するようなたことはなかった。

スウェーデンに帰ればDくんよりパソコン操作の早い達人はいくらでもいるとその速さの真似をしてみせた。

 

テキスト「みんなの日本語」本冊16課を開こうとしたがDくんが持ってこなかった。

こんなことは今までないことだ。

今日が最後の日だと言うことで何か違うところに心が奪われカバンに入れ忘れたのだろう。

しかたない、持ってきた分冊と漢字テキストについて、これらのテキストを自分ひとりで学習する手順や方法を

簡単に見せておいた。スウェーデンで自学自習することができるように、と思ってのことだが期待はできない。

 

テキストの後ろに参考となる資料が載っていることを知るだけでも助けになる筈である。

本冊でいえば、

「助詞」「フォームの使い方」「副詞・副詞的表現」「接続のいろいろ」そして何よりも便利な「索引」。及び付録。

分冊でいえば、「SUMMARY LESSON」の全ページ。「APPENDICES」の全ページ。

漢字テキストなら、付録冊子(簡単な辞書として)、などなど。

 

一区切りついたところでDくんがスピーチの下書きが書いてある用紙を開いてみせた。今日の終業式では、

全校生徒の前で彼が日本語でスピーチすることになっている。

平仮名で書かれた下書きはお母さんの手によるもの、かなり達筆であった。

ゆっくりと、大きな声で、に気を付けて彼のスピーチ練習が始まった。

どうしても早くなりがちである。

しゃべれば2分にも満たない短い原稿であるが、内容的には彼の知らない日本語単語も使ってあっったり、

長めのフレーズもある。

私が読んでみて彼がうまく発音しきれなさそうな個所にアンダーラインを引いた。

これらの部分はとくにゆっくりと話すことが肝要である。

 

スピーチの主旨は、北欧の国からやってきたDくんが日本の夏の暑さに耐えられるかどうか危惧したことや、

そこを乗り越えられた安堵感と、それを支えてくれた周囲への感謝の気持ちをなどを述べたものでわかりやすい。

涙なくしてこれを語ることができるか、

Dくんも私との練習時には泣く仕草をなどして冗談っぽく笑っていたが、いざ本番では、湧き上がる惜別の感情に

負けはしないだろうかと思うと、私とて胸詰まる気がしないでもなかった。

 

今日は最後である。無理してテキスト学習をすることもない。

今まで日本・新城での生活のなかで心に残るベスト5は何かという私の質問へのDくんの答えは次のようだった。

 

1.自然豊かな新城で体験できた多くの「冒険」(山、川、滝、洞窟、神社、公園、桜、紅葉)

2.夏に行った京都(清水寺、枯山水の庭園、金閣寺、その他)

3.日本の食べ物(焼きそば、「みん」の餃子、ケッチャップのオムライス、その他)

4.先日行ったばかりの犬山(明治村での数々)

5.鹿とたわむれた奈良(穏やかな歴史の街)

 

もちろん夏休み中にスウェーデンから来て異国で過ごしたパパとママとの箱根や東京での思い出もこれらと並ぶ

忘れがたき体験であったことだろうし、東京スカイツリーに2度も登ったこと、アニメ「進撃の巨人」などを日本の

家庭人と一緒にみていたこと、なども彼の心に深くしみこんでいる筈であろう。

 

しかし彼の即座の発言の中にS東高校での学習体験のことや学生たちとの交流の話が皆目上がってこなかった

のは、直面した新城での高校生活において特筆すべき苦楽体験がそれ程なく全体的に印象が薄いということを

物語っているのではなかろうかと、いささか気になるところである。

 

2限の終わりは10時20分。

8時50分に始まった40分授業の2限分は瞬く間に過ぎた。

チャイムが鳴りこれでいよいよお別れである。

彼はこのあとクラスへ戻り掃除などやってから締めくくりに体育館での終業式でスピーチをやることになるのだ。

席をたち先に小会議室の出口に向かうDくんに歩み寄り握手して、

「また6月に会いましょう、元気でね」と淡々と別れを告げた。彼もギュッと力を込めて握り返してきた。

6月から8月、スウェーデンは夏休みとなる。

そしたらまた、絶対日本・新城へ来るよ、とDくんは日頃から断言していた。

 

授業終わりのチャイムが鳴って、先に彼が小会議室を出て行ったあと、

一人で机の上に散乱しているテキストやプリント類をカバンにしまい、黒板の文字を拭き、エアコンを切り、

出口の右傍らに吊るしてある部屋の鍵をとってドアーを開け廊下に出て鍵をかけ、階段を下りたそのとき、

Aガタ・Aガタと私の名を呼ぶ声が後ろの方からしてきた。

 

ふと振り返って階段を見上げると、

学生服姿のDくんが階段の手すりから肩と顔を突き出し私に声をかけて手を振っている。

そうか彼も別れが惜しいんだと、少しセンチメンタルな気がしてきた。

「See you oneday!」 と、声と手を自然に振り返してそのまま踵を玄関口事務室の方へ向けた。

 

その手すりから乗り出して私を呼ぶDくんの姿が最後の別れの姿となって心に残る。

この姿は全く一言で言えば積み重ねた10か月の最後の「惜別の姿」となり、

ロンリーで切ない感覚が、この姿を思い出すとき湧くに違いない。

                                   

~以上~

これにて「Dくんの日本語授業の記録」は終わりである。

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (7) ~Dクン・外国人留学生日本語弁論大会へ~

2013-10-18 | 日本語授業

         

        ~外国人留学生・弁論大会・原稿集~                         ~散歩路に咲く花たち~

 '13.10.18(金)

私事を少し。

 

10月16日(水)

台風26号の通過後昼からT永神社境内の落ち葉の清掃作業を氏子総代で実施。

台風26号は伊豆大島に甚大な被害をもたらした。

山の地滑りが激しく元町をひとたまりもなく地面が呑みこんだ。

 

自宅西側の敷地も建物の解体が進み従来の旧い建造物が完全になくなって広々とした空き地に生まれ変わっている。

兄弟姉妹へこの光景の「Before」「After」写真を添付してメールしておいた。

西日が強く玄関から入り込んでくるようになる。

この10月23日と24日に兄弟姉妹6人がこの地へ集まって年一回の「Family会」を催すことにしているが、

その時、さぞかし皆なもこの実家周辺の様変わりには、びっくりするに違いない。

 

午後1時から始めた神社の清掃の後、2時半頃か、A氏と「O本寿司屋」へ行く。

この時刻店を開いているかどうかわからないが、とにかくそこへ行ってことをなした。

いつものようにこの二人、よく飲んで喋って自転車で帰宅しそのまま寝る。

 

7時、S城国際交流協会の「Sしろにほんごひろば」へ顔を出す。

新しい担当のT女史になって、この4月までいたM女史の進め方とは異なってきたがどちらもそれなりに一生懸命

やっていることが学習者に伝わっているようだ。

文法を取り入れたいと主張してやまないT女史の進め方も新たな模索であり余り私から口幅ったいことは言わない

ように気を付けなければいけない。

この日はALTジャマイカ人女性の娘で保育園児の「D」ちゃんのお付き合い役。

F女史、Y女史、H女史?(Jocv-OB)、O氏など日本人ボランテアの方が学習者より多い。

 

9時に終って、帰途小料理店「D文字」へ一人で立ち寄る。

S城の花火に興味を持ってもう数回見物に来ているという東京人(九州出身)の客と雑談。

 

10月17日(木)

妻と喫茶店「Hほえみ」へ行き「かき氷」食べる。

そのあとFメガネ店へ行って先日計量して作った中国製の安いパソコン用メガネを支払って手にする。

のち豊川のKクリニックへ最後の診察に行く。 これにて完結。

10月12日の祭礼時、「裃」の日が無事過ぎて、その感謝とお礼の気持ちが自然と湧いてきた。

 

 

夕方、妻と長男と犬のハナが散歩している間、

新しく買った郵便受けポストの設置ネジの扱いに手間取って焦りが増してきた頃、帰ってきた妻が

適当なネジを探してくれて大助かり。

 

そして今日、10月18日(金)

いよいよDクン、午後より「外国人留学生による日本語弁論大会」本番である。

S城東高校は中間試験最終日。中間試験は午前中で終わる。

8時50分前、事務員の連絡で国際担当のY教師が珍しく小会議室までついてきた。

Dクンはすでにそこに居る。

Y教師は胆嚢炎とかいう病気を抱えているらしく薬で散らかしてはいるが,

常に下腹部に鈍痛があるとか言っていた。

 

今日の弁論大会、英語のM女性先生がDクンの付き添いでいきますからと言うことである。

本来なら私が一緒に行けばよいのだが、急用ができた。

 

日本語授業。

まず黒板へ下記のように文章をまとめて書いて本日の行動イメージをDクンの心に刻ませた。

          

       

 質問された「ほんばん」という意味を説明したが、彼がどこまで理解したかはっきりしない。

 

最初に、スピーチコンテストとは全く関係のない「NEWS WEB EASY」を取り上げて読解練習から入る。

気を紛らわせることができる筈だ。

テーマは「9/13、意味が解らないローマ字の標識を英語にする」。

このニュース記事の中で「標識」「国土交通省」「国会正門前」「管理」などの単語に戸惑いはあったものの

文全体の大意はつかめたと思われた。

 

しかし気が付いたことがある。

このところ「みんなの日本語」テキストで学習する機会から遠のいている彼にとってはテキストで学習するという

基本的練習もやはり必要なのだと感じられた。

 

午後の弁論大会に向け最後の練習に入る。

昨晩うちでお父さんとお母さんの前で発表の練習をしたとか言っていた。

なかなか面白いという評を得たようである。

最終的に私の言っておいたこと。

「ゆっくりと」「大きな声で」「ジェスチャーはオーバーに」「一旦しゃべり出したら時間のことは気にするな」の4点。

きっと楽しいスピーチになる筈である。

 

壇上に上がったら手が震えて持っている手持ちペーパーが揺れてしまう、とか心臓がバクバクするとかそういう

心理は誰でも一緒。そういう時のDクンの表現がもろに面白く大笑いしてしまった。

また、

スピーチの順番は最初と最後には当たりたくないと幾度も呟いていた彼の心の内がよくわかる。

 

途中職員室へ行き付き添いのM女性先生に頼む。

「Dクンの発表の順番が解ったら教えていただきたい。場合によっては私もM津高校へ行けるかもしれないから」と。

Y先生でないとわからないそうなので後程携帯の方へ連絡してもらうことにした。

 

またたく間にやって来た10時50分のチャイムで授業終了。

弁論大会、あとは運を天に任すしかない。

 

帰り際、どういうわけかDクンが100円貸してくださいと言う。たまたまあった500円玉を与えておいた。

ここで思いつく。

「午後のスピーチコンテストで君が3番以内の表彰を受けたら、この500円は返さなくてもいい。

3番以内に入らなかったら500円はちゃんと返してもらうよ。」

この賭けが吉と出るか凶と出るか、あとは本人次第である。

 

後でY先生から私の携帯に連絡が入り、聞いたところではDクンの発表順番は1番だと言う。

彼が最も嫌がっていた順番である。

1番の発表時刻は1時33分スタートだとも言ってくれたが、結局、にわかには行く気になれず、

昨日からTablet端末でインターネットができなくなった理由を聞きにドコモショップへ足を向けた。


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (6-4) ~心のピンチ完結とDクンの日本語学習~

2013-10-15 | 日本語授業

     

                                       ~秋の例大祭、中日の裃姿~                                                 ~散歩路に咲く小花たち~

'13.10.15(火)

 今夕(10月15日)、台風26号が東海から関東方面へやってくる。

昼間は晴れていた。

 

昨日までその後始末が続いていたT永神社秋の例大祭のことに少し触れておこう。

何とかかんとか、10月11日(金)~13日(日)の3日間、秋の例大祭諸行事を無事やり遂げ、

ここ2日ほど気持ちが緩んでいる。

中でも朝早くから、夜遅くまで丸一日着用した「裃」のことを気にして臨んだ12日(土)は,薬のおかげでか、

或いは忙しい時間繰りへの対応に追われてか、心情の揺れるのがことのほか少なかった。

 

国会議員や県会議員、それに市長や市会議員の参列を受け1時間かけての「殿上式」から始まり、

続く「奉納行事」で1時間、そのあとの「直会」で形ばかりの宴会兼昼食などを経て、

昼からは「出御式」「召し立て文奏上」「出御」「渡御」「お旅所での神事と奉納行事」と立て続けに

催された各儀式や行事での典礼役を務めあげ「夜の渡御」「還御」も滞りなく終わったところで

当日のシメの儀式「還御式」で一日の典礼役が終了した。

裃の束縛から解放されて心が一躍晴れ晴れとなり、一堂に会しての晩御飯後もその勢いは続き、

S部氏やM田氏らとタクシーで小料理店「D文字」へ繰り込み杯を重ねたのである。

 

更に祭礼終了の翌日つまり昨日の14日(祝日で体育の日)、神社での祭礼後片付けを終え昼食を

とってから今度はA井氏と「Aいちや」へ赴いて二人反省会をして帰宅後すぐ横になった。

本来この日の夕方には地区祭礼世話人などによる祭礼関係者慰労会があるのが普通なのであったが、

その事前告知が我々二人にはなく行き淀んでいたのである。

夕方祭礼関係のA山氏ともう一人がわざわざ自宅まで事情説明に来てくれて、その時眠りから覚めた。

 

そして本日15日(火)、

以上のような例大祭がらみの生活の後遺症から抜けきれなかったことや、

自宅西側の旧電電公社作手無線時代の敷地建物の解体工事の影響で、我が家への水道配管の位置を変更

するという話などが朝方急に折り重なって出てきたりして、犬のハナの散歩が少し遅れたことを実感することなく

時計を見ればすでに9時が過ぎている。

本日Dクンの日本語授業は8時50分からであり、大いなる遅刻である。

S城東高校は中間試験が今日から始まった。

 

慌ててカバンの中へ教材を詰め込み車でS城東高校へ出向く。

着いた9時25分ごろ小会議室ではすでに黒色の学生服に身を包んだDクンが待っていた。

「I am very sorry to have kept you waiting so long.」

この英文は私の得意なフレーズの一つで従来からよく覚えている。

 

彼の話によると扁桃腺炎がひどくなり先週の9日(木)から連続して学校を休んだと言うではないか。

そして11日(金)には行きつけとなった豊川の病院へ行き、それ以降毎朝、昼、晩と薬を服用し続けていると言う。

そのくせ13日(日)には地域の秋祭りで神輿担ぎに参加し大いに汗をかいたと洩らしていた。

その際、彼は一人背が特に高いので担ぎ手としての負担がもろに肩へきて痣ができたと腕まくりして見せてくれた。

 

豊川の医師が言うには本来ならスウェーデンに帰って手術すべきではないか、と言われたらしい。

今ここでやると17万円くらいかかる、それでは高いので薬で対処し何とか1月12日の帰国時まで日本に居たい

というのが彼の本音のようであるが、S城市のお母さんにしてみれば心配なことであろう。

下記の写真はその先週からの彼の生活ぶりを黒板へ書きとめたものである。

彼の説明を書きながらまとめながら、彼の事態を下記のように黒板へ文字化してみた。

      

 

結局スピーチコンテストの今日の練習はあのローマ字文を一通り読んだに過ぎないが、結構表情が出るようになっていた。

 

私の登校が今朝遅くなった代わりに一つお願いがある、と言ってきたDクン。

何を言うのかと思えば、このまま家へ帰るので車に乗せて行ってほしいとのことである。

中間試験中、彼はクラスに戻ることなく日本語の授業が終われば直接ホームステー宅へ帰るのだという。いいでしょう。

 

次回は10月18日(金)1限と2限。その日の午後いよいよ外国人留学生による日本語弁論大会がM津高校である。

 

Dクンを家まで送ったあと私は一人で喫茶店「Hほえみ」まで行ってカレーを食べる。

ついでに自分でも珍しく甘いものが欲しくなり「抹茶白玉ぜんざい」を注文した。

どういうわけかこれがうまかった。

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (5) ~Dクン・日本語夏季補習~

2013-08-19 | 日本語授業

             

~Dクンに渡してある「自習」「宿題」「予習」「復習」を日本語、スウェーデン語、英語で書いたプリント~                   ~散歩路に咲く小花たち~

'13.8.19(月)

以下は県立〇〇〇高校における「にほん語」夏休み補習授業の一端、8月19日2時限分の思い出記録である。

 

 今年の夏は異常気象と呼ぶにふさわしい現象が日本各地で連続発生している。

気象予報官から放たれる、「今までに経験したことのない高温現象、観測を始めた〇〇年以来初めての激しさとなる局地的ゲリラ豪雨」

とか、「生命の安全を確保する行動を---。」「身を守る行動を---。」などという、従来にはなかった新たな注意語を含む警戒予報が発せ

られたのも1度や2度ではない。

 

愛犬ハナとの朝の散歩は、早朝でないと暑くて暑くてやりきれない。

従って5時に起きるのが猛暑の続く今夏の習慣となった。

今朝もそうだった。

郊外山際の大原池(五葉湖)早朝一周の散歩道は程よい涼風に木洩れ日が交錯し漂う草木の香りとほのかな水の匂いも感じられて、

心地よいものである。

 

今日の日本語夏休み補習授業は午後からである。教案準備は先日終わっている。

午前中は気分転換と決め、散歩から帰宅したのち録画してあった映画「あなたへ」を見ることにした。

昨夜テレビ初放映されたばかりで早めに見たかったのである。

久しぶりの高倉健主演作と言うことでNHKでもクローズアップされるほど大変話題となった昨年度公開作品である。

高倉健と馴染み深い降旗康男が監督ということもあって、見てみれば今や高齢となった高倉健をいたわるような優しい物語であった。

亡き妻の故郷に散骨してほしいという絵手紙の真意を知るため、遺骨を持って長崎・平戸への旅に出た男っぽい初老人の人生追跡

ロードムービーである。

佐藤浩市と、余貴美子や綾瀬はるかや大滝秀治や三浦貴大の関係が最後になって繋がった。

この映画は高倉健の、高倉健による、高倉健ファンのため、だけの映画である。

高倉健の顔や立ち居振る舞いにしみじみ目を奪われ知らず知らず最後まで見入ってしまった。

 

さて、日本語の学習者はスウェーデンからやってきた留学高校2年生のDクンである。

夏休み中に登校する習慣はスウェーデンにはないというDクンであったが、日本にいる今は、日本語を勉強したいと彼の方から補習

の希望があった。普段と同じように原則月・金曜日の午後2時限づつ、つまり週に2回(計4コマ)のペースでやっている。

 

ここでDクンの夏休み日本語補習授業がどのようなものかその一端を垣間見るのも何かの足しになるかもしれない。

 

今日は4月の開始以来、数えて28回目(途中1回中止したから実質は27回目だが)の日本語授業にあたる。

使用テキストは、

①「みんなの日本語初級1・本冊」、

②「みんなの日本語初級1・英語版分冊」、

③漢字用として「みんなの日本語初級1・漢字英語版」、

の計3冊。

4月から今までの進捗配分は、ざっと計算してみると1課当たり平均4~5コマほどかけて学習していることになるが、

このペースが彼にとって速いか遅いかは別問題。自由で明るい空間から彼の日本語が生まれかつ育っていくものと考えている。

”共感し・受け止め・遮(さえぎ)らない、日本語教育” これににつきる。

 

北欧スウェーデン人のDクンにしてみれば今夏の日本の熱中現象は初体験であり、体がついていけるかどうか心配である。

聞いてびっくりしたことだが、ホームステー先での部屋のエアコン設定温度は16℃とかなり低いらしい。

夏休み中の日本語補習授業は普段の教室ではなく特別に本館2階にある小会議室で行っている。

小会議室の温度のミニマム設定限界値は19℃であるから彼の体感温度からいえばまだ多少暑いかもしれない。

 

今日は1時25分ごろDクンが遅れて学校へやって来た。

それは、途中のコンビニまで来たとき前回私と約束したスウェーデン製の日本語テキストを忘れたのに気づき、そこでユーターンして

家へ持ちに行ったからだということのようである。わざわざ取りに帰ったことに対し感謝の意を伝え、

「有難う、2学期が始まるまで借りますよ。」「OK。わかりました。」で二人の心が通い合った。

 

授業本番前、彼に出しておいた12個の分銅クイズに挑戦することにしたが、「これはムリ、ワカリマセン。」と万歳宣言をしてきた。

しかたない、そういうことならば、Dクンから私に出されていた別の問題、「囚人の帽子当てクイズ」の回答をすることにした。

これは、前回彼が黒板に書いて問題を出したときの写真である。            

                                  

クイズ問題は次の通り。囚人A,B,C,Dがいる。かぶっている自分の帽子の色がわからない。帽子の色は赤と白の2色しかなく、2人

ずつが同じ色である。前にいる人の色はわかる。つまりAはBとCの色がわかり、BはCの色がわかり、壁を隔てたDは誰からも、また

誰の色もわからない。この条件から自分の帽子の色が何色かを判断してわかった時点でなるべく早く発表しなさい。その答えが合って

いたら釈放、間違っていたら死罪になるという。しばらくして誰かが発表した。そして釈放されたという。一体それは誰か?

 

二つのことが想定できる。

その1、BとCが同じ色の帽子だったら、Aは自分の帽子の色がDと同じ色であること、かつその色はBやCの色ではない方の色であると

ただちに発表できる。その2、BとCの色が異なっていたとすると、Aは時が過ぎても自分の帽子の色を推測することができない。

従って、Aが逡巡して素早い答えを出さない今回は、上記のその2のケースに相当している場合である。

つまりBは自分とCの帽子の色が異なることを察知し、Bが自分の帽子の色はCとは異なる方の色であると発表できる。したがって答えは

「B」。 この説明を聞いたDクンはすごい、頭いい、と私を褒めたたえてくれた。

 

さて、Dクンに出してあった分銅クイズについては、ホームステー先のうちで兄貴分にあたるHくんに聞いたのかと尋ねたが、

Hクンは忙しくて駄目、自動車の運転免許取得と大学受験勉強で今はクイズどころではなさそうだとのことだった。

問題は次の通り。同じ形をした12個の分銅の中に重いのか軽いのかはわからないが1つだけ他のものと重さの違うものがある。

これを見つけ出す方法を言いなさい。ただし、天秤ばかりは3回まで使うことができる。

もう一度聞いてみても「絶対デキナイ」の一点張り。 しかたない。こうなれば時間の浪費である。 

じゃぁー、と言っておもむろに黒板へ12個の〇印とその上に1~12の数字を書いて説明する。

最初は1,2,3,4の4個と5,6,7,8の4個を量る、とそう言いながら秤へ4個ずつ乗せる図を示すと、

あっ、わかったと何か閃いた感じでDクンが黒板の前へやってきた。証拠写真を撮る。 (よく見ると、板書の日付は間違っている。8月19日 月が正しい)

                         

この写真や前の写真の下部に見えるのは、Dクンとの日本語授業でよく使っているTablet端末である。この日本語授業で大いに活躍

していて欠かせない。結局、自分でわかったといいながらも彼は幾度やっても次に進まない、進めない。

このクイズの最大のポイントは2回目の計測方法にあるのだが、その複雑な組合せに混乱、見当がつかぬ様子である。

「わからない、教えて」が再び出てきたところで一気に正解を図示して見せた。

 

 2回目は4,5,6の3個と7、8、9の3個を量ればよい。 ここがポイントである。要点は最初に量った一組の4個の全部を2回目で

別々にして使い切る点である。この部屋にはなかった色つきの白墨を別の教室から持ってきて、4,5,6を色つき白墨で囲み、別の

7,8,9もまた色つき白墨で囲んで見せる。この図をパターンとして覚えれば記憶に残る。写真のようになる。

                                  

その後の経過の詳細は省略するが、Dクンにしてみれば、すらすらと説明する私に向かって最後、「A先生は天才だ」と唸っていた。

ところで、いつまでたっても彼が一向にこの図を紙に書き残そうとしない。記録するよう助言しても「はい、頭の中」と言うだけで反応

しない。書くと言う習慣自体、希薄なのだきっと。北欧ではパソコン学習が普及していて書くよりも画面でという行動習性が強いせいか

もしれない。君がスウェーデンへ帰る頃またこのクイズを出すから、その時までは忘れないように、と言ってこの件、幕とする。

 

本題の「みんなの日本語初級1」10課を始める。

前回学習した新出語を絵カードで確認。「箱」「棚」「奥」などが十分には記憶されてなかった。が、ほかの語は円滑に言える。

10課はさらっと流しても問題なさそうである。そこで、10課のメーンである次の文型、

(1). 「N(place) N います」(きょうしつに Dクンが います。)と

(2). 「N N(place) います」(Dクンは きょうしつに います。)を黒板へ書いて説明に入る。

私がこれを携帯で撮ったのを見ていたDクンも同じようにi-PHONへ写真し始めた。 

書いたものを写真に撮っておくというこういう覚えさせ方もありだな、とふと開眼した思いがその時した。

                                             

 この二つの文型を比較して、重要な点が2つある。

(1)の文について言うと、  「が」の前のNがSubject(主語・主格)であるという点、

(2)の文では、 NがSubjectを表す「が」ではなく、Topicを表す「は」を伴うという点、

である。 更に言えば、Topicの「は」で表される事柄は話し手、聞き手の両者がともに知っている事柄だという点も大切である。

 

黒板に書いたこの文型についてDクンから質問が出た。

場所を表すときは「に」じゃなく「で」じゃありませんか? 初期学習者としてもっともな内容である。

近頃ちょくちょく彼の口からこの種の質問が出てくるようになったのは、

それだけ何か日本語の中味に対して比較すべき対象語が彼の頭に浮かんでいるという心証発露の証しであり進歩の度合いが見て取れる。

 

「教室 Dクンが います」「Dクンは 教室 います。」でもいいのかと。

これらは、母国語としての日本語に慣れている我々にすればすぐ間違いであることが直感的にわかる。

ここで必要なのはどうしてそういう使い方はしないのか、ということを彼に説明し納得させることだ。

そこで活用したのが自作のプリントである。こういう時のために使える筈だと以前6課の学習の折り、

「N(place) V」(駅 新聞を 買います)という文型を説明する教材として、

「みんなの日本語初級1」の1課~25課に出てくる全ての「に、へ、で、を」の4つの助詞について整理して作ったプリントである。

もちろんその時Dクンにも、いつか使えるはずだ、大切にとっておくようにと手渡しておいた。

彼の手持ちファイルの中にあったこのプリントを使って、同じ「Place」のことを言うにしても、

動作の場所の「で」と、存在の場所の「に」とは使う文によって区別しなけらばならないことを例文とともに説明した。

彼も半分くらい納得したような表情をして「そうか」とか言っていたから、何かが違うんだなという感覚くらいは芽生えたことだろう。

 

エクセルで作成してあるこのプリントをここへコピーしておこう。罫線など出ないかもしれないが内容は把握できる筈である。

<colgroup> <col width="25" /> <col width="33" /> <col width="22" /> <col span="3" width="21" /> <col width="144" /> <col width="219" /> <col width="198" /></colgroup>
みんなの日本語初級1(分冊)にでてくる「に・へ・で・を」  
                2013.6.6あがた
page sentence pattern れいぶん/example sentences せつめい/explanation
4 35       N(time)+に+V 6じ半におきます。 ときの「に」。numeral
              日曜日(に)べんきょうしました。 曜日のときはどちらでもよい
5 40       N(place)+へ+V 日本へいきます。 ばしょの「へ」。
              うちへかえります。 direction(ほうこう)
5 40       N(vehicle)+で+V バスできました。。 こうつうしゅだんの「で」。
              あるいてかえります。 a means of transportation
6 46       N+を+V(transitive) ジュースをのみます。 たどうしの「を」。
              サッカーをします。 Transitive verb
6         N(person)+に なつめせんせいにあいます。 じどうし。(たどうしではない)
              +V(あいます) ダヴィッドにあいます。 intransitive verb
6 47       N(place)+で+V えきでしんぶんんをかいます。 どうさのばしょ。「で」。
              にわでしゃしんをとります。 the place wher an action
              ここであそびます。 occurs
              うちでごはんをたべます。  
7 52       N(tool)+で+V はしでごはんをたべます。 どうぐの「で」。
              ハサミでかみをきります。
            N(means)+で+V 日本ごでレポートをかきました。 ほうほうの「で」
7 52       N(person)+に せんせいにはなをあげます。 あげますの「に」。
              +を+V(あげます) あのひとに本をかしました。 V:あげます、かします、
              かれに日本ごをおしえます。 おしえます、---
7 53       N(person)+に せんせいにはなをもらいました。 もらいますの「に」。
              +を+V(もらいます) あのひとに本をかりました。 V:もらいます、かります、
              かれにスウェーデンごをならいます。 ならいます、---
10 70       (place)+に へやにつくえがあります。 そんざいのばしょ。「に」。
              +N+が+あります ここに本があります。 あります、いますの「に」。
              +N+が+います ここにいぬがいます。 existence or presence
              うちにおかあさんがいます。  
10 70       +は+N(place) つくえはへやにあります。 N is the topic
              +に+あります 本はここにあります。 そんざいのばしょ。「に」。
             +に+います  いぬはここにいます。 existence or presence
              おかあさんはうちにいます。  
11 77       Quantifier(preiod) 1か月に2回えいがをみます。 きかんの「に」。
              +に+○回+V 1週間に2回日本ごをならいます。 how often
13 89     N(place)+へ 東京へえいがをみにいきます。 もくてきの「に」。
             +(Vます-form)/N コンビニへかいものにいきます。 purpose or action
             +に+V ・京都のおまつりにいきます。 ・イヴェントの「に」。
              ・コンサートにいきます。 ・festival or concert
13 89       N+に+V あのレストランにはいりましょう。 きちゃくてんの「に」
              (V:はいります、のります、--) にmarks the goal
13 89       N+を+V 7じにうちをでます。 きてんの「を」
              (V:でます、おります、---) をmarks the starting point
16 106       Bitmap Bitmap
N/な-adj{な}+で、~
京都はしずかできれいなまちです。 「~です」+「~です」=~で~
              Agataは日本人でせんせいです。 joining noun or な-adj
              ×このへやはせまくてきれいです。 せまいですがきれいです。
21 137       (place)+で 東京でサッカーのしあいがあります。 イヴェントの「で」。
              +N+が+あります 日本で大きなじしんがありました。 N:event(concert、festival、
              あした京都でおまつりがあります。 incident、disaster、---)
21 137       N(occasion)+で かいぎでいけんをいいました。 on a some occasion
              じしんで父がなくなりました。  
23 149       N(place)+を+V こうえんをさんぽします。 いどうどうし。
            :verb of movement みちをわたります。 じどうし。(たどうしではない)
              こうさてんをまがります。 intransitive verb
                 
                 

このプリントは6課学習の折り、自分で作成したものである。

他にもこれらの助詞の違いを説明した既成資料は種々あるが、「みんなの日本語初級1」全科をこのように比較列挙したものはない。

 

さて、もちろんDクンはすでに「(生物)がいます」「(無生物)があります」の区別は知っている。

しかしここで面白い質問が来た。「花」についてである。

花が、います、ですか? 花があります、ですか?」という彼なりの疑問である。

 「花がいます、とは言いません。花があります、です。」と言うと「でも、花は生きてるね」とさらに一言。

分冊P70を開いて英語で説明しても不満顔はうっすらと残っている。

彼にしてみればこの区別は解っているであろう、が、敢えて質問するのは、自分はこういう質問ができるんだ、できるようになったんだ、

という自覚とそれを知ってもらいたいという自己欲求の発露からではないかと受止め、その成長ぶりに気が付いた時何やら嬉しかった。

 

こうなると「じゃ、います、あります、をスウェーデン語でいうとどうなるの」と、その実態を知りたくなってくる。

「そこに花があります、をスウェーデン語で言ってください。」

スウェーデン語で発音する機会を求められると彼はいつも快く引き受けてくれる。

このときも間違いなく彼は二つほどの文をスウェーデン語で言ってくれた。二回ほど繰り返し発音してもらったが残念ながら理解不能。

スウェーデン語を聞き取るのは甚だ難しい。いつもそうだがスウェーデン語は喉と息の調整の様子を聞きこなせないとわからない。

 

結果的には、スウェーデン語には大雑把に言って「います/あります」の区別は英語同様なさそうである。

「いいじゃない、あってもなくても---。」というDクンの捨てぜりふ的な最後の言葉使いから、

日本語には言い方に区別があってスウェーデン語にはない、ということについて言語的に卑下されていると感じたのかしらん、

いやそういう面倒な日本語を逆に見下げたのかしらん、などと無駄な詮索をしてしまうそのときの私であった。

 

この課に「近く」(駅の近くにあります)(駅の近くです)が新出語で出てくる。12課の進出語「近い」(い形容詞)の連用形である。

この課の「近く」の用法は形容詞連用形から転成した名詞と考えられ、(近く再開します)のような副詞的用法とは異なっている。

形容詞連用形の活用の作り方は44課で学習する筈である。ここではそういう文法的なことには触れず一つの新出語彙としてのみ扱っ

ていくことに注意した方がよさそうだ。同じような例「早く」が9課にもあった。

 

(など)」(古い手紙写真などがあります)の文型は、沢山あるものの中から代表的なもの2~3点取り出して言うことを、

「~と~と~」と比較して説明した。が、そんなことはもう知ってるよ、と言わんばかりの彼の表情であった。

 

最後に、分冊70ページの項目1と3のすべてを、とりあえず書いてある英語で説明する。

「が」で「Subject」を表し「は」で「Topic」を表すという点に力点を入れて読んでみる。

3項の説明文中にある「Topic」は話し手と聞き手の双方が知っている事柄であるという部分は2回大きな声で読んだ。

そのイメージを彼がつかんでくれたかどうか、それを知るには時間を待てばよいかもしれない、いずれ質問でもあればシメタものである。

 

休憩時間に尋ねてみた。

日本にいる間に最も行きたいと思っている所は?この問いに対して出てきた都市の一つはやはり東京である。

YFU東京の仲間と会って親善を深めることや世界に冠たる混沌としたビッグ・シティーTOKYOを実感すること、

複雑な地下鉄などの交通機関を体験すること、などとこちらから一方的に実例を出しながら聞いてみたが、何かピントが外れている。

そして結局彼の方からみた中の最大の関心事は、日本のアニメへの強い共感心であることがわかった。

 

東京では「スタジオ・ジプリ」へ行きたい、と本気モードで語ったのが印象的である。

そのとき出た話題は、宮崎駿に代表されるスタジオ・ジプリ作品の数々である。

「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「ハウルの動く城」「紅の豚」などなど

 これらの中で私が思い出せない或いはその場で言えない作品名があると「うそーっ」とDクンが体を揺らし驚いて叫ぶのである。

現代日本文化の源泉はアニメにある。この感覚は勿論のこと北欧にも行き亘っている。 

今や、日本にいる彼にとって目下放映中のアニメ、「進撃の巨人」は重大な意味をもっているのだ。

 

話変わって、Dクンが現在知っている日本の都市の名前はどことどこですか?

「東京、京都、新城、豊川、豊橋、豊田、大阪、神戸、奈良、名古屋、広島、福島」それに加え地名として「北海道、箱根、愛知、沖縄」

などの名が挙がる。これらのうちスウェーデンに居たとき既に知っていたのは「東京、京都、新城、大阪、沖縄」の5つの地名だと言う。

逆にスウェーデンで知っている地名は何かとDクンから問われたが、ストックホルム、ウプサラの2つを口に出すのがやっとであった。

私にとってスウェーデンと言う国がいかにも遠い国であることを改めて実感した瞬間である。

 

そう言えば面白いことがあった、とDクンが地名話題の中で突然言い始めたことがある。

ホームステー先のお母さんと京都へ行った話は先日聞いた。その帰り、駅で見た光景についてである。

 京都駅から名古屋方面へ帰るとき、どこかの駅で電車を乗り換えた。米原か名古屋であろうか。

乗り換えるべき電車の到来を人々がプラットホームでじーっと待っている。

と、ついにその新しい電車がやって来た、その瞬間、どっと雪崩をうったように座席の奪い合いが始まったではないか。

席にありつけた者は安堵して大喜び「やったぁー。」、席を勝ち取れなかった者はがっくりと残念無念、しょんぼり。

この瞬間の凄まじい群れの乱れと陣取り合戦の光景は決してスウェーデンでは「ありえない」と、身振り手振りを混ぜやや大げさに

語ってくれた。そうか、こういう光景が北欧人の彼にすると「びっくり日本・七不思議」なのだ。

 それはきっと人口の数からくる競争心の差や躾に対する恥じらいの文化の差なのであろう。心理的に日本人は身近な損得に関して

静寂ではいられないのだ。いずれにしてもその時の一瞬の凄まじさは異様であって彼は大変サプライズしたようである。

 

今日もあっという間に授業終了の3時10分となる。

宿題として「書いて覚える文型練習帳」と「標準問題集」の中から9課と10課分を与える。

「宿題」と書いたメモと数枚のプリントを入れた透明なセロファン袋を手渡す。

 と同時に新しい別のクイズはどうかと尋ねたところ、「やりたい」との返事があった。

時間を若干過ぎたが黒板に絵をかいてクイズ問題を下記の通り説明した。

 

「1時間で燃え尽きる香取り線香を二つ使って15分という時間を作り出すにはどうするか、ただし、線香を壊してはいけない。」

実はこのクイズ問題、先日のお盆の時新城にやって来た姪の裕子さんの二男で早大4年生の大気くんから私に出されたクイズである。 

                   

 Dクン、私の指示により黒板の渦巻き絵をノートに写しながら描いていたが、面白いことがわかった。

蚊取り線香の渦巻きを丸く上手に描けないのだ。いびつである。

歪んでも何でもいい、Dクンが自分で描いた2つの曲線を蚊取り線香だと認識できれば問題はない。

しばらくその場で考えていたDクン、線香に目盛をつければいい、とか15分のところで折ればいいとか、フツーの質問をしてきた。

その内容から類推するに問題の主旨が伝わっていないような気もしないではなかった。

念のためヒントとして、2時間はどうやれば測れるか、を解説したが、時すでに遅く時計を気にして帰って行きたい素振りをし始めた。

 このクイズもはやりネットでみることができる。

http://quiz-monkey.net/q50.html#q3

 

クイズの本当の意味を理解したかどうか疑問のまま「See you again.」

 「Have a nice DAY till next time.」

「ありがとう」と、Dクン、返礼を言いつつ部屋を出て行った。

 

 


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (4) ~にほん語授業安請け合いの巻き~

2013-05-01 | 日本語授業

              

'13. 5. 1 (水)

 4月からの放送大学学習計画を大きく変更せざるを得ないような重大事態にみまわれていて日々若干焦り気味の時が過ぎている。

この春、県立S城東高校へやってきた一人の男子留学生に4月から「にほんご」を教えてくれないかという依頼が2月の初め頃あった。

そのとき、いとも簡単にOKサインをだしてしまったのである。

週に一時間ほどでいいからという言葉は、ときの私を「なんとかなりそうだ」という安易な心境に至らしめた殺し文句であった、

今にして思うと---。

 

3月に入りそろそろ準備を初めてみようかなと、にほんご授業のテキストとして使いたい「みんなの日本語」を久しぶりに開いてみて

愕然とした。

日本語教師養成講座を受講してから3年ほどが経過していてその時の内容をろくに覚えていない。

これじゃダメだと、岡崎にいるその時の仲間で現役日本語教師二人を訪問。

相談にのってもらい教室現場でのノウハウのうわべを教えてもらったり、 卓上型にできるタブレットを近くのドコモショップで購入。

その操作方法がわからず店と自宅とを幾度となく行ったり来たりと手間取ったり、時間外にはドコモの問い合わせ番号に電話して

どう説明すれば相手に理解してもらえるかさえわからないような質問までしたり、持ち運びしやすいタブレットケースを求めサンプル

で探し当てた種類の異なる品をアマゾンへ2回も注文したり、

タブレット本体へ「みんなの日本語」のCDを取り込んだり、(このノウハウを会得するのに数日かかった)

タブレット画面に透明な特殊用紙を貼り付けて画面を傷から防ぐのに何回もやり直したり、

アマゾンに「みんなの日本語」関係の種々の教材を幾度も注文したり、

同じ教材が送られてきて返品手続きをしたり、しているうち

 瞬く間に3月が過ぎてしまった。

 

教案作成という本来的行為の周りをうろたえながら巡回しているだけのような気がしてならない。

なかなか準備作業の中心へ入っていけず、心のどこかに浮遊していた「そこへ行きたがらない」精神状態を今更ながら後悔し始

めると、心中穏やかではなくなってくる。

 頭の一部が痛くなったり、首が妙に凝ったりし始めたのもこの頃からである。 あきらかに確信的な準備が行えていない。

もうこの話は断ろうと思うこともあった。

なにかまだやってないことがある、もう少しもう少しと漂流しているうちに取り返しのつかぬ4月になっていた。

 

4月からは放送大学の新学期もスタートする。

申請した8科目の教科書は既に手元に届いているし面接授業のスケジュールも決まっている。

何よりも1期分の学費約10万円はすでに納めてあるのだ。

7月の終わりまでに8科目達成を目指したいのだが、こうなると目の前に迫りくるにほんご授業のほうを優先せざるをえない。

したがっていまだに1科目も教科書を開いてない。

4月が終わったこの時期、今までなら2~3科目くらいは一通り終了しているはずなのに。

このことも大きな心の負担となってのしかかっている。

こんな状態が続く焦りの中で「教案なんかなくてもいいや」という逃げ口上を心の中で呟くこともあった。

 

しかし実際には教案なしの授業は考えられない。

意を決して自分なりの教案を作成し始めたのが最初の授業が始まる4月11日の前日であり、完成したのは辛くも授業当日の

午前中であった。

授業は午後からスタートした。

 

最初の授業で彼のにほんごレベルを知ることは大切なことである。

そのためにも彼との絆づくりを初回のテーマとした。

先ず私の自宅をタブレット端末のグーグル地図で導き出し紹介。

そのあと彼の母国にある自宅を探索してもらうなどして交流の手がかりとした。

すぐに両手を使ってグーグルの地図から拡大された母国の「うち」を探し出し緑豊かな環境の中に佇む住宅街の一角を彼が

指差ししてくれた。

以降、この日は予定の3時間を更に一時間延ばし計4時間となったにほんごの授業を12時40分、チャイムとともに無事終了。

すっきりした気分であった。

教案のあるおかげで落ち着いた気持ちでにほんご教師として振る舞うことができ、先行きのペース配分など若干の光明が

見えてきた。

 

3回目の日の授業の終わり、

週1回の「にほんご授業」だけでは彼の高校生活が満足のゆくものとして確立していくという気がせず英語で、聞いてみた。

「にほんご授業は週に1回と2回、どちらがいいか」と---、即座に「2回」との返事が来た。

学校側にも打診してこれから夏休みまでは月曜日と金曜日の午後2時限つまり週に2回計4時間のにほんご授業を持つ

ことにした。

さらに教案づくりが忙しくなりそうだ。当初、安易にイメージした週に1時間でいいという内容とは程遠い。

ボランティアの域を乗り越えているような感じがしてならないが、ここは真剣勝負。

深入りし過ぎて返って生徒の思いとかけ離れていくようなことだけは避けなければならぬと心に誓う。

 

ここまでくると、ますます放送大学から遠ざかっていかざるを得ない。

今期は放送大学8科目を受講する計画であったが、こうなれば仕方ない。

1期つまり半年分の8科目を2期一年かけてやり遂げるように計画変更するしかあるまい。

約10万円の講義料を目的も果たさず放り投げるわけにもいかないではないか。

ところで、

こうして半年学期を延期するということは目標に掲げた70歳のうちに卒業するという夢を諦めよということでもある。

あーぁ、これはよもやの大幅な計画変更である。(残念)

 

しかし---よくよく考えてもみればこんな状態のまま本当にこの一年間で8科目も完遂できるだろうか。

期の中間に存在する「通信指導」提出期限は5月13日(月)~6月4日(火)と目前に迫っている。

にもかかわらず一科目たりともテキストに手がついていない現状。

その上、放送大学今期の単位修得試験は7月末であり、2期目のそれは1月末だ。

それぞれ約一週間試験日が連続するその場所は名古屋であり、通うのにそれ相応の時間も必要である。

一方、

彼とのにほんご授業は来年の1月中旬まで。

にほんご授業と放送大学、両者の時期が重なり合ってしまい、どちらか一方に重点をおかざるを得ないという感が

強くなってきた。

 

にほんご授業の教案作り、時間が少なくて済む何か奇策でもあればと思うが、今は自分流でとにかくやるしかない。

他の方法は思いつかない。

ワードでまとめて作る1課あたりの教案作成時間は現在のところ4~5時間かかる。

その上、

5月より14名からなる地域のT永神社・氏子総代会・副会長にもなり、これもまた重責である。

副会長は、特にT永神社関係のあらゆる神事に際し典礼として儀式の司会をする立場にあり、

その場合、間違った司会とならぬよう各種台本が必要になってくる。とともに、立場上安易に休むことができない。

また、

5月の半ばより隔週とはいえ水曜日の夜7時から2時間S城国際交流協会主催の「にほんごひろば」ボランティア

活動が待っている。

 

いつまでたっても気の休まる時がない。 本音は、いっぱいいっぱいである。

墓穴を掘ってしまうような隙間のない(心に余裕のない)生活体系を自ら作リあげている気がしないわけでもない。

さてさて、こんな状態をこれから一年間も続けられるであろうか。

もうこれ以上,少なくともあと一年は、「頼まれごとの安請け合い」は禁物である。


OUJ(放送大学)の旅・心理学探究 (3) ~これまでの2年間、これからの2年間~

2013-02-18 | 放送大学(OUJ)

   

'13.2.18(月)朝のうち雨

現在、外飼い雑種7歳の雌犬1匹と5歳になる黒色の雌猫1匹そして薄黒茶の雉ブチで9か月に近い雌猫1匹を我が家で飼っている。
いや、一緒に住んでいる。
猫はどちらも、先にいた犬の散歩途中で野に捨てられていたのを可愛そうに思った妻がその時々上衣のポケットに入れて拾ってきた。

ところで、
今年の春がやってくると我がOUJ生活も4年計画の半分、丁度2年間が過ぎたことになる。
これまでの2年間、これからの2年間について少しまとまって見つめてみよう。

毎年2月と3月そして8月と9月、それぞれこの2か月間はOUJの学生にとって学期の狭間、世間でいう春休みと夏休みになる。
この長期休暇期間中の気分は、学習的生活環境からややのんびり生活環境へと変わって心に余裕が生まれ、したがって例えば豊川
や豊橋のシネマコンプレックスへ出向き好きな映画を連続鑑賞したいと思うような心境になってきたりする。
今こうして久しぶりにブログを開いたりするのもそういうわけだからである。

つい先だってユナイテッドシネマ豊橋で観た映画はいずれも秀作であり、今でも余韻が流れなかなか心から消えそうにない。
ライフ オブ パイ~トラと漂流した227日~」---3D驚異の映像である。ジャングルに消えていく虎の姿が忘れられない。
ゼロ ダーク サーティ」---追い詰めていく緊張感がどこまでも途切れない。ゼロ・ダーク・サーティとは軍隊用語で午前0時半。
東京家族」---いわずと知れた小津安二郎作品の近代版だと軽率であってなはならない。湧きいずるほのぼの心情は自然の極みで
ある。
いずれまたこれら3作品の映画評でも記しておきたいものだ。

この長期休暇直前の月、7月と1月の月末1週間、OUJの学生にとっては大きな山場を迎えることとなり集中度が高まる。
この期間全国に点在するOUJ各学習センターにおいて科目ごとに行われる単位認定試験に合格して初めて単位の修得がなされる
からである。

68歳の私にしてみれば、登録全科目を半年で学習してしまいたいという自主目標を意識することで普段の生活にリズムが生まれ、
また単位認定試験に臨み合格するという最終ターゲットへの自己効力感が何らかの精神的刺激になっているということをこの2年
間感じ続けてきた。

しかしそうは言うもののそこは自由で柔軟なOUJ、単位登録したからと言って必ずしもその学期で合格しなければならないとい
うことではなく、科目登録学期の試験が不合格だった場合はその次の学期に同科目の試験を受験することも可能なのである。
一学期の単位は半年である、つまり同一科目を一年ニ学期間に亘って学習するというスタイルを時に考慮することもできる柔軟な
システムなのだ。

さて、
この2年間つまり4学期に亘り、放送授業29科目(58単位)と面接授業12科目(12単位)の合計70単位を修得した。
卒業必要条件である修得合計単位数124単位を4年間で達成しようという当初計画からいえばほぼ予定通りに推移している。

参考までにこの2年間で履修しかつ単位修得しえた全科目を以下に記してみる。
因みに私のOUJ学習基地は愛知学習センターであり場所は中京大学キャンパス内にある。自宅から新幹線を使っても約2時間余
りかかり、センターを訪問(とても通学とはいえない)する回数は、面接授業や単位認定試験時などかなり限定的である。

1)2011(H23)1学期
 ★放送授業
 1.歴史と人間('08)
 2.社会心理学の基礎と応用('08)
 3.人類の歴史・地球の現在('07)
 4.心理学入門('06)
 5.発達心理学概論('11)
 6.運動と健康('09)
 ★面接授業
 1.中国語ワールドへようこそ
 2.摩訶不思議の物理学
 3.開発途上国の農業と未来

2)2011(H23)2学期
 ★放送授業
 1.教育心理学概論('09)
 2.人格心理学('09)
 3.こころとからだ('07)
 4.身近な統計('07)
 5.中国語入門Ⅰ('10)
 6.記憶の心理学('08)
 7.心理学研究法('08)
 8.乳幼児・児童の心理臨床('11)
 ★面接授業
 1.セクシュアリティの社会学
 2.心理学入門・心と行動の科学
 3.社会心理学実習

3)2012(H24)1学期 
 ★放送授業
 1.認知科学の展開('08)
 2.心と健康の病理('08)
 3.思春期・青年期の心理臨床('09)
 4.心理学史('10)
 5.心理統計法('11)
 6.乳幼児心理学('12)
 7.心理臨床とイメージ('10)
 ★面接授業
 1.臨床心理学実習
 2.データは語る~確率・統計入門~
 3.子どもの心理

4)2012(H24)2学期
  ★放送授業
 1.教育と心理の巨人たち('10)
 2.心理臨床の基礎('08)
 3.英語購読('08)
 4.授業研究と学習過程('10)
 5.心理カウンセリング序説('09)
 6.交通心理学('12)
 7.認知神経科学('12)
 8.スクールカウンセリング('10)
 ★面接授業
 1.心理学実験3(OUJ京都学習センターにて受講)
 2.英語で学ぶ世界の現代社会問題
 3.現代社会と生涯学習

~これまでの2年間~
・OUJ学習を開始した2011(平成23)年度は丁度居住S城市内にあるT永神社氏子総代役を勤め始めたのと同じ時期であった。
 旧S城市内7区域より2名づつ計14名の氏子総代が人選されそれに宮司1名と事務員1名を合わせてT永神社の運営が図られる。

 毎月1日に執り行われる月次祭(つきなみさい)はもとより就役前の予測をはるかに上回る多くのお勤め的使役労働をベースとした
 奉仕活動や文化的歴史的行事が一年を通じて存在し、OUJ学習との時間的バランスを考慮せざるを得なかった。

 
 氏子総代の任期は原則3年である。現在2年経過したからあと1年即ち今年度1年は継続せざるを得ない。
 OUJ4年卒業という自主目標のその4年目は来年度である。卒業年度で忙しくなるであろう来年度にこの役の任期がかからないの
 がせめてもの救いだと思って、今年一年最後のお勤めを過ごすしかあるまい。

 私の場合なりたくて氏子総代になったわけではないし正直なところ私の敬神崇祖の気持ちはむしろほかの人々に比べて低いといって
 差支ない。4年前自宅エリアであるI船地区区長を任期満了で辞する際、地区主要メンバーに集まっていただき作った近未来の氏子
 総代候補条件への該当者がついぞ現れず、2年前不承不承この役を引き受けざるを得ない羽目に立ち至ってしまっただけのことなの
 である。

 とは申せ、引き受けたからにはそれなりにお勤めしなければならないのも世の常であろう。
 神社業務に対し積極的なというより或る種の諦観と地域的義務感からとにかく任期3年間だけはやるしかないと自分に言い聞かせ、
 現在に至っている。その気持ちは何ら変わってはいない。

 積極的でもなくかといって消極的でもなくそれでもお役目の責任はそれなりに果たしつつ何とかやり通すのだ、という余り意欲的と
 は申せない平均的なお勤め態度でこの2年間を過ごさせてもらった。
 ひょっとして周囲の期待から反れるのかもしれないが、要するに氏子総代役は残すところあと1年で済ませたいというのが偽らざる
 私の本音である。流されてはいけない。私にとって人生のタイムリミットなのである。

・今のところ卒業すれば、「認定心理士」の資格が取得できる流れになるよう科目選定を図っている。
 あと2年すれば丁度70歳。この資格取得を内心では目標にしているものの、その後社会に出てこれを有形無形に還元すると
 いうようなことは最早目論んではいないし期待もしていない。全くのところ、これ人生自己満足の範疇である。
 やり残していた人生の忘れもの、一区切りである70歳を目途に改めて再発見。今後の人生環境を巡る新しい視線づくりにしたい。

 
~これからの2年間~
・新しい価値観、心的人生観の目安づくりができるようあと2年、つまり70歳で一区切りつけられるようにすること。
 あと2年でこれを実現するため、卒業に必要な取得単位について少し整理してみると----。

 1.現在合計70単位ある。卒業に必要な124単位までにはあと54単位が必要となる。
 2.そのうち面接授業は計20単位が必須であり、現在12単位取得済であるからあと8単位。今まで一学期三回の面接授業が基本で
  あったことから推測するに、このペースで行けばあと四学期での8単位修得は十分可能な数である。
 3.総合科目の必須単位数は2科目4単位である。今年度2013(H25)2学期に総合科目を2科目選択し登録すればそれで済む。
 4.認定心理士申請に必要な心理学実験などC領域の単位数は計3が必須で、そのうち基本主題が2単位以上必要となっている。
  現在までC領域取得済単位数は基本主題が2単位でクリアー、副次主題が0.5単位取得済であり、これからの2年間で副次主題
  0.5以上取得すれば条件を満たせる。これもなんとかなりそうである。
 5.外国語は計6単位以上が卒業に必須であるが、すでにこれはクリアーしている。
 6.以上の方針をうまくスケジューリングし実行していけば卒業と認定心理士資格申請に必要な単位は取得可能なところとなる。
 7.問題は、「卒業研究」をするかしないかである。
  気持ちの上では、卒業研究に没頭してみたいという思いが強いのだが、この年になって敢えて苦労するに違いない方策を選択する
  のには勇気と覚悟がいる。

  卒業研究は必修ではない。やれば6単位が与えられる。特に卒業研究しなくても計124単位を取得しさえすれば卒業できるのだ。
  しかし、教授と膝突き合わせて研究できるチャンスは今やここでしか経験できないと思うと、捨て切るのはいかにも勿体ない。
  

  卒業研究を選択するには特別な準備が必要である。
  その1.一つは2年次終了までに62単位修得済みであること。これは現在70単位修得できておりOKである。
  その2.更に卒業研究履修の前年度つまり今年H25年度、卒業研究申請書の審査にて履修が認められることが必要なのである。

  この事前申請書審査が勝負の分かれ目となりそうである。しかも提出期限が8月下旬とかなり早い。
  7月の初めはT永神社の「祇園祭」があって氏子総代全員がこれにかかりきりとなる。また7月下旬には8科目の単位認定試験が
  集中的にあり、実質7月はこの2行事で手一杯となること必至である。要するに卒業研究のための事前申請書作成に関して言えば
  7月をあてにはできぬのである。

  次の2項目をクリアーできるスケジュールが今年可能ならば来年「卒業研究」に挑戦すると、早いうちに決断しなければならない。
  ◎6月1日~7月20日までに「卒業研究相談票及び質問票」(テーマの決定等について)を提出。
  ◎8月15日~8月27日頃までに「卒業研究相談票及び質問票」(事前学習の進め方等について)と「卒業研究申請書」を提出。

以上
我がOUJ生活、これまでの2年間、これからの2年間についての考慮事項を記してみた。
こうして落ち着いて整理してみると何かが見えてくるものだ。

夜8時、風呂に入る。