Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

忘れる

2008年01月29日 | 舞台特に演劇
●7時起床。所用を済ませに家を出る間にこれを書いている。恐ろしいことに昨日、いつ寝たか覚えていない。目を覚まして、整然と布団をかぶって寝ていた自分に気付いてびっくりしたのだから症状は重いといえるかもしれない。4時半にも1度起きたことはぼんやり思い出した。しかしはじめが…。昨日の「アクセス」のオープニングは聞いた覚えがあるが、バトルトークのテーマが思い出せないので多分、こと切れたのはそのあたりだと推察するのだが。
○3、4月に「潜水生活」ができないかと日程を調整している。仕事の忙しさに拍車がかかる前にとは考えているが、なかなか難しい。バージョンを変えてということで、会場を変更することも考えなきゃいけない。イタル・カルヴィーノの「くもの巣の小道」とあと1つ。連続企画として「園芸家12ヶ月」も読むだろう。ゲストは呼ぶか、呼ばないか。課題は多い。
※その次は実は6月と決まっていて、その時のゲストは既に決まっており、こちらも具体的に進めねばならない。「その歳になって、また新しいこと始めたんだって。よくやるねえ」と最近結婚が決まった古い友人に言われた。1つ反論をするとすれば、新しいことではなくて、今までにやっていたことの順番を変えたに過ぎない。結局、僕は「読む」ことに戻っていくのだ。

ここ1週間

2008年01月28日 | ヨミモノ・キキモノ・ミモノ
☆年末年始からの疲れが出たようで、ウェブログも書くのを控え、稽古も控え、しまいにはひどい鼻炎になってしまい、久々「プコール」のお世話になってしまった。週末は外出も控え、ひたすら体力の恢復に努める。ずいぶん睡眠時間が長かった2日間。
★心の栄養が足りなかったという面も大いにある。最近読んだ本といっても教育関係ばっかりだし、内閣府規制改革・民間解放推進会議の専門委員であらせられた戸田忠雄という人の「学校は誰のものか」(講談社現代新書)という箸にも棒にもかからない本は、きっとあれだ。しなびた野菜を誤って食べてしまったというところだろう。学校教育は統治の一側面であることを知っていてこういう御本を書かれるのなら不親切な読み物だなあで済む。分かっていてこの人はこういうことを書かれているのだなあとも合点がいくのだ。
●しかし、義務教育の小・中学校と高等学校すら分類せず(元・長野県の高校の校長さんという経歴だそうだが)論じる粗雑な書き方からしてもそうだが、ご自身の体験から発した論考のみで、現在の学校教育の状況をカバーできるとは思われない方がいいと申し上げたい。観念が観念のままで実効性なく終わる教育改革は確かに拒否すべきだが。それと、足立区の学力テスト結果を反映した予算配分がマスコミの反対にあったことを苦々しく書かれているが、その翌年、実際に行われたテストの際に足立区の小学校で行われたことに対するコメントを是非頂きたいものだ。全体として、おらおら、俺たちの方に正義があるんだぜという、いかにも元・教員の書いた本だという読後感。ところどころ納得できるくだりもあるだけに、ねえ…。
※そんなこんな考えていたら随分と気力も充填してきたように感じる。やはり、考えて、怒っていた方がいいのかもと思う。あと、藤井誠二や石井政之のブログをじーっと読む。石井さんにCD預かったまま12年になるのか。うむ。

後夜

2008年01月19日 | 朗読・声の周辺
★大きな山も無事、越えることができた。ひとつの事実としては小さくとも。仕事といえば仕事の中の一範疇なのだが、得難い達成感がある3時間余りだった。
○とはいっても、流れ的にそれだけで終わりになるはずもなく、いつものところでいつもの通り打ち上がる。で、いつものごとく帰ったら午前2時。掛け布団がもう1枚欲しいと思った。
■転機はもうすぐやってくるかもしれないと思った夜。でも、結局まだ内田樹さんの本はおろか、それより前に買った何冊もまだ積んだまま。どちらにしても、やれることは全部やって行くのが2008年のアティチュードである。
※しかし、実家も寒い。

前夜

2008年01月17日 | 朗読・声の周辺
☆一日の終わりに書く日記が、なぜか今日は2つある。大きな過去のことを朝は思い出したから、小さな過去をまとめたい。
●午前中からひたすらOA関係のトラブルシューティングで暮れる。そのほとんどが他愛もない話だが、裏を返せばそれだけインフラが遅れているということでもある。徐々にではあるが取り戻していくし、実際その流れはできているので心配していない。
◎かき玉汁で昼食の後も、続き。ごく短時間で自分の席にもどれはしたが、身体は夕方まで落ち着かなかった。日もとっぷり暮れてから、本来業務に移行する。そんなこんなで、21時退勤。蕎麦ののち「アクセス」。職場のことを思い出すテーマ設定なので早々にボリュームを落として稽古、稽古。今やっていることを、何か大きな結果を得るための「前夜」にしたい。カッコ付けて言うなら、と考えたが言葉が上手く出なかった。夜明け前が一番暗いとか、例えばそういうニュアンス。非才。


Da-min'

2008年01月17日 | 日々の雑感
※久しぶりに朝にエントリを書いている。と、いうのもここ2、3日眠気を感じてから床に入ってしまうまでのスピードが異常に早くなっているという現実がある。昨年中は都合が積もり積もっての疲労がたまっていたからという理由が立ったし、実際自分はそう思っていたのだが、どうやら別の原因ということになりそうだ。それは書くと本当のことになってしまうので、ここでは言わないでおく。でも、まだ32なんだけれども。
◎16日から17日。やはり阪神・淡路大震災のことが頭に浮かぶと、時間の流れがふっと止まる。やはり、今年もそうだった。
もう13年なのか。

発見する

2008年01月14日 | 朗読・声の周辺
☆9時起床。いろいろ片付けて職場へ出る。成人式らしい光景に10秒ほど出くわす。昼。日進の「う雅亭」のオムライスはおそろしい。どのくらい恐ろしいかと言うと、夕食をほとんど食べなくとも良くなるくらいおそろしい。でも、ありがたいのだが。
★夜、簡単に原稿を仕上げて、稽古。ある発見をする。他人がみていても全く分かってもらえない種類のことだが、こういう事があるからやめられない。

沈入する

2008年01月13日 | 日々の雑感
☆前回のエントリが7日。いつも通りというかやはりというか、どばーっとさまざまな種類の仕事が押し寄せてきて、夜半まで職場を離れない仕事大好き人間を演じてしまった。いくらなんでも始発電車で家に帰るというのはやり過ぎた。ミニストップのワッフルが眩しすぎたのだ。
●正月の緩んだ身体を、小松菜と豆乳とバナナで締め始める術を身につけたのが昨年の収穫。ただし、この季節は代わりに正月菜に代役に仕立てたが、これも意外にいける。バリエーションが増えた。
◎そして今日の収穫は、辻俊彦さんというかたのウェブログ「キャピタリストの視点」と出会ったこと。内容もさることながら、普通なのに何か温かな書き味。こういう文章を書ける人になりたい。懐の深い「師匠」とも言える人が多いことを、もっと幸せを感じるべきなのかもしれない。

始まり

2008年01月07日 | 朗読・声の周辺
☆朝からノンストップで打ち合わせ、会議、打ち合わせと来て、気が付いたら仕事場に自分ひとりきり。22時帰宅。また、はじまったなあと思う。始まったら止まらなかったのがこれまでの行動パターンだったが、なるべくそういう傾向から逃げるつりではある。
●「30代うつ」について少し調べる。本当の病と、単なるわがままの間のどこに位置するのかいまいち分からず。香山リカの「知らずに他人を傷つける人たち」(ベスト新書)を読んでも考え進まず。実体験の印象がまだ強すぎて客観的に見られないのかもしれない。それに比べ「良心を持たない人たちー25人に1人という恐怖」で描かれた「サイコパス」の方が近いのかも、と思う。
☆雨の後の寒さを稽古で和らげる。十二分に暖かくなる。目標は。奥歯歯ぐき下顔筋の鋼鉄化。ウソだけど。

話す聞く黙る

2008年01月05日 | 朗読・声の周辺
〇朝から新幹線で京都の弟夫婦宅。こまごまと相談を済ませる。1歳半過ぎの甥っ子はプラレール、4歳間際の姪っ子はプリキュアを卒業してシルバニアファミリー。共通していることがある。商品単価が割と安い。そう感じるのは、子供の遊びに揺るがない基準を持つ、母親の慧眼のたまものだろう、とたまには身内をほめておく。
●夕刻名古屋に戻り、そのまま駅構内の「ひさだや」。もう何年ぶりかの再会になるか分からない、Fさんと。「バッカスの水族館」の数々の現場で、思えば18、9歳の時分に「面白いこと」の感覚を植え付けてくれた人。思い出は自分の成長に直接役立たないかもしれないが、きっかけとすることはできる。渋谷某所でのイベントの話に強く惹かれる。何かは分からないが楽しいことができるといいな。
◇言葉の重さについて車を取りに行く帰り道に思う。ああ言えば、こう言えば良かったと考えをこねくり回したところで、これは別に何かのきっかけにはならないのでやめる。ばねと同じで、軸を両端から持って伸ばすと、適当な弾力を取り戻す。
だから、そういう時は背筋を伸ばすことにする。

今日のことは今日のうちに

2008年01月04日 | 日々の雑感
●仕事場にて新年の挨拶をしようにも、勤めを始めてから、初の年賀欠礼の正月を迎える。だから最初の一言に若干迷う。一応、喪が明けたのでおめでとうございます、ということなのか、とも思う。
〇ゴミの分別ロボットの声のテスト。距離感、位置付け、もちろんアーティキューレーションは正しいか。と、いうことはいつも終わってから気になる。もっと上手く出来たのではと落ち込む。ただ、しばらくそういう感覚から遠ざかっていたことを思えば、前進か。
□それはそうと、帰宅後沼尾ひろ子さんの記事を見て本当に驚く。しばらく「ブロードキャスタ-」で声を聞いていない週があったなあと思っていたが、まさか脳梗塞とは。そしてそこから快復とは!こうしてはいられない、と独りごちる。