大学大学そして院短大

東大京大教員懲戒事件
早大慶大川短  〃

正犯の矜持

2017-06-27 14:38:20 | 日記

 前記のように、小保方論文の責めは、共著者全員に帰される、すなわち刑事事件でいえば、共同正犯になる、とおもいますが、
人事等、論文とははなれた世界での係争事はこれを措き、論文自体については、もうすこし時間をとって再検討すべきでした。

 バカンティ教授にいたっては、、論文取下げの要なしとすらいっておられました。たしか、小保方さん自身も同様に申しておられたはずです。理研の臭いものに蓋的な幕引きは、だれの眼にも、奇異に映ったことでしょう。
 弱酸性液そのたの加負荷テストで、STAP細胞が実現したら、どう釈明するおつもりだったのでしょう。不幸にもスタップ細胞の再現は成りませんでした。加之、彼女の上司が自殺。後味の悪い結末になったのは否めません。

 戦後の進歩的文化人とか称するひとたちの著論をくくるとき、前言を翻した読むに堪えない、or時流に迎合した阿り追従の殴り書きが酸鼻をきわめています。かれらを、左翼といって称揚してきた戦後ですが、この「左」は、無責任・醜すぎるところから、「ヴ」とよまれるべきではないでしょうか。左派左翼は、ヴ派ヴ翼とすべきです。
 ヴ派ヴ翼を信奉し神輿に担ぎたい向きは、慰安婦問題で熱心な応援団の首魁と目される、某々女性国会議員が、例の「少女像」の肩に手を置いた「頑張りましょうね像」に造替えてはいかがですか。それを世界各地に設置するのです。ヴ派ヴ翼のまたとないシンボルとなりましょう。このことは、じつは、前回選挙時に、直接当人たちに言いもしました。

 あの頃、小保方さんを代表とするその共同出筆論文は、いっとき、世界的な注視の的となっていました。そして、今は昔、査読の手続や内容等を云々よりも、小保方さんを中心に、関わった全研究者が、検証にあたるべきでした。もちろん、第三者もそれをしていたら、なお可。いずれも応分の評価をえていたことでしょう。
 序でに、蛇足を一つ。「実験ノートはたった2冊」は、批判のための批判で、愚の骨頂。理系の論文のその少なさは、文系のそれとくらべて、超絶ものです。しかもその執筆者は、十数人にもおよびます。「量ではなく質」なのでしょうから、小保方研究ノート2冊・理系の一般的研究論文は3頁のうち1頁分を執筆者名で占める、斯様なことは、的を射た批判に非ず、としりましょう。 

  


共著者は共同正犯

2017-06-27 13:56:36 | 日記

<葦の髄から憲法23条を覗く>

 学校教育法改正についての疑問は、いまもなお拭いきれずに、靄々としたままです。そのような状態から、過去のコト・忘れ去られたヒトを、とりあげてみたくなりました。それは、小保方氏とスタップ細胞の件です。

 小保方論文は共著のようですが、その非の責任は、共著者全員で負うべきではなかったのでは? それも、あの場合、全員が全員、教唆犯や従犯ではなかったのでは? 「学問の自由」の本旨からいって、全員が例外なく、共同正犯と考えられます。
 小保方氏をのぞく諸賢が、頬被りして、ていよく逃げまくるとしたら、いご、かれらは全員、学問研究の世界から去るべきです。”publish or perish”は、その実、然ういうことではありませんか。

 野依理事長以下、理研の経営スタッフについては、、無答責とするのが、卑見です。ただ、これには条件がつきます。学校教育法を改正して、大学・研究機関の理事者の権限強化したのは違憲、と認めるなら、これが条件です。
 しかし、現実の改正は権限を強化しました。これでは、理事長らの無答責は容認されません。大学や研究機関の研究者の、学問研究の自由のうえに理事者経営者の権限を置く、これが改正の骨子ですから、それを容す考えや立場にたつ以上、理研の野依理事長ら上層部もまた、有責は、これを免れないことになります。
 当欄は、同改正には同意しません。そのかぎりで(上記”条件”付で)、理研の上層部は無答責、とする次第です。

 文科省の教授会改革案は、上記”条件”を一蹴しました。これは、もろに憲法23条に抵触します。
 地動説擁護のガリレイ。天動説の教皇庁。近代の大学・研究機関における「学問の自由」は、後者の超克のうえに成立し今日にいたりました。これを想うとき、どうして、「学問の自由」の担い手ではない大学の理事経営者が、「大学や研究機関の自治」を否定できるのか、理解できません。

 小保方論文の共著者は、前記「自由と自治」の享有者です。しかし、その自由にも自治にも責任が伴います。小保方論文の共著者は、共同正犯として、有責を甘受すべきではありませんか。猶、この卑見は、一連の報道が、事実であることを前提としています。かつての「侵略・進出」の書換え誤報の轍を踏むことのなきよう、要注意。

 

 


福沢先生と鳥居教授

2017-06-27 11:18:17 | 日記

 慶応の元塾長鳥居教授が、「日本史の出題範囲を近現代に限定しよう」との入試改革案を提示されたことがある由。そのごの経緯は不詳なるも、かかる考え方には疑問を覚えます。「脱亜論」の理解にも妨げとなりましょう。
 易姓革命で、そのつどぶつぶつと途切れ・前代を全否定し消滅させてしまう隣国とは異い日本の歴史は前代から後世へと連綿と繋がってきており、彼我をいっしょにはできません。中韓が歴史の名で政争化している現実は、近現代に特化した歴史教育の非を証しています。
 
 ややもすると中韓に押され気味の”歴史問題”は、有史以来のそもそもを蔑ろにしてきた当然のツケではないでしょうか。日本に文化を斉し教導してきた師匠はウリ(我)で、彼(日本)は弟子。この韓国側の史観は、日本側ですら受容れられています。左傾史家はもちろん、無垢の研究者にも、この史観に無抵抗な人は少なくありません。況や一般人においてをや。

 歴史の事実はまったく真逆であるにもかかわらず、斯うなのですから、病膏肓!  抑、半島の先住民は縄文人! かれらは、無人の地半島に、BC5千年頃から住みつき始めそのご3千年有余、独り、いわば半島に縄文”国”を形成していたのです。そこえ、現在の半島人の祖先である、シナ鮮卑モンゴル等が北方から侵入してきたのが、BC2千年頃。つまり、BC5千年~BC2千年の3千年間の半島は、縄文人onlyの社会(国家)であり、縄文文化が根づいていました。それはいまや憶測ではなく、DNAや較正炭素14年代測定 そして比較言語学等の科学的手法により客観的に立証されており、教科書はじめ歴史本は、総改定の秋を迎えたといえましょう。

   竹島盗りより4千年前、半島をのっ盗ったのが、いまの半島人の祖先です。盗むパクる嘘をつく! そのDNAは承継がれ、血は争えないものだなあ、と感に堪えません。
 この伝で、明治の朝鮮併合により、彼国を始動させたのが日本であるにもかかわらず、彼らはその否定に躍起で、自力起動を主張してやみません。しかし科学的客観的歴史的事実は古代も近現代も不変。双つながら学ばねば、歴史の学習とはいえないゆえんです。この先史前史超古代史まで遡及して学習しなかったツケが、韓国朝鮮のファンタジーあべこべ史観を定着させ、無用な歴史コンプレックスまで抱かされ、押し捲られてきたのです。
 せっかく、福沢先生が彼国々民の本質をみぬき、友とするに値せずと注意を喚起しても、誤った史観に呪縛された余人には馬耳東風だったといえましょう。
 これよりしても、近現代にかぎった歴史教育は正鵠を射ていないといえるのでは!?


<歴史の誤認 (2)>

2017-06-25 12:37:24 | 日記

 同様の例を一二挙げてみましょう。如下。

❶「われわれ半島(朝鮮)は、古来、最新の知識や先端技術を、列島(日本)へ、教え伝えてきた。列島の住民の先祖は、9割方が半島出身である」といった、半島先進国、列島後進国、の虚言は、昔から今日まで罷り通ってきました。

 とくに、敗戦後の専門史家は、この謬見の普及に寧日なしの状態でした。OSS/GHQ/WGIPの協力者として、立派なお仕事ぶりと言わねばならないでしょう。彼らの言動・こどもたちの教科書、いまに至るもなお、「半島命」です。かの司馬遼太郎・山本七平といった碩学をも、そう思込ませていたのですから、凄いですね。

 しかし、「教え伝えた」のは、炭素14年代測定法・DNA・比較言語学etc.といった科学的客観的な手法で、主客があべこべだということが解ってきました。教え伝えた主体は列島(日本)の人々(縄文人)であって、客体こそ半島(朝鮮)の人々であったのです。
 又、「弥生時代に半島から列島に、突然大挙して人々が押し寄せてきた」という主張も、科学的客観的根拠なく、妄言の極みであることが科学的にはんめいしました。“ing”の、慰安婦・世界遺産・戦時補償等の主張にみる、虚言・でたらめ・詐話・でっちあげ・妄想・捏造による日本妨害の諸言動は、大昔からある彼国人のDNA虚言癖・誇大妄想癖のなせる業といえましょう。

 諸文化の親は中国で、半島(朝鮮)は兄、列島(日本)は弟。このような無根拠なご託宣が、完全に排斥されたのです。半島人の宿痾“火病”には油となるほどの、科学的証拠の連続です。安眠安住しきっていた、ファンタジー歴史観を打ち破られて、こんごは、眠れぬ夜がつずくことでしょう。


❷ つぎは、朝日のウソ報道です。この新聞の真骨頂は、強者の意を伝えるためには、ウソ偽りなんのその、国や国民を顧みること一切なし、にあります。
 それは、戦時期の大政翼賛・戦後のGHQ走狗として、北への送還推進や慰安婦強制の強弁などに、顕現されており逃げ隠れができません。強者の中韓に裨益することなら、出鱈目つくりごと詐話までいとわずに報道する。逆に、自国・自国民に有利な情報はこれを決して出さない。

 如上、⑴ 宣教師の善悪、⑵ ❶日朝文化教導の主客・❷朝日報道の正誤、これらのとりかえばやは、歴史認識を不可逆とも思えるほどに、歪曲してしまいました。


<歴史の誤認 (1)>

2017-06-25 12:17:57 | 日記

 織田・豊臣そして徳川、ともにえらかった。なぜなら、宗教の政治利用を容さなかったからです。比叡山焼き討ち・バテレン追放・禁教、いずれも政教分離の標榜・実践にほかなりません。

 とくに、豊臣徳川の宗教〝糾弾″は、“民の保護”を主眼としていましたから、むしろその措置は至当とすら評価できます。わが国の歴史をみるとき、為政者も民衆も、宗教には比較的寛容です。それがなぜ、16c~17cにかけての宗教政策が、とりわけて厳しかったのでしょう。
 それは、布教者の奸計に起因します。かれらは、武器麻薬等をもって、領主領民を誑かし、“国ごと乗取り”をはかり、剰え、おおくの民を拉致ないし安く買い叩き、奴隷や売春婦として、海外に連行し売り捌いていました。かの支倉常長らの遣欧使節も彼地でそれを現認していたといいます。

 したがって、バテレン等布教者の目論見を見抜いての“糾弾”こそ義しとしなければ、わが国は、疾に南米アフリカ等とおなじ地獄を味わっていたことでしょう。“糾弾”だけにアクセントをおいた歴史認識は改めなければなりません。

 想像を逞しうしてみましょう。いかにも真面目そうな物腰で、手揉みしながら柔和な笑顔で近寄ってくる。そういうう宣教師たちの下心ある挙措動作が目に浮かびませんか。想像どおりだとすれば、どうしても、表見的には、かれらは善で、かれらを取り締まる役人等を悪、としがちなのは分かり易い、かもしれません。
 ここで、騙されてはなりません。なぜ彼らは、地道な布教活動より、火薬鉄砲etc.の袖の下・賄賂の供与に力をいれて大名たちへの接近を優先したのでしょう。トップを籠絡すれば、下々は随いて来ざるをえない、との計算づくは明々白々です。信長はその手には乗りませんでした。豊臣徳川またしかり。乗ったのは、九州の何人かの浅慮な大名たちでした。
 奴隷や売春婦として海外に売り飛ばされた何万もの男女をおもうとき、なぜ宣教師らを善とし、取り締まる側を悪となしうるのか、偏頗にすぎます。善悪は真逆でしょうに。スリとポリスを取違えています。