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ラオス大使館フォーラム2023

2023-10-01 14:50:09 | Weblog
*女性大使、女性公使、です。
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           ★「ラオス大使館フォーラム」

    かつてはインドシナの戦火に巻き込まれた。
   ラオスで暮らす人々の心は常に豊かでほほ笑みを絶やさない。

◎主賓:駐日ラオス人民民主共和国 Mrs.フォンサムット・アンラワン大使
      (通訳つき)
◎日時:10月26日(木)18:30~21:00

◎会場:駐日ラオス人民民主共和国大使館

◎主催:NPOアクティブミドル国際協会

◎後援:駐日ラオス人民民主共和国大使館

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かつてはインドシナの戦火に巻き込まれた。
ラオスで暮らす人々の心は常に豊かでほほ笑みを絶やさない。

ルアンパバーン World heritage City Luangprabang
ルアンパバンはランサン王国(1353-1975)の王都で、古くはムアン・スワといい、
その後シェントーン と呼ばれるようになった。カーン川とメコン川の合流地点に
位置する緑豊かな町ルアンパバンは、その 美しいラオスらしい町並みと、歴史的、
文化的遺跡保護の観点から、1995年、ユネスコによって世界 遺産に指定された。
プーシーの丘から町並みが一望でき、ルアンパバン名物でもある夕陽は荘厳だ。

原生林の中を大きく蛇行しながらメコン川は森の国ラオスを1,900kmに
渡って流れる。
全長4,350km、チベット高原に源を発し、次第に水かさを増したメコン川は、
タイ・ラオス南部では川幅が14kmにも達する。さらにカンボジアを抜けて、
ベトナムから南シナ海に注がれていく。
インドシナ半島にひっそりと存在するラオスは、中国、ミャンマー、タイ、カンボジア、
ベトナムの5カ国と国境を接し、日本の本州ほどの広さを持つ内陸国である。
熱帯性モンスーン気候に属し、雨季(5月~9月)乾季(10月~4月)の
2つのシーズンに分かれる。
国土は236,800平方キロメートル。そのうちの約70%が高原や山岳地帯で、
シェンクアン県のプービア(ビア山)は国内最高峰(2,820m)である。
ラオスの人口は612万人。(2009年現在)そのうち約10%がヴィエンチャン特別市
に集中している。
民族もモン族、ヤオ族、アカ族など多様性があり、その数68ともいわれ、
独自の文化を育んできた。

ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国
(南詔国)の支配領域が南下し、この地に定住者があらわれた時代に始まる。
王国滅亡後の1353年に、ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国が建国され、
その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ。
しかし、18世紀には、3国に分裂し、それぞれタイやカンボジアの影響下に
置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続いた。
19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、
ラオスの3国はタイの支配下にあったが、ラオスの王族はフランスの力を借りて
隣国に対抗しようとし、1893年にフランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に
編入された。第二次世界大戦中に日本に占領された後(日本支配下の1945年
4月8日に独立宣言している)、1949年、フランス連合内のラオス王国として独立。
そして1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。
独立後、ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)による内戦が長期に
わたって続いた。
1974年三派連合によるラオス民族連合が成立したが、1975年南ベトナムの
サイゴン陥落後、1975年にはパテート・ラーオがラオス全土を制圧、同年12月に
王政を廃止してラオス人民民主共和国を樹立した。
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●日時:10月26日(木)午後6時30分~午後9時
●会場:駐日ラオス人民民主共和国大使館
●申込:以下をクリック、申し込み欄に記入、お送りください。
http://form1.fc2.com/form/?id=217920
アクティブミドル国際協会 事務局