まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

時間泥棒

2009-02-07 15:48:57 | 想い
懇談会にて印象的だったこと、続きます

1年生の男の子クンのお母さんたち、
要は言い換えれば、彼らは「前後の見通しを持って行動ができない」
ことを言っておられる方が多かったです

 朝の支度がなかなかできない、
 宿題にもなかなか手がつけられない‥etc.

あ~それね~
簡単には出来るようにならないよ~

Yくんのお母さんが仰っていたとおり、
「個別懇談で、先生から言われたんですけど、Yって、
 『今を生きてる』って、そういう子なんですよね
 
そうそう
男の子には『今』しかないのよ
5分前のことは忘れてるし、視界は眼球の前方半径30センチのみだし

ねぇ??

でもね
タなんかも、まさしくそんな少年でしたが、
さすが、もうすぐ4年生
ちょっとは前後の見通しを立てて動けるようになってきてるし、
最低限のやらなければいけないことは、
「まぁまぁ」ではあるけど、ちゃんと出来るようになってきてます

ちゃんと時間が解決してくれると思うよ??
(まぁ、「それなりに」ではあるけどな


モンダイがあるのは
そんなヤツらのほうではなく、きっと、私たち大人の方

「忙しい、忙しい」って、
何でこんなに自分たちには時間がないような気がしてるんだろう

先日ちらっと書いた、養老孟司さんの「かけがえのないもの」という本の中に、
これまた印象的なハナシがありました。

私たちは今、「未来を食う社会」に生きている、と。
私たちは「過去」から「現在」を通って「未来」へと時間が
流れていくように思っているけれども、
よく考えてみると「現在」というのはほんの刹那的な瞬間でしかないのであって、
どんどん、過去へと流れ去っていってしまっている。
理屈としては、「現在など存在しない」ということになる。
でも、私たちが「現在」として認識しているものは存在している。
それは何なのか

養老先生曰く、それは「手帳に書いた予定のこと」だと。
つまり、当然起こるべき未来、すなわち予定された未来、
決めてしまった未来はもう、「現在」なのである、と。

だから、現在がどんどん大きくなって未来を食っていく‥
今はそんな「未来を食う社会」なのだと


ここで、養老先生はミヒャエル・エンデのモモという小説に出てくる
「時間泥棒」を引用されていました。
(詳しく知りたい方は‥。是非読んでください)
もしこの時間泥棒に会いたければ、
朝九時ごろに東京駅の丸の内側に立っていれば、
エンデが描いたとおりに、灰色の服を着て灰色の帽子を被って、
黒いカバンをもった人たちが続々と現れてきます、と。
そして、このひとたちは、
「すべてを予定し、こうすればああなる、ああすればこうなる」と
物事を進めていくのだと。

私も、モモを読んだ時、
自分も時間泥棒に時間を盗まれてしまっていたことに、気づきました
でも
私たちがついつい求めがちな「~~すればそれを取り戻せる」という
『明らかな答え』って‥ないのよね

漠然と思ったのは、ちょっとした心の余裕を持つように心がける
‥くらいかなぁ

でも、でもね!?
「今」を生きている、あの、アイツらって、
きっと、時間泥棒が手出しできない輩なんやろな~

ってことは、なんとなく、わかるのです


ってな訳で
是非ヤツらに倣って‥!?
私も『今を生きる』のを、楽しんじゃうぞう~!!
なんて思ったのでした

きっと、時間泥棒のヤツら、嫌がるぞ