Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

1月の燐光群名古屋公演の

2005年11月29日 | 舞台特に演劇
受け入れ態勢を、本格的に整えよう、という話を、
全く別件で会っていた(はず)のKさんとの間で盛り
上がってしまいました。栄のあるパスタ屋さんでの話。

公式サイトには既に日程だけはアップされています。

燐光群サイト http://www.alles.or.jp/~rinkogun/index.html

'96年、松本サリン事件に関連して、濡れ衣とも言える
警察の捜査と、メディアスクラムを受けたK氏をモデル
にした「甘い生活」以来、ほぼ欠かさず見続けている
自分にとって、昨年の共催取り消し事件(あえてこう言お
う)は、実に重苦しいものを胸に残した。劇作家協会も、
その東海支部が反発しても、いつの間にか忘れ去られて、
今では覚えている名古屋の観客など、二ケタいるかいないか、
の程度ではないだろうか?

どれだけの力になれるかは判らない。受付を手伝うとか、
チラシを先に送ってもらって宣伝に回るとか、そんな程度
では名古屋での集客に好影響が生じるとも思えない。
せいぜい、どこかの掲示板で10文字以下で触れられる
位だろう。

でも、やらねばならないと思う。例え僅かなアクションでも、
良質な表現をより多くのお客様に届ける助けになれば、そこに
多少の価値は生まれるだろう。共催を取り消されたことで、
あらぬ誤解をかの劇団が受けたとするならば、その名誉を挽回
させたいと願う、いち表現者の態度表明と思って頂きたい。

そんな風に今は考えています。

あ、でもそんな風に堅苦しく考えなくとも、単純に
燐光群に興味のある名古屋近郊在住の方、よろしければ
一緒に何かやりませんか?気軽にご連絡、お待ちしてます。


時々、本当に必要なもの

2005年11月27日 | 日々の雑感
それは、睡眠。ヒネリが効いてなくて申し訳ないが、本当に
気持ちよかったのである。今日の昼寝が。

それだけでは余りになんなので、1つだけ。
なにもこれは演劇だけに必要とされるものじゃないが、
「当事者意識」は大切に扱わねばならんなあ、ということだ。

セリフが自分の口から出ている時だけが舞台に立っている時だけ
ではない、という根本的なことすら理解していない役者や、
貼っちゃいけない場所にチラシを貼ろうとして、例えばその空間
の管理者と良好な関係を築いている他団体の、そこでの宣伝活動
に支障をきたしてしまう劇団の制作者には、当事者意識が
欠けているということになるんじゃないだろうか?

自らの行動によって、他に影響を与える可能性がある関係および
状況に自分が置かれていること。たぶん、そうでない局面は
生きている限りはほとんど訪れないという思った方がいいのかも
知れない。もしそのことに気付かない/気付けない人間が
減れば、世の中の犯罪とかも多少は減るのかも…。

役立つかどうかは知りませんが、「インプロ実験室」、
初回は1月20日(土曜日)になりそうです。正式発表は、
来週中にする予定です。

さ、寝よっと。




秘密でない基地で考える「30ー40」

2005年11月23日 | 日々の雑感
komeda1123









大阪に滞在している時には秘密基地があったが、
こっちに帰れば何のことはない、近所のコメダコーヒーで
今後のことをいろいろ考える。

昔いた劇団を辞める時、「30歳になった時どうしていたいか?」
ということを紙に書いた。それを思い返してみると、まだまだ
途上のトの字もおぼつかない不甲斐ない状態であることに気付く。

そこに、箇条書きの一節を見つけた。

・ 自分と自分の仲間が、それぞれが持つスキルを武器に社会と渡り合
って行く方法を、「ライブ活動の継続」以外のスタイルで見つける
ことはできないか?

大切なのは、いかに自分(たち)以外のヒト・モノに対する視点を
定めて、投げ掛け続けて行くかということなのだと思う。それに関して
考えるところは3年前からいささかも変わらないつもりだ。それは、

観客と、スタッフも含めた広い意味での演者の間だけで閉じられがちな
演劇・舞台芸術の世界と、より広い実世間をいかに繋げて行くか?

という風に言い換えることができるだろう。

いろんな価値観が世界に溢れていた方が面白い。そしてその価値観は、
なるべくトンガっていた方がさらに面白い。コントラストに違いが
生じれば生じるほど、1つのキャンバスに並べた時にはポップで
キュートなインスタレーションが出来上がるはずだ。

で、世間という「外」を意識するとは、すなわち自分らの表現を根底
から問い直す作業に入るということだ。単純にプロモーションのため
だけとか、中途半端なレベルでは単に魅力を損なうことにしか繋がらなく
なってしまうだろうと思う。

自戒をこめて。
自分にとってのインプロとは?演劇とは?声とは?読みとは?30代に
入った今のうちに、向こう10年のスパンで暫く考えてみたい。
集中的に。

続きます。
B級遊撃隊を観るのは、この週末にしようと思う。


デス電所と、その翌日の寄合(よりあい)

2005年11月22日 | 舞台特に演劇
土、日と福井-大阪と回って来て、2本の舞台を観た。
1つは高校演劇で、もう1つはデス電所だから、
ひと括りにして書くのは乱暴にも程がある話だ。
しかし、2つ共通していたことがあるに思えた。

1つは、何かを徹底させようとする「覚悟」があった、
ということだ。どこまでも没入して行きたくなる
世界が精華小劇場の舞台にどこまでも広がっていた。
劇場の公式ウェブログには、
「お客さんが楽しむための努力を惜しまない、妥協しない。
まったく持って当たり前のことなのですが、そういう姿勢が
この劇団には溢れています」とのくだりがあるが、
つまりそれこそが、作品とデス電所という劇団を信じられる
存在にしているのだと思う。前回の「散戒」以上に記憶に
残る公演になった。

一方、福井市文化会館には、未熟でも過剰でも調子外れ
でも、かすかな綻(ほころ)びで簡単に崩れてしまう世界が
演劇にあると認識しているからこそ生まれる心地よい緊張感
が、上演中ずっと舞台を支配していたように感じた。
比較の対象にはならない。しかし、十分に熱量を感じること
のできる公演だった。昨日、イベント全体の合評会の中でも、
「ピカ一の出来」であると鈴江俊郎氏が評していたと、土曜日の
同宿人から聞いた。

もう1つは、2つの成果に嫉妬する自分がいたことだった。



月曜日。
2年前の夏に初めて行われた演劇系のイベントを
もう1度やろうということで集まった会議。その3回目。
外部、つまり名古屋以外からの団体及び個人の招聘について
話が及んだとき、どこからか声が上がった。

「別に外から呼んできて、その人たちを観ても何とも思わない」

もちろん、隣の芝生は青いという諺(ことわざ)もあるし、
何でもかんでも招いて演ってもらうのが良い訳じゃない。
「選ぶ」という行為に、センスと責任が問われるからだ。

ただ、何か秀でたものを見聞きして、その出来栄えに感ずる
ことがないという表現者に信頼することができないとも思って
いる。まあ、多分に感覚的なレベルの話に過ぎないのだが。

でも、これもだぶんの話だが、こういう発言がなされたら、
きっぱり断定的に、その人物を判断するべきなんだろうとも
思う。

「だからそういう何故やるかとかの話はいいからさ、早く
決めよ。仮チラシの内容!」

★★

毒づいてしまったことを反省して、自転車で頭を冷やしてきます。


こんなに寒い名古屋にも「ホントに?」

2005年11月19日 | 舞台特に演劇
ここ何日ですっかり名古屋も晩秋です。
いや、自転車通勤の人間にとってはすでに師走です。

少し前のエントリでお知らせした、
西田シャトナーさんの「ホントに?」を上演する企画、いよいよ
加速してきました。公演特設サイトもオープンしました。
うちのサイトよりよっぽどウェブサイトらしい、キュートな
造りになっております。是非一度お立ち寄りを。

実は私も演出助手として「Diary」に登場しております。
トラバっておきます。



寒い寒いと言っているくせに、日付変わって今日の朝からは、
もっと寒い土地へ少し行ってきます。もちろん、芝居絡みで。
携帯から久しぶりに報告を上げることとしましょう!

その時のお伴予定の本は、こんな感じで。

反社会学の不埒な研究報告


儂は舞い降りた―アフガン従軍記〈上〉


儂は舞い上がった―アフガン従軍記〈下〉


サヨナラ、学校化社会