京都まち歩き

いつも京都の街を見ながら、少しづつ、京都の街を散策しております
京都の行政書士です。歩く街京都!

親の七光り、十四光り、

2020-08-16 16:39:01 | 日記
私の父は、保津川下りの船頭でした。
母の父は、材木商でした。
昔、羽柴秀吉がいかだ流しで丹波地方の物資を都に運んだ。
そして、角倉了以が保津川を開いて、亀岡の物資を都に運んだ。
また、多額納税者で、貴族議員だった田中源太郎が亀岡から、京都に京都鉄道を開設し、竣工式で保津峡付近で列車が雑線して、亡くなってしまいました。
すべて、都に物資を送るためでした。
昔、嵯峨嵐山には、製材所が多かった。これは、保津川を使って、材木を運んだからです。
また、二条駅近くにも、製材所や材木商が多い。これは鉄道ができたからです。
母方は、亀岡駅前にたくさんの土地があります。すべて、都に、物資を送っていました。

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